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夢と笑顔のつれづれ日記


つれづれなるままに日々の感動、気付き、驚きを思いのままの綴っています。ひでさんのつれづれ日記のため、投稿は出来なくなっていますm(__)m


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眠気に負けそう
ひでさん | MAIL | URL
6月15日(木)晴れ
 朝5時に隊員連絡所を出た。眠い。眠い。もうこれしかない。
 でもやらなければならないこと目白押しで、早く帰らなければいけない。そういうときには色んなことがゆっくり進むものなのか。バススタンドで1時間もラトナプラ行きのバスを待つことになった。しかも椅子などないから、眠ることも出来ない。
 そして珍しく、もう誰とも話したくなくて、いつもならどんなに疲れていても、シンハラ語で気軽に周りの人としゃべるのに、今日の朝は英語のみで行動。しかもノンバーバルコミュニケーションで話しかけるなオーラを一杯に出していた。
 すると周りの人はシンハラ語わからないのだと思うから、シンハラ語で、彼は何人なのだろうとか、何しに行くのだ、きっと宝石のビジネスなのだろうとか、時計を売って歩いているのだろうなんて、勝手なことを語り合い始めた。面白くて仕方がないシチュエーションが面白くなかった。
 バスで2時間半。熟睡でもない半寝状態で過ごした。前の子どもが何度も吐きそうにしているのが気になったが注意は集中しない。ゲロでベタベタなんてことになってももういいやって感じであった。

 何とかラトナプラに着いたら、ちょうど市役所に行く時間で、休む間もなく、市役所に向かった。
 市役所では、テキパキこなすべき仕事が山積み。
 でもそこは、ラトナプラ市である。どんなにそれがあったとしても、まずは雑談で昨日の報告をヘーリにして、明日の結婚式の出席の件やら、今日のシンハラ語の噂にずっと聞き耳をたてていたことなど、話に花を咲かせた。
 それから、エンジニアのところに行って、ポンパキャレー道路擁壁工事のプロポーサルについて先方から出された疑問点を確認に行った。そしてお決まりの雑談もして戻った。

 その後、USIPの工事の話を少し。案の定、あの会議から2日目であるが、具体的に作業は何も進んでいなかった。課題として残す。確認した。
 そして、後任のデータなどが送られてきており、そのワークプランについて、内部で打ち合わせをした。活動は状況に合わせて、後任に切り開いていってもらうものなので、形だけになるワークプランは適当でいいではないかとも思うのであるが、形式の大切さもあり、話し合い。みんな忙しそうだったので、僕がたたき台を作って話し始めたのであるが市長もいないしアヌラさんも居ないので、また後日ということになった。

 もうそこで昼休み。
 昼休みにお店にヘーリに付いて行ってもらって、スリランカの伝統服を買った。自分へのお土産。値段はまあまあ負けてもらったが、大騒ぎした挙句に300ルピー(約300円)の値切りはどうなのだろうか。

 午後は、遅い食事を摂ってすぐに、女性活動グループの会議に出向いた。
 このころが急激な眠気のピーク。立っていても眠れる状況であった。しかし、会議は少人数。寝たりしたら、とても心象が悪い。義務での会議でなく、みんなボランティアなのだからねえ。
 会議では、次の女性大会の日程を決めたり、内容を話し合ったり、スタディツアーの企画をたてたり…。すべてが僕が帰ってからの予定になるので、眠気が倍増。でも駄目だ、次回会議は7月13日。ということは最後の会合出席。印象が悪いぞ、自分。
 踏ん張り、最後にごあいさつ。
 そうしたら、あくびで出たのか、涙ポロ。
 で、もう最後と思っていたら、グループでの送別パーティが急遽決定された。ああ、僕はいい人々に恵まれたんだとまた実感した。

 会議が僕のせいで長引いてしまったので、終了後市役所でレターを作成しようと思っていたヘーリの思惑ははずれてしまった。申し訳ない。
 荷物だけを市役所に取りに帰り、同じ道をまた戻って、家に帰ってきた。
 家では眠るより前にたまった洗濯物に手を付け、少しだけ眠り、書類作成、メール作成に向った。
 今日はしっかり眠るぞ。
 足腐れ病はちょっといい。
 前に買った母親へのお土産のブルーサファイヤのペンダントトップのデザインを今日頼んだ。日本のお店で実際にデザインされたペンダントの写真を渡したが、さて、どんなものができるのか、お楽しみである。どんなものができても文句は言わないと決めて頼んだ。修正もよほどでなければお願いしないし、第一、修正するだけの日数はもうないだろう。楽しみ、楽しみ。
 明日は結婚式だし、USIP工事の事務作業も前に進めていかなければいけない。明日もフルスロットル全開だ。
2006年06月16日 (金) 03時08分 (549)

Bone scan
ひでさん | MAIL | URL
6月14日(水)晴れ
 今日は、あらーちょっとしか眠らずにコロンボ行きになってしまった。
 朝、4時に家を出るというのに、寝たのは3時。これじゃ、寝たうちに入らない。思い頭を振り振り、バススタンドへ向う。途中、段取りが悪く、バタバタゴトゴトしてしまい大家さんを起こしてしまうドジもした。
 テンションロー。今日はいつものパラナパーラルートのバスがなかったのでアルトゥパーラルートのバスに乗った。
 しばらくして、久方ぶりのバス酔い??気持ちが悪くなった。頭もさらに重くガンガンしている。それに比例するかのようにお客さんも増えて、通路側に座った僕の不快度数もどんどん上がっていく。仕方がないので、とにかく寝るべと頑張るが、頑張れば頑張るほど眠れないもので、半寝状態を続けてしまった。
 隊員連絡所に着いたのは、朝7時。おかげさまでこんなに早く来たのに最悪の体調で、2時間ベッドに倒れこむことになった。朝起きた際との続けざまのパナドール(鎮痛剤)も悪いと思いながら、飲んで寝た。
 少し回復して、時間が迫ってきたので、アポロ病院へ行った。すぐに骨のスキャンを受けられるのだと思ったら、まずは手続きで躓いた。
 あ、そうそう、精密検査と書いてしまうと心配をかけてしまうが、種をあかすとこういうことで受診となったのだ。以前、日記を通読している方はご存知だと思うが、脱脂粉乳会社の販売促進活動の一環で、非常に簡単な機械を使って、骨の中のカルシウムの成分を測定してもらった。そうしたら、とても低く出たのだ。日課だった牛乳も下痢が怖くてこちらに来て一度も生でグビグビと飲んだことはないし、小魚なども食べないお店カレーの生活では、最もで仕方がないのであろう。
 でも、予想よりもはるかに低く、危ないと出たために、念のため、本格的に受診してみることになったのだ。心配しないでくだされ。

