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夢と笑顔のつれづれ日記


つれづれなるままに日々の感動、気付き、驚きを思いのままの綴っています。ひでさんのつれづれ日記のため、投稿は出来なくなっていますm(__)m


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足の腫れ、上昇中
ひでさん | MAIL | URL
6月5日(月)くもり一時雨
 今日、起きたら9時。あれれ。疲れているみたい。
 早く行かなきゃと踏ん張ろうとした瞬間、痛!足が昨日よりも腫れていた。足は元気になっていないようだ。おそる、おそる、ガーゼを取ってみたところ、患部の色がうず黒くなっていた。うん、やばい。そして、きつい薬のせいか、バイキンのせいか、右足全部が腫れているのである。このまま腫れが大きくなることってあるのだろうか。
 そんな心配もあったけれど、とにかく1週間ぶりの市役所、早く行かなきゃという気持ちばかり焦ってしまった。急いで出発、だけど、街の中心では何度も声を掛けられて、説明しながら進むので、なかなか前に行けない。声を掛けられるのは嫌ではなく笑顔がこぼれるが、止まると痛い。顔がしかめっ面になる。だから、それを申し訳ないなあと思うので、自然早足になった。

 市役所に着くと、ここでも質問攻めに会う。色んな人に説明するだけで、午前中が終わっていってしまった。

 お昼前、ポンパキャレーの住民たちがやってきて、ようやく出たUSIPの事業費のことで、相談。どうもコントラクターとの契約金額に意見の相違があるようで、昨日からゴタゴタしているようである。
 しかし、そんなことを言っても、交わされた書面があり、それは守らねばならないとヘーリとなだめる。話を十分引き出した後、なだめになだめる。お金の問題は、貧しい地域のポンパキャレーにとっては、大事なのである。ここで、こういう住民の不満を切り捨てることなく聞く聞き役も僕たちの大切な役目である。陽の当たらないことの方が多い活動の一旦がこの1時間あまりのことであった。

 1週間あまり、ポンパキャレーにも行っていないので、気にかかっているが、ここで無理をしてさらに足を悪くしてしまうことも怖いので、住民にしばらく行けないと事情を説明しておいてもらうことにした。治り次第、行きたいと伝えて…。

 お昼は大事を取って、弁当を買ってきてもらい、市役所で食べた。
 その後、明後日に控えるコロンボの会議の参加者への確認をしていたところ、また問題発生。招待状が届いていないから、副コミッショナーが行かないと言い出したのだ。市長は行くとは言っているが、遅れるとも言っており、本当に行ってくれるのかどうか不安である。それに実質、僕らの仕事を指揮している副コミッショナーであるので、ここで欠けてもらうのはうまくない。
 住宅省に電話して、何とか招待状を早急にファックスで送ってくれるようにお願いしたが、準備が大変なのであろう。なかなか届かず、結局、今日はもらうことができなかった。そして、副コミッショナー自体が、会議に立ってしまい、話もできないまま。ヘーリたちも機嫌とりができないと言うので、ここは僕の出番なのであるが、明日に仕事を持ち越してしまった。

 僕自身、明後日の会議にそれほど気合入らないのであるが、ヘーリらは何を着ていこうかとかとても気合が入っているのに少し焦った。でもよくよく考えてみると、この足では革靴をはくこともできず、サンダル履きで行くことになる。それだけでも格好つかないのである。まっ、いいか。
 僕としては、明日、ヘーリらと先乗りして、何をご馳走しようかとか、そっちの方に重きが置かれてしまっている。
 結局、市役所にずっと居て、夕方ヘーリらと帰った。足は、黒さがどんどん増していて、グロテスクになっていた。

 家では、足に気を使いながら、水浴びをして、薬を飲むために絶えていたパンの夕食を復活させ、抗生物質をしっかり飲んで、佇んでいる。足には悪いのかもしれないが、明日はコロンボへの移動。移動が多くなる今日この頃である。
 明日はファイナルプレゼンの緊張感、もっと増すのだろうか。そして、その後のモチベーションは果たして上向き、下向き?まずは元気になあれ!
2006年06月06日 (火) 02時13分 (539)

