<経済危機支援のお願い>
ニューヨーク在住の写真家、井津建郎さんから緊急のメールが届きました。
以前、ご紹介しましたが、井津氏は<フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー>というNPOを立ち上げ、アンコール小児病院を設立し、現地の子供たちに医療を提供するとともに、医療教育センターを併設してカンボジア人スタッフに高度な医療、看護および事務管理教育を行っています。
http://www.fwab.jp/数年前、デング熱の大発生の折、皆さんから多くの支援をいただきました。
心から感謝しています。
今回は世界的な経済不況によって運営予算が困窮しています。
現地で頑張っている看護婦の赤尾和美さんのメッセージから、状況が大変切迫していることが伝わります。
ですので再び皆さんにお願いせねばなりません。
少額でも結構ですので寄付をお願いしたいと思います。
あるいは会員になっていただき、継続的な支援をしていただければさらに嬉しいです。
一部の強欲によって引き起こされた世界的金融不安が、結局は末端の弱者を追い詰める結果になっていることに、やり場のない憤りを覚えるのは私だけでしょうか。
ではでは、是非よろしくお願いいたします。
なお、文章の転載は大歓迎です。
なるべく多くの方に知っていただければと思います。
ウォンウィンツァン、ウォン美枝子
2009/07/07
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<井津建郎氏からのメール>
今日は深刻なお願いですが、昨年末からの世界経済不況の嵐がとうとうフレンズにも影響し始めて、2009年度上半期を終えた時点で、アンコール小児病院予算の割り込みが現実化してきました。
急遽カンボジア、NYではスタッフの給与削減と地域医療プログラムの一時活動停止などで出費を抑えていますが、それでもなお2000万円近くの不足が予想されています。
そこで、数年前のデング熱大発生の時のように急遽支援募金を日本とアメリカですることになりました。
もし可能でしたら、サトワでもなんとか募金を募っていただけないでしょうか。。。。
アンコール小児病院スタッフの和美さんが綴った現地からの手紙を添付しますので、有志方々に読んでいただき、いくらでも結構ですから(CD購入に差し支えない程度に)募金していただければとってもありがたいです。
いつもお願いですみません、かなり深刻な事態なもので。
井津建朗
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<現地スタッフ、赤尾和美看護さんからのメッセージ>
アンコール小児病院をご支援してくださっている皆様へ
アンコール小児病院は、今年で10周年を迎えました。これまで山あり谷あり、厳しい財政ながらも毎年少しずつ医療とケアレベルの向上を果たしてきました。そして、手前味噌ですが、スタッフ一同自信を持って言うことができるほどの素晴らしい教育病院としてカンボジアではとても重要な医療と医療教育施設に成長することができたと思っております。しかし、昨年から世界中を襲っている不況は、アンコール小児病院へも大きな影響を与え始めました。今年上半期を終わったところでの収支計算によれば、この10年で初めて、予算の割り込みが明らかになりました。その状況は想像以上に深刻で、対応策として、活動縮小、スタッフの減給を決め、更に、これから見込まれる寄付や助成金を考慮しても、更に1,500万から2,000万円の不足分が予想されています。カンボジアにおいては、将来の医療の要ともなる予防教育の充実を図る“地域医療支援・保健教育プロジェクト”は、すでに活動一時停止状態になっています。
このままでは、更なる活動縮小や、スタッフの解雇なども視野に入れていかなければならない状況も現実味を帯びてきました。
毎日350名を超える患者さんがアンコール小児病院を訪れています。ホウ・ペンパリンさんもその一人です。パリンさんは、8か月の時に先天性白内障を診断され、目の専門病院で手術を受けました。その後も目の治療のために病院へ通う日々が続きましたが、目が完全に見えるようにはなりませんでした。医者から言われた言葉は、「もうこれ以上どうにもできません。器械もなければ、手術をする技術もないんです。」
それ以来、彼女はほとんど見えない目で学校へ通っていましたが、それも辞めなければならなくなりました。視力が異常に悪いために、常に黒板に近づいて書かれていることを確認しなければなりませんでしたし、本を読むのも本を目に近付けて読まなければならなかったという理由で、学校の先生から受け入れを拒否されたからです。
パリンさんのお母さんは、彼女を障害者センター(クルーサートマイセンター:新しい家族という意味)へ彼女を通わせ、点字を習わせることにしました。パリンさんは、午前中には盲学校、午後には小学校へ通う毎日を過ごし、成績はいつも優秀でした。
そんなある日、AHCが行っている学校視力検査を受けることがありました。そして、パリンさんは、16歳のお誕生日を迎える1週間前にAHCで両目の手術を受けるという大きなチャンスに巡り合うのです。
彼女の視力は大きく回復しました。術後の結果が良好でることを知った彼女の眼からは涙がこぼれおちました。そして「眼が見えるようになるなんて、考えたこともなかった」とうれしそうに話しました。パリンさんのお母さんは、パリンさん以上にその結果に歓喜しました。涙は、彼女の頬をあとからあとから流れおち、止まることはありませんでした。
パリンさんに将来のことを聞きました。にっこりとほほ笑み、「普通の高校に通いたいです。」と言いました。そして、「AHCに支援してくださっている皆さんに本当に感謝します。これからも私のような子供たちに夢を与えてください」とAHCを後にしました。
今、アンコール小児病院が直面している経済的危機は、このまま続けばパリンさんのような患者さんが来ても受け入れることができなくなってしまうということなのです。毎日来ている多くの患者さんへ門を閉ざさなければならないことになります。現場で働く私たちにとってこれほど辛いことはありません。
AHCはこれからもパリンさんのように多くの子供たちへ夢を与えてゆきたいと思っています。それがアンコール小児病院の目指すものだからです。この窮地を乗り切り、一人でも多くの子供たちが笑顔で楽しい日々を送ることができるようになるには、そして幼い命を守るには皆様からのご支援が今現在必要なのです。
どうか皆様のご支援をお願いいたします。
赤尾和美
アンコール小児病院
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