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夢と笑顔のつれづれ日記


つれづれなるままに日々の感動、気付き、驚きを思いのままの綴っています。ひでさんのつれづれ日記のため、投稿は出来なくなっていますm(__)m


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お寺の日本語教室、最後の授業
ひでさん | MAIL | URL
6月25日(日)晴れ
 今日は4時に起きた。起きてしまった。またまた睡眠障害??枕が変わると眠れないというほど、神経繊細ではないけれど…。
 それで、隊員連絡所に備え付けられたDVDを観た。面白いというよりも、眠気があるのに眠れない時間つぶしみたいものであった。漫画も読んだ。そんなことで時間をつぶして、8時半に連絡所を後にした。
 今日の予定は銀行に寄り、パラダイスロードというお店で買い物をして、ラトナプラに戻るというもので、連絡所でいつもよりもブラブラしていたのは、銀行とこのお店の開店時間を待っていたのだ。それがなければ、起きてすぐにラトナプラに向っただろう。朝一番の方がバスは空きがあり、移動時間も短く済むので楽なのである。

 気が早い僕は、銀行に8時45分には着いてしまった。9時からだと思い込んでいた開店が実は9時半だと気付いたのは到着してからだった。一方パラダイスロードの方は10時開店である。気が早すぎた。4時からの暇のせいで、紅茶も既に2杯飲んでいる。また紅茶を飲む気にもなれず、周辺を散歩して時間をつぶすことにした。
 ブラブラ。ブラブラ。
 あまりにボーっとしていたのであやうく牛の糞を踏むところであった。こんなときに限って、もったいないような晴れで、陽射しがきつかった。
 ほどよく疲れて、銀行でお金を下ろし、口座の閉め方についてマネージャーみたいな人と話をした。来て置いてよかったことに、開いてはいても、土日は口座閉めの手続きを完了できないということを聞けた。聞いていなかったら、帰国ぎりぎりの日曜日に来てしまい、大変なことになるところであった。

 また20分近く時間があるパラダイスロードの方は後日回しにしてしまおうかという葛藤の中、今やれることは今やらねばという気持ちが勝って、門前でずっと待った。待った甲斐があり、予定の品の購入を無事終了できた。
 バススタンドからのラトナプラ行きもすぐにつかまり、ラッキーが続いた。
 ラトナプラまでは、うとうと、うとうと。寝込むでもなく、起きるでもなく、疲れを発散させることができた!?
 家に戻って、すぐに自転車に乗り、快晴の中、日本語教室が行われるお寺に向った。休んでいる暇はない。朝もたついた分、ぎりぎりの時間である。途中で遅めの昼食を取って、お寺に到着。
 日本語教室に無事に参加。ここの生徒たちとも、送別パーティを準備してもらえるほど、仲良くしてきたので、授業中は一抹の寂しさが浮かんできた。授業に参加するのは今回が最後なのである。ワルニ、フユミ、イシャーニ…。みんなと最後かと思い、しんみりするたびに、和尚さんの間抜けなジョークが場を和ませて、アットホームな時間を過ごすことができた。
 後は、2日に予定している送別パーティが本当の最後。何でもリクエストしてくれと言われて困ってしまい、記念にご飯を食べさせて欲しいと言った。なるべく彼女達に負担はかけたくない。かといって何もリクエストしないわけにもいかない。

 他の生徒はヘーリを含め、みんなバスなので、僕は1人で自転車で家路に着いた。爽快な陽気につられて、出会う人にかける声も軽やかである。こんな日は、気分は自然とウキウキするものである。

 家に帰ってから、遅ればせながら洗濯をした。陽気に出すわけにはいかないが、こんな日は湿気が少なく、夜の乾きも早いから、迷うことはなかった。
 そして溜まりに溜まった、ネット用の日記を書き、寝ることになる。
 あれだけ眠かったのに、何だか眠くない。おかしいなあ。
 そういえば、最近、食欲は快調だと思っていたら、また体重が減っていた。2kgも。睡眠不足が祟っているのだろうか。ラストスパート、帰国へのカウントダウン。体調を崩すことだけは避けたい。
 今日、おそらく足腐れ病は完治した模様だ。昨日はすでに傷口の痛むはなく、かゆみがひどかったが、今日はどちらも無くなった。
 それから、骨のスキャン、骨粗しょう症検査も何ともなかったようだ。隊員連絡所のメールボックスに結果が入れてあった。ホッとした。何もないのが当たり前であるが、少なからず心配していたから。
 さあ、明日からはまた120%で行くつもりだ。笑顔と元気と勇気を持って、歩んでいこう。
2006年06月26日 (月) 01時42分 (559)