 手続きの躓きとは、受信料の支払いのことである。今日は立替払いしなきゃなあと思ってたくさんお金を持ってきていた。
 で、自信満々で料金を前払いしにいったところ、12,000ルピーほどを言われて、びっくりしてしまった。そんなお金持って歩いているわけがない。で、色んな関係者に確認してもらって、JICAからの後日払いにしてもらえるまで、手間取った。10時半には始めるからと言われていたのに、時間を超過してしまい焦った。

 さあ、それでは受診と思いきや、まずは問診がされ、どこか痛いかとか、以前問題を指摘されたことがあるかとか、聞かれて、過去の健康診断結果も確認して、何となく終了。とにかく自覚症状も何もないし、今までに骨折も満足にしたことはないから、Noのオンパレードであった。
 ちなみにこのアポロ病院はインド系なので、ここに来るとシンハラ語から英語に使用言語が変わる。自分の英語にシンハラ語の相槌などが混じってしまうのが自分でも面白い。

 さあ、受診と思いきや、投影するための薬を注射するから注射後3時間したらまた来いと言われる。えーと絶句。あれ、すぐ帰りたいのになあ。
 ゴネても仕方ないので、注射を受けて、一度JICA事務所に行き、調整員と打ち合わせをして、また戻ってきた、3時間というのが微妙で、ごはんを食べたりしていたら、そんなに余裕が無かった。

 ドカンの中に据えられたベッドといった風情の機械の中にあるベッドに横になり、ようやくスキャンだ!と思ったら、何か担当者が言っている。2度機械を動かすも途中で戻された、
 うん、何だ。英語がわからないぞ。
 どうも小便をして来いと言っている。機械が小便を関知したようだ。すごい!そういえば小便をちゃんとしておくようにと言われてたっけ。びっくりした。
 改めて仕切りなおし。15分間動くなと言われたので、静止したまま、僕の体を中心にカメラを内蔵したドカンが上下する。不思議な気分だ。このまま宇宙に飛び出していきそうな感じだなあと思った。
 終わったら、こんなもんかと思った。

 さて、結果を聞こう。
 先生が出てきて、結果は明日にしか出ないから明日来てくれって。
 えー、そんなの無理だから、答えに窮していると、何時なら来られるんだと察した様子で、先生が聞いてきた。来週の月曜日なら何とか…。それが精一杯の答えだった。来られるかどうかなんてわからない。
 病院は手間がかかる。どうしよう。

 JICA事務所に行って、ちょっと寄り道して、スリランカ伝統の安めの服を衝動買いして、隊員連絡所に行った。そこで、普段できないプリントなどをしていたら、夜になってしまった。帰るのを明日朝として、ゆっくりすることにした。隊員連絡所にはDVDが最近たくさん購入されたので、ちょっとと思って観始めたら、ああ、何とも4時まで起きていてしまった。やっちゃった。2日連続の寝不足はきついなあ。
 それから伝統服を買ったことは、それについて気遣ってくれているヘーリには言えない。もう一つや二つ、欲しいので、明日も買うことになるだろう。
2006年06月16日 (金) 03時08分 (548)

USIP来訪
ひでさん | MAIL | URL
6月13日(火)晴れ
 今日は、USIPのディレクターたちの訪問を受けた。
 朝から大忙しである。
 朝、一番行ったことは、書類の整理。大切な書類をラミネートして保存する。スリランカの人はラミネートが大好き。つられて僕もラミネートおたくになっている。それは冗談として、コピー機、ファックスが壊れており、市の公式なメールもなく、何とも仕事がしづらい。そこで、今日の朝一番は、コピーをしに外のコピー屋さんに行くことから仕事が始まったのだ。
 ついでにシャマルカに頼まれて、シャマルカのディプロマ証書をラミネートしたというわけである。
 その後、市役所にすぐに戻って、エンジニアたちとしばらく打ち合わせをして、USIPの来訪に備えて、早めの食事をとった。今日は僕のために僕の好きなかぼちゃを調理してきてくれたので、お店ではなくヘーリ、シャマルカと一緒に市役所で食べた。
 食事中に電話があり、予定どおりの訪問となるとのこと。遅れると思っていたのに、これは珍しいことである。しかも事前連絡をしてくるなんて、USIPもやる気だと思った。

 実は現在ラトナプラ市にはUSIPの工事を推進していくのに問題がある。非常に協力的で懇意にしていたエンジニアが異動予定であるのだ。
 まだ決まっていないとヘーリたちは言っているが、もう下宿も引き払い、バスで4時間かかるキャンディに居る。席はラトナプラにあっても、実質、現在は異動までの間の休暇期間みたいなもので、ほとんど市にやってこない。
 そんなエンジニア、実際頼りになる人であるが、今は頼りにならない。今日の打ち合わせに入ってもらってもなあと若干心配していた。

