【広告】Amazon 対象商品よりどり2点以上!合計金額より5%OFF開催中

リレーSS【山南(たかき)x土方(かりん様)】

投稿フォーム
NAME MESSAGE
SUBJECT
MAIL
HOMEPAGE
DELETE
cookie


たかき | MAIL | URL
冷気にすっかり馴染んでしまった身には、温められた部屋の空気は却って具合が悪いものなのかもしれない―――。
そんな事を思う傍からまたくしゃみが飛び出そうになって、慌てた私はどうにかそれを誤魔化すべく、わざとらしい咳払いをひとつ、もうひとつと繰り返してみました。
そうして、別段何事もないのだといった態で土方君の方を見れば、やはりというか何というか、あんなもので誤魔化されよう筈もない強い眼差しとぶつかりました。

「……急に温かくなったからでしょうか、何だか鼻の奥がむずむずしますね」

苛烈な目を真っ向から受けて、殊更のんびりとした口調で応えます。
それは彼を煙に巻こうという意図からではなく、相対する意義を放棄して投げ出しているからでもなく、日和見のような気持ちからでもなく、こうするのが今の彼に対しては一番良いのだと、腑に落ちたかのように理解したからで。
同じ強さで相対すれば無用の傷を双方が負う。
かといって相手にもせず流してしまえば、解る事も全く解らないままで、そればかりかおかしな誤解を積み重ね、その幻に囚われる。
以前の私ならきっと、誤解を育むばかりと薄々勘付いていたとしても、ひとつも傷付かずにいられる道を選んでいたでしょう。
理解し合う為に向きあって、だから無傷でいられる訳などない。人と関わりを持つという事は素晴らしい事でもありますが、ただ素晴らしいだけではない痛みも苦しみも悲しみも、そこにはあります。
以前までの私なら、さっと予測出来るそれらの痛みと引き換えに土方君と相対するなど、考えもしなかったでしょう。ふと思いついたとて、即座に打ち消していたでしょう。
土方君に嫌われているのだ、憎まれているのかもしれないと頑なに思い込んでいた、以前の私ならば。

「そういえば、庭からこちらに上がった時が面白かったんですよ」

どこか責めてでもいるような土方君に微笑いかけ、私は、火鉢の中で静かに爆ぜる炭へとゆっくり視線を動かしました。
表面は未だ黒いままの炭の、中は赤々と燃えていて、傍まで寄れば熱いほどの熱を発しています。
けれども火が付かぬままでは黒く冷たく、赤さも熱も微塵にも感じさせない。
それはどこか、何故だか土方君の有様を映しているような気がしました。
ぱち、と高い音を立て、赤々と燃える炭から火の粉が舞い上がり、やがて音もなく火鉢の中へと還っていく、その行方を惚(ほう)と見つめて息を吐くと、私はゆるりと話を続けました。

「随分長いこと、井戸端にいたでしょう?だからてっきり自分の体は冷え切ってしまっているものだと思っていたのですが―――」

先に部屋へと消えた土方君を追って、特に気を払う事もなく足を乗せた廊下の、拭き清められている板張りは驚くほどに冷たくて。

「――― 足を乗せてみれば、迂闊にも声を挙げそうなほど冷えているじゃないですか。それがとても驚きで。……けれど、そんな些細な事でも心底驚いてしまう自分が可笑しくて、可笑しくて」

いつも冷静沈着であるのを是としている身なれば、そのような様は決して誉められたものではないのでしょう。
でも、それを戒める気にはとてもならなくて、ふつふつと浮き上がるのはただ、己自身の事であるのに酷く微笑ましいような、そんな気持ちで。

「存外、私もまだ温かかったのだなと―――……ッ、くし」


ぽつりぽつりと話し続けていた、最中。
唐突に込み上がったくしゃみに抗う暇など、ある訳もありません。
今度こそ私は、土方君の前で誤魔化しようもないくしゃみをしてしまったのでした。
誓って、体が冷えているとか風邪を引き込んだとかいったものではありません。
私自身、剣術も嗜む身ですからそれなりに鍛練も積んでいます。そりゃあ勿論、永倉君や原田君に比べれば薄い体躯ではありますが、これでも見た目以上に頑健なのです。

だから、あなたがそうやって、思いつめるが如くに心配する必要など、どこにもないのに。

「……大丈夫、ですよ」

もっと火鉢に近付けと繰り返し言う土方君へ、私が向けた笑みは酷く曖昧になってしまっていたかもしれません。

「その内に、私の鼻も元通りに落ち着くと思いますから……」

大丈夫です、と繰り返し続けようとして、けれどもそれはぶつりと途絶え、土方君の耳にも己の耳にも、音として届くことはありませんでした。
2008年05月01日 (木) 22時30分 (13)

かりん | MAIL | URL
 どこぞの御大名のお姫様のもんでもあるめぇし、手拭いの一つや二つに馬鹿っ丁寧に気ぃ使ってんじゃねぇ、と思いつつも、何故だか胸ん中が弾んじまっていることに気付いて、ふいにいたたまれねぇ程のこっぱずかしさに襲われてた。
 洗濯なんざしてもらうほどご大層な代物じゃねぇ、と、つい出そうになったいつもの憎まれ口を慌てて飲んだ、次の瞬間。

「……俺ぁ、好みにゃちっとばかし煩せぇんだ、あんたがいってぇどんなもんを見立ててくれんのか、俺も立ち合わせてもらうが、それでもいいのかぃ、山南さん?」

 冗談口の不得手な山南さんがいってぇどんな返しをすんのか聞いてみてぇ、と、ふと、そんなことを思ったからか。
 気がついたら、そんな意地の悪ぃ軽口が飛び出していて、けど、何故だか言った俺の方がうろたえちまって。
 山南さんの目をまともに見られずに慌てて逸らしたものの、目のやり場に戸惑った挙句、手拭いを握っている、お人良しな面とは違う、研ぎ澄まされた剣士のそれと判る指先に目を落とす。
───どれだけ、そこに木偶の坊みてぇに突っ立ってたんだろう。
 はっと我に返って、ひんやりと芯まで冷えきっちまった掌をぎゅっと握り込む。

「……そんな顔すんなよ、冗談だよ、冗談。……あんたが選んでくれるんなら、俺ぁ別になんだってかまやしねェさ…。そんなことよか、いい加減中にへぇらねぇと、お揃いで仲良く風邪っぴきになっちまうぜ」

 つねさんがくれた菓子が待ちくたびれて寝ちまってもしらねぇぞ。

 踵を返しながら、そんな捨て台詞を残して、逃げるみてぇにして背を向ける。

 …今からこんなんじゃ、ぜってぇ朝までもたねぇ……、第一眠ってるどころの騒ぎじゃねぇや…。

 いつもなら、数刻ぐれぇ、あっという間に過ぎちまうはずが。
 まるで幾日もあるみてぇに思えて。
 けど、逃げねぇと決めた以上、しり込みする無様は死んでも見せたくねぇと思う傍から、押さえつけても早まる足並みで駆け戻った。
 障子を閉めた先、燈した行灯の灯りに真っ暗闇の中から薄っすらと浮かび上がる、きちんと整えられた部屋を見渡す。