コロンボではこうなっちゃうのです…寝不足
ひでさん | MAIL | URL
6月24日(土)晴れ
 今日も寝坊。でも寝た時間は5時間だけ。どうしてって。途中で起きて、片付けを始めてしまったから。こんな時間にやらなくてもっていうときに、無性に片付けたくなったりすることって、たまにあるのだ。
 そんなことをして、2度寝に入ったが、それほど眠れず起床。
 予定していた住民のところに行った。集まってくれた住民からどんな問題があるのかを聞いた。いつしか話は僕の帰国の話になり、雑談が止まらなかった。
 ここで、やっぱりヘルプに行けないと同期隊員にSMSで連絡を入れて謝った。

 家に戻り、しばらく考えた末に、必要な帰国準備(お土産買いなど)のため、コロンボに行くことにした。
 コロンボに行って、隊員連絡所で必要な書類の印刷とコピーをして、買い物に出た。小物やら、DVDやらを買って帰ってきた。お土産で何を買ったらいいのか、全然わからず、戸惑い気味である。コロンボでこうして買い物ができる機会も6日の最終面談時くらいしかないので、しっかり考えた。考えに考えても何を買ったらいいのかわからなかったので、そのまま、歩きに歩き、気が向いたところで夕食を食べた。
 その後、隊員連絡所の棚を少し片付けて、居眠り。けっこう隊員があがってきていたので、賑やかな感じで、居眠りの後、話に花を咲かせた。

 いつの間にか12時を回り、疲れがピークになって、倒れるように眠りに入った。
 今日もネットの日記を更新することができなかった。
2006年06月26日 (月) 01時42分 (558)

市役所作業と送別パーティ
ひでさん | MAIL | URL
6月23日(金)雨
 今日も眠かった。昨日からしっかり眠ったはずなのに眠り足りないようだ。
 市役所に行って、それぞれの仕事の進捗状況を確認した。
 USIP事業については、USIPと自治会の工事同意書を作成するのに、最低限必要になる工事見積書は送付したようだ。これはOK。
 世帯調査の方は、住民が印刷所にもらいに行くと、払ってあるのに印刷料金が払われていないと、調査票がもらえなかったようで、今日もらいに行っているはずだという。ヘーリがそのトラブルに昨日対処したようだが、最終確認はされていない。少し不安。
 5日のパーティ用公民館の使用はOKが出ているようだ。これもOK。
 で、USIPに確認の連絡はというと、まだ入れられていなかった。工事見積書が確実に届いているはずである月曜日がいいというヘーリらの意見を尊重して、月曜日に確認することにした。
 後任の活動サイトについては、だんだんと根回しができてきていて、ピタラウムパーラとカナードゥラ、それにポンパキャレーということに落ち着きそうである。

 雨、雨。実によく降る。
 市役所で、今日は1日、話をしていた。
 雑談と仕事の話とまぜこぜで、1日中、市役所。
 忙しいと言っているのに、こんな日もある。これは仕方が無い。
 24日に予定されていた女性活動グループの送別パーティが代表の体調不良のため、中止となった。それをどうしようかとみんなで悩み、色々考えてくれて、電話もしてくれて、結論が出ず、様子見をすることになった。実際はもう延期は無理そうである。僕の体に空きがないから。

 夕方、セーパラさんの家に招かれて言った。彼は仕事上はそれほど関係しない市職員である。しかし、以前から子ども達を通じて、交流を深めている。セーパラさんもとてもユーモアがありサービス精神満点。下ネタを使わないのに、みんなを笑わせる人で、僕はとても好きである。ここの子どももこの親にしてこの子ありという、愛嬌たっぷりのかわいい子ども達で、10歳、14歳の二人である。年齢のわりには擦れておらず純粋で、早くから僕の親友となってくれていた。
 子ども達と歌に踊りにボール遊びにと3時間、ご飯を食べ、テレビを見て、楽しい時間を過ごした。近所の子ども達も入ってきて、楽しいひとときはどんどん楽しくなった。親友たちの集まりって感じだ。
 ご飯を食べるところからは、ビデオで撮影が始まり、僕の手遊び、インタビューなどが思い出づくりのために録画された。彼らは心から僕の帰任を悲しんでくれている。そんな彼らのためにも、気恥ずかしさはあったが、録画の注文にはすべて応えて、サービスショットを満載させた。
 笑いの中でいい時間は終了。家にバイクで送ってもらい、部屋に戻った。

 ここ2日間書きこんでいない日記に取りかかろうとするものの、今日も疲れで、少ししたら寝てしまった。明日はピタラウムパーラ訪問をしてから、できれば同期隊員のプログラムを手伝いに行こうと思う。
2006年06月26日 (月) 01時41分 (557)