 USIP来訪!
 急にバタバタ。僕は、昨年の事業費、約束のお金をなかなか払わなかったときは、非常に冷たくUSIPに当たっていたが、今日はニコニコモード。
 先日のファイナルプレゼンテーションを見てくれたディレクターたちも、とても親密に接してくれるので、今までのことは水に流れたように柔和なムードの中、再会は果たされたのであった。
 まずは、市長とコミッショナーが不在であったので、副コミッショナーと歓談をしてもらった。
 そして、すぐにポンパキャレーの現地を見に行った。さっそく残りの事業工事区を確認する。案内役はエンジニアだ。工事の概要をすべて説明して回る。
 それが一通り終わってから、住民、自治会役員を集めて、懇話会。今日は、ポンパキャレーの住民が結婚式で、みんなそちらに行っているため、非常に少ない人数しか集まらなかった。出席した自治会役員も、結婚式会場から連れ出したのであった。
 事業費のこと、事業工程のこと、コントラクトのこと、調査書作成のこと、未徴収分の住民負担金の徴収問題、これらを手早く、協議して対応策を決めていく。
 要点は、住民コントラクトの趣旨に従い、できるかぎり住民主導、自治会主導で工事を行うこと。目的は自治会活動の活発化にもあること。(←賛同。)ここを確認した上で、事業費をなるべく圧縮したいUSIPからの細かい提案が続き、それらの案を勘案してエンジニアが新しい工事見積書を作成することになった。(←できるのか??)
 事前調査書については、去年の工事開始前から依頼されていたのが作られていなかったので、第二フレーズ開始の条件とされることになった。作成者はあくまでも自治会。しかし、彼らだけではできないだろうからと、その協力者としての市役所、僕が指名された。監督しろということだ。ヘーリと顔を見合わせ、大変なことになってきたなあと目で合図。あまりに絶妙なアイコンタクトに笑いがこみ上げてきて、抑えるのが必死だった。
 今回は前回以上に住民コントラクト型を追及するため、逆に市役所のエンジニア部門の監督支援が強化されることにもなった。住民がのびのび工事できる環境を作るのが市の役目と確認された。
 こうして、今後の行程などがテキパキと確認されて、ほぼ2時間の懇話会を終了した。すべて、僕の活動期間を標準に決められたので、非常にタイトなスケジュールとなってきた。大丈夫かな。
 住民コントラクト型の工事は住民主導ではあるけれど、住民主導であるがゆえにエンジニアや僕たちの負担は増えそうである。活動期間末期において、役割をまた背負い込んでしまった。でも何だか楽しい。
 実際の工事開始は7月1日からを予定しており、僕はそれを見届けて帰ることになる。

 最後に意見を求められたので、僕は是非、この事業を通して、地域美化(ごみ収集の開始)という実利とともに、住民間の信頼が強固になるようにお願いしたいと述べ、昨年度のようなお金のごたごたなどないようにしたいとも付け加えた。(←言わないでおこうと思ったお金の話をチクリ)
 そのあとは雑談と冗談を繰り返して、訪問はつつがなく終了することとなった。
 仲直り?の意味も込めて、最後になるかもしれない、USIPのセワンティと記念写真も撮って、笑顔のうちにお別れした。後は、任された仕事を淡々とこなすだけだ。しかし、僕らの仕事もさることながら、エンジニアに振り分けられた仕事が予定通り、この1週間のうちにうまく処理されるのであろうか。バタバタしそうな予感であるが、やっぱり、やるべきことが出てきて、何だかウキウキする僕たちであった。
 余韻さめやらぬうちにと、市役所に戻って、しばらくヘーリと調査などの手順を相談(シャマルカは帰ってしまったから居ない)して、時間を費やした。そこで、もう1日が終了。早いものだ。

 帰り道、CIBというお店に寄って、ナショナルスーツを探してみるも良い物がなく、明後日ヘーリとまた別の店を見に行くことになった。何故だかわからないが、このナショナルスーツの購入については一人で行くとぼられるとヘーリがしきりに心配してくれるのである。不思議だ。

 家に帰って、恒例の?一眠り。
 その後、行くのかと逡巡しながらも、結局、外に出て、フードシティのダンサラに行ってしまった。ダンサラめぐりの締めくくり。
 今日は夕ご飯。
 ちゃんと並んで会場入りしたが、めざとく僕を見つけた知り合いの係員たちが、やっぱり特別扱いで、おかずをたくさん盛ってくれたり、席を用意してくれたり、お水を持ってきてくれたりした。ありがたく受けて、最後にみんなに挨拶をして出てきた。
 よく施される今日この頃である。

 明日は、朝一番でコロンボ行き。隊員連絡所経由でアポロ病院を受診して、その後、事務所に寄り、ラトナプラに帰ってくる。明日も忙しそうだ。
 そうそう、足腐れ病がよくならないので、健康管理員に相談したら、あっさり抗生物質が合っていないんだねと言われた。また、それについても受診しなければいけない。今日も足の傷は、潮を吹いたように白く膿を出していた。
 明日も元気に行こう。
2006年06月14日 (水) 02時55分 (547)

ダンサラ疲れでないけれど
ひでさん | MAIL | URL
6月12日(月)くもり
 今日は、市役所での1日となった。
 朝、荷物をたくさん抱えて、市役所に出て行った。コロンボに一緒に行ったとき、着替えて服を置いていったことをすっかり忘れているヘーリとシャマルカの服を入れた袋、2つと、昨日、ついもらってしまった米とココナッツをヘーリにあげようと持った。それにいつものかばん。この米とココナッツは曲者で、重い。善意は重いということだろう。それを受けきれない僕は悪人、それとも善意を分ける僕は善人として取り扱ってもらえるのかしら。