───これが総司の野郎だけだったら足の踏み場もねぇんだろうが、さすがに家主の片割れが山南さんなだけはあらぁ、小奇麗に片付けられてるじゃねぇか。

 考えてみりゃ、総司が平助達の部屋にいりびたってやがるもんだから、そっちにばかり足が向いてたんだろうが…、この部屋をまともに目にするのは今が始めてってなぐらいかもしれねぇ、とふいに気付く。
 もっとも、あの野郎なりに山南さんの勉学の邪魔をしねぇようにと、なけなしの気ぃ使ってたのかもしれねぇがな。
 火をおこし、湯を沸かす手筈を整えつつ、そんなことを思いながら、近づいてくる静かな足音に耳を傾けた。
2007年12月05日 (水) 17時02分 (12)

たかき | MAIL | URL
ぽちゃり、と小さく響く水音を聞きながら懐に仕舞い込んでいた手拭いを浸し、未だ僅かに熱を持っているような額へと。
心地良いというには少々冷たくなりすぎている水温ではありますが、強かに打った額には酷く優しく馴染むように思えて、私は知らずの内にひとつ、安堵したかのような深い息を吐き出していました。
何も言わず、ただ黙って私の後を付いて来てくれた土方君が、本当に一言も言葉を出さないのが気に掛かっていたといえば掛かっていたのですが……。
悪気があったとかいう事ではないにせよ、近藤さんでもない沖田君でもない私に、ほぼ有無を言わせない状態にされて、気を悪くさせてしまったのかもしれない。
あの時は状況も状況だったのでそれに呑まれて、うかうかと来てしまったのかもしれないけれども、我に返ってみれば「何でこんなヤツに」と腹も立つ。─── かも、しれませんしね。
以前の私であれば、土方君に直接尋ねた訳でもないのに「恐らくそうに違いない」と変に身構えて、距離を置こうとしたりしていたでしょう。己が傷つかぬ為に。
しかし今は、自分でも不思議と思わずにはいられないのですが、確かに土方君の事が気に掛かっているのに間違いはないけれども、だからといって何か気構えなければとか下手に刺激しないようにとか、かつてなら ─── いえ、昨日までなら確実に思っていただろう事柄は僅かにも浮かんではいなくて。
それは、自分が傷ついてもいいと投げやりに、諦めたりした結果というのではなく、今日の今までの僅かの時間に思い知った事柄によるもの。
土方君は私を嫌っているのではない、憎んでいるわけでもない、と。
加減が解らぬが為に傷つき、傷つけられる事ばかりでも、それを望んでいる訳ではないのだと。

ただ、もうそれほど構えてなどいないといいながら、彼の顔を見て話を切り出せなかったのは、やはりまだどこか怖がっている部分があったということなのでしょう。
一度額に当てた手拭いを再び冷たい水に浸して、充分すぎるほど冷やしてから固く絞る。
その一連の動きに紛らせるようにして、まずは一言。

「気に、しないで下さいね」

告げれば、土方君の気配が不自然に凝ったように感じられて、額に当てた手拭いの冷たさばかりでもなく私は目を閉じました。
『貴方の所為ではないのだから、どうか気にしないで、他の方たちにそうするように笑い飛ばしてでもくれればいい』
喉元まで出掛かった言葉が表に現れないのは私の至らなさ故。
言葉にしなければ、口に出さなければ、伝わらないのに、けれどもこの凝ってしまった気配の中でそれを口にして、それが彼を、土方君を傷つけたり追い詰めたりする事になりはしないか。
向こうが嫌っているのなら、別に私も突っかかりこそしませんが、何を気遣う事もない。
けれどもそうでないのなら、嫌っているでもなく無関心でもないのなら、そんな相手に対して無神経な言葉を、態度を、晒すわけにはいかない。
くるくると巡り始めた思考に惑うように、言葉は途切れて。

─── ザア

一際大きな風が吹き、額に当てていた手拭いの冷たさが甦って、私ははっと我に返りました。
土方君は未だ口を開く気配もなく、そうでなくともこんな屋外でいつまでも立ち尽くしているのでは体を冷やしてしまいます。
散々冷たい手拭いを宛て続けたお陰で、額は痛みも熱もなく寧ろ冷やしすぎて感覚も覚束なくなっている事だし。
私は、じっとりと冷たく濡れた手拭いを額から外して、

「土方君、この手拭いですが、洗濯してお返しするつもりでいたんですけど」

新しい手拭いを差し上げるのでもいいでしょうかね ───
そう、言いながら彼の方を向いて。



いつから、そうしていたのか。
私に向けるものとしては初めての、土方君の真剣な眼差しに私の言葉はまたしても途切れ。

何かを言いたげな土方君のその面持ちを、私はじっと、見つめていました。
2006年11月18日 (土) 16時54分 (11)

かりん | MAIL | URL

 ―――今日は厄日じゃねぇのか……。
 
逃げ出すみてぇにして締めた襖越しに聞こえた、初めて耳にする声と音に、思わず足が止まる。
まさか、と半信半疑のまんま、乱暴に開けちまった襖の先。
目の前にある予想どおりの眺めに思わず胸の内でぼやく。
 
……ここまで間が悪ぃと、てめぇでしたことたぁ言え、呆れてものも言えやしねぇ。

音からして相当思いっきりぶつかったんだろう。
額に手を当てたまんま、どことなく気恥ずかしげに見やってくる静かな眼差しを前にして、思いもよらねェ展開に二の句が告げられずにつっ立ったきり、恐らくは鳩が豆鉄砲くらったみてぇな有様なんだろう間抜けた面を晒してた。

これが、総司や左之、平助だったら―――。

『ばぁか、なにぼけ〜っとしてやがんだよ』
『悪りぃ悪りぃ。ってか、それぐれぇ避けらんねぇのかよ。おめぇもまだまだ修行が足らねぇなァ』

などと、散々笑い転げた挙句、軽口混じりに詫びの一つも言えたろうに。
すまねぇ、とさりげなく言やぁいいのは百も承知で、けど、びっくりした拍子に奥にひっこんじまったその一言がどうしても鉛みてぇに喉の奥につっかかっちまって出てきやがらねぇ。
言い訳だってのは百も承知だが。