提出して爽快
ひでさん | MAIL | URL
6月22日(木)くもり
 今日はどこから??昨日の延長で来ているので、今日の日記はどこから記すべきかわからない。
 6時前までかかって、最終報告書を作成した。
 報告書を出す機会が僕たちには5回ある。赴任当初より僕は、最後の5回目には2年間を体言すべく、ひとつの論文(本)を仕上げるつもりであった。それに向ってチャレンジしていたのであるが、そううまくは運ばなかった。
 ページ数こそ、本文40ページ、添付資料40ページほどにのぼったが、まとまりというか論理展開が十分ではない。自分の2年間のファインディング、活動の軌跡、今後へ向けた提案、3つをまとめたかったにもかかわらず、そんな感じには仕上がらなかった。うーん残念。これも実力か、はたまた2年間の結果か。考えていたことは山ほどあったのに、文章にするとうまく行かなかった。ぎりぎりまで頑張っていたが、もうタイムリミット。出すしかない。いつか、もっと推敲を重ねて、ちゃんとしたものを発表できたらいいなあと漠然と考えている。

 6時にバススタンドに行くと運よく、すぐにバスが見つかり、飛び乗って、すぐに発車した。眠い。車掌さんに料金を渡すのをもどかしく待ち、渡した途端に眠りこけた。最近の居眠りに少々問題がある。ほのかにわかっているのだが、どうもバスで寝るとき、右に左に揺れているらしく隣の人に迷惑をかけている。これは僕の母親の得意技でもある。遺伝だ!
 あっという間にコロンボに着き、隊員連絡所にすぐに向かい、そしてすぐに共有プリンターのところに行った。
 ありゃ、こりゃ参った。問題発生。隊員連絡所のレイアウト変更で、プリンターが使えなくなっている。仕方ないので、体のだるさに負けず、設定から行う。そうこうして設定を終えられたと思ったら、こんどは僕の使っているフラッシュメモリがパソコンに認識されない。これもまた困って、とうとう事務所の調整員に泣きの電話を入れた。
 迷惑をかけるのは気がひけたが、緊急事態にJICA事務所で印刷させてもらうことにした。
 ページ数は約80枚、それの5セット。申し訳ないがその他に手が無い。
 すぐに事務所に行って、作業に取り掛からせてもらった。調整員も仕事に追われているのに、僕のせいで、2時間ほども手を止めることになってしまった。おかげでホッチキスで止まらないほどの厚い報告書を提出できた。よかった。大仕事終了。
 終了してしまうと更に眠気が襲ってきて大変だった。
 せっかくコロンボに来たので、バススタンドに向かう途中で寄り道した。バンバラピティヤにあるDVDショップに寄り、DVDを何枚か購入して、ぺターに寄って、クルタと言われる民族衣装を購入してからバススタンドに。
 疲れていたが、高校生のころの定期テストが終わった後みたいな妙な爽快感があり、買い物が楽しかった。

 ラトナプラに着いたら、もう夜であった。閉まる少し前の病院に駆け込んで、足の治療をほどこしてもらって、家に戻った。戻って直ぐパソコンに向おうとした。昨日も日記を書いていないし、準備しようと思ったが、眠気に負けた。爽快感はあっても、体は正直で疲労感がいっぱいだったようだ。パソコンを開いたまま眠り込み、夜中になっていた。
 メールだけチェックして、すぐに寝た。
2006年06月26日 (月) 01時41分 (556)

