6月15日(木)晴れ 朝5時に隊員連絡所を出た。眠い。眠い。もうこれしかない。 でもやらなければならないこと目白押しで、早く帰らなければいけない。そういうときには色んなことがゆっくり進むものなのか。バススタンドで1時間もラトナプラ行きのバスを待つことになった。しかも椅子などないから、眠ることも出来ない。 そして珍しく、もう誰とも話したくなくて、いつもならどんなに疲れていても、シンハラ語で気軽に周りの人としゃべるのに、今日の朝は英語のみで行動。しかもノンバーバルコミュニケーションで話しかけるなオーラを一杯に出していた。 すると周りの人はシンハラ語わからないのだと思うから、シンハラ語で、彼は何人なのだろうとか、何しに行くのだ、きっと宝石のビジネスなのだろうとか、時計を売って歩いているのだろうなんて、勝手なことを語り合い始めた。面白くて仕方がないシチュエーションが面白くなかった。 バスで2時間半。熟睡でもない半寝状態で過ごした。前の子どもが何度も吐きそうにしているのが気になったが注意は集中しない。ゲロでベタベタなんてことになってももういいやって感じであった。
何とかラトナプラに着いたら、ちょうど市役所に行く時間で、休む間もなく、市役所に向かった。 市役所では、テキパキこなすべき仕事が山積み。 でもそこは、ラトナプラ市である。どんなにそれがあったとしても、まずは雑談で昨日の報告をヘーリにして、明日の結婚式の出席の件やら、今日のシンハラ語の噂にずっと聞き耳をたてていたことなど、話に花を咲かせた。 それから、エンジニアのところに行って、ポンパキャレー道路擁壁工事のプロポーサルについて先方から出された疑問点を確認に行った。そしてお決まりの雑談もして戻った。
その後、USIPの工事の話を少し。案の定、あの会議から2日目であるが、具体的に作業は何も進んでいなかった。課題として残す。確認した。 そして、後任のデータなどが送られてきており、そのワークプランについて、内部で打ち合わせをした。活動は状況に合わせて、後任に切り開いていってもらうものなので、形だけになるワークプランは適当でいいではないかとも思うのであるが、形式の大切さもあり、話し合い。みんな忙しそうだったので、僕がたたき台を作って話し始めたのであるが市長もいないしアヌラさんも居ないので、また後日ということになった。
もうそこで昼休み。 昼休みにお店にヘーリに付いて行ってもらって、スリランカの伝統服を買った。自分へのお土産。値段はまあまあ負けてもらったが、大騒ぎした挙句に300ルピー(約300円)の値切りはどうなのだろうか。
午後は、遅い食事を摂ってすぐに、女性活動グループの会議に出向いた。 このころが急激な眠気のピーク。立っていても眠れる状況であった。しかし、会議は少人数。寝たりしたら、とても心象が悪い。義務での会議でなく、みんなボランティアなのだからねえ。 会議では、次の女性大会の日程を決めたり、内容を話し合ったり、スタディツアーの企画をたてたり…。すべてが僕が帰ってからの予定になるので、眠気が倍増。でも駄目だ、次回会議は7月13日。ということは最後の会合出席。印象が悪いぞ、自分。 踏ん張り、最後にごあいさつ。 そうしたら、あくびで出たのか、涙ポロ。 で、もう最後と思っていたら、グループでの送別パーティが急遽決定された。ああ、僕はいい人々に恵まれたんだとまた実感した。
会議が僕のせいで長引いてしまったので、終了後市役所でレターを作成しようと思っていたヘーリの思惑ははずれてしまった。申し訳ない。 荷物だけを市役所に取りに帰り、同じ道をまた戻って、家に帰ってきた。 家では眠るより前にたまった洗濯物に手を付け、少しだけ眠り、書類作成、メール作成に向った。 今日はしっかり眠るぞ。 足腐れ病はちょっといい。 前に買った母親へのお土産のブルーサファイヤのペンダントトップのデザインを今日頼んだ。日本のお店で実際にデザインされたペンダントの写真を渡したが、さて、どんなものができるのか、お楽しみである。どんなものができても文句は言わないと決めて頼んだ。修正もよほどでなければお願いしないし、第一、修正するだけの日数はもうないだろう。楽しみ、楽しみ。 明日は結婚式だし、USIP工事の事務作業も前に進めていかなければいけない。明日もフルスロットル全開だ。
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