―――まさか、あんたが後からついてくるなんざ、思いも寄らなかったから――。

本当はこうして戻ってくること自体、ツネさんの前で恥をかかせちまってるってぇことになるのかもしれねぇが、あんまりびっくりしたもんで、つい咄嗟に後先も考えず動いちまってた。
詫びを言えば、かえって余計に恥の上塗りをさせちまうかもしれねぇ。
さもなきゃ、またぞろ本意でもねぇ言葉をぶつけちまいやしねぇか、と。
頭を抱えたくなっちまうほどの間の悪さからだろう拭いきれねぇ気まずさも手伝って、どうにも身動きのとれねぇままの俺を気遣うようにかけられた言葉。

―――なんで、あんたが詫びんだよ…。後ろに気をやらねぇで閉めちまった俺が言うべきもんだろうが。お人良しにも程があるぜ。

胸の内で憎まれ口を叩きながらも、気分を害した素振りのなさに心のどこかでほっとしたてめぇがいるのは誤魔化しようのねぇ事実で。

――こん人ぁこれだけ冷静沈着で聡くみえるが、存外ぼんやりしてるトコもあるのかもしれねぇ。

勝手にそう思うだけで、どこか安堵感が入り混じった近しさを覚えるてめぇの都合の良さに呆れながらも、同時に、こんだけ何年も面突き合わせていながら山南さんのことをろくすっぽ知っちゃいねぇって事実を改めて突きつけられる。
自業自得とは言え、こんな些細なことでさえ素直に言えねぇもどかしさに思わず歪む顔を背けかけ。
けど、今、顔を逸らしたら、あらぬ誤解を生みやしねぇだろうか、と二の足を踏んだまま、初めて向けられる柔らかな笑みが浮かんだ面を、ただ阿呆みてぇに見続けるしか出来やしない。

「――――ッ!――」

ふいに、「赤くなっているか」と、息が触れるぐれぇに顔を寄せて、問われ。
動揺を隠し切れず、小さく息を飲む。
ぎこちなく視線を泳がせた挙句、「……なってる」と、やっとの思いでぼそぼそと口籠りつつ答える側から、抑えきれねぇ火照りを感じて、赤くなってんのァ、てめぇの方だろうが、と自嘲する。
俺にかけられた言葉とは到底思えねぇ楽しげな笑い声と気安い口調に、なぜだか胸ん中にじんわりとしたもんが込み上げてきて、慌てて足元に視線を落とす。
強引に袖を引かれたってぇ訳でもなかったが、今までとはどこか違ってみえる、穏やかでいて、けど、有無を言わせねぇ視線に逆らえず、真っ直ぐな背を追うようにして井戸へと足を向けた。


汲み上げた冷水に浸し、額にひたと宛がわれたそれが、さっき渡したばかりの手拭いだということに、明るい月明かりが映し出した模様でふと気付く。
思ってるばかりで腹ん中に後生大事にしまいっぱなしじゃどうともなりゃしねぇ、ただ、そのまんまを言やぁいいんだ、と言い聞かせるも

『――すまねぇ』

たった、その一言が何故こうまでも、まるで恋情を告げるみてぇに言いにくいのか、と苛立ち、唇を噛む。

けど、これだけは―――。
山南さんの先達ての様を胸ん中で小馬鹿にしてた訳でも笑ってた訳でもねぇってことだけは伝えなきゃらならねぇ、と思った。
総司の野郎にまんまとのせられちまってんのぁ癪だが、そうでもなけりゃ山南さんのああした姿を見ることも、こんなにもずっと近くに居続けることもなかっただろうことだけは確かで。
この機を逃しちゃあならねぇ、と。
これ以上、この人を傷つけるこたぁ金輪際したくねぇ。
そこまで思って―――、今更ながらに気付く。

あんたに愛想打つかされることに、あんたを傷つけちまうことに、俺ぁ、こんなにも怯えてたのか、と――。

何もかもがもとっから違うからこそ、自分でも止めようがねぇほどに魅かれ。
俺は俺だと突っ張りながらも、肩を並べて立ってみてぇと、心のどっかじゃ願ってた。
けど、てめぇ自身でももてあまし気味なほど、浮き草みてぇにふらついてばかりの自分を思えば、嫌われ呆れられちまうのが、それを真っ向から告げられるのが怖くて、拭いきれねぇ執着や素直になれずに意地で固めた本音を奥底に押し込め、虚勢を張って、ああだこうだと言い訳で塗り固めて、ただあんたから逃げてただけなんじゃねぇんだろうか。
あんたなんか眼中にねぇと言わんばかりのつっかかるみてぇな物言いも態度も何もかも、とどのつまり臆病で卑怯なてめぇを守るためのもんで、それに気付かねぇふりをし続けて。
そんな意気地のねぇ性根じゃ、いつまでたってもあんたと対等に向き合えるわけがねぇよな。
そうは言っても、この臆病で天邪鬼な性分は、そう易々とは直るもんじゃねぇだろう。
けど、だからって、はいそうですかって、けつまくって逃げるのは元々負けず嫌いな性にゃあ合わねぇ。
柄にもねぇことしてやがったから、余計にややこしくなっちまったんだしな。

先刻、触れられた額にそっと指で触れてみる。
笑っちまうぐれぇに手前勝手な思い込みだと判っちゃいたけれど、ふいに頭ん中に蘇ってきた山南さんの掌の感触や、柔らかな笑顔に励まされたような感覚を覚えて、それまでうだうだと行ったり来たり、しり込みばかりしてたのが、すとんと憑き物が落ちたみてぇに消えたのを感じて。

―――俺ぁ、もう、あんたからも、てめぇからも逃げねぇ。

それでも気負いからか乾いちまってる唇をちろ、と舐めつつ顔を上げ、白い月明りを柔らかに纏った穏やかな横顔をみつめた。
2006年08月06日 (日) 12時59分 (10)

たかき | MAIL | URL
「……ッ、たっ……!」

土方君の後を付いて出ようとしていた頭 ─── というか額ですが ─── に突如降りかかった衝撃に、さすがの私も思わず声を漏らしてしまっていました。
よもや襖が閉まるとは……。
いや、しかしこれは別に、襖を閉めた土方君が悪いとかいうのでは無論ない。
幾ら目がお内儀に向いていたとはいえ、前方に注意もせず足を進めた私の、完全な落ち度が招いた事。
……しかし、襖に頭をぶつけるなど……何年ぶりの事か。
しかも結構思いきりよく当たってしまって……指を挟まなかったのがせめてもの救いかもしれませんが。

「大丈夫ですか?!」

さすがに驚いたらしいお内儀が声を掛けて下さるのに、じんじんと痛む額に手をやりながら、私は笑うしか出来ませんでした。
食事前や食事中、どこか上の空のような、これまでには見る事もなかった土方君の様子を、いや、かけられる言葉はいつもと変わらないのですが、それでもこれまでになくひたと私に向けられている土方君の様をどこか嬉しく、微笑ましく受け取っていた私ですが、それで私のほうもどこか浮き足立っていたのかもしれません。
前方不注意で襖に額をぶつけるなど、まるでいつもの私らしくない。