徹夜、獅子奮迅
ひでさん | MAIL | URL
6月21日(水)雨
 獅子奮迅。今日を評するとこんな感じだろうか。
 今日は、市役所、ポンパキャレー、報告書づくりと進んだ1日であった。
 昨日の遅れをどうしようか、そんなことは特に考えて動けなかった。何かバタバタ。ここ最近、いつもこうである。
 市役所に出て行き、まずは打ち合わせ。色んなプログラムが押し寄せているので、どれからさばいていこうかと話し合う。
 ポンパキャレーUSIP事業、料理教室、CAPワークショップ、後任隊員の赴任前調査、草の根無償事業申請、僕の送別パーティ各種…。優先順位から行くと、前の3つ。そして実は僕の今の優先順位1番は、明日に提出期限が迫った最終報告書づくり。
 ということで、ヘーリ、シャマルカとともに、前の3つについて話し合いから始める。そうそう、その前に。ヘーリとシャマルカの給料が無事にあがることになったようだ。長らく続いた給料闘争!?には終止符が打たれた。ホッと。
 まず、料理教室。これについては、場所の選定がイマイチあいまい。今のところ、押さえでヘーリの家。でもちょっと遠いので、近くの家がないか物色中である。月曜日に市の女性グループ、Minipura women welfare foundationのミーティングで最終決定する予定である。料理隊員に手伝ってもらう同プログラムはいいかげんにはできない。参加者の事前調査までやりたいので、月曜日は絶対のリミット。それでうまくことが運ばない場合は延期も視野に入れねばと思う。でも話し合える相手が来なければ話しにならず、月曜日までモンモンと過ごすことになる。得意??の仕事持ち越しである。
 USIP事業とCAPワークショップ。これは絶対に始めたい。話し合いよりも住民のところに押しかけねば始まらぬと午後訪問することに決めた。
 最後に後任の赴任前事前調査の件。住居の方は、僕の家をそのまま使ってもらうということで話を進めているので、これはOK。つづいてワークプランの作成について。29日に来訪する住宅建設省、JICAの調整員ともになるべく詳しいワークプランを描いて欲しいと思っている。しかし、僕らは絵に描いたもちのようなワークプランは有っても無くても一緒だと思っているので、できるかぎり簡略化しようと話した。状況によって変わってくる活動をクリエイティブに広げるためには無いほうがいいのかもしれないとさえ思う。でも、赴任後すぐに何かを始められるように、活動サイトだけは決めようと話して、3つの候補をあげた。これをいつレクできるかわからないが、市長やコミッショナー、副コミッショナーにレクしなければならないなあと話しあうも、どこか他人事。この時間のないなか、3人ともぐちゃぐちゃ混ぜ返されるのが嫌なのだ。しかし、やらなきゃならない儀式であるので、29日来訪の前にはレクをしようということにした。
 草の根無償事業については、黙ってやりすごそうと3人の中では合意した。積極的に僕たちの部門が動くことは無いだろうと思ったのだ。僕たちの部門で進めていく筋合いではないだろうということで、他のところ(市長とか)のアプローチを待とうということにした。
 送別パーティについては、たくさんあり、これがヘーリたちは一番熱心。嬉しいのであるが、僕は、それよりも他を…と思う気持ちもあり、申し訳ない気持ちもあり。
 とりあえず、今のところ、組み入れているパーティの予定であるが、Advance for women societyというヘーリたちと一緒に参加している女性グループの送別会が24日、Minipura women welfare foundation主催のが30日、ポンパキャレー自治会のが5日昼、前副市長の主催のが5日の夜。そして、日曜の日本語教室のパーティが2日。Mr.Separa主催のが23日、市役所公式の離任式兼パーティが7日、土曜の日本語教室のパーティが8日、そんなところであるが、まだ続々と増えていきそうな予感である。ありがたいことだ。

 ヘーリらと打ち合わせ後、エンジニアの見積書の作り具合やらを確認したり、雑談したり…。それで、お昼となった。連日の睡眠不足で、体はしんどかったが、居眠りをする暇はなかった。力を出すため、日本でならリポビタン!といきたいところだったが、こちらにはそんな重宝するものはなく、かわりに眠気覚ましの紅茶を市役所の食堂に2度飲みに行った。

 今日のお昼は別々。ヘーリたちはお昼休み、銀行に行かなければならないということであった。彼女達、何気に、銀行からの借金が多い。額はそれぞれ2万ルピー(約2万円)くらいを何箇所も借りている。総額もたいしたことはなく、破産するほどでないものの、いつも利子の支払いに追われてもったいないなあと思う。これがこちらのやり方なのかどうかは、知らない。借金嫌いの僕だから思うのか。
 いつもの飯屋でお昼ごはんを食べ、何か物足りなかったので、スーパーに行き干しブドウを買って食べた。ついでにアイスも食べた。睡眠を食で補う作戦X??
 干しブドウを食べていると、当然のように知らない人が手を出してきて、僕も当然のように分け与え、雑談して帰ってきた。

 午後は、ヘーリとポンパキャレーに行き、世帯調査について説明した。今回の世帯調査は自治会からシンハラ語の読み書きの達者な5人を選び、手分けして行ってもらうことにした。僕たちも付いていくことを想定していたが、時間も限られ、それは任せることにした。
 質問票がシンハラ語で出来上がっているので、質問を1つ1つ、改めて説明していく。予定外であったのは、来るときに質問票を持ってこられなくなったことだった。印刷屋さんに行くと、昨日、洪水があったので、印刷機をすべて退避させてしまい印刷できなかったという。そう言われてしまうと仕方がないが、説明できないので、無理をお願いして1つだけプリントアウトしてもらって持っていった。
 住民代表たちからはそれほど質問がでなかった。
 世帯調査の説明を終え、住民負担金の未収金の方の回収について話を向ける。まだほとんど進んでいないというので、そこはヘーリが一喝した。
 どうして?
 住民たちは口をつぐんだが、雰囲気で彼女達がちゃんと回収の必要を分かっていると判断したので、世帯調査とともに回収を終えるように言い渡して話を先に進めた。
 次の話題はCAPワークショップ。
 どこで、ファシリテーターを誰がして進めるのかを話し合った。結局、住民全世帯に声をかけても来るのは半数だろうと読み、一番大きい自治会役員の家に決めた。公民館も借りられるが、公民館では、紅茶をどのように出すかが問題となった。
 ファシリテーターはヘーリがやることになった。外部から招聘することが有意義かもしれないが、それだけの余裕が今はない。USIPからダヤナンダさんが来られるようなら、彼に任せることにしているが、おそらく九分九厘来られないだろう。
 最後は5日に予定している僕のパーティの件を話す。これは僕はとても居づらい話であるので、話には加わらず子ども達と遊んで待っていた。
 すべてが終わって、ヘーリと市役所に戻った。

