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[1850]藤原義江の最初の夫人・安藤文子さんについて。 投稿者:ひろりん

投稿日:2014年03月03日 (月) 06時04分

はじめまして。
私は「近代人物調査部」で安藤文子さんの記事を書いた者です。
「オペラの部屋」の藤原義江さんの記事を拝見させていただきました。
その中に「安藤文子さんは藤原さんの留学中に亡くなった」とありますが、どの資料に書かれていたのでしょうか?
私は文子さんはその時に亡くなったのではなく藤原氏の一度目の帰国以降(1923年5月以降)に行方不明になったと思うのですがどのようにお考えでしょうか?
リンク先のURLに私のブログがあります。読んでいただければ幸いです。

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[1851]ご指摘ありがとうございます。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2014年03月04日 (火) 06時23分
ひろりん様
記事、読ませて頂きました。
また、ご指摘ありがとうございました。
私の記事は、いくつかの資料を基に書いているのですが、もう何年も前の記載なので、引用した資料が思い出せません。
すみませんが、もう少しお時間を下さい。調査してみます。

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[1852]投稿者:ひろりん
投稿日:2014年03月04日 (火) 15時41分
管理人様、レスありがとうございます。
安藤文子さんが藤原義江の留学中に亡くなった、という話は彼女を見かけなくなった当時から音楽関係者の間でそういう噂が一人歩きをしていたようです。
また、古川薫の小説「漂泊者のアリア」にもその説を基にして物語が書かれているようです。(読んだことがないのですが…すみません。)

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[1853]藤原義江はいつ安藤文子と離婚したのか?投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2014年03月04日 (火) 22時03分
ひろりん様
古川薫の「漂泊者のアリア」に依れば、藤原義江は1923年5月に最初の外遊から帰国して、凱旋公演に臨んでいます。
加賀丸で横浜に着いた時、義江は、安藤文子との間の息子、洋太郎が亡くなったことを知らされます。
この時、安藤文子は夫を迎えに来ておらず、それ以降安藤文子と藤原義江との間の接点はなかったようです。
この帰国の際、藤原義江の再婚の相手となる宮下あき子と義江は出会って不倫の中になったようです。この時義江は文子と正式に離婚してはおりませんし、宮下あき子も宮下左右輔の妻でした。
このW不倫は当時のマスコミを騒がせたようですが、そういうことがあっても、安藤文子は何も言わなかったようです。
その理由として、この作品の中で、古川は、
「いわば逃避行ともいえるこの海外公演に出かける前、義江は依然として戸籍上の妻となっている文子との夫婦関係を清算しようとした。文子がその気になれば、華族令嬢と結婚かという新聞記事が出た時点で異議を申し立ててくるはずだった。それにも沈黙を守っていることは、彼女の心が全く自分から離れてしまっていると思えたのである。
弁護士に依頼して、もう舞台に立っていない文子の所在を探し離婚手続きを進めると、意外な報告が入って来た。文子は洋太郎の死後間もなく、その後を追うように病死しているのだった」
と書いています。
これは創作かもしれませんが、
・藤原義江が凱旋帰国した時直ぐに宮下あき子と不倫関係に陥りスキャンダルになったこと。
・その打開策として華族令嬢との結婚が新聞紙上をにぎわせたこと。
・しかし、それにもかかわらず戸籍上の妻の安藤文子が何も言わなかったこと
は事実と考えてよいと思います。
あき子と再婚したのは1929年ですから、それまでに離婚が成立していることは間違いないのですが。離婚が死別だったのか、正式な離婚だったのか本当のところはよく分かりません。

以上の経緯を踏まえると、古川薫の説を引用したのではないかと思われます。

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[1854]安藤文子さんの消息について。投稿者:ひろりん
投稿日:2014年03月05日 (水) 04時54分
管理人様、わざわざ詳しい内容を引用してくださりありがとうございます。
「安藤文子は義江の留学中(もしくは帰国直後)に急死」というのは懐メロに詳しい私の知人の方によると当時から噂はあったらしいです。そしてその説が文章として残っているのは件の小説しか見当たらないのできっと「漂泊者のアリア」で間違いないでしょう。(私は浅草オペラや藤原義江関連の本を大量に読み漁ったわけではないのであまり自信がないのですが…)
私がブログに載せた1927年の著書「音楽を志す女性へ」に書かれた安芸太郎氏の文章「今では文子さんが、何処に何をしているか、私共は知るすべもない程です。その後の長い旅回りの放浪生活に声も芸術的精進も磨滅され…」と書かれているのを見るとこの時点でソプラノ歌手を廃業したのち音信不通になった(失踪した)のは間違いないようです。
古川氏の小説に書かれたのが事実とすると、浅草中を賑わせたあの大スターで、かつ藤原義江の元夫人が急死したとなるともっとセンセーショナルに報じられてもいいように思うのですが、実際はそういった事実が全くありませんでした。(国会図書館へ何度も足を運び当時の新聞などを調べてきました。)
なので、義江氏が弁護士を使って彼女を探し出したところ、病死していた…というくだりは当時の噂をもとに創作されたフィクションなのでしょう。

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[1855]行方不明は正しいのでしょうが、、、投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2014年03月05日 (水) 06時18分
ひろりん様
一次資料に当たらずに作成している文章は、どんな間違いがあるか分かりませんね。

ところで安藤文子の死亡時期については確たる証拠はないのですが、藤原義江と離婚したことは間違いありません。
そのことも当時は話題になっていなかったのですよね。
とすれば、ひっそりと亡くなっていれば、当時のマスコミにかぎつけられなかった可能性はあります。
安藤文子が活躍したのは、ラジオ放送が普及する前であり、浅草オペラ全盛期に活躍したと言っても、その波及範囲は、東京の下町を中心にしたかなり限定された地域だったということを踏まえなければいけません。
もし、安藤文子が地方に移り住み、そこで亡くなっていれば、全く話題にならなかったことは不思議でも何でも無い様に思います。

藤原義江の(あき夫人との間の)ご子息はご存命ですので、義江の離婚について聞くことはできるかもしれませんね。本籍地に除籍簿はあるはずなので、それを見るのが一番確実なのですが、今はなかなか見るのは難しいでしょうね。

とにかく、ご指摘ありがとうございました。

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[1856]ご子息の方の連絡先がわかりました。投稿者:ひろりん
投稿日:2014年03月06日 (木) 06時22分
ありがとうございます。
早速藤原義江さんのご子息に安藤文子さんについてお尋ねしてみようかと思います。

あと、除籍簿というのは、ご本人の親族の方しか請求できないので私の力ではまず無理です。ご子息の方に除籍簿(除籍謄本)云々、とはさすがに言いにくいのですが…ご本人のプライバシーにかかわることなので。
大変恐縮ですが、何かお尋ねする際のアドバイスをいただけたら嬉しいです。



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