足腐れ病に悩まされる
ひでさん | MAIL | URL
6月4日(日)晴れ
 今日は、濃密な1週間を終えて、ようやく何も予定の無い1日となった。
 8時50分までの朝寝坊をしっかりして、何とはなしにぶらぶら。共有デスクトップパソコンが壊れてしまったので、予備の本体と取替え作業を行ったりしていた。
 本当は、午後にラトナプラで日本語教室に参加すべく朝10時にはバスに乗るつもりであったが、ぶらぶらしていて、バスに乗ったのは1時を回ってしまっていた。

 久しぶりの家に着いたら、どっと疲れが出て、倒れこんだ。こんなに疲れているのに、足の痛みは相変わらずで、患部がどこかに触れると飛び上がってしまうのである。これには弱った。

 寝ながらトムとジェリーのDVDを観ながら時間を過ごした。
 この一週間、一番の反省は体調が通して悪かったことである。どこかしら悪い。これは本当によくないことである。わかっちゃいるけれどやめられない…植木等さんの歌のようである。

 明日から気合を入れて、水曜日のファイナルプレゼンに向けての準備をしなければいけない。
 明日、元気になあれ。
2006年06月05日 (月) 01時49分 (538)

送別会などなど
ひでさん | MAIL | URL
6月3日(土)晴れ
 見事に足の靴づれ傷からバイキンを入れてしまい、化膿させてしまった。朝は、既に歩きづらい状況であった。
 午前中は、幹事会の引継ぎを行い、引継ぎに必要な資料を作ったり、7日に控えるファイナルプレゼンの資料を修正したりしていた。
 午後は、事務所で問診があり、飛び入りで足を診てもらった。やはり…きつい抗生物質を処方された。それでも懲りずに、まだまだ街を歩き回って、用事を済ませて回った。無理はするものではない。痛みが増してきたが、わが隊次主催の帰国隊員の送別会が夜あるので、その準備をして、休む時間もほどほどにお店に向った。

 送別会は盛大に終えることができた。
 以前だったら感じなかった寂しさを最近は送別会で感じてしまうのは、自分の送別会が想像できる範囲に迫ってきているからだろう。同期の野球隊員が頑張って、いつになく趣向を凝らした送別会とすることができた。同期の野球隊員はイベントの仕切りの天才である。

 隊員連絡所に帰ったのはちょうど10時ごろ。
 同じく帰っていた隊員たちが飲みなおしをやっていたが、とても混ざることができなかった。すぐに寝た。
2006年06月05日 (月) 01時48分 (537)

安全対策協議会
ひでさん | MAIL | URL
6月2日(金)晴れ
 今日はJICA関係者全員の安全対策協議会が行われた。
 昨日の靴づれがひどく、皮靴を履くことができなかったので、運動靴にした。それでも十二分に痛く弱ってしまった。
 安全対策協議会の中心は、もっぱら国内治安情勢である。このところ自爆テロあり、地雷攻撃ありで、停戦が完全にやぶれてしまう不安が付きまとっている。警察・軍の取り締まりも厳しくなっており、移動時のIDカード携帯は必須になっている。ズボラな僕はよく忘れ、ひやっとすることしきりである。
 昨日は、出しゃばりなほど、発言も繰り返したし、から元気も出していたのであるが、今日は一転、気の抜けた風船のように静かにしていた。

 お昼ごはんで、同期に約1ヶ月遅れではあるが、誕生日を祝ってもらった。会うと恥ずかしいので、冗談ばかりしか言えない同期ではあるが、ありがたい存在である。彼らに支えられて、助けられている部分がどれだけ多いかわからない。

 午後は、終わったと思った幹事会の仕事の忘れ物…。連絡所の大掃除を行った。これは本当に最後の幹事会の仕事。主導すべき仕事である。
 開始は3時であったが、2時にはスタンバイしていた。足が痛くて、歩くのは不自由であったが、そんなことは言っていられない。庭掃除、植木の伐採の役目が回ってきたので、とにかく一生懸命、行った。
 約3時間の大掃除。みんなの力が結集するとこれほどかと感心するほどに、綺麗に仕上がった。
 これほど綺麗な連絡所を見たことがないというほどで、疲れと満足感で座った椅子からしばらくは立ち上がれなかった。隊員はそれぞれに色んな飲み会に散っていったが僕はそのまま、綺麗な連絡所に残った。なんとまあ、残っていたのは3人だけとなった。