すると、部屋を出たその背後でこのような出来事が起こっているのを、察してしまったのか、閉められた襖がまた勢いよく開きました。
多分赤くなっているのだろう額を擦りながら目をやると、─── そこには。

それはもう、呆然と言うか愕然と言うか、とにかくそのような表情の土方君が立ち尽くしていて。

「驚かせてしまってすいません。うっかりぶつかってしまって」

彼が何かを言い出す前に、畳み掛けるように言葉をかけたのは、見開いたその目が歪みそうになっているのに気付いたから。
何か言おうとして、しかし言葉が出ないのか僅かに口元を震わせている様子に、らしくない私の行動をからかうとか笑うとかならば問題ないですが、もしそうでなかったら。


間を持たせようとか、何か話さなくてはとか、思う心が強すぎると却って、心にもない言葉を口に出してしまう事がある。
そんなつもりではなかったのにと、焦るあまりの言葉はそうして、聞かされた側も言った側をも傷つける事がある。
─── もし、彼が何かを言おうとして、けれども上手く言葉に出来ぬままあらぬ事を口走ってしまったら。
それで傷つくのは、本当に傷つくのは、多分きっと土方君で。
思う気持ちを言葉に乗せられないもどかしさと、言うつもりもなかった事を言い募ってしまう事への自責や嫌悪は、長く、本当に長く己を苦しめるから。

私は、今日このような機を得られるまで、土方君は私の事を嫌っているのだろうと思っていた。
それならば、私について悪し様に言い立てるのも偽らざる彼の本意で、だからそれで良かった。
けれど、今日これまでの土方君の様を見ている限りでは、……彼は多分私の事を嫌っている事はない、……と思う。
初見では確かにああだったけれども、あの時どうして彼があんな態度であったのかは私には解らないけれども、少なくとも最初に会ったあの時のまま、彼が今も私に対しているのではない事は解ります。
─── で、あるならば。
そうとも嫌っていない相手に、強い口調で、きつい言葉で、弾くように避けるように、それは……己の本当の意思ではないのならば、きっと、多分、辛い筈。
彼は、土方君は、人の心を顧みないような人ではないのだから、尚更に。


「お内儀も申し訳ない。みっともない所を見せてしまいまして」

笑いながら今度こそ、私は開いたままの襖の間を通り抜け、未だ立ち尽くしたままの土方君の傍に寄りました。
その強張ったような表情が、痛々しくて。
けれども「あなたの所為ではないですよ」などと、それは今この場で、この状態の彼に言うべき事ではない。
故に。

「……土方君」

じっとこちらを見つめてくる土方君の目を覗き込み、

「……かなり赤くなってる気がするんですけど、どうですか?」

押さえていた手を額から離して、ぶつけた箇所を彼の眼前に。
少し動揺しているような土方君が、束の間、忙しなく視線を動かし、そして「赤く、なってる」と答えたのを聞いてから、私は彼の前でまた笑いました。

「こんなザマじゃ、私も原田君や沖田君に偉そうな事は言えませんね。……お二人とも、この件はどうか胸の内に仕舞っておいて下さい」

努めて軽くした口調に、まずお内儀が乗って下さった。
主人にも言いません、と言って下さったのに微笑んで、夕餉の礼を言う。
濡れた手拭いをお持ちしましょうかとまで言って下さったのはやんわりと制し……幾ら何でもお内儀にそこまでさせるのは気が引けますからね、何せ私の不注意ですから……、そして

「部屋に戻る前に井戸に寄っていいですか?」

微笑みつつもやはりどこか心配そうなお内儀に一礼をして背を向け、私は、微動だに出来ない様子のままの土方君を半ば無理やりに連れ出すようにして、その場を離れました。

─── 早く。
早く、土方君が気にする必要はないのだと言ってあげたかった。
例えそれが私の自己満足の為だけの言葉であったのだとしても。
2006年07月27日 (木) 12時13分 (9)

かりん | MAIL | URL

ふいに響いた柔らかな声。
それは、まるで風で舞い落ちた木の葉が静まり返った淵の水面に立てる波紋みてぇに、意識の奥底深くに沈みこんでた意識を、ゆら、と揺るがして消えた。

…今のァ、……だれだ…。

確かに聞き覚えのあるそれは、決して不快なものじゃなく、むしろ…。

幾重にも広がりながら消えゆく波紋にも似た心地いい余韻に浸るように、再び意識を手放し掛けた時。
 どこか気遣わしげな声と同時に肩先に伝わる温みに、まるで水底から明るい天上を見上げる魚みてぇな心持ちで重たい頭を上げる。
 その先にある、僅かに眉根を寄せた、清廉な貌(つら)。

「………………………」

見慣れている筈のそれが誰なのか咄嗟に判別も覚束ねえ、掛けられた言葉の意味も解せねえ程の、まるで寝起きみてえに霞んだ頭のまま見つめ返す俺の額に触れてきたものに、ぴくりと体が震えた。
僅かにひんやりとした感触にはっと我に返った瞬間。

「…………ッ!……」

逃げ出すなんてぇ醜態を晒すつもりなんざ更々なかったが、無意識の内に後じりかけてたらしい背に突然走った重たい衝撃に、ぼんやりしてた頭ん中が一気に鮮明になる。
それまで、ほとんどくっつくみてぇに背にしてた壁にぶつかり、行く手を阻まれちまってた。

「……土方くん…?……」

気付きゃあ、背には壁、前には心配げな眼差しで見つめてくる山南さんで。
俺はと言えば、まるで追い詰められて逃げ場を失った鼠みてぇに、見っとも無くその場に固まるしかできやしない体たらく。
一つ屋根の下にいるんだから別段なんの不思議もねぇだろうと言われちまいそうだったけれど。

…なんで、あんたが…、こんなに近くにいんだよ……。

声にならねぇ声で呟かずにはいられない。
八つ当たりもいいとこだと、てめぇ自身で呆れながら、赤ん坊にでも触れるみてぇな柔らかさであてがわれた掌を慌てて乱暴に振り払う。
掛けられたままの言葉を、遅まきながらも必死にかき集める。
「……べ、別に、どこも…悪かねぇ…。ちっとばかし考えごとしてただけだ。…餓鬼や年寄りじゃあるめぇし、いちいち、大仰に言うな……」
何を考えていたかなんざ、当の本人を目の前にして、とてものことに言えたもんじゃねぇ、とぼやく側から、まるで残り火みてぇに頭ん中に燻り続けてる掌の感触に、かっと頬が火照る。
加えて、あほみてぇにぼんやりと呆けた面を見られたかと思えば、どうにも気まずくて前を向けず、そっぽを向くしか出来ねぇまま、逸らした視線を落とす。
間の抜けた面を見られた照れ隠しとは言え、つい咄嗟にきつい物言いで、まるで毛嫌いでもしてるみてぇに。気遣って差し伸べられた手を邪険に振り払っちまったてめぇに腹立たしい思いを噛み締め、壁にぶつかっ
た拍子、咄嗟についた掌に古びた井草を感じながら、心もとなげに指を這わせ、ひっそりと爪を立てた時。