 市役所から、家に戻ってきてからは、最終報告書の作成に精を出した。まず、プロローグで2杯、コーヒーを飲んだ。
 それから、作成すること、ずーーーーっと。結局、出来上がったときには、朝6時前となっていた。眠い!でも行かねば。提出に。すぐにバス停に向う僕であった。
2006年06月26日 (月) 01時41分 (555)

雨は報告書日和?
ひでさん | MAIL | URL
6月20日(火)雨
 今日は集中豪雨がラトナプラに押し寄せた。朝から雨がひどい降りようであった。
 今日は何をしようかと考えて準備をしている内に、雨が強くなってきたので、少しだけ様子を見てゆっくりと市役所に出向いた。
 気になっているのは最終報告書の作成である。他に市役所内の事務作業も確認しなければならないことが多いのであるが、それは二の次の感じがある。
 昨日、日記に書いたように余裕と手のひらに書いて一飲みして市役所に入った。今日は、連絡がなかったのであるが、ヘーリもシャマルカも休みのようで11時まで現れなかった。僕は、エンジニアの動向やら、副コミッショナーの動向を確認したうえで、最終報告書作成のため家に戻ることにした。
 雨が激しいので、サイト訪問もできないし、ヘーリたちは休みのようだし、丁度いいと思い判断した。何だか活動を置いて家に帰るのが後ろめたくもあり、仕方ないような気もして、複雑な感じだった。無断欠勤??一応、顔は見せているし、何人かにはレポート作成にどうしても必要だから御免ねと断ったんだけど。

 家に雨に濡れながら、戻った後は、すぐに最終報告書の作成に取りかかった。しかし、今までと同じようになかなか軌道に乗らない。おかしい。自分はこんなに文章を作るのが苦手だったのかなあなんて考える時間が長い。パソコンに向うけれども、遅々として進まない作成作業にイライラして、気分転換に洗濯をしてみたり、外を覗いてみたり、ベッドで昼寝をしてみたりとよそ事ばかりに精を出してしまった。さすがにお昼を回り、これでは駄目だと焦ってきた。朝、大家さんから昨日もらったご飯をしっかり食べたので、昼食は必要なかったが、雨が小降りになったのを見計らって、外出することにした。足の手当て先を濡らしてしまったので、アロカ病院の受診を行った。その後、帰国時のお土産のサロマを三着買った。そして、お腹が減ってきたときにつまむのに、パンとランブータンを買った。それだけ済ませて、家に戻った。
 この外出の間に耳にしたところによれば、小規模の川の洪水があったようである。夜から朝にかけて、さらに上流部分で雨が降り続くようだと大きな川の洪水に発展しかねないと警戒の声があがっていた。怖いことである。要注意!
 家に戻り気持ちを改めて、最終報告書の作成に取組み、6時間ほど熱中できた。おかげで、ようやく第一稿が出来上がった。
 再度読み直し、文章構成に取りかかろうとしたが、既に11時を回っていたので、明日に作業をまわすことにした。明日には何とか校了できそうである。今日の頑張りで22日の提出が現実に見えてきたようである。少し焦る気持ちが減ったような…。もしかして、今のストレスの原因は、活動が忙しいことというよりも、最終報告書が書けなかったことなのかもしれない。
 雨も不幸中の幸いとなることもある。
 明日は、気分を新たに、1日分の活動の遅れを取り返す勢いで頑張りたいと思う。

