同様の問題が18世紀のオペラにもあると思うのです。「喜劇的オペラ」の創始は、例えば、「オペラ事典」(音楽の友社、1993)に拠れば、「17世紀のヴェネッイアやローマのオペラでは、深刻な物語の合間に喜劇的な場面が挿入されることが多かったが、ジューリオ・ロスピリオージ(1600-69)の台本にマッツォッキが作曲した《悩むものは希望を持て、Chi soffre speri》(1639)や、アントーニオ・マリーア・アッパティーニ(1609/10〜78頃)が作曲した《禍転じて福となる、Dal male il bene》(1653)のように喜劇的内容の独立したオペラも作られた。」とあります。
しかしながら、「オペラ事典」では、この両作をオペラ・ブッファの先駆とはしていません。一方、「The Concise Oxford Dictionary of Opera」(私が参照しているのは1979年に発行された第二版)に拠れば、この両作品をオペラ・ブッファのさきがけとしています。
同様に18世紀初頭にナポリで上演された喜劇的オペラがオペラ・ブッファの先駆としてよいかどうか、という点についてもその内容を知らないので、何とも申し上げられないのですが、「Commedia per musica」=オペラ・ブッファではないのではないでしょうか。もし、「Commedia per musica」=オペラ・ブッファというのが一般的な認識であるならば、なぜ、1733年にナポリで初演されたインテルメッゾ「奥様女中」が、オペラ・ブッファの先駆けである、といった記載が蔓延するのでしょう?