 そして、何と、こんなときに、問題発生。断水になってしまった。大掃除中にはなっていたのであるが、すぐに、気付かなかったため、対応が遅れてしまった。断水だと気付いたのは僕で、調整員に連絡をまず取った。応急の水を準備することと、外に出ている隊員に連絡を取るという対応をした。できることはすべてしたので、待つだけであったが、風呂にはもちろん入れず、お昼、汗だくになった分、気持ちが悪かった。
 夜中に水道局が来てくれて、断水は復旧したが、水圧が弱いままで使えるようになったのは翌日の朝方であった。

 寝不足。まただ。
2006年06月05日 (月) 01時48分 (536)

ボランティア集会
ひでさん | MAIL | URL
6月1日(木)晴れ
 ボランティア集会は年に2回行われる大きな行事である。
 全ボランティアの集う大切な集会。幹事会の最大のイベントでもある。この日を終えれば、幹事会の任期は終了する。
 熱は収まり、朝、問題なく会場に向かった。

 今回の会場はタージホテル。タミル式の結婚式を下のホールでやっていた。いつもなら、好奇心で中に入れてもらって覗いたりする僕であるが、今日はそんな余裕はなく、準備もそれほどするでも、動き回るでもなく気持ちばかり焦らせていた。

 午前中は、プロジェクターが起動しないという問題に襲われたが、だいたい時間通り進んで、順調であった。活動報告と講演であったが、どの活動報告もよく準備されていて面白かったし、講演もまずまず面白かった。
 午後は幹事会が今回目玉として取り上げたワークショップである。議題は隊員連絡所の使い方のマナー。このワークショップに向けて、幹事会内で喧々諤々、議論を繰り返し、それにめげずに、係の二人がいいものに仕上げてくれた。準備がよかったおかげで、参加者の食いつきは決していいなあとは思わなかったが、理想的に進行してくれた。ありがたかった。
 このワークショップの結果を踏まえ、少しでも気持ちよくみんなが隊員連絡所を使えるようになればいいなあと思う。

 事務所からの連絡事項を終えて、幹事会からの議案提案の時間になって、少し予想を外し、進行がぎくしゃくしてしまった。これはすべて僕の責任に負うところで、おはずかしい限りであった。予定していた規約改正も可決できず、保留扱いで終えることになり後味を悪くしてしまった。それまでうまく行っていただけに、辛い結果であった。他の幹事会メンバーに申し訳なかった。

 夜、ささやかながら幹事会の打ち上げをミーハンという中華レストランで行った。一人欠けた寂しさはあったものの、僕としては、何だろう、感無量ないい時間であった。色んな問題はあったにせよ、本当によく頑張れたものだと思う。

 寝る前、両足が靴づれでひどくなっていたので、消毒をして、眠った。
2006年06月05日 (月) 01時48分 (535)

ボランティア集会前日
ひでさん | MAIL | URL
5月31日(水)晴れ
 今日は帰国健康診断。
 フィラリアにかかっていないか、他にも菌が居ないかを便と血液から調べることになっている。
 しかし、寝起き最悪。でも今日を逃すことはできない。三輪タクシーで向うも、事務所近くで降りた瞬間、吐きそうになった。無駄口を叩くことさえできず、何時にも増して、静かな子であった。
 本当は、事務所でやりたいこと、話していきたいこと、たくさん有ったけれど、すべてを吹っ飛ばして、検査を終えて直ぐに隊員宿泊所に引き返して、寝た。3時間ほどすると、少し楽になり、シーメールを送るついでに他の隊員の用事にも付き合った。が、やはり調子悪く、途中で先に帰らせてもらった。後で考えると、非常に感じの悪い中途半端なサポートであった。ごめん。

 隊員連絡所でまた少し休んでから、幹事会の準備に入った。
 ほどなく幹事会開始。翌日に控えるボランティア集会の準備で、何時に無く議論も活発に時間も長めに行われた。自分はと言えば、いつもより余裕も無く、さらに口調も荒かったかなと反省。それにしても、日本人相手だと気の許せる?分、ハードル高く、要求高くなってしまう傾向にある。

 夜、少し調子よくなって、幹事会役員であるマータラの隊員とSVと3人で居酒屋さん風の日本料理屋さんに行った。幹事会のプチお疲れ様会でもあり、話に花が咲いて、面白い席であった。それまで一食もご飯を食べていなかったので、しっかり食べてしまった。