 あまりに荷物が多かったので、何度も持ち替え、持ち替え市役所に向かっていたところ、なんとまあ、市役所の入り口階段のところで、シャマルカの服をばら撒いてしまい、すごーっく恥ずかしかった。下着も入っていたからだ。誰のかと笑いながら口々に聞かれるので、僕のだ!と冗談で返していたものの、明らかに余裕は見えなかっただろう。恥ずかしい1日の始まりとなった。

 今日は、地域開発部門で僕が一番のり。明後日、骨の精密検査に行くので、休みをもらう休暇承認レターを用意したり、報告用に必要な資料をファイルから探したりしている内に、女性グループの役員たちがやってきて、雑談が始まった。
 話題は昨日のダンサラのことで、ダンサラ探索記を話して聞かせていた。
 ほどなくヘーリが来庁して、女性グループ役員の相手をタッチ交代。
 僕は、エンジニアのところに行って、日本のある団体へ提出しているポンパキャレーのプロポーサルに関して、疑義を確認してきた。
 戻ってくると、シャマルカや別の役員たちも揃っており、部屋が狭苦しくなってしまった。今日の雑談?会議の話題が、1日に予定している料理教室の話が少しと、僕の送別パーティのことであったので、料理教室の話をそうそうに終えて、僕は退散させてもらった。しばらく居たのであるが、さすがに僕に何を贈ろうとか、お金をひとりいくらくらい集めようとかいう話には加わりにくかったからだ。
 ポンパキャレーの自治会の役員もやってきて、別に僕のパーティを開くことを決めて帰っていった。活動に関することよりも一生懸命僕の送別のことでみんなが動いており、嬉しいやら、ちょっと違うなあと思ったりしていた。はっきり言える事は、帰る前1週間くらいは、パーティづくしだということだ。

 明日のUSIP来訪が予定よりも3時間ほど遅れる予定となり、それを調整したりしている内に午後となり、昼ごはんの時間となった。
 シャマルカが弁当を持って来ておらず、買ってくることを安請け合いしたところ、ポソンポーヤの店がことごとく閉まっており、大変だった。何軒も何軒もまわり、ようやく見つけたところは予算オーバーだったりして、自分のごはんそっちのけで1時間ほど回っていただろう。

 市役所に戻り、最近のヘーリ、シャマルカの一番の関心事である給料表の疑義修正の作業を見守った。
 来月から給料改定されるようであるが、国から届いた改定通知に彼女達の職階が不明確で、このままだと減額されるらしい。それで、大学卒業資格を持つ、CDAの給料を示してくれるように、州政府や省あてに説明資料をつけて、協議書を作っているのだ。彼女ら二人の英知を尽くした戦いである。色々以前から口頭等でやりとりしていたが、埒があかず、明後日コロンボの省に出向いて協議するらしい。
 実は、このコロンボ行きも僕の精密検査→休暇に日程調整してくれたもので、泣かせるものなのだった。だって、給料の一大関心事を僕を一人にするわけにはいかないと日程調整してくれたのだから、感謝しなければいけない。

 夕方、ヘーリたちと一緒に帰る道で、ぽそぽそと交わす雑談も帰国の話題が多くなってきた。それを振り切る形で、今日のダンサラのある場所などを話題に取り上げて盛り上がりながら帰ったわけであるが、確実に寂しさは近づいているということだ。再認識した。

 6時にポンパキャレーのダンサラに招待されていたが、家に戻り、つい疲れで眠ってしまい、起きたら7時半。行くのをあきらめて、明日、謝ることにした。街の一大スーパー、フードシティの人気のダンサラもやっていたが、お客が多いので、そちらに行くのもやめた。知り合いに会って、ポンパキャレーでなく、フードシティを取ったと思われても嫌だから。それに何より、お腹がすいていないから。

 明日はUSIPの訪問やら、僕のナショナルスーツの注文やら、雑談やら(活動ばかりでない!?)で、また忙しいだろう。思い出グッズも買い揃えないといけないし、あれもこれもで気がやっぱり焦る。
 ゆっくりあせらず、頑張ろうっと。
2006年06月13日 (火) 01時52分 (546)

施された1日
ひでさん | MAIL | URL
6月11日(日)晴れ一時雨
 今日は、ポソンポーヤ。仏陀が涅槃に入り、2550年が経った、お祭りの日。
 街は、通常の機能はお休みしているが、特別にダンサラという施しのお仕事が忙しいようである。1ヶ月前のウェサックも同じようにダンサラがあったが、今日はそれよりも規模が大きい。
 今日のお手伝いや仕事はなく、施される側として街中を朝早くから探検した。
 まず、出くわしたダンサラは、パイナップルジュースを施すダンサラ。ありがたく戴き、写真をパチリ。会話も楽しい。
 続いて、またパイナプッルジュースのダンサラ。ここでもありがたく戴き、写真をパチリ。
 しばらく歩いて、人の列に並んでみる。何だろう。整理券を持っていないともらえないということであったが、知り合い?がやってきて、特別に券をくれた。ここで、日本人だからという特権行使。
 米とココナッツを配るダンサラであった。ありがたく戴いたが、重い。みんな、いつもとは違い、日本に援助したと笑っている。僕も笑い返して、一度家に戻ることにした。その場で食べられる物を配っていると思って並んだのに、思い違い。どうしようか迷ったが、明日、ヘーリにあげようと思う。

 改めて出陣。今度出くわしたのは、アイスクリームダンサラ。ここには知り合いが居り、スタートを飾るアイスクリーム授与式に参加。並んでいる人を尻目に、一番初めにアイスクリームを授与された。
 アイスクリームの横では、花を配るダンサラもあったが、これは人気薄。僕もありがたく遠慮した。