 そういえばいつもは休みの連絡を寄越すヘーリがどうしたのであろうか?親友としては、最終報告書の方に頭が行き過ぎて、確かめもせず、ひどく冷たい対応だったと反省している。ヘーリ大丈夫なのかな?心配だ。
 それから川の洪水がどうなったのか?こちらも心配である。
 今、雨は降っていないようなので、大丈夫そうだと信じたいが、ここラトナプラの洪水は上流の雨が引き起こすものであるので、上流の地域がどれだけ雨が降っているのかにかかってくる。さあ、どうなのか。
 今日も遅れ気味であったので、明日こそは時間通りに市役所に行くことがまずもっての目標である。気分よく1日をおくるために不可欠な気分の良い朝を良い天気とともに迎えたい。
2006年06月21日 (水) 04時25分 (554)

分刻み、時間刻み?
ひでさん | MAIL | URL
6月19日(月)くもり一時雨
 今日は、30分スリランカ社会の時間が変わってしまった。以前、この日記でも紹介したように、サマータイムではないけれど30分時間が遅くなった。何故だかはよく知らない。そして、そのまま社会は動いていたわけであるが、今日から学校も官公庁も始業、終業時間が30分繰り上げられた。つまりは体内時計は全く以前と一緒にされるわけであるが、どうしてかはまたわからない。バスの運行時間も30分繰り上げられているらしい。体内時計は4月以前と同じとは言え、2ヶ月も慣らされた後、変えられるので混乱はある。いつもより30分だけ早く出ただけでも何だか眠いなあと思いながら市役所に出て行った。ヘーリに言わせれば、僕はいつでも眠そうだということだが(笑)。

 市役所は今日もいつもと同じように動いている。ゆっくり。時間の流れは変わらない。
 僕の時間はいつもよりも早く刻みたくて刻みたくて仕方がないというように、ぎこちなく流れていく。いつもの流れに身を任せ状態ではないのだ。帰国までのカウントダウンが進むに連れて、やるべきことを終わらせるため、だんだんタイトになるスケジュールに、ちょっと急いているのである。ちょっとどころではないかも。
 この時間の流れの違いが何とも気持ちが悪い。帰国は僕の側の勝手な話で、それに市のスタッフたちを巻き込むことは身勝手でできない相談だとわかっていても、イラついてしまいそうになる。だから、他の人に嫌な思いをさせないように、今日はできるかぎり自分から仕事をこなすように動いていった。初めからその心積もりであった。
 市役所に付いてから、手早く、今日の動きをヘーリに報告した後、住宅ローンプログラムの撮影した写真の現像に行き、印刷を頼んである調査票を回収に行った。
 写真の方は問題なく焼きつけることができたが、印刷するべき調査票の方は、まだ印刷ができていなかった。印刷を頼んだ場合、一度は原稿確認、校了チェックが必要だということを忘れていた。そういえば、そう言われたような気がして、舌打ちしたが後の祭りで、とにかく急いで、原稿を市役所に持ち帰り、修正箇所をヘーリらとチェックして、再度印刷所に持っていった。この手際の悪さで、今日できあがると思っていた調査票は明日の夕方にできあがることになってしまった。
 ここで既に予定が狂ってしまった。今日、明日で調査を終了して、明後日にはUSIPに送付したかったのであるが…。仕方ない。来週初めに遅れて送付することにしよう。

 つづいて市役所でエンジニアに工事見積書の作成状況を確認する。今週中には必ず仕上げなければいけないものだ。こちらはスムーズに確認が取れた。何度もエンジニアルームに顔を出し、作っていることを確認した。明日くらいにはできあがるだろう。これは事業費算定の基になるもので、後回しにできないものなので、ホッとした。
 午後、ヘーリとともにポンパキャレーに行って、住民側の準備状況を確認し、催促すべきところを催促してきた。住民負担金の徴収状況の確認。ほとんど徴収できていないことを知っていたので、催促したという方が正しいであろう。工事同意書を結ぶ日の打ち合わせ、CAPワークショップの打ち合わせ、5日に行うジャナルクラと市との話し合いの打ち合わせ、僕の送別会の打ち合わせをしっかり行って、水曜日の再訪を約束して地区を後にした。

 市役所の方は、30分始業が早まっているので、終業も早まっている。急いで戻ったが、終業時間は過ぎてしまった。閉まりかけている市役所で、少しだけ事務をしてから家路に着いた。

 途中で、アロカ病院に寄り、足腐れ病を診てもらった。土曜日に受診した際、今日再訪するように言われていたからだ。今日も、傷を消毒して、薬を塗るだけだと思っていたら、診てくれる先生が変わってしまい、傷への薬だけでなく、抗生物質を飲むように言われた。今回は1日に4回、食後3回+寝る前という、今までより多く飲むことを要求された。抗生物質は強いので、嫌だなあと思いつつ、足腐れ病でも、熱出しても、もう休めない状況に追い込まれているので、素直に先生の指示に委ねようと思い、何も言わなかった。
 仲良くなった看護師さんたちと談笑しながら、入念に傷を消毒してもらい、薬を塗ってもらった。仲良くなったおかげでサービスか、何人もかかりきりで、処置してくれる。ありがたい!?雑談も途切れず、サンダルでサイトに行くし、動き回るので、濡れてしまうのは仕方がないと僕は思っているが、何故濡らしたのかとしきりに注意された。みんな年下であるが、子どもを扱うように接せられてしまう。
 次は水曜日に来るように言われた。不思議なのだが、傷の処置をする看護師さんたちに次の受診日を言われる。つまりは、傷の消毒などが2日に1度必要だからなのだが、普通はお医者さんから言われるべきものなのになあと思う。

