投稿日:2006年10月07日 (土) 12時26分
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丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士、三人の鼎談集「文学全集を立ちあげる」を読みました。「編集する」あるいは「編纂する」を用いずに「立ちあげる」を使用したところに、「ウェブサイトを立ちあげる」のような現代性を感じますが、内容も十分先鋭的です。
日本における、本格的な最後の世界文学全集は1989年刊「集英社ギャラリー・世界の文学」だったそうですし、日本文学全集は1986年刊の「昭和文学全集」ではないかと思います。はっきり申し上げて、文学のカタログとしての世界文学全集、日本文学全集は多分出版されることはないでしょう。
文学全集の最初はいわゆる円本、改造社版「現代日本文学全集」で、大正15年12月に第1回配本として「尾崎紅葉集」が刊行されました。この事実は、文学全集もまた昭和の文化だった、ということなのかもしれません。
そこに、現代日本を代表する「本読み」である三人が、現代の視点で文学全集を考える。その対象には、人類の文化の継続性を示すいわゆる純文学のほかに、大衆小説、ミステリー、大衆詩、ポルノグラフィーまで、ありとあらゆる文芸作品を含みます。本当に知的好奇心を刺激されました。
私は、外国文学をほとんど読んでいないので(多分読んでいるのはあげられたタイトルの一割かそれ以下でしょう)、本当の所はよく分からないのですが、世界文学全集において、ホメロスの叙事詩やギリシャ悲劇から始まって、イギリスならばスコット、フィールディング、ジョイスなど、フランス文学ならばユーゴー、デュマの大衆小説系の採用に対し、トルストイやドストエフスキーに対する相対的軽視などの特徴があります。勿論、英文学の大家である丸谷才一と、フランス文学者の鹿島茂が入っていることから、英文学・仏文学重視は仕方がないところですが、ロシア文学・ドイツ文学は軽視されている感じがします。でも、ヘッセを外すなんて決断ですね。確かに私も中高生の頃ヘッセは何冊か読みましたが、大して面白いとも思いませんでしたし、ヘッセの最大の功績は多分、マルセル・プルーストを世に紹介したことですから、外すことに反対しないのですが、ヘッセファンにはたまらないかもしれない。
中国文学にも面白いものが沢山あると思うのですが、例えば、「水滸伝」、「西遊記」、など。しかし、彼らが選んだのは「紅楼夢」と「金瓶梅」の2作と「唐宋詩集」。これは見識です。
ミステリーやSFを入れる。ミステリー系はドイル、ルブラン、シムノン、チェスタトーン、チャンドラー、ハメットなどが取り上げられていますが、本格もののクリスティやクイーンは名前すら出てこない。文学としてミステリーを見たとき、パズルは今ひとつ、ということかしら。SFは、ヴェルヌ、ウェルズから始まって、ブラッドベリ、バラード、ヴォネガットですか。バカン、ル・カレ、ハイスミスも取り上げられています。
ユーモア小説として、ジェローム・K・ジェロームを取り上げ、少年・少女小説集として「若草物語」、「赤毛のアン」、「小公子」など。でも少年少女小説集を作るなら、「ドリトル先生」シリーズとケストナー、それに「長靴下のピッピ」は外せないと思うのですが、そこは議論されていません。
もう一つ、文学の中で「詩」は重要な位置を占めますが、マルラメ、ランボー、ヴェルレーヌばかりではなく、「歌謡集」を考えたのも面白い。プレヴェール、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ジェーン・バエズ。
日本文学は、世界文学とはまた違った面白さがあると思うのですが、残念ながらはじけ方が今ひとつですね。白樺派や芥川に対する厳しい視点は面白いと思いますし、大衆文学を大胆に取り入れる姿勢などはいいと思います。とはいえ、「第三の新人」まで取り上げる、という流れから見ると、日本の大衆小説やサブカルチャーに対する見方はまだ踏み込みが足りない気がします。
明治までの古典は自分でよく分からないのでコメントできないのですが、明治期以降であれば、ミステリーやSFや児童文学は弱い。乱歩や松本清張は取り上げられていますが、横溝正史はいない。ハードボイルド系も抜けています。生島治郎とか。冒険小説的なものとしては押川春浪とかSFならば小松左京、星新一は抜けないのではと思います。児童文学は、鈴木三重吉の「赤い鳥」系、海野十三などの「少年倶楽部」系が重要なわけですが、どちらも議論すらされていません。その辺が残念なところでしょうか。
歌謡集を入れるのはいいですね。讃美歌、小学唱歌、民謡それに歌謡曲。これは面白い。
現実に出版されることはないでしょうが、もし万が一出版されたら買いそうです。
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