 つづいて、ぺニマルダンサラに行く。ぺニマル(ティみたいなもの)とビスケット、黒砂糖をもらった。これもありがたく飲む。食べる。そして写真をパチリ。
 腹がちゃぷちゃぷしてきたころ、ごはんを配るダンサラを発見。長い列ができているから、迷っていたら、中から呼んでくれて、また特別に出口から入れてもらい、すぐに食事にありついた。スプーンを出してきてくれたが、これは断る。スリランカ料理は手で食べるほうがおいしいのだ。
 しっかり全部いただいて、写真をパチリ。

 さあ、そろそろいいかと思っていたところに、また食事ダンサラに出くわし、思わず特別に出口から招き入れてもらう。食事ダンサラは大人気。列が長いが僕が日本人だということと、だいたい知り合いが一人はスタッフとして働いているので、並ばず入れてもらえる。思わず、腹いっぱいなのに入ってしまう。
 ここはさっきより、ご飯やおかずが温かくてやけどしそう。しっかり食べてしまった。そして写真をパチリ。
 もう十分飲み食いしたし、雨が降りそうだったので、家に帰った。

 夜、仏陀の涅槃までの物語を描いたトラナに電飾が入れられるのを見に改めて、街に出る。きれいだった。そして、またダンサラ巡り。ぺニマルを飲み、コーピー(スリランカ式コーヒー)を飲んだ。
 帰りがけ、市役所の隣で飾り棚の展示屋敷に入った。通常25ルピーで鑑賞すべきところ、市役所の消防セクションで働くシャマルカの弟の一言で、タダで順番抜かして入れてもらった。また特別扱い。順番抜かしはよくないし、気分はよくない。お金も払うのになあと思ったが、気持ち(施し)を受ける日だからとありがたく感謝した。

 施しを受けに受けた1日が終わり、心が清くなった…かな。特別扱いばかり受けて、うらまれて心黒くなったかな…。こんな宗教的な1日も良しか。このような1日が演出されるのも、宗教というつながりがあるだけでなく、人と人との距離が近いスリランカだからこそかなあと思う。日本でこんな行事ができるようだったらいいけれど、食品衛生法やら商店の営業との兼ね合いやら、難しいんだろうなあと思う。理屈や法律が先にあるような日本とは違い、人と人のつながりから出来上がるスリランカ社会で、今日も1日楽しんだ。
 それから、ふっと考えることに、別に宗教がかってきたわけではないのであるが、彼らの仏教に匹敵する人生の指針を僕は持っているのだろうかと…。この点は生きていくにおいてやっぱり重要な気がする。
2006年06月12日 (月) 03時57分 (545)

結婚式
ひでさん | MAIL | URL
6月10日(土)くもり
 今日は結婚式!
 スリランカの結婚式は長い。のんべんだらりと長い。
 まずは、結婚式場で、招待客が集まってくる。10時に集合がかかっていたが、僕らが行った11時すぎにはまだ何も始まっておらず、客待ちをしていた。ほどなくカステラケーキとウエルカムジュースが運ばれてきた。運んでいるのは、会場に居た若い女性。客が積極的にお手伝いしている。
 新郎、新婦は儀式が始まる前から会場で挨拶をしていた。
 そして、儀礼が始まり、たぶん誓いの言葉などを述べて、蜀台に二人で点火(はじめての共同作業!?)。たぶんというのは、来客が会場に会するわけではなく、ばらばらと散っていて、儀式を見ることはなかったからだ。
 結婚式場というより、オープンカフェで茶を飲んでいるという感じであった。席も自由席。
 一通り儀式が終わると、各テーブルを新郎、新婦が挨拶して回る。僕たちのテーブルは市役所グループ。新婦かと思ったら、新郎のお父さんが市の公衆衛生官であった。特にローソク点火などという趣向もなく、ただ回る。僕らのテーブルの人は直接新郎、新婦を知っているわけではないので、話が盛り上がるわけではなく、お祝いの言葉を交わす程度ですぐに終わってしまった。
 そこからが長い。歓談の時間。
 さすがの雑談好きのスリランカ人とはいえ、僕らのテーブルでは話題もなく、みながオフィスに居るみたいだと冗談をかけあうほどに盛り上がらず、ひたすら昼ごはんを待った。その間、ぽつぽつと冷えていないビールとつまみが回ってきた。一部の人は飲んでいるんだろうが、僕らのテーブルは誰も飲まない。

 1時を過ぎて、ようやくご飯。もちろんスリランカ料理のビュッフェ。しっかり食べた後は、また歓談。そのうちに会場の庭で、ダンスが始まった。踊っているのは、市のメンバーばかり。びっくり。さすがに出不精の市長は踊っていなかったが、副市長、議員さんたちを中心に、自由に体を揺らしている。
 そんな光景が何だか微笑ましく、足が腐っていて痛いのにも関わらず、思わず入ってしまった。何曲も、生バンドの演奏で踊る。男達は概ねよっぱらい。

 しっかり汗かいて、休憩に入ったころに、会場内では、祝辞の言葉のやりとりやら、結婚披露宴ぽいことが行われ始めた。しかし、僕ら市役所チームは外でくつろぐ。え、行かなくていいの??僕たちはただの賑やかしだったのか。もともと会場も小さくて収容しきれないのであるが、なんともまとまりの感じられない結婚式である。
 それが終わった後は、庭に会場を移して、いわゆる家族との別れの儀式が行われた。
 日本で言えば、両親への手紙のコーナーであろうか。新郎、新婦が家族に跪いて挨拶を繰り返していく。まずは、新婦の両親への挨拶であったが、ここでは日本と同様、新婦両親、新婦ともに泣き崩れて、嗚咽状態。新婦のきょうだいとも嗚咽、嗚咽、嗚咽で、儀式のクライマックスの趣があった。