 家に帰ってから、家の賃貸契約の終了のことについて、大家さんと話し合った。後任隊員が入ってくれるようなので、その後のことも話し合わなければならなかった。

 すべてが終わり、早く終えなければいけない最終報告書の作成に入ったが、なかなかこれは進まない。いくら書いても、次から次へと書きたいことが現れてくるし、修正したくもなってしまう。とにかく、早く第一稿を完成させて、文章吟味に入りたいところであるが、いつになるのであろうか。
 明日も忙しくなりそうだが、笑顔を忘れないようにしたい。手のひらに余裕と書いてひと飲みして1日を始めようと思う。
2006年06月20日 (火) 03時14分 (553)

シャマルカの家に日本語教室
ひでさん | MAIL | URL
6月18日(日)くもり一時雨
 今日は、ゆっくり眠っていた。自分の家に居るような錯覚を覚えて、ずっと眠っていた。何度かヘーリの下の息子が様子を伺いに来ていたらしい。僕と遊びたかったようだ。
 朝、9時を回り、朝ごはんの準備ができたところで、ヘーリに起こされた。
 昨日も食べたインディアッパとマンニョッカを食べた。お腹は常に腹いっぱい状態でもう何だかおかしくなっていた。それでも食べられてしまうところがすごいなあ。

 10時になり、今度は招待されているシャマルカの家に向う。
 昨日のお泊りもそうであるが、一応、僕の送別パーティということを兼ねているので、招待はしっかり受けなければならない。
 シャマルカの家はヘーリの家よりもさらに山の方にあり、ずいぶん郊外になる。この日しかなかったのは、軍隊に入っているシャマルカの旦那さんが21日で帰るためで、僕を歓待できるのは今日のみであったのだ。
 シャマルカの家は、今、改装中という感じで、台所を工事していた。まだ、水道がひかれていないので、汲んで持ってくるという手間の必要なけっこう面倒な台所であったが、そこでたくさんの料理を作ってくれた。
 旦那さんが帰ってきても、身重であまり料理しないシャマルカが今日ばかりは腕を振るってくれた。これは感謝しなければならない。
 2時間くらい、シャマルカの子供達、ヘーリの子供達と遊んで過ごした。まだシャマルカの子ども2人は小さいので、言葉も満足に出せないが、体を一緒に動かして楽しんだ。言葉には出さないが、子どもながらに来客を喜んでいるようで、2人ともはしゃいでいた。ヘーリの下の息子と娘は、ここではお兄ちゃん、お姉ちゃんであるので、昨日よりは大人しく遊んでいた。
 ご飯を食べるときはシャマルカのお父さんも混じった。家の改装工事が進められており、それにシャマルカの旦那さん、バンダーラさんは付きっ切りなので、会話らしい会話をすることはないが、不器用で、物静かなバンダーラさんは精一杯、僕らに気を使ってくれた。朴訥な感じのバンダーラさんには、いつも思うが好感が持てる。よくしゃべるシャマルカとお似合いである。この旦那さんにこの奥さん。似たもの夫婦ならぬ、大助花子夫婦である。

 腹は感覚がおかしかったかもしれないが、食事はおいしかった。しっかりいただいた。
 ありがとう!何度か言っていると、僕はありがとうばかり言うと笑われてしまった。なので、ありがとうと言うのは、気持ちがいい、素直に感謝することが好きだと言うと、一堂が感心してくれた。