まるで鳩の鳴き声みてぇな、くるる…という、なんともいえねぇ気の抜けるすっ呆けた音が小さく響いた。

「………ッ!!……………」

 あまりといえばあまりな、みっともなさ過ぎる事の顛末に絶句し、びきっとその場に固まった次の瞬間、爪先から頭のてっぺんまで、一気に血が湧き立ち、駆け上る。
こんな時になんてぇ間の悪さだと、てめぇの腹とは言いながらも罵倒せずにはいられず、きつく唇を噛む。
恐らくは瞬きするぐれぇな間の筈がとてつもなく長く思えて、何か言おうと思やぁ思うほど頭ん中が真っ白になっちまうばかりで。
焦り苛立ち始めた時、何故だかふわりと山南さんの気配が和らいだ。

「お内儀が夕餉の膳をご用意してくださっていますから、冷めないうちにいただきましょう」

俺の醜態に苦笑するでも呆れるでもなく、やんわりと言いながら、すっと気遣うように離された距離に内心ほっと息をつき、背筋のしゃんと伸びた見目の良い背を見つめる。
面と向かうと、気がつけば本意でもねぇ、突っかかるような物言いをしちまってるから。
こうして黙って背を見てる分にゃあ、そんなこともねぇと悟ったんだろうか。
てめぇでも気がつかねぇ内にすっとした後姿を見慣れてたことに、今更ながら気付かされる。
男の中じゃ高けぇ方だと自負してる身の丈だが、どうにも猫背気味な癖が抜け切らねえ俺からしたら、山南さんの決して崩れることのねえ凛とした姿勢は、武士とはかくあるべきと思わせるに足るもんで。
一点の濁りもねェ山南さんの心そのまんまを表してるそれは、同時に見る度にまるで身を置くべき世界の違いを突きつけられてるみてぇに思えて、ちり、と心の臓が小さな痛みを訴えてきやがるのだけれど。
それでも、気がつきゃ、こうしてもの静かな背を追っかけちまってるんだから世話ぁねぇや、と苦々しく胸の中に吐き捨てた瞬間、追ってくる気配のねぇのを気遣ったらしい山南さんに振り返られ、慌てて弾かれるように立ち上がる。
まるで掛けられる声を拒むみてぇに、火照った面を隠すみてぇに、俯きがちに山南さんの横をすり抜けた。



久しぶりに目にする、姿勢から箸使いに至るまで相変わらず文句のつけようのねえ、山南さんの品の良い食べっぷりにやはり育ちの違いかと改めて思い知らされる。
思う側からじくりと痛む胸を誤魔化しながらも。
普段の騒々しさがねぇせいか、抗う術を知らず灯りに吸い寄せられちまう火取虫みてぇに、向かい合せの山南さんから目が離せないまま、こっそり見ちまってたから。

「土方くん、おかわりはせずとも良いのですか…?」
「…いらねぇよ。左之じゃあるめぇし、飯何杯もかっくらった後に菓子が食えるほど俺ァ大飯喰らいじゃぁねぇからな」

不意打ちみてぇな声掛けに、それまで盗み見てたことがばれていたかと内心慌てふためいた拍子、不機嫌そうな物言いの憎まれ口が止める間もなく零れ落ちた。
言っちまってから、それじゃまるで、後で二人で菓子を食べようと言った約束を忘れたのか、と拗ねてるみてえじゃねぇかと思い至り、ふいに居た堪れない程の気恥ずかしさに頬が赤くなる。
つっかかるような言い草に気を悪くした風でもなく、そうですね、と穏やかな笑みを眦に浮かべてこっちを見やってくる山南さんは、今までとは何処となく違う気がして、一瞬呆けたように見返した時。

声を掛ける頃合を見計らってくれていたらしいツネさんの襖越しの控えめで温かな声に、はっとして慌てて視線を逸らす。
「まぁ、あまりお召し上がりになられませんでしたのね。今宵はお二人しかいらっしゃらないのですもの、ご遠慮なさらず、お櫃ごとお替りなさってくださってよろしゅうございましたのに」と、小さく微笑むツネさんに、礼を述べて、足早に部屋を出ていきかけ

―――この人ぁ、育ちの良い割に気取ったところのねぇ気立てのよい嫁さんなんだがなぁ…、どうもちっとどっか一本ずれてんだよなぁ…。山南さんと俺でどうすりゃお櫃を平らげた挙句にお替りできるってんだか…。俺ぁ左之じゃねぇんだぞ…。まぁ、そこんとこ辺りが勝っちゃんと似て、愛嬌ってやつなのかもしれねぇがなァ。
似たもの夫婦という言葉を思いだし、我知らず小さく笑みが浮かぶ。

ふと、俺と山南さんにもちっとでも似通ってるところがありゃあ少しは話の糸口にもなろうってもんなのによ、ここまでなんもかんもが違うってんじゃあ、話の取っ掛かりを探すのも容易じゃねぇ…と、先刻から往生際悪く躊躇ってばかりの不甲斐ねぇてめぇの有り様に苦い思いを噛み締める。


「先程いただいたお菓子を夕餉の後に頂戴しようと土方君と話していたものですから、その分を空けておかなくてはと思いまして。せっかくの上等のお菓子を美味しく味わえないのではもったいないですから」と、山南さんらしい細やかな気配りの行き届いた柔らかな声を聞きながら、後ろ手に襖を閉めた。
2006年07月24日 (月) 08時00分 (8)

たかき | MAIL | URL
程よく体を動かした事。
しっかりと汗を流し、そして清らかな水を浴びて流し落とした事。
被った水の冷たさ。
そして、土方君がちゃんと戻って来てくれた事。

これらの事を皮切りに、それまで思考の迷路にでもはまり込んでしまったかのように霧がかっていた私の思考は、笑い出してしまいそうな程、からりとしたものに変わっていました。

これは常日頃から、こちらの道場にいらっしゃる方々に私がよく言われている事でもありますが、どうやら私は少しばかり考えが過ぎるらしい。
今のご時世、何か事が起こってから策を練り行動を決めるのでは、罷り間違うと己の足元を掬われかねません。また、少々雑然としている世の流れは、一つ二つの事象を想定しているだけでは間に合わぬ事もある。
故に私は、常にある程度の事態に万全を期せるよう、思いつく限りの状況を想定して事に臨むようにしています。
そしてこれは、単に「そうしている」のではなく、もう私の中では癖のようになってしまっているようで、そうあろうと頭で考えていなくても、気が付けば何かにつけてあれこれと思いを巡らし、対策を練っている。例えば原田君や沖田君のように、その時になってみなくちゃ解らない、とか、なるようになるだけ、という風には構えている事が出来ないのです。