 面白かった。ダンスは楽しんだ。偉い人たちとダンスするのもこれが最初で最後であろう。それはいい経験。しかもみんなに僕の帰国を惜しんでもらえた。議員さんたちは、これからさらに一緒に仕事ができるのにもったいないと言ってくれたりした。しかし、あまりにも結婚式自体に参加していないような気がして、何だか消化不良。主の目的はやっぱり結婚祝いなのに、こんなに新郎、新婦と接触の無い結婚式も良くないよなあと思う。これでいいのか?これもスリランカか、これでいいのだ。

 6時すぎに家に帰り、無理してしまった足の治療を行い、しばし休息。今回の足腐れ病はしつこい。しつこくてしつこくて、なかなか治らない。さらに、何でか知らないが、昨日から膀胱炎ぎみ。
 体がどんどんぼろぼろになっていくようで、怖い。早く治さなきゃ、自由に動けず不便でしょうがない。
 そんなことでグタグタしていたら、容態を心配してヘーリが電話してきてくれた。寝ぼけていて、会話もそこそこであったが、こういうところが泣かせるところだ。ヘーリにまた座布団あげよう。
2006年06月11日 (日) 02時22分 (544)

シルってなんだ?修行の1日
ひでさん | MAIL | URL
6月9日(金)くもり一時雨
 今日はシル。シルって何だ。聖なる食事を受ける式だと思っていたら。1日パッケージ。2550年の仏陀の涅槃を祝して、みんなで修行の1日を送る。そんな感じであった。
 朝、7時までに市役所、7時までに、7時…と思っていたら、7時に出発となってしまった。サロマを着て出勤は、恥ずかしいので、市役所で着替えることにした。
 遅れたーって思っていたら、ヘーリたち市役所の女性御一行と遭遇。何だ、みんな、この時間という感じでスタート。でも、足のいまだ完治しない僕はみんなよりも少し遅れ気味。
 市役所に着いたら、すぐに着替え。そして、上にある市民ホールへと向う。この時はまだ9時くらいに朝ごはんをもらって終わりだと思っていた僕。
 床に敷物を引いて座る。結構な人が既に居た。ただの食事は凄いのだと集客力に驚いたが、口に出してみると、食事が招いたのではなく、みんなが宗教心を働かせて集まったのだと訂正された。
 予想通り、食事はもらって、その後、市役所のみんなが移動し始める。端っこに行こうと敷物を移動させている。ここら辺は主催側の厚かましさというやつだ。もたれて座りたいからの移動で、長い時間になることを想像させる。ようやく聞いて、今日は1日、この修行?が続くのだと教えられた。
 ぎょっ…これが続くなんて考えても居らず、あーあ、1日仕事となってしまった。何でも気軽に返事をしてはいけない。よく聞いてから返事はすべきだ。
 何度もお坊さんが入れ替わり来ては、お経を上げる。日本語のお経でも意味がわからないのであるから、パーリ語のお経はわかるはずがない。足は痛くなってくるし、疲れてくるし、おしっこしたいし、大変だった。
 お昼ごはんもそのまま、配られたものを食する。本当に修行の様相。
 午後は、講演会が行われる。時間たっぷり、早く終わるなんてことはなく、しっかり講義が行われた。
 足を崩していても、地べたに座り続けることは大変である。
 終わったのは5時前。結局、今日は仕事のことは何もすることなく、仏教徒であることを感じ入ったのであった。サロマ姿はウケが良かったが、疲れた顔はウケが悪かった。

 この今日の修行にポンパキャレーから3人やってきていた。奇しくも女性グループの役員ばかり。タミル人居住区なので、ヒンドゥー教徒だとばかり思っていたが、違ったようだ。今日の発見。
 さて、帰ってから最終報告書でもと思いきや、また、これは後回しとなり、居眠りに入ってしまった。いつになったら進むんだろう、最終報告書作成。今週末をヤマバとしたいが…。
 明日は結婚式に招かれている。何をする用意もないが、もしかすると何かせがまれるかもしれない。ま、いいっか。
2006年06月10日 (土) 01時55分 (543)

腑抜け
ひでさん | MAIL | URL
6月8日(木)晴れ一時雨
 今日は、寝坊した。朝、二度寝してしまった。寝ても、寝ても疲れが残っている感じで、市役所でもまだ眠かった。で、居眠り、こくこくとしながら、1日市役所に居た。
 今日の仕事は、USIP工事の準備。すごーーく困らせられた工事の残り半分が始まる。昨日の会議にUSIPのトップが来ており、電撃的に13日彼らが来訪して、アグリメントを取り交わすことが決まった。
 この工事は、僕の代で終わらせたかったが、これも仕方がないことである。
 それで、このUSIPプロジェクトの趣旨に立ち戻り、住民に向けて、問いかけをしようというふうにヘーリたちと画策している。
 1つ、計画中の道路工事を本当に歓迎しているのかどうか、1つ、歓迎するなら協力を惜しまないかどうか。ドンでん返しで、要らないって結論になったら、やめるだけだが、寂しいなあ。僕の中では、ゴミ回収をポンパキャレーで始められるようになることが先決で、この工事は完成させねばならないと思っている。そうすれば、地域を綺麗にする第一歩が始まるのだ。
 打ち合わせをしてから、予定を自治会役員に伝えた。

 午後は、市役所が何だか騒がしいなあと思っていたら、今日は給料支給日であった。人が早くから支払い口に集まり始め、午後の支給開始を待つ光景は、バーゲンセールの会場前のようで、何時見ても異様である。早く支給を始めればいいのになあと思っても、なかなか始まらず、こっちまでやきもきしてしまう。
 足が万全であれば、ポンパキャレーに出かけていくところであったが、大事をとって今日はどこも出て行かないことにした。

 明日は、シルという儀式がある。聖なる食事を受ける式のようで、朝7時までに市役所に出向くように言われた。そして、もちろん服装は白で固めねばならないようである。というわけで、今日、白のサロマを買って帰った。明日は初のサロマ出勤である。びしっときめよう。
2006年06月09日 (金) 02時11分 (542)