 今日は寝室をMCルームに変えて、クーラーの無い平和な眠りに着いた。
2006年06月05日 (月) 01時48分 (534)

幼稚園プログラム2日目
ひでさん | MAIL | URL
5月30日(火)くもり一時雨
 今日は目覚め良し。眠り少なし。つまり目覚めは普通であったが、寝不足でスタートした。朝早く、家の近くのバススタンドから、エヘリヤゴダに向った。
 出発は雨のため当初予定より30分遅れたが、到着は予定通りであったので、訪問する幼稚園に迷惑をかけないで済んだ。良かった。
 訪問する幼稚園は私立でとても教育熱心なところである。以前、今日と同じくバランゴダ隊員とお邪魔したところ、相手方から熱心な依頼を受けて、再訪問ということになった。再訪を依頼されるということは、前回を評価されているということであり、とても喜ばしいことである。とはいえ、主役は僕ではなく、栄は他所に行く。2回目なので、どういうふうに持って行こうかと考えるのは、素人の僕。さすが幼稚園教育の専門家、バランゴダ隊員はネタ??豊富で少しもひるむことなく、幼稚園へ踏み込んでいった。
 入ると既に先生方が、すべてを僕たちに任せる体制を取ってくれていた。
 ひるんだ。僕だけ。そして任せた。
 手遊び、パネルシアター、絵本の読み聞かせ。
 授業に流れがあり、いいなあと感じた。僕は観客となった。
 終わった〜〜って思っていたら、紹介され、僕にも何かやってくれとせがまれてしまった。いい授業で、ハードルを高くされた後の何かを!はなかなか辛い要求である。助けをもらいながら、1曲手遊びをして時間を濁した。僕の手遊びはともかく、園児の反応は全体的に良く、ほっとするやら、嬉しいやらであった。

 一通り終わってから園長先生夫婦と話し合った。幼児教育の専門に少し入ると僕は話から少し抜ける。これは仕方がないが、園長夫婦は僕らをセットで考えてくれているようで、僕にも幼児教育の専門的なことを振ってくれる。ありがたいやら、難しいやら。
 スリランカでは高級なお土産までもらってしまった。もう一度の訪問は活動期間を考えると難しいが、何かお返しをしないとなあと思っている。

 後で聞いた話では、一ヶ月の授業料は500ルピーだそうで、園児60人とすると、月あたり30,000ルピー。先生方が4人だったので、仮に給料が一人当たり7,000ルピーとしても、経営はなかなか大変そうだなどと心配してしまった。スリランカでは幼児教育は儲からないのである。先生方の給料も総じて低い。

 アヌラさんのところで、昼ごはんをもらってから、アウィスアフェラ乗り換えでコロンボに向った。この頃には熱っぽくなり、頭痛がしたので、バスの中では、それほど話も交わすことなく、寝込んでいた。
 案の定、隊員連絡所に着いて、熱を測ると少し高かった。それでも、銀行とスーパーには行かなければならなかったので、頑張った。
 夜、それほど遅くならない内に寝付いたが、共同寝室にいつの間にかクーラーがかかり、寒くなって、夜中の内に起きてしまった。熱がビューンと上がっていた。仕方がないので、リビングのソファで寝た。クーラーは大の苦手。
2006年06月05日 (月) 01時47分 (533)

子供達の笑顔は僕の元気
ひでさん | MAIL | URL
5月29日(月)くもり
 今日は幼稚園プログラムの日である。
 久しぶりのプログラム?、っていうか僕たちはプログラムだけが活動じゃないんだと自分では言い訳をしながら、本格プログラムは嬉しいものである。
 近くのバランゴダの町から保育士隊員に来てもらい、市立幼稚園で授業をしてもらう。