そうであれない事を悪いと思っている訳ではありません。
いちいち先々について考えたり、あれやこれやと起こりうる可能性から取るべき道を模索するのは、見ようによっては女のようとか、肝が小さいとか思われるのかもしれないが、─── ああ、そういえばそんな事を土方君にも言われた事がありました。
「本当に山南さんは心配性ですよね」と言った沖田君の言葉を受けて、「心配性ってぇか、ああまでいくともう、肝が小せえってヤツなんじゃねえか」と。
その言葉は本来は私に向けて言われたものではなかったのですが、間の悪い事にたまたま私が彼らのすぐ近くを通りかかって、そして私がそこにいる事を気付かれてしまったものだから───……。
……こう考えてみると、土方君と私の中がぎくしゃくしてしまっているのは、単に性格が合わないとか考え方が違うとか、価値観がどうとかいうだけではなく、気を付けていてもどうする事も出来ない、この「間の悪さ」も大いに関係しているのかもしれない……。

まあ、それはともかくとして。

事が起こるより前からあれこれと考えを巡らすのは、特に私のように幕臣の方々と浅からず縁を持つ人間にとっては、己が身を守るためにも必要な事。
幕臣の方々というのは、誰も彼もをひとくくりにして決め付けるのは乱暴に過ぎますが、まあ、狐と狸の化かしあいにも似た事を常日頃から繰り返している、その道においては歴戦の猛者と言ってもいい。
事が起こってから、とか、なるようになるだけ、と鷹揚に構えていたのでは、余程の強運に恵まれてでもいない限り骨まで残さず食われてしまう。気が付けば誰ぞの身代わりとして良いように使われていた、とか、誰ぞの野望の為の贄とされていたとか、ただの道具扱いにされるとか、保身の為に他人の命さえ粗略に扱う事を躊躇わない人たちが多い場所ですからね。紛い物だろうが何だろうが、国の為、幕府の為という大義名分を持っている彼らは強いのです。
そんな人たちと渡り合い、かつ自身をもきちんと守っていく為に、先を見越す能力は必須。
こうなったら、ああなったらと幾通りもの事象を考え、それらに備えられるだけの技量を持っていなくてはならないのです。
だから、考えを巡らせるのは悪い事ではない。それを「肝が小さいだけ」とは、私は思わない。事に対すれば私とて、ただ手をこまねいて考えるだけでなく実際に行動し、渦中に飛び込む事だって躊躇わない。そう自負するに充分なだけの経験は、今までにも積んできているのですから。

ただ、物を考えるにあたって、私の場合はどうしても「上手くいかなかった場合」に重きを置く傾向がある。
上手くいっているのならそれこそ、その勢いに乗って動けば良いだけの話なので、その際にどう動くかを仔細に考える必要はありません。落としてはならない事柄だけを押さえておけばいい。が、上手くいかなかった時にはそういうわけにはいきません。破滅へと追い込む落とし穴は無数に掘られていて、一つ二つ見落としただけでも命取りになりかねない。
だから、「上手くいかなかった場合」について、特に念入りに策を講じ、飽かず思考を巡らすのですが、この際に気を付けていないと、自分で想定した「上手くいかない場合」というのに自らが染まりあがってしまうのです。
あまりにあれこれと「上手くいかない場合」を予測するので、私の話を聞いている人などは特に、「じゃあ何をやっても駄目なんじゃないか」と思ってしまうらしいのですが、私自身も「そうそう上手くいくわけもない」と、何の根拠もなく思い込んでしまう傾向にある、……ようです。

今までも何度か、沖田君たちにその辺りを言われた事はありましたが、これまでは、沖田君たちには申し訳ないが私自身は然して実感する事もありませんでした。彼らと私では住む世界がほんの少し違う、幕臣の方々との付き合いのある自分を「彼らとは違う」と区別する気持ちを、もしかしたら私は無意識の内にも抱き続けていたのかもしれない。
ですが、少なくとも今日、今回に関しては、私がいかに考えを巡らし過ぎているのかというのが、それは常に最善の道になるわけではないという事を、実感出来たような気がするのです。

帰ってこなかったら。
帰ってきても、普段と変わらぬ様子だったら。
そもそもの、彼の意図。
彼の真意。

そんなものを、明示されてもいない内から先読みする事に、何の意味があるのか。
それをしないで彼に対したとして、そこで私にどれほどの不利益がかかるというのか。
こうだろう、ああだろうと自分なりに考え、先回りして衝突のないようにと動き、けれども私の先読みは所詮私の判断でしかない事。私だけの考えで決め付けて最善の対処を見つけようなどと───……。

そんな事をしなくても、私は現に、帰ってきた土方君に自然と接する事が出来ていた。
あれこれと策を弄さなくても、いや、弄さなかったからこそ、きっと彼も私の言葉を自然に受け入れてくれたのだと思う。
彼は、聡い人だから。
うまく説明する事は出来なくても、今までの私が「そう」であった事を、近藤さんたちが見抜いていなかったとしても彼だけは、感付いていたのかもしれない。そして、そんな私の様をこそ、嫌悪していたのかもしれない。
これも私の判断でしかないから、間違っている可能性も充分にあるのですが。

ただ少なくとも、土方君を始め試衛館にいらっしゃる皆さんに対する時は、あれこれを策を練って「上手くいくように」「上手くいかなかったとしてもそれなりに立ち回れるように」などと、考える必要など、本当はなかった。
彼らと結ぶ関係においては、「なるようになる」で構わなかったのです。言われる前、される前からその言動を予測する事に、何の意味もありはしない。
先を読まない事で多少の行き違いが生まれたとしても、どうして彼らが私を陥れる事があるだろう。そんな真似をする必要などありはしないのに。そして、そんな真似をして平然としていられるような人たちではないというのに。

─── 山南さんはいちいち考えすぎなんですよ ───

今更ながら、沖田君の言葉が胸に沁みます。
私もまだまだ、精進が足りない。



いつもは井上さんが私たちの膳を用意して下さっているのですが、今日はお内儀がわざわざ用意をして下さいました。席を同じくして夕餉を戴く事はありませんが、嫌な顔ひとつせず、「お櫃が足りなくなったら、遠慮なく仰って下さいね」と笑って下さいました。……多分、土方君と私で二つも三つも櫃を空にすることはないと思うのですが。

準備を整えて下さったお内儀が部屋を出、私もいつもの場所に座って土方君を待つ ─── つもりで一旦は腰を下ろしたのですが、暫く待っても土方君の来る気配が感じられなかったので、私は早々に席を立ちました。
折角のお内儀の心づくしの夕餉です。贅を凝らしているわけではないがそれを補って余りあるほどの心が込められている。温かい内に戴くのが礼儀でしょう。
土方君は何か他の用事でもしているのかもしれないが、食事を抜いてまで終わらせないといけないような事があるとも思えません。ならば、その用事を中断させてしまうかもしれないがまずは夕餉を戴くのの先にしても構うまい。
そこでまた、険悪な雰囲気に戻ってしまうかもしれないが、それこそ、「なるようになる」という事で。