真っ白くなれました
ひでさん | MAIL | URL
6月7日(水)晴れ
 ガラダリホテルに朝、先乗り。
 会場で到着した大臣に花を渡す役目をやってほしいと言われており、8時にやってきた。寝ていないので、テンションは高く目はパッチリであるが、いつ眠気が襲ってくるかはわからない。
 会場準備は8時の時点ではまだできておらず、バタバタしているところであった。シニア隊員をはじめ、省のセクレタリーら省の関係者は勢ぞろいしていたが、ヘーリたちはまだシニア隊員の家に居るとかで、ゆっくりしているようだった。
 僕はこんな場面でボーっとしているのは好きではないので、プロジェクターの設定を手伝っていた。あちらへ行けとか言われればあちらへ行き、こちらにいろと言われればこちらにいて、そんなことを続けている内にいつの間にか30分が過ぎ、早くも花を渡すためにホテルのメインの入り口で待つことになった。
 大臣を待つのであるが、続々とやってくる会議参加者との挨拶も忙しい。副大臣、市長、各団体のトップ…色々と偉い人がやってくるので気を使う。顔見知りには、僕の活動期間がもうすぐ終わることも次げながら、雑談の積み重ね。
 そうこうしているときに、さーっと住宅建設省の大臣がやってきた。こちらは、シニア隊員が花を渡すことになっている。僕は写真番だ。あらー、足早過ぎて、写真がうまく撮れなかった。省の副ディレクターに怒られそうだ。
 9時を過ぎ会議が始まったが、僕とシニア隊員は、もう一人の出席予定大臣、都市基盤整備省の大臣を待って、待機。僕はいつでも花の首飾りをかけられる体制にある。しかし、残念ながら、彼は欠席となった旨の連絡が入ってきた。

 午前中のセッションは、挨拶と講義。
 スリランカでは、とにかく長いスピーチがいいスピーチとされる。開始が30分ほど送れたことと少しずつみんなが予定時間をオーバーするので、どんどんどんどん時間が押していった。そして、講義が二つ予定されていたが、一つがキャンセルとなった。講師の女性はやる気まんまんだったので、一転、不満タラタラな感じが見て取れた。ごめんなさいだ。

 昼食を食べた後、最初のプログラムが僕のファイナルプレゼンテーションとなった。午前中に消化できなかったものの後の予定であったが、JICA事務所の所長がいらっしゃる内に!と予定通りの実施となった。

 何をしゃべったのか、どれくらいの時間しゃべったのか、しゃべりがどのくらい聞きやすかったか…今となっては、あまり覚えていない。それとあの時間をここでうまく表現できない。

 おわっちゃった…真っ白になっちゃった…。

 最後の方に差し掛かったとき、腺が緩み、危なかった。涙、溢れそうで、堪えたが、鼻水が止まらず困ったことが印象にある。泣いてもいいとも思ったが、泣くと止まらなくなりそうだった。
 住宅建設省から2年間の活動に対する認定書をもらい、市役所からも同じく認定書をもらった。席に戻った後も、声をかけてもらうのだけれど、しばらく放心していた。あまりに去来する思い出が多かったから。

 プログレス報告となり、時間がないので、プレゼンを準備してきたところだけの報告となった。ラトナプラはしなかった。
 全部の予定を終えて、会議は無事終了。
 今日、日本に一時帰国するシニア隊員に活動終了の記念品までもらい、名残惜しい会場をヘーリらととともに市役所のバンで後にした。隊員連絡所を経由してもらって、荷物をピックアップして、3時間のドライブの旅は、今日の反省会。冗談をいっぱい言い合って、ラトナプラへ戻った。

 すぐに足の措置だけして、パソコンを開いたが、そのまま寝入ってしまった。足の方はだいぶ良いのであるが、今日、無理して革靴を履いたので、腫れが少しだけひどくなっていた。早く治さねば、心配ばかりかけてしまう。
 よほど疲れているのだろう。明日から、また元気を出さなければいけない。
2006年06月09日 (金) 02時10分 (541)

前日も大わらわ
ひでさん | MAIL | URL
6月6日(火)晴れ
 今日は市開発会議、そのあとヘーリらとのコロンボ行きが予定に詰っていた。昨日、しっかり眠れたので?、ファイナルプレゼンの緊張感は増さなかった。というよりも、今日のことでいっぱいいっぱいだったと言う方が良いであろう。

 朝、少し早い目に到着した市役所で、副コミッショナーの到着を待ちかまえる。最後のコロンボミーティングで後味が悪いのは嫌なので、もう一度、明日の会議出れないものか、説得してみようと思ったからである。
 副コミッショナーは特に変わった様子も無く現れ、すーーっと話に入れたのであるが、翻意することはできなかった。明日行けない(行かない)ことに未練も述べながら、明日はキャンディに行かなければいけないからと頑なであった。そこで、玉砕。駄々っ子のような感じであるので、これでは暖簾に腕押し、時間の無駄になるばかり、それに説得すればするほど、こちらも下りられなくなってしまうので、あきらめも必要というものだ。これは残念なことだけど仕方がない。駄々っ子は、3日経ったらコロっと忘れてくれる!?、忘れて欲しい。
 長く引っ張らなかったのは、その後に久しぶりの市開発会議が開かれることも影響していた。住民が意見を発表できる貴重な場である。住民の要求が出される場を保証しておくことは重要なことなのだ。この市開発会議も予定では今回が僕の任期中で最後のものになる予定である。

