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[970]外国オペラの日本初演について 2 投稿者:KG生

投稿日:2006年05月22日 (月) 15時15分

 外国オペラの日本初演について、後半部では次の通りです。

「ハムレット」 演奏会形式ですが、1948年10月9日に大隈講堂で藤原歌劇団がグルリットの指揮で演奏しています。

「カルメン] 1885年11月10日横浜パブリックホールでエミリー・メルヴィル歌劇団が上演。 但しドン・ホせはバリトンが歌った。

プッチーニの三部作は「日本のオペラ史」によると、1957年11月27日に青年グループが金子登指揮ABC交響楽団で一挙上演しています。

「ルクリーシャの凌辱」は舞台公演の前年1953年7月20日に第一生命ホールで、ラモー室内楽団の主催で演奏会形式上演した。これを再演舞台化したのが翌年の公演。

「ねじの回転」は「日本のオペラ史」によれば、ラモー協会が4月10−12日に産経ホールで上演。

「ファウストの劫罰」の舞台初演は1951年11月28日、日比谷公会堂で東京芸大オペラ研究部(27日同所は演奏会形式)

「子供と魔法」 1954年は4月5日日比谷公会堂の東フィル定期で渡辺暁雄指揮の演奏会形式。 1960年は3月2,4日産経ホールの「NHK歌劇の夕べ」で、舞台はバレエ、歌はオケボックスでの上演。

「メリーウィドー」 バンドマンオペラは東洋巡業を目的にロンドンで組織されたグループで、当時の新作などを積極的に取り入れて上演した。

「アルジェのイタリア女」 「日本のオペラ史」によれば、1967年9月28,29日に渋谷公会堂で、芸大オペラ第13回定期としてN・ルッチの指揮長沼広光の演出で上演。


なお「リゴレット」の日本初演が抄演だったと音友のオペラ辞典に書いてあるのは、筆者名も出典も無いので確かめようもありませんが、完全な間違い。恐らく帝劇初期の「カヴァレリア・ルスティカーナ」か高折周一の「蝶々夫人」と混同したと推察されます。また各公演のプログラムなどに、主催者がよく調べないで、初演と書く例が非常に多いことをご承知下さい。


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[973]ありがとうございます。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月22日 (月) 23時05分
KG生さま
大変助かりました。貴情報を元に修正させていただきます。
ありがとうございました。

>なお「リゴレット」の日本初演が抄演だったと音友のオペラ辞典に書いてあるのは、筆者名も出典も無いので確かめようもありませんが、完全な間違い。

多分そうでしょうね。出版数が少ないから仕方がない部分もあるのですが、音楽の友社は本件の改訂をしないと思います。

>また各公演のプログラムなどに、主催者がよく調べないで、初演と書く例が非常に多いことをご承知下さい。

これは全くその通り。こんなページを作ったのも、公演プログラムを作成する方が少しでも注意してほしい、と思ったからです。

[968]外国オペラの日本初演について  投稿者:KG生

投稿日:2006年05月17日 (水) 15時34分

 前半部の昔のことで気が付いたのは次の通りです。

「魔弾の射手」 舞台初演は1940年6月26日日比谷公会堂で東洋音楽学校の春季演奏会。

「リゴレット」 第1回ロシア歌劇団の1919年9月24日横浜ゲーテ座と10月2日の神戸体育館公演は、共に恐らく全曲。(東京は翌々年)

 「スザンナの秘密」 木村重雄の「日本のオペラ史」によれば、1961年4月3日に青年グループがピアノ伴奏若杉弘で上演。(場所は不記載だが恐らく第一生命ホール。)

「ホフマン物語」 浅草オペラでは、1920年2月25日から日本館で旭オペラ座が「ホフマンとオリンピア」として上演。(恐らく第1幕だけ)

 「ミカド」 正規の初演は、1946年8月12−21日、アーニーパイル劇場(占領下の東京宝塚劇場)でアメリカ人のソロのほか合唱と管弦楽の多くを日本人で上演。 55分をNHKラジオが全国にナマ中継した。