 日本流の手遊び、パネルシアターなど、約1時間のプログラムを2箇所で行った。こちらの幼稚園は12時までなので、2箇所を駆け足で回ることになる。だから、本当はせっかくなので、先生方との意見交換をやってほしかったのであるが、その時間がもてないというもったいないことをしてしまった。
 それにしても保育士隊員、さすが幼稚園教諭の資格も持つ保育士隊員だ。しっかり幼児教育の場面になると、責任感が出てきて、先生の顔になる。うまく子供をひきつけ、子供を乗せていく。普段はちょこっとドジで、あんなに愉快な人なのに、そんな片鱗をすっかり消して、プロになる。
 僕はこの日記でも書いてきたように、たまになかなかの幼稚園教諭ぶりじゃん!っていうくらい、津波支援などの場面で、幼稚園教諭気取りしてきたけれど、違っちゃった感じ。やっぱ、にわかでは駄目だ。プロには敵わないと思った。
 嬉しかったことは、子供達の笑顔がとても純粋でよかったこと。そして、一人だけ自閉気味の子が最初行ったムッドゥワの幼稚園に居たのだが、しっかり和に入っていたこと。みんなが幸せそうだとハッピーになれる。

 2箇所回った後は、もう見ているだけの僕がくたくたになった。バランゴダ隊員は相当疲れた様子である。心からのありがとうを送った。

 午後、ヘーリらが熱望して止まなかった、日本料理パーティをバランゴダ隊員も居ることだし、この際と行った。以前からそういう予定をたてていたので引っ込みがつかなかったのであるが、正直、疲れているので、止められるものなら止めたかった。
 今まで色んな人にもらった日本の食材などを全部かき集めて作ったのは、おにぎり、味噌汁、ぜんざい、キャベツのおひたし、炒り卵、日本の即席カレーであった。魚の煮付け、焼きなすなど候補はたくさんであったが、買い物している時点で、どんどん削られてしまった。
 それでも、ヘーリたちは満足してくれたので、こちらも嬉しくなった。僕よりも大活躍で料理を作ってくれたバランゴダ隊員に感謝である。
 一つ、約束を果たせて、また一つ帰国が近づいたような気持ちになった。さみしいなあ。あと何回、こうやってさみしいと感じるようになるのであろうか。
 ヘーリからお泊りのパーティに誘われた。もちろん断る理由がないので、お泊りを来週する予定である。
 明日はアヌラさんのエヘリヤゴダの家の近くの幼稚園で今日のようなプログラムをバランゴダ隊員と行った後、ボランティア集会等のためコロンボに行く。4日間、コロンボの予定である。ポンパキャレーの住民と、今日の午後行けたら行くからと約束していたのが無理であった。とても申し訳なく、どうしようかと思っている。でも明日も無理…。あーあ、体が二つ欲しいなあ。
2006年05月30日 (火) 02時21分 (532)

日本語教室臨時休業
ひでさん | MAIL | URL
5月28日(日)くもり
今日も日本語教室の日。今日の教室は日本と親交の深いお寺のお坊さんが開いているもので、過去2度訪問したところ。ここでは、少しはてなのあるお坊さんの日本語を注意することもなく、観客を通してきたのである。ヘーリが通っているということで、交流のできたところ。お坊さんはスリランカではステータスが高いから、プライドをそこなってはいけないと思って静かにしている。
 今日は昨日の余勢を買って、ちょっと教師チックな感じなのだが、それはそれ、冷静に楽しく行こうと朝から準備していた。昨日、たくさんもらいすぎたくだものを持っていくつもりであった。

 が、お昼ごはんを食べて、出動態勢ばっちりにしていたら、今日は休みだとヘーリから連絡があった。ここは昨日のところと違い、生徒が4人しかいないので、集まらないと臨時休業になってしまう。それはもったいないと思うが、生徒たちにも色々都合があり仕方がないのである。
 僕はがっかりしてしまい、どっと疲れが出て、寝てしまった。
 夜、明日の幼稚園プログラムのためにラトナプラに来てくれたバランゴダ隊員と食事を街のお店で食べた。普段、夜食べても果物だけの生活であるので、久しぶりのしっかりした夕食は腹に重かった。

 夜中になって、メールを調べたら、わが職場から安否確認のメールが入っていた。それによるとジャワ島で大きな地震があったらしい。(知らなかった。)電話しようにも超夜中だし、国際電話できる携帯電話にチャージが少なく心もとないので大丈夫だというメールを送った。
 ジャワ島といえばインドネシアでたくさんの協力隊の仲間たちも活動しているところである。たくさんの死者が出たそうで、とても心配である。死者のご冥福を祈ると共に、仲間の無事を信じたい。
2006年05月30日 (火) 02時21分 (531)