彼の寝所にと宛がわれている、もともとは近藤さんの書斎だったという部屋を覗いてみましたが、そこには彼の姿はありませんでした。
空っぽで人の気配のないその部屋に、はて、と首を傾げ、しかしそうしていた所で誰もいない事には変わりなく、続いて沖田君と私が寝所に使わせて貰っている部屋を見てみましたが、ここにもいない。
となると残るは隣の部屋か……と、今の今まで置きっぱなしにしていたお内儀からのお菓子を懐に収めた私は、隣の部屋の襖を開け、そして。

「土方くん?どうしたのですか!?」

行灯の明かりの中にぼんやりと浮かぶように、部屋の隅で小さく座り込んでいる土方君が、そこにいました。
いつもの自信に満ち溢れた、ともすれば横柄とも取られかねないほどの姿からは想像も出来ない有様で。

「どうしたんです?具合が悪いんですか?」

すぐ傍らまで駆け寄って膝を付き、咄嗟に触れた土方くんの肩はとても細い。普段目にしていた以上の細さに息を飲み、しかし私までそんなままでいるわけにはいかない。
ぜんまいの切れたからくりのような拙さで顔を上げた土方君の額に手を当て、発熱している訳ではない事を知って安堵し、しかし熱がなくとも体調が思わしくないのかもしれないと、彼の言葉を待つことにしました。
2006年06月17日 (土) 16時37分 (7)

かりん | MAIL | URL
柔らかな声に、一瞬、頭の中が真っ白になった。
まるで、源さんや総司や…気心の知れた連中にでも話しかけているかのような、穏やかな物言い。自分の他にゃあ誰もいねぇとわかっていても、それが自分に向けられたもんだとは咄嗟に信じられなくて、目の前の白皙を見つめ返す。
二の句が次げずに固まる俺に気を悪くするでもなく、小さくくすりと笑みを零して。律儀に断りを入れて立ち去る背をぼんやりと見つめる。

総司の野郎が言った事を、あの生真面目な人は無視出来なかったんだろう。
それでも、わざとらしい口実で声を掛ければ返って根性曲がりな俺が反発すると見ての、断りようの無い気遣いの行き届いた誘い文句。
いつもなら必要以上に反発して見せる筈が、出会ったばかりの頃からこの方、もう何年も掛けられたことの無い山南さんの柔らかな誘いを振り払う気にはなれず。
聞こえ始めた水音にはっと我に返って、慌てて部屋に駆け込んだ。

ぴしゃりと乱暴に締めた障子の先、人っ子一人いねぇ、しぃんとした部屋に入った途端、糸が切れた操り人形みてぇにその場にへたりこんじまった。
急に跳ね上がる心の臓を、着物越しにぎゅっと押さえ込み、大きく息を吐く。
ぶらりと気が向いた時に来ては何時までと定めずに寝起きする俺は、普段は勝っちゃんが手習いやら学問やらをする時に篭る書斎部屋を寝所にと割り当てられちゃあいるが、どうにもそこへは行きにくくて、かと言って山南さんと総司が寝起きする部屋に入るのも躊躇われて。山南さんの部屋とは襖一つ隔てた先、昼日中はみんながたむろする、夜は永倉や原田、平助が、時には源さんも寝起きしてる部屋に来ちまってた。

…なに、ガキみてぇにりきんでやがんだ、みっともねぇ、と胸の内で呟いてみても、治まるどころかますます大きくなる音に、傍からも聞こえちまうんじゃねぇかと焦って立ち上がり。体を動かしやぁ気も紛れるだろうと、昨日の晩に消されたままの行灯に灯りを入れた。
ぼんやりと浮かび上がる、いつもはむさっくるしい男所帯で狭くしか感じねぇ部屋も、なぜだかがらんと広く思えて、落ち着くどころか余計にそわそわし始めちまったてめぇに、小さく舌打ちして、部屋の隅に体を縮こまらせるようにして壁を背に座り込み、抱えた膝頭に顔を埋める。

山南さんが来たら、なんて言やぁいいのか、必至にあれこれ考えを巡らしてみても、考えれば考える程、ろくな文句も浮かんできやしなくて。不甲斐なさに苛立ち、爪を噛み。
そういやぁ、この子供じみた癖も出会ったばかりの頃、直した方が良いと山南さんに指摘され、大人気なく必要以上に突っかかっちまった事をふいに思い出す。
てめぇの性分たぁ言え、どうにも素直になれねぇ性根が恨めしくて。

「………話し合うったって、…いってぇどう言やぁいいってんだよ、……ちきしょうめ……」

憎まれ口が言いたい訳じゃねぇ、あの人を傷つけたい訳でもねぇ、それなのに―――。
茶の一つも用意しときゃぁいいもんを、思い至りも出来ねぇまま。
何処にもやり場のねぇ八つ当たりを顔を埋めた着物越し、重ね立てた膝の間に小さく吐き捨てた。
2006年02月18日 (土) 00時35分 (6)

たかき | MAIL | URL
「土方くん」

戻ってきた時とは打って変わった、忙しくどこか苛立ちさえ覚えているような足取りに、私は酷く当惑したままでいたのですが、自分でもそれと気付かない内に声を掛けていました。

……ああ、実際のところは、荒れた様子の土方君に当惑していたのではありません。
残念ながら、彼のそういう態度は私にはもう見慣れたものであったし、それに対して思うところが何もないと言えば嘘になりますが、しかしいちいち取り立てて何かを言うのもおかしいと思える程ではありましたので。
何事もなかったかのように流す私と、そんな私を無いもののように流す彼。
あまり賢いとは言えないとも思いますが、この状態こそが、自身にとっても周囲にとっても負担にならず、そして恐らくは土方君も望んでいる事だと、今朝までは確かにそう信じ、疑う余地もないと信じていました。
けれども。

土方君がふと漏らしたという言葉。
後ろから届いた足音と気配に気が付いて振り返った時に見た、彼の眼差し。
険もなく、それどころか魂を飛ばしてしまったかのように、ほぅっと佇んでいた姿。
驚いて声を掛ければたちまちその風情は掻き消え、いつもと変わらない土方君に戻ってしまいましたが。
──否、いつもと同じでは、ありませんでした。
変わっていなかったのは声だけ。もしかしたらそれさえも、どこか何かが異なっていたのかもしれません。