 「売られた花嫁」 浅草オペラでは、「バータードブライド」として1919年5月31日から金竜館で七声歌劇団が上演。

なお明治前半期の来日グループの公演は殆どがピアノ伴奏。戦後の青年グループの第一生命ホールでの公演も殆どピアノ伴奏です。 また演奏会形式も加えるなら、ラジオでの演奏ほかいろいろ出てきます。

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[969]見落としていますね。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月20日 (土) 09時03分
KG生様
ありがとうございます。あのリストの、明治から1950年までの最大の種本は、増井敬二さんの労作「日本のオペラ史」(〜1952)によりますが、KG生様のご指摘の点確認しました。「魔弾の射手」/「ホフマン物語」/「ミカド」/「売られた花嫁」は、その通りですね。修正します。

「リゴレット」に関しては、「日本のオペラ史」によれば、第1回ロシア歌劇団の1919年の9月24日の横浜ゲーテ座公演、10月2日の神戸体育館劇場公演に関し、抄演であるという記載はありませんが、音楽の友社「オペラ辞典」(1993)には、「リゴレット」の日本初演につき、1919年は抄演、と明確に記載しております。尚、1919年には、日本でリゴレットを上演しているのはロシア歌劇団のみのようです。勿論この「オペラ辞典」は、間違いが多数あるので、私はこの記述が必ずしも正しくないと思っているのですが、そのような記載が、あるという事実を備考欄に載せています。

「スザンナの秘密」。木村重雄の「日本のオペラ史」は手元にありませんが、出典が明示されておりますので、ありがたくこの情報を使わせていただきます。

>なお明治前半期の来日グループの公演は殆どがピアノ伴奏。戦後の青年グループの第一生命ホールでの公演も殆どピアノ伴奏です。

これはその通りです。

放送歌劇の取り扱いは難しいのですが、とりあえず一般観客を入れていないスタジオでの制作であるということで、そこで取り上げられた日本初演的作品に関しては、日本初演扱いにしていません。

それにしても、大変ありがたいことです。どうもありがとうございました。

[965]音文協奏曲の本文そ初めて拝見しました 投稿者:KG生

投稿日:2006年05月13日 (土) 12時51分

管理人さんへ

 私はまだインターネットに慣れないので、このホームページに本文のあることに気が付かず、例の「皇帝ティトの慈悲」を始め、各オペラ公演について、管理人さんが立派なご意見を発表されているのを、初めて知った次第です。 興味深く読ませていただき感心いたしました。 細部までよく見て且つ覚えておられることです。 考え方も確かで、もっともらしい字句だけを並べるその辺のオペラ評論家は比べ物になりません。
 
 全体に共感するところが非常に多いのですが、「皇帝ティトの慈悲」に関する限り、私はまだあの演出について完全には賛成できません。しかし世代の違いもあり、議論はやめておきます。
 オペラ初演の記録もよくお集めになったと感心しております。 この昔のことに関しては私も多少調べているので、お手伝いできることがあるかと思います。(その内に気が付いたことをお知らせします)特に日本で出版されたオペラ辞典は間違いが多く全く当てにならないので。

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[966]ありがとうございます。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月14日 (日) 09時40分
KG生様
本文をごらんに頂きありがとうございます。また、お褒めの言葉、大変うれしく思います。

私は本格的なコンサート・ゴーアーになって25年、その間に聞いたコンサートが多分400回ぐらい、オペラが250本ぐらいの聴き手です。勿論、正式な音楽教育は受けていませんし、楽譜も碌に読めません。

したがって、私の書いている意見は、クラシック音楽愛好家一個人の意見です。専門家に言わせれば、笑止千万のものも少なくないに違いありません。ただ、長年自分でお金を出して聴いてきた聞き手として、何に感動したのかを述べることは悪いことではないだろうということで、意見を発表しております。また、自分自身にとっては、そのコンサートの備忘録としての意味もあります。

