投稿日:2015年05月26日 (火) 19時25分
|
新国立劇場「ばらの騎士」初日(5月24日)を聴きました。またもや感想を今月中載せることが出来ないので、掲示板に感想を書きます。
鑑賞日:2014年5月24日
入場料:C席 6804円 4F2列11番
主催:新国立劇場
全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演 リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」(DER ROSENKAVALIER) 台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール
会場 新国立劇場オペラ劇場
指 揮 : シュテファン・ショルテス 管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団 合 唱 : 新国立劇場合唱団 合唱指揮 : 三澤 洋史 児童合唱 : 東京FM少年合唱団 児童合唱指導 : 演 出 : ジョナサン・ミラー 美術・衣装 : イザベラ・バイウォーター 照 明 : 磯野 睦 舞台監督 :
出 演 元帥夫人 : アンネ・シュヴァーネヴィルムス オックス男爵 : ユルゲン・リン オクタヴィアン : ステファニー・アタナソフ ファーニナル : クレメンス・ウンターライナー ゾフィー : アンナ・ブリーゲル マリアンネ : 田中 三佐代 ヴァルツァッキ : 高橋 淳 アンニーナ : 加納 悦子 警部 : 妻屋 秀和 元帥夫人の執事 : 大野 光彦 ファーニナル家の執事 : 村上 公太 公証人 : 晴 雅彦 料理屋の主人 : 加茂下 稔 テノール歌手 : 水口 聡 帽子屋 : 佐藤 路子 動物商 : 土崎 譲 三人の孤児 : 前川依子/中道ゆうこ/小林昌代 元帥夫人の従僕 : 梅原光洋/小田修一/徳吉博之/龍進一郎 レオポルド : 仲川 和哉
感 想
立ち姿でどれだけ表現できるか−新国立劇場 「ばらの騎士」を聴く
「ばらの騎士」はオペラを総合芸術作品と定義した時一番好きな作品です。いろいろな意味で傑作です。フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの台本が文学作品としても第一級ですし、リヒャルト・シュトラウスの音楽も素敵です。傑作としか他に言いようがない作品だと思います。
それだけに、文句なしに素晴らしい演奏というものにはなかなかお目にかかれない。そういう「ばらの騎士」の奇跡的名演は1994年ウィーン国立歌劇場日本公演、指揮:カルロス・クライバー、元帥夫人:ロット、オクタヴィアン:フォン・オッター、ゾフィー:ボニーの演奏ということになりますが、私の実演で耳にした中で二番目に良かったのは2007年の新国立劇場公演でした。つまり、今回の公演のプレミエですね。2007年の新国立劇場公演は、元帥夫人を歌ったカミッラ・ニールントが歌唱演技ともよく、後姿だって様になっていましたし、第1幕のモノローグは、真実味がありました。ロットの域には達していませんでしたが、元帥夫人としては最上の一人と申し上げてよいと思いました。
今回の元帥夫人アンネ・シュヴァーネヴィルムスはどうかというと、ロットとは比較にならないのは言うまでもありませんが、ニールントの気品ある元帥夫人と比べても一段落ちる感じでした。第一幕の有名な諦念のモノローグ。歌にじたばた感がある。私はこの部分をもっと運命を受け入れるように自然な諦念を凛とした姿勢で歌って欲しいと思うのですが、多分、シュヴァーネヴィルムスは違う解釈なのでしょう。だから、表情の変化が濃い感じがする。しかし、元帥夫人のモノローグは、変に表情をつけて攻めるより、冷静に表情の変化を小さくして歌う方が、元帥夫人の悲しみを表現できるのではないかと思います。煙草をくゆらすシーンのようなこの演出が期待する表現も、全身で諦念を示すことであり、歌唱の表情で、諦念を積極的に示すものではないのではないかと思いました。
もう一つ申し上げるなら、シュヴァーネヴィルムスは歌唱全体の線が細い印象がありました。ワーグナー歌いで鳴らしている方ですから、もっと吼えることもできるのでしょうが、吼えない。多分繊細な表現や表情に拘っているのでしょう。それは悪くはないのだろうけど、オーケストラに負けてしまう部分があります。そこは、指揮者が上手にコントロールすべき部分でもあるのでしょうが、指揮者はそこをきっちりやり切れていなかったということなのでしょう。結果として、凛とした元帥夫人というより、ちょっとメランコリックな元帥夫人になっていた感が強いです。
アタナソフのオクタヴィアン。良かったです。オクタヴィアンは、長身・美貌のメゾが歌うとヴィジュアル的に魅力的です。歌唱力も含めて言えば、2007年のツィトコーワのオクタヴィアンはよかったわけですが、その時の印象が蘇るような歌唱。少年らしさが上手く表現されていて、第一幕の我儘な男の子と、第二幕のばらの騎士、そして、第三幕の女中に化けたときの演技・歌唱ともよく役柄に似合っていて素敵でした。
アンナ・ブリーゲルのゾフィーは、歌唱は悪くないと思いましたが、立ち居振る舞いはもう一つ華やかさがあっても良いのかな、と思いました。市民階級のお嬢様というよりは、ちょっとあか抜けない田舎娘のように見えてしまうところがあります。
上手いな、と思ったのはユルゲン・リンのオックス。多分今回の歌手の中で、一番役に合っていたのがこの方かもしれません。声が大きく張りがあり、演技の野卑な具合もまた絶妙。オックスは、反省しない傍若無人さをどれだけ貴族の意識を失わない中でさせるかが見どころだと思うのですが、その意味でも巧みな演技、歌唱をしていたと思います。
それ以外の脇役陣では、加納悦子のアンニーナ、高橋淳のヴァルツァッキがいつもながらよく、妻屋秀和の警部、村上公太の執事もなかなか。加茂下稔の料理屋の主人、水口聡のテノール歌手も、三度目の登場になるだけあって手慣れたものでした。
シュテファン・ショルテスの指揮する東京フィルは演奏としては悪くはなかったのですが、よりバランスを考えて、もっと交通整理した形で演奏した方がもっと良かったのではないかと思います。オーケストラと歌手の音のバランスがもう少し取れていれば、もっと美しく聴こえたのではないか、という気がいたします。
以上、震災直後の2011年4月公演よりはまとまった演奏になっていたと思いますが、2007年のプレミエほどはよくなかったというのが正直な気持ちです。
|
|