 最後が多いなあ(つぶやいていた)。

 市開発会議は与党が変わったことが影響してか、いつもは集まらない市議が大挙して押し寄せて、想定外の盛況なものとなった。市長が最初は司会を行い、途中から副市長に後退した。市議にはさすがに一度は意見を言う時間を与えようと配慮されるため、市議の時間が大半を占め、議会を見ているようになった。
 住民に発言の機会を!と何度も繰り返し、念じていたら、思わず、コーピー(普通のコーヒーではなく、泥コーヒー)をもらい損ねてしまった。そんなことには長くはメゲズ、会議の動向に聞き入った。
 話す、話す、…、長いのである。仕方ないなあって感じではあるが、12時を過ぎ、1時を過ぎ。今まで別の政党が地方議会の与党であったので、来ていなかった人たちがここぞとばかりに押し寄せて自論を打つので、あっちに行ったり、こっちに来たり、話も飛ぶ。
 色んな議論がいっぱい行われるのに、色んなことをたくさん直さねばならないのに、「市役所にはお金がない」この一点が大きなネックとなったが、参加住民が拍手した発言は面白かった。
 「お金がない」と言うことが市の責務なのか…。ないならば、見つけてこなければいけないのではないか…。その通り!もうひとつ、これを言った人、踏み込んで、私たちは何をやる!ってところまで、自己規律までを述べてくれると座布団10枚であった。

 お金よりも時間がなく、結局、僕は最後の市開発会議で今までありがとうの挨拶ができなかった。最後の締めの副市長のスピーチでありがとうを言ってもらったに留まった。もうひとつ、僕に(僕らに)足らなかったのは、次回の会議の開催日をその場で決められなかったことだ。継続に意義があり、本当に2ヶ月に1回開かれるかどうかが、成否の鍵を握っていると僕は思っている。そして、今回は約束どおりの継続が少し微妙だと危ぶんでいるのだ。
 あらー、後任への引継ぎ事項ができちゃった感じである。

 会議を終えて、にわかにヘーリたちがせわしくなってきた。彼女達も早くコロンボに向いたいらしい。コロンボからの会議出席者の車を狙って、同乗を画策している。二人とも午後から休みを入れていた。お昼ごはんを食べる時間も取らず、車をゲットして向うことになった。僕は任せて、流されるままであった。本当なら明日出発でも良いのであるが、おそらく僕が居なくなると、シニア隊員の家にヘーリたちが泊まる機会はもう訪れないだろうと、このクソ忙しい時ではあるが、頼み込んで、泊まらせてもらうことになっているのだ。ちゃんと家に行くまでに、僕が日本料理店で日本料理をごちそうすることも約束されている。日本料理は高いので、これは僕らが奢るときのみ彼女達は口にできるのである。本当に楽しみなのかどうなのかは?であるが、僕と一緒に行きたいというその気持ちを大切にしたいと思う。

 自治省から来ている人の車に3人で乗せてもらった。しかし、オフィスがコロンボではなく、途中のハンウェッラでおりることになった。そこからバスの予定。親しいスリランカ人との移動となるとつき物なのは、話やら歌やら…。例外に漏れず、この車中でも寝ることなどできず、話に花が咲いた。このひとときも帰国を控える今では貴重な時間だ。僕も積極的にバカ話に加わっていく。
 途中、前を知り合いが走っていることにヘーリが気付いた。ヘーリの旦那さんのお父さんの弟の息子夫婦。略する?とヘーリの弟の夫婦が走っているということになる。コロンボに向っているらしい。何とか前に気付かせて、乗り換えさせてもらおうとパッシングしたりクラクションをならしたり、ジグザグ運転したり…、それに驚き止るどころか、逆にスピードあげて逃げていき、小さなカーチェイスのように怖い追っかけあいをしばらくした。僕が駄目だよ、あきらめようよと言い出した頃、携帯電話に電話しようということになった。先にすればいいのに…。

 結局、そこで理解され、乗り換え。予定のハンウェッラだった。

 また宴会しながら、コロンボに着いて、まずはパソコンなどがあるので、隊員連絡所に寄ってもらった。隊員連絡書はスリランカ人を入れることは禁止なので、ヘーリ、シャマルカを外で待たしていた。
 そして、彼女達も疲れているので、バスではなくスリーウィーラーで日本料理店まで移動。時間が早すぎて、まだ開店しておらず、近くにあるマクドナルドでソフトクリームを食べて、時間をつぶした。先にデザートになってしまった。
 スーパーでシニア隊員に渡すお土産を買って、日本料理店に。
 天ぷら定食、刺身定食、まぐろの煮付け定食を1つずつとって、分け合いながら食べた。
 出てくるのが遅いとか、入店2日目という店員をからかったりして、大騒ぎしながら待っていた。そして出てきたら、出てきたで、これまた大騒ぎしながら、3人で食べた。うるさかったろうが、たまたま別の客は居なかった。
 味はさておき、これだけ楽しめれば、高い料金も高くない。

 明日の会議(正式には理解促進のためのワークショップ)の準備で忙しいシニア隊員の家にその後、押しかけて、1時間半ほど、お邪魔して、9時半に僕だけ隊員連絡所に戻った。シニア隊員の家には、マータレーの女性隊員が一人泊まっていたので、彼女達にヘーリたちのお世話をお願いした。
 ヘーリたちは、10時ごろ、寝たらしい。疲れていたのかな。楽しい時間をありがとう。それにずっと僕の足腐れ病の心配をしてくれて、嬉しかった。僕はお腹に子供が居るシャマルカの体調の方が心配だった。

 僕は、隊員連絡所に戻ってきて、ようやく?、明日のことが気になりだして、眠れなくなってしまった。興奮しているというのだろうか。12時すぎに床に一度は着いたものの、起き出して、何をするでもなく、朝まで起きていた。それなのにファイナルプレゼンの原稿づくりは、やる気にならず、アドリブで進めることにして、朝までボーっとしていた。
2006年06月09日 (金) 02時10分 (540)





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