そういうことで、恥を忍んでやっております。

日本の音楽演奏史の資料が極めてプアであることは、いろいろ検討していて分かりました。日本初演一覧表は、発表当時は随分誤りを指摘され、そのたびに修正したものです。それでもまだ不備がありますので、KG生さまがご存知のことがあれば、是非教えてください。

「皇帝ティトの慈悲」に関するインターネット上の議論は、私もきっちりフォローしていないのですが、
「クラシック招き猫」の「音の余韻館」というページに、何人かの方の意見が載っています。
http://hpcgi2.nifty.com/182494/ClassicManekineko/treebbspro(4).cgi?vew=7863

また、オペラファンたちのメッセージボードに「愛知のオペラファン」様の感想が二つ掲載されています。
http://clamag.sakura.ne.jp/cbbs/cbbs.cgi

さらに、「ミン吉のオペラ御殿」の「棟梁日誌」に4日間全日聴いた感想が掲載されています。
http://www.h5.dion.ne.jp/~goten/diary.htm

更に林美智子さんのサイトに、舞台写真が掲載されています
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mittyan/c20060420.html

公演監督多田羅迪夫さんのブログにも記事がありました。
http://diary.jp.aol.com/rwkwszjhz/

[961]藤原「トスカ」 投稿者:一静庵

投稿日:2006年05月09日 (火) 00時46分

「オーソドックスな演出で、下品な演奏」正しく、言いえて妙、有難うございました。

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[964]おほめ頂き光栄です。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月12日 (金) 00時11分
一静庵様
おほめ頂き、うれしく思います。それにしてもあのような「トスカ」であれば、お客さんも増えるのでしょうね。

[960]二期会オペラ報告の訂正 投稿者:KG生

投稿日:2006年05月05日 (金) 08時15分

 昨日私の報告の中で、演出者の名を「コンヴィチュニー」と書くべきを「コンヴィテュニー」と間違って書きました。有名な識者の息子でもあるそうで、お恥ずかしい限りです。訂正いたします。

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[963]まあ、気になさらずに投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月12日 (金) 00時09分
それにしても、「ティト」の演出は面白かったと思います。やりすぎの感もありますが。

[958]二期会の「皇帝ティトの慈悲」について 投稿者:KG生

投稿日:2006年05月04日 (木) 17時54分


 二期会の「皇帝ティトの慈悲」をご覧になった方はいないでしょうか? 大変な舞台で皆さんはどんなご感想かと私はこの欄を楽しみにしていたのですが、誰もお書きにならないので、私に書かせていただきます。 私は先にゲネプロを見に行き、最初は馬鹿馬鹿しくて半分寝てしまったのですが、次第にこうしたやり方も面白いかもしれないと感じ、改めて本公演最終日の3月19日にもう一度ちゃんと見たと言う訳です。 
 お出でになsらない方のため簡単にご紹介すると、ハンブルク歌劇場との共同制作とのことで、ドイツのコンヴィテュニーという演出家の演出(編作と言うべきかもしれない)で、モーツァルトのオペラ・セリアをかなりどぎついオペラ・ブッファのスタイルで見せたもの。 全体に「昔のローマはこんなだった」という但し書きがあるのですが、例えば舞台中央に「殿方用」と書いた小ボックスが作られ、群集の前で王様が出たり入ったりする...... etc.etc.という具合です。
 文句なしに感心したのは、各歌い手がよく勉強して、モーツァルトの難しい装飾樂句いっぱいのアリアを、すべて及第点で歌いこなしたことと、セッコのレチタティーヴォで、日本人としては恐らく初めての感情豊かな表現が出来たことです。中には声もよく出て、海外の一流歌手に負けない歌い手もいました。初めて聞いた音楽も予想外に立派で、オーケストラはいい響きを聴かせました。
 問題の演出ですが、野心的に喜劇仕立てにしたのが、多少の手直しでは風刺性も中途半端の上、装置・衣装・演技がかなり安っぽくて、戴冠式のため作ったオペラ・セリアとは余りにもかけ離れた舞台で、最初はがっかりしたのですが、考えるとモーツァルトの性格では彼自身が見たら大喜びするに違いないし、またまともに上演したら、セっコの部分などそれこそ退屈になったと思うので、こうした扱いも成り立つのではないかと、やや納得させられた次第です。
 皆さんはどんなご感想でしょうか? 管理人さんはご覧になりましたか? ご意見をお聞かせください。

