投稿日:2006年10月29日 (日) 23時24分
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本日、親子で楽しめる国立音楽大学ファミリー・コンサート2006に家族で出かけました。
プログラムは以下の通り。 ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲より「スイス軍の行進」 ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」よりフィガロのアリア「私は町の何でも屋」:森口賢二(バリトン) ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」よりロジーナのアリア「今の歌声は」:高橋薫子(ソプラノ) モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299:フルート独奏:佐久間由美子、ハープ独奏:篠崎史子 ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」 アンコール:ドヴォルザーク:スラブ舞曲より2曲 管弦楽:クニタチ・フィルハーモニカー 指揮:梅田俊明
クニタチ・フィルハーモニカーは、国立音大関係者で編成したオーケストラで、学生、OB、及び教員からなるもので、コンマスが元N響フォアシュピーラー首席の武藤伸二さん、コントラバストップが、N響の首席奏者代行の吉田秀さん、ホルン首席が、元N響の大野良雄さん、ティンパニが百瀬和紀さんとそうそうたるメンバーが入っています。学生は20人弱で全体の3割弱ですから、学生オケというほどではありません。
そんなわけで個別の奏者のレベルは決して低いとは思いませんが、臨時編成オーケストラの悲しさか、今ひとつアンサンブルが揃わない。ゲネラル・パウゼの止まり方の微妙な差異や、緩徐楽章でのばらつく入りなど、もう少し揃えてほしいと思う部分が随分ありました。
梅田俊明の指揮は、まあ、あんなものでしょう。特別優れているとは思いませんでしたが、別に駄目と申し上げる必要もない。ごく普通の、コンサートを楽しむためには満足できる指揮だったと思います。
一方、ソリストは皆抜群です。 森口賢二のフィガロのアリアは、胸がすく名唱。歯切れが良くて元気が良くて、それでいて野放図にならない大変素晴らしいもの。「何でも屋の歌」はよく聴く曲ですが、森口ぐらい素晴らしい歌は、久しく聴いていなかった様に思います。
高橋薫子の「Una voce」もまた結構。高橋の実力からすれば、取り立てて誉めるほどの歌唱ではなかったのですが、それでも並みの歌唱ではありません。声の充実は流石と申し上げましょう。
フルートとハープの協奏曲における佐久間由美子と篠崎史子のコンビも素晴らしい。佐久間の情感あふれ、且つ伸びやかなフルートの音色は大変魅力的でしたし、篠崎のハープの音色も結構でした。
「フルートとハープのための協奏曲」は有名な作品でありながら、オーケストラのコンサートで取り上げられる機会は少なく、私は実演を初めて聴きました。そこで思ったのは、録音で聴けるフルートとハープとの関係とは結構異なるバランスです。これを知ることが出来たことも、今回の成果です。
そんなわけで、入場料500円の元はすっかりとって、おつりまで貰った感じですが、問題は観客です。
ファミリー・コンサートというだけあって、0歳児から入場可です。でも、赤ちゃんがこのコンサートのよさが分るとは思えません。私は子どもがクラシック音楽を親しむことは良いことだと思いますが、3歳児や4歳児が2時間のコンサートを退屈せずに聴くのは所詮無理な話です。それにもかかわらず、親の見栄なのか何なのか知りませんが、未就学児が沢山来ていました。親の常識を疑います。モーツァルトが情操教育によいと考えるのであれば、家でCDを聴かせればよい。コンサート会場に連れてくるのは、ある程度我慢が出来る小学生、100歩譲っても幼稚園児からでしょう。
子どもをコンサート会場につれてきて、マナーを教える。大変重要です。しかし、足し算の出来ない子どもに掛け算を教えるのはそもそも無理です。コンサート会場でのマナーが理解できるぐらいになってからにしてほしい。
それでも、子どもがうるさいのは仕方がありません。もっと困るのは、その子どもをつれてきている馬鹿親です。演奏中しゃべるんじゃあない。そんな常識もわきまえずに子どもをつれてくること自体が恥ずかしい。大人のマナー教育が必要なようです。
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