私の思い違いでなければ、私に向けた目の色や、視線の強さに、僅かの波があったようでした。
不機嫌そうに寄せられた眉根も、隠しもせずに溜息を零した口元も、それら自体はもう何度も目にし耳にし慣れてきた筈のものなのに、その揺らぎを見とめてしまった所為か、まるで初めて見たような錯覚に襲われたのです。
それだけでも充分驚いていたのに、更に、いつもなら絶対に起こり得ないだろう───土方君が私に、懐から取り出した手拭いを渡すなどという───出来事が起こって、私の頭は完全に真っ白になってしまいました。
不機嫌さも露わな土方君の、しかし私の身を少しは案じてもくれているような言葉を聞いても、通り一遍の返事さえ返す事が出来ず、辛うじて出来たのは、乱暴に突き出された手に握られていた手拭いをただ黙って受け取る事だけで。

礼も言えないままでいる私に一瞥もくれず、土方君は私の傍らをするりと抜け、通りすぎていきます。
いつもと変わらない、忙しくどこか苛立ちさえ覚えているような足取りはどんどんと遠ざかり、───……。



「土方くん」

振り向きざまに声を掛けると、土方君の足が止まりました。
最初は振り返らず、僅かに首を巡らすだけで、しかし私が何も言葉を続けられないでいるのを不審に思ったのか焦れたのか、半身をこちらを向けてくれました。

「───なにか」

聞こえてきたのは、もう完全に色も温度もなくなった、棒読みのような言葉。
いつもならば私も、こんな彼の態度に腹の奥で溜息をつき、当たり障りのない事をひとつふたつ話して、お終いにしていたでしょう。
私が歩み寄ろうとしたとしても、土方君に取り付く島がないのならどうしようもない、無駄な事でしかないのだと言い聞かせて。
けれど今は、そんな気持ちはまるで起こらない。

「……山南さん」
「お内儀から、上等のお菓子を頂いているのです」

何が言いたいんだと探るような、遠慮のない土方君の視線も、普段なら良くは思わないのに今はどうという事もない。

「じきに夕餉になってしまうだろうから、今からというのは止めておいた方が良いだろうと思うのですが、折角頂いたものを食べないままというのもお内儀に悪い。それに残しておいても他の方々の分まではありませんから、よろしければ今晩、一緒に食べませんか」

永倉君や井上さんに言っていてもおかしくないような私の言葉に、口調に、今度は土方君が面食らってしまったようでした。
驚いた眼差しで言葉も出ない様子の土方君に私がふっと笑っても、咎める素振りさえありません。
余程、驚いたのでしょうね。

「土方くん、こちらが尋ねておきながら申し訳ないのですが、ひとまず先に水を浴びてきていいだろうか?汗も随分かいてしまったし、このままだとあなたの言うように風邪をひいてしまいかねない」
「───あ、ああ…」
「ではまた後で。───それから手拭いも、貸してくれてありがとう」

ぎこちなさすら漂わせ始めてしまった土方君に会釈をして井戸端へ向かった私の背後に、土方君の気配はいつまでも残っていました。
2006年02月01日 (水) 15時19分 (5)

かりん | MAIL | URL
一度はすっぱり思い定めた癖に、どうにも前に進まねぇ足をどやしつけながら、やっと見慣れた屋敷の前に辿り着いた頃にはだいぶ日も暮れた頃だった。
お内儀と、そして山南さんがいるんだろう母屋からはちらちらと灯りが見え、朝っぱらから飛び出したっきり帰らねぇままだった自分を、山南さんはどう思っただろう。
話の合わねぇ自分と二人きりでいるのが気づまりで色街にでもしけこんでいる、とでも思われているんだろうかと思えば、胸がずきりと疼き、小さく唇を噛んで、柔らかな灯りを半ば八つ当たりみてぇに睨みつけながら、門を潜った。

踏み入れたままの足が止まる。

薄闇に溶け込みかけた、普段は騒々しいぐれぇの活気に満ち溢れている道場の奥から聞こえる音。
勝ちゃんや総司、源さん、耳に馴染んだそのどれとも違う、生真面目な性根そのままの毛筋程の乱れもなく繰り返されるそれは、紛れもなく山南さんで。
何故だか、邪魔をしちゃいけねぇ気がして、その場に立ち尽くしちまった。
小せぇ時分からおなごみてぇだとからかわれてばかりいた俺と比べても大差のねぇ、山南さんの白い腕が振り下ろされる度に響く、空を裂く鋭い音を聞きながら、
真っ直ぐに前を見据えている横顔や、しゃんと伸びた背をぼんやりと見つめる。
北国の人間てぇのは女だけじゃなくて男も色が白いもんなんだろうか、と、とりとめもない事を思っていた矢先。

「……土方くん…?…」

ふいに柔らかな声に呼ばれ、はっと我に返った途端、手にしてた包みを取り落としちまっていた。
あ、と思うと同時に響いた、ばさ…と乾いた音にびくりと意識を戻した目の前に、少し驚いたみてぇな顔でこっちを見ている山南さんがいて。
慌ててしゃがみこんで、包みを懐に隠すように突っ込む。
…別段、隠す必要もねぇもんだろうに、と、こんな時まで臆病な性分に呆れながら、立ち上がる。

「相変わらず熱心だな、山南さん」

そう言う自分の声は皮肉気に聞こえてはいやしねぇだろうか、と不安な心持ちで、けれど、きっと外からはそうは見えねぇだろうことを承知で声をかける。
山南さんのそんな生真面目なところをこそ好ましく思っている筈なのに、どうしてこうもひねくれた物言いしかできねぇのか、と腹立たしい思いでひっそりと唇を噛みながら。
道場の脇を抜け、後庭へと続く間で木刀を片手に立ち尽くしたままの山南さんに歩み寄る。
一体いつからこうしていたのか、顎の線を伝い落ちる汗が音もなく胴着を濃い藍色へと染め上げていくのを見て、溜息をつく。
いくら真冬じゃねぇとはいえ、汗かいたまんま、こんな日も落ちるまでやる奴がいるもんかとひとりごちる。
勝ちゃんや原田みてぇにがたいはよかねぇが、免許皆伝の腕を持つこの人が、そんな程度で風邪ひくような柔な体をしちゃぁいねぇだろうとは思う。
けど、ちいせぇ時分から親兄弟を亡くしてきてるせいか、総司の野郎が「どうにも土方さんは世話好きが過ぎて困るなぁ、勘弁してくださいよ。私はもう子どもじゃないんですから」と逃げ出すぐれぇにお節介な性分は、どうにも直らねぇままで。

「…いつまで、そんな汗かいたまんまでいる気だよ、風邪ひいてもしらねぇぞ」

懐から取り出した手拭いを山南さんの胸元へとぐいと押し付ける。
もうちっと、ましな言い方ぁできねぇのか、と自嘲しつつ。

山南さんの横をすり抜け、薄暗いままの奥の食客部屋へと足を向けた。
2005年11月02日 (水) 20時30分 (4)





Number Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】Amazon 対象商品よりどり2点以上!合計金額より5%OFF開催中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
管理人へ連絡
SYSTEM BY ©SEKKAKU-NET