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[959]見ました。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月04日 (木) 23時00分
KG様
書き込みありがとうございます。
二期会「皇帝ティトの慈悲」、私は4月20日に見ました。その感想は本文に書きましたので、そちらをご覧ください。私にとって、今後8箇月でどう変わるか分かりませんが、本日の段階では、本年一番の収穫です。

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[962]ごぶさたしております投稿者:ムゼッタちゃん
投稿日:2006年05月09日 (火) 02時03分
4月21日金曜日にどくたーT様とは違うキャストで観ました。
基本的なケーキのスポンジはモーツァルトでデコレーションはロッシーニ風味にして食べ飽きないようにしたって感じ。
こう言っちゃ何だけど、この日のキャストの方がこの演出には合っていたのではないかしら。
ただテノールの声質は20日のキャストで聴きたかった。

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[967]私は高橋淳さんのティトを聴いてみたかったです。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年05月14日 (日) 10時04分
ムゼッタちゃん様
お久しぶりです。

そうですか。確かにBキャストも魅力的でした。あの演技上手の高橋さんなので、ティトは高橋さんのほうが良かったのではないか、という気がしていました。

[957]プライベート第九演奏会 投稿者:どくたーT@管理人

投稿日:2006年04月26日 (水) 22時40分

本日、府中の森芸術劇場どりーむホールで、ベートーヴェンの第九の演奏会を聴いてまいりました。

演奏会の概要は、
指 揮:飯守泰次郎
管弦楽:東京都交響楽団
独 唱:澤畑恵美(S)、竹本節子(MS)、成田勝美(T)、福島明也(Br)
合 唱:某高等学校
曲目: (1) ベートーヴェン作曲 交響曲第九番 ニ短調
(2) 某高等学校 校歌

飯守さんのドラマティックな表現、大変結構でした。さすがワーグナー指揮者です。第2楽章と第3楽章の対比も見事でした。
オーケストラ:もう1回練習すべきではないかしら。日本のオケにとって第九は基本中の基本ですから、練習無しでも演奏できるのでしょうが、細かいところのまとまりが今ひとつでした。もう1回、全体をさらうだけでもっとよい演奏になると思いました。
ソリスト:日本を代表する歌手の面々。悪いはずがありません(実際は細かい問題はあるのですがいいでしょう)。
合唱:いわずが花ですね。音楽の先生の努力はよく分かりました。

[955]いつも丁寧なお返事ありがとうございます。 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年04月26日 (水) 13時46分

その後大デュマの伝記も読んでみました。なかなかユニークな愛すべきキャラクターの人だったようです。
その中でデュマ・フュスの「椿姫」にもふれてありました。
デュマは、他の男性ともつきあっているマリーに業を煮やし、一方的に手紙を書いて別れたそうです。翌年彼女があっけなく死んでしまったため後悔し、この小説を書いたとか。基本的にこの美談は創作だったようですね。なんとなく納得しました。
原作を読むのが以外に面白かったので、今度は「オセロウ」を読もうかと思っています。

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[956]オセロー投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月26日 (水) 22時20分
京都のオペラ好き様、いろいろとありがとうございました。

>デュマは、他の男性ともつきあっているマリーに業を煮やし、一方的に手紙を書いて別れたそうです。

そうなのですか。私は「父親のように」、コルティザンにお金を費やした息子にごうを煮やした父親が手を切らせた、とばかり思っていました。違うのですね。

オセロー、結構ですね。私はオペラで内容を知っているので、知っているつもりになっていますが、考えてみるとシェイクスピアの四大悲劇で、きちんと読んでいるのは「ハムレット」だけでした。私も勉強しなければいけません。