日本語教師のひでさん
ひでさん | MAIL | URL
5月27日(土)くもり一時雨
 今日は午前中、市内散策をした。お腹が空いたから、早く街に出たのであるが、店がまだ開いていなかった。それで自然と散策になった。
 最近、宝石採掘現場の人たちの知り合いが増えてきた。一度、あの穴に入り、採掘させてもらおうかどうかと少し衝動に駆られている。普段やれないことはやっておきたいと思うのであるが、あまり気分は良さそうではない。

 ぶらぶら、ぶらぶら。市役所にも立ち寄り、時間を調整して、いつもの飯屋に行った。今日は法事の家用に200食分弁当を作るということで、半ば閉めていたが、僕は特別に入れてくれて、法事用のご飯をくれた。感謝してたっぷり食べた。おいしかった。ふと、食べ物の記録を残さなければと思いつき、来週から必ず食べる物は写真撮っていこうと思った。実現するかな??ラトナプラでの生活が普通になると、なかなか日常の写真を撮るということは恥ずかしいことである。
 ヘーリの兄が宝石市場に居るところに出くわし、お土産だと僕の指輪作成用の石をプレゼントしてくれた。そして、つられて??また石を二個買ってしまった。今度は安いブルートパーズとトルマリンである。といっても良さはよくわからない。まあ、思い出にいいしお土産にもなるだろうという気持ち。こちらでの衝動買いはまだまだ続く。

 午後1時にバススタンドで待ち合わせ。日本語を教えるスリランカ人の友人に頼まれて、午後は彼の地元の教室に出向くことになっているのだ。スリランカ人には珍しく?集合時間前にどこにいるのかという確認電話が入ってきた。彼は日本語を教えているから?日本風。
 隣町のクルヴィタというところに行った。
 そこでは、16名の目を輝かせた8歳から16歳の子供達が待っていた。観るだけ、寄るだけっていう話だったはずだが、いつの間にか、僕が授業することになった。たっぷり2時間ある。黒板を使って即興の授業を行った。もしかするとこれは、スリランカに来て初の本格的な授業かもしれない。
 自己紹介から入るが、教えられていることが少ないので、16人、ほとんど同じことの繰り返し。名前、ふるさと、年齢をしゃべる。飽きるほどであったが、一生懸命な子供達を応援したくなった。
 そして、最初は楽しみからと思い、2曲簡単な歌を日本語とシンハラ語、両方の歌詞を教え、一緒に歌えるようにした。こちらの子供達はしっかりとノートを取る。中にはまだ字が満足に書けない子も居た。
 その後、趣味の紹介の仕方について、一人ひとりに実際の趣味を聞きながら説明した。面白おかしくやるのはなかなか難しいが、だんだん打ち解けてくると、子供達も元気になってくる。それが何とも楽しい。教師という職は、いいもんだと無いものねだりで思った。
 2時間の授業を終えて、惜しまれて仕方がなく、もう一度来月来ることを約束させられた。もう土曜日は17日しか空いていない。聖地カタラガマ行きをしたいのだが、子供達の輝く目が勝ち、僕のノートに記載された。
 決して、最後に生徒からもらったたくさんの果物に惹かれたわけではないし、今度来る時は僕の好物のランブータンをたくさん用意しておくといわれた言葉に釣られたわけでもない。

 授業を終えてから、先生の家に寄り、紅茶をいただいた。そして、これもスリランカ的なのだが、近所に住む親戚がたくさん集まってきて、またシンハラ語の歌を歌うことになった。喜んでくれているからそれで良しだろう。
 トラナ(ポソン満月の日に飾る仏陀の絵を描いた大きなドテラ)を見せてもらったり、となりの宝石採掘現場を見に行ったり、雑談したりで、すぐに1時間ほどが経って、バスに飛び乗り、家路に着いた。ここでも、今度来るときに、ごはんまでご馳走になることを約束してしまった。今度は泊まり??

 満員のバスで揺られ揺られて、疲れて家に着いて、もらった果物を食べた。また子供の瞳を思い出し、元気になった。
 明日はまた別のところで日本語教室がある。これにはヘーリも来るし、行かなきゃなあと思っている。僕は日本語教師になった??
2006年05月28日 (日) 02時04分 (530)





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