投稿日:2008年07月10日 (木) 00時55分
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今回の批判を浴びて、再度、オペラ・ブッファとは何かを考えてみました。
私は、オペラ・ブッファの形式的特徴を備えている作品がオペラ・ブッファだろうと考えています。次にオペラ・ブッファの形式的特徴とは何かですが、それを理解するには個別の作品に当たるのが一番です。即ち、オペラ・ブッファと呼ばれている作品の形式的特徴を抜き出して行き、その共通性をまとめたものがオペラ・ブッファの形式的特徴になるということです。
ところが、現在オペラ・ブッファとして知られている作品はそれほど多くなく、実際に歌劇場のレパートリーとなっているのは、モーツァルトのダ・ポンテ三部作、ロッシーニの何作品か、ドニゼッティの「愛の妙薬」と「ドン・パスクワーレ」、ハイドンの「月の世界」 チマローザ「秘密の結婚」ぐらいでしょう。せいぜい10強、甘く見ても15-16というところでしょうか。
ところが、その15か16の作品は、その形式的な特徴が良く似ています。幕構成は、2幕のものが最も多いですが、3幕の作品、4幕の作品(フィガロの結婚)と必ずしも一致しませんが、バッソ・ブッフォの活躍、スーブレットの存在、幕切れのアンサンブル・フィナーレ、三一致の法則に従う、といった共通の特徴があります。
逆に申し上げれば、このような形式的な特徴を持ったイタリア語喜劇オペラが「オペラ・ブッファ」だ、ということになります。
卵が先か鶏が先かみたいな議論をしておりますが、一定のサンプルからその特徴を導き出し、その特徴で、他の作品を評価しようという考え方ですね。
次に問題になるのは、その基準を他の作品に敷衍したとき、どこまでを許容とし、どこからを許容としないかの問題になるのだろうと思います。私は、その許容幅はあまり広くないと考えています。しかしながら、それは実際に作品に付いた分類名は一切問題にならない。上記に示したような形式的特徴を満たしていれば、dramma giocosoと書かれていようが、Commedia per musica と書かれていようが、それがオペラ・ブッファと呼んで宜しいのだろうと思っています。
オペラ・ブッファという言葉は、「通りすがり」さんの言に拠れば、「18世紀末までほとんど存在しないターム」だということです。ということは、19世紀の批評家か音楽家が、当時の流行の喜劇的歌劇をそのように呼んだ、ということになります。とするならば、彼らがオペラ・ブッファを特徴付ける形式的特徴として考えたものは「同時代の喜劇オペラ」の形式的特徴、即ち、今日我々が見聞きして知っているオペラ・ブッファの形式的特徴をしてオペラ・ブッファと呼んだと考えられます。勿論歴史的な経緯を踏まえて、オペラ・ブッファのカテゴリーを考えたのかもしれませんが、当時のオペラが、毎年新作を上演するのが常識だった以上、同時代の作品の特徴を踏まえた、と考える方が自然です。
そのように考えると、「通りすがり」氏が与えたオペラ・ブッファの定義、即ち、「当時はCommedia per musica、そして宮廷での上演、あるいはヴェネツィアでの場合Opera giocosa, dramma giocosoと呼ばれる、同時代の人物を素材に作られた喜劇系の3幕のオペラ」というのは、オペラ・ブッファを拡大して考える場合は適切かもしれませんが、本来オペラ・ブッファとして考えられてきた作品を定義するには無理があるように思います。
オペラ評論家の永竹由幸さんは、2006年12月に新国立劇場で行われた「セビリアの理髪師」のパンフレットに、「ロッシーニにとってオペラとは何であったか?彼のオペラに対する考え方」という文章を発表しているのですが、彼はその中で、「まずオペラ・ブッファとは何かを考えてみよう。最初の本格的なオペラ・ブッファはゴルドーニ台本、ガルッピ作曲の3幕の喜劇的歌劇「アルカーディア・イン・ブレンタ」(1749年)と考えて良い。これ以前のペルゴレージの「妹に恋した兄」(1732年)3幕やA.スカルラッティの「貞節の勝利」(1717年)3幕のようなバロック時代の喜劇的要素をもった世話物は、その作り方からいって後のオペラ・ブッファとは大きく違うし、インテルメッツォの「奥様女中」(1733年)等は音楽的には優れていても、あくまでも幕間劇であって、それで独立して一晩の興行を打てない」と書かれています。
私はガルッピのオペラに詳しいわけではないですが、永竹さんの意見では、19世紀初めのオペラ・ブッファの形式的特徴でさかのぼれるのは、18世紀半ばまでだ、ということのようです。
一方、「通りすがり」さんは、「ナポリの1707年のCommedia per musicaが喜劇オペラ/オペラ・ブッファの祖であることは間違いのないところです。」と主張していますが、日本を代表するオペラ評論家の意見と違う以上、「オペラ・ブッファ」という言葉の定義を含めて、もっと精緻な論理展開を望みたいところです。
という訳で、当面私は永竹説をとり、1749年から1842年までのほぼ100年間をオペラ・ブッファの時代といたしましょう。
次に幕数の問題ですが、これは確かに「通りすがり」さんの言うとおりです。調べてみると、1780年より前は、喜劇オペラと雖も3幕が普通のようです。しかしながら、18世紀後半から19世紀前半をオペラ・ブッファの時代としますと、3幕が主流の時代は30年、2幕が主流の時代は70年ということになります。とすれば、全部をまとめて書くのであれば、オペラ・ブッファは2幕を原則とする、というのはやや乱暴なまとめ方ではありますが、3幕を原則とするという見方よりは適切な感じがします。
次に、「卑俗な」同時代人が主人公:修正するのはやぶさかではありませんが、フィガロ、アディーナとネモリーノ、アンジェリーナ、イザベッラ、卑俗な同時代人の実例は一杯ありますね。
「1792年、チマローザが『秘密の結婚』を発表した後、オペラ・ブッファの名作は生まれてこなかったが、」というのは、どうも本当のようです。これまた永竹さんの受け売りですが、ナポレオンが欧州を席巻したこと及び彼がカストラートを禁止したため、19世紀初頭イタリアオペラは一時的に衰退したそうです。その10年間は新作があまり生まれず、再演物が多かったようです。
以上、オペラ・ブッファに関する意見です。私の文章は一部修正したほうがよりわかりやすくなりそうですので修正しますが、全体として問題があるとまでは思えませんでした。
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