[953]「椿姫」読みました。 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年04月18日 (火) 12時56分

さっそく原作(岩波文庫)を読んでみました。まず改めて感じたのは、主人公たちが、とても若い男女だったということです。(オペラではベテラン歌手が演じているのでヴィオレッタを落ち着いた女性とつい勘違いしてしまいます)マルグリットは、気品ある美貌を謳われながら、娘らしい蓮っ葉なしゃべり方をし、(字は6年前から書けるようになったらしい)派手好き遊び好き、結構な借金まであります。アルマンには誠実ですが、例の田舎の別荘の支払いはパトロンのおじいちゃん公爵にさせたりして、わりとちゃっかりしています。一方アルマンは彼女を初めて見たとき(コルチザンとは知らず)その美貌に強く惹かれ、町で彼女を見かけるたび顔色が変わり、動悸がしたといいます。つまり、アルマンは激しい一目ぼれをしてしまった。マルグリットもまたそれにこたえるだけの恋愛能力のある女性だったわけで(死期が迫っていたことも関係していると思いますが)、原作も基本的には若い男女の純愛物語でそれなりのリアリティがありました。しかしそうなるとどうしてもモデルのマリーが貴族の奥方で死にたがったという打算的な事実だけは宙に浮いてしまいます。この全くの矛盾を抱えたまま作家がこのような思い入れのある物語を成立させることは果たして可能なのでしょうかね。ラストの真実はどうだったのでしょうか。原作ではマルグリットは差し押さえの掛かった部屋でアルマンにも会えず、苦しみぬいて死にます。残されたアルマンへの日記が愛の証を物語るのです。読んでいてつい泣いてしまいましたが、真実のラストが違うとなれば、あの涙って・・・と馬鹿馬鹿しい思いもします。デュマが創作と割り切っていたのならいたしかたないことですが。もう一つ、少し話は変わりますが、周辺を調べているうち驚くべきデュマ一族にも興味を持ちました。一族はフランス人侯爵のひいおじいちゃんが、黒人奴隷のひいおばあちゃんに子供を生ませたことから始まり、ハーフのその子は勇壮無比なアレクサンドル将軍になり、さらにその息子(つまり父デュマ)は大ベストセラー作家で、稀代の道楽者に。あちこちに子供100人作ったとか。(ジェルモンとは正反対)なんだかオペラの主人公にありそうな波乱に満ちた人々なのです。子デュマはこういった豪放さと黒人の血を引くマイノリティの家系の子孫でもあったわけです。さらにデュマ家のイヴともいうべきひいおばあちゃんは、マリー・デュマ(農場のマリーの意)と呼ばれていたらしく、子デュマは、似た名前を持つマリー・デュプレシスに運命的なものを感じたのではと、ついつい想像をたくましくしてしまいました。





顔色が変わり動悸がしたといいます。

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[954]デュマ・フィスの椿姫投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月22日 (土) 13時36分
京都のオペラ好き様
書き込みありがとうございます。今週は出張(海外出張でもないのに2泊の出張は久しぶりでした)やらなんやらで忙しく、お返事が遅れました。申し訳ありません。

さて、残念ながら私は「椿姫」の原作を読んだことがないので、あまり的確なお返事が出来ないかもしれません。ご容赦を。

マリーは1840年、グラモン公爵の息子アジェノール・ド・ギッシュに見初められ、彼の愛人になります。アジェノールは彼女を徹底的に貴族的に教育し、このとき名前もマリーと変えているそうです。ギッシュこそ、アルマンのモデルの一人とされているそうです。

1842年にマリは、エドワール・ド・ベレゴーという18歳の若い伯爵と恋に落ち、パリ近郊の森の別荘でひと夏を過ごし、パリのダンタン通り22番地に住みます。このダンタン通り22番地こそが、小デュマが設定したマルグリッドの住所だそうです。ということで、エドワールもアルマンのモデル。デュマと知り合ったのが1844年、デュマと恋愛が始まったのが45年ごろと言われています。

