投稿日:2006年06月24日 (土) 16時36分
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管理人さんは、20日のゼロホールでの「フィガロ」はご覧にならなかったでしょうか? プラハ室内歌劇場の公演で、私も全く期待せず、前日の「魔笛」も当日朝にキャンセルしてしまったくらいですが、ゼロホールは私の家の近くなので、出かけてみて驚きました。 ご覧になった方が少ないと思うので、記録を兼ねご報告します。
歌い手は一部を除きそれぞれかなりの出来。音楽の演奏ももまずまずだったのですが、感心したのは、このグループの主宰者でもあるM.オタヴァという人の演出です。 衣装ほかを現代風にするとか、元作品の細部を無視するとかも、単なる無視ではなくて、それを補って余りある十分の理由があり、しかも大事な箇所は普通以上に原作を強調した演出でした。 一番感心したのは、各登場人物の性格と感情を実に見事に生き生きと描きだしたこと。 その具体的な例は一々書けませんが、一つだけ挙げると、「手紙の二重唱」の前で、後に婚礼の場面にも必要のため椅子を二つ出してある。手紙の場面では、通常なら、それに夫人とスザンナが腰掛けて、例の手紙を書くわけですが、ここでは腰掛けたのはスザンナただ一人。夫人は彼女の後ろを大きく歩き回って、手紙の内容を口述。 しかもスザンナは手紙を書きながら、時々もう一つの椅子に両足を揃えて乗っけるというお行儀悪い格好。 これは二人のこの場面での感情を実に見事に表現していました。つまり夫人は、初めて積極的に伯爵を懲らしめる計画に、これまでになく興奮しており、一方スザンナはフイガロと結ばれる喜びも底にはあって、夫人の計画の成り行きを大いに楽しんでいるという状況。この二人の対比があの見事なカノン風の旋律の流れと交錯して、正に絶妙の効果でした。 通常の演出では、はっきりしない例えば、終幕でのスザンナのアリアでの感情の流れとか、最後の大団円の場面での指輪の使い方ほか、実に細かい点までの配慮が沢山ありました。 この日は観客の入りが悪かったのが実に残念でした。 以上。
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