デュマは父親の大デュマが大ベストセラー作家でしたので自由になるお金も多く、マリーと遊べたと言われています。結局小デュマがマリーと別れたのは小デュマが貢げるお金が少なくなったため、とも言われております。デュマは、マリーが亡くなったあと、マリーと深い関係にあった若い男性三人、即ち、ド・ギッシュ、ベレゴー伯爵、そしてデュマを合わせて一人の男性アルマンに構成しなおしているそうです。

なお、マリーが結婚した伯爵とはベレゴー伯爵であり、恋と打算と両方が関係していたのでしょう。

そう思うとデュマはマリーに対する追悼の気持ちはあったにせよ、基本的には自分の体験を基にして完全な小説を書いた、というのが本当だと思います。

デュマ一族の話、面白く読みました。大デュマが好色だったという話は何かで読んだことがありますが、こんなに波乱にとんだ方とは知りませんでした。

ちなみにデュマ家の当主の名は代々アレキサンドルで、おじいさんもアレキサンドル・デュマ、お父さんもアレキサンドル・デュマ、椿姫の作者もアレキサンドル・デュマです。普通、三銃士やモンテクリスト伯の作者をデュマ・ペール、椿姫の作者をデュマ・フィスと呼びますが、本名の中にペールやフィスが入っているわけではなく、区別のための呼称です。

デュマ・フィスのお母さんはカトリーヌ・ルペーというお針子で、子どもが生まれるとき、父親の大デュマが、大デュマの母親のマリー・ルイズと暮らすためにルペーの部屋から出て行ったために、デュマ・フィスは最初私生児とされてしまいました。デュマ・フィスが生まれた頃、大デュマは成功する前でしたので妻子を捨てて、自分の出世のためにがんばります。その結果、当時最高のベストセラー作家となったのですが、後年父に引き取られた小デュマは、父親のロマン小説を手本に「椿姫」を書いたようです。



[951]あつかましい書き込みに 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年04月10日 (月) 17時55分

何度も答えていただいてありがとうございます。この間解説本を読んでいたら、デュマの原作では、マリー(この中ではマルグリット)は普段の言動は下品で字もろくに読めなかったとのこと。とても驚きました。それならばどうしてデュマがそこまで愛情を持ったかが不思議なのですが、一つヒントに思われるのは、デュマの母親がグリゼットだったらしいということです。ドクターのこの間の論争とも関係してきますが、彼女たちはコルチザン予備軍とも言われる立場だったらしいです。(そういえば私もミミがいきなり貴族の愛人になったのを不思議に思ったことがありました)グリゼット、コルチザン、愛人、はそれほど遠い関係ではなかったようです。当時後ろ盾のない貧しい女性が生きていく道は限られていたのでしょう。デュマは苦労する母親を見て育ち(私生児だったらしい)そういった境遇の女性に深い同情を寄せるようになったのではないでしょうか。ヴィオレッタの造形に関しては、やはりヴェルディの2番目の奥さんの影響が大きかったのだと思います。彼女はもう少し教養があったようです。だいぶ疑問は解けてきましたが、もう一つすっきりさせるために、こんどはデュマの原作を読んでみようかと思っています。

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[952]小デュマのコンプレックス投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月12日 (水) 23時59分
コルチザンというとそれなりに教養があって、美人でお金もある、というイメージが強かったのですが、マリーは違ったのですね。勿論普通に考えれば、庶民の娘がその当時教養を身につけることは相当困難であることは明白ですが。
小デュマがマリーに入れ込んだのは遊ぶ金がふんだんにあったということが一番大きいのでしょうが、それ以上に父親への反発があったのではないかと思っておりました。母親がグリゼットだったとすれば、父親に対する対抗心がマリーに向かう、自然な気がします。




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