 忙しいのであるが、次の予定があるので、食べ終わってすぐにヘーリの家に向った。そして、シャマルカの家で記念写真を撮るのを忘れた。ああ、最後のチャンスが。
 次の予定は、僕は正直、もういいかなあと思っていたが、お寺で行われる日本語教室への参加である。僕が良くても、ヘーリの参加意欲が後押しして、参加することになった。
 ヘーリの家を経由して、子供達をおろし、街に出て、バスを乗り継ぎ、教室が開かれるお寺に向った。
 お寺では、既に生徒がやってきており、久々の僕の参加をまず喜んでくれた。授業はいつものとおり、お坊さんが読み書き発音を教えるスタイルで2時間行われた。ここでは授業は僕に任されることはない。時折、意見を求められたりするのに答えるだけである。2時間は流れるように過ぎた。不思議と眠気は来なかった。
 授業を終える前に、帰国の予定を告げると、送別パーティを開かねばいけないという話しになった。それで、また、本堂の方へ連れられて、ティやお菓子をたくさんご馳走になった。これが一応の送別パーティだろうと思うのであるが、生徒たちには、もう一回、来訪してくれるように言われたので、帰国前にもう一回、7月2日かなあ、参加しなければいけないようだ。別れを惜しんでくれる人とのひとときは大切であるし、心に染みる。来る前はもう良いかなだったが、参加しておいて良かったと思った。
 それにしても送別パーティづくしで、忙しいが開いてあげようと思ってもらえることは、有り難いなあと思う。

 家に帰ってきて、さすがに疲れて、すぐにベッドにもぐりこんでしまった。もちろん夕飯は食べない。食べられない。朝ごはんも要らないだろう。2日で4日分は食べた感じである。

 明日からはまた忙しい1週間が始まるから、しっかり動けるようにしたいと思う。足は…そんなことは言っていられそうにない。それでも、病院は受診するつもり…。
2006年06月19日 (月) 02時38分 (552)

期待に応える!!
ひでさん | MAIL | URL
6月17日(土)くもり
 今日は起きたら、また足が腫れていた。正確には傷のところが白く吹いていて大きくなっていた。やっぱり放っておいては駄目だと、朝、アロカ病院という家の近くの小さなプライベート病院に寄った。
 スペシャルですか?普通ですか?そんなふうに聞かれて普通ですと答えた。何だか変だが、僕にシンハラ語が十分に伝わらないと思い、専門医か、常駐医かと聞くのを簡略したようだ。
 普通の方に行くと、患者さんはまばらだった。よかった。順番はすぐに回ってきて、傷を見せて、今まで飲んだ薬も見せて、説明をした。
 新しい薬を出してくれるのかなと思ったら、しばらく消毒して、薬を付けるというのを病院でやろうということになってしまった。抗生物質はそんなに飲まないほうが良いとも言われた。それは、最もだ。思えば、膀胱炎と思っていたのも副作用ぽっかった。薬が切れたら、きれいに症状も切れたのだ。膀胱炎もヘーリらとの間では、雑談の笑いに何度か利用できたが、痛いのはいただけない。そこまで体を張る必要は無い。治るなら何でもいいので、通院することになった。
 消毒などの処置は医師ではなく、別室の看護師さんたちがしてくれた。
 これからお世話になるので、サービス精神を発揮して、自己紹介や雑談をまず行った。少しではあるが、うたも歌った。初診の病院でうたを歌うのは、おそらく日本では考えられないことであろう。そんな時間を過ごしていると次の処置の患者さんがやってきたので、病院をあとにした。次の受診は月曜日。

 病院受診がことのほか時間をかけずにできるという幸先の良いスタートを切ったが、起きるのが遅かったため、ポンパキャレーの会議には遅れてしまった。すでに会議は始まっており、ひととおり各グループの現況報告が終わったところであった。
 問題点の洗い出しを終えて、対応策を練る。
 これらを指導する女性開発銀行のメンバーのアイランガニーさんの目下の目標は、ポンパキャレーの人々の自立であり、口がすっぱくなるほど、自分達でどうするかを考える習慣をつける必要を説く。マイクロファイナンスの仕組み自体は、もうメンバーに浸透しており、特に疑義は生じない。しかし、お金を返さない人が居る場合とか、メンバーが減少してきたがどうするかとか、外部の人に相談したい場合がまだ多いようだ。見ていると、日々の問題をアイランガニーさんに愚痴って、同調を求めている場面が多い。しっかり力と知識は付けているので、あとはポンパキャレーの人自身が経験を積み、自信を付けていくことが必要であろう。
 それで、今回の僕のここでの役割である、女性開発銀行のここの取組みと市役所をつなぐということについて、途中で話題として挟ませてもらった。話し合いの場に付くことこそがまず第一歩。市長から出向いていくことは考えられないので、いつものようにレターを出してもらって、市役所に出向いてもらうようアイランガニーさんに請うた。いつもよりもプッシュが強いのは、僕の活動期間がもう残り少ないということだ。延ばし延ばしにできないということで、真剣に日にちの設定まで行った。7月5日。
 手帳を見て、日を繰っていったのであるが、ぞっとするほどスケジュールが詰ってきた。身動きが取りづらい。何せ、一つのことをやり遂げるのに、準備が必要であるが、その期間が取れない。どうなるのであろうか。なるようになるか、と言い聞かせ、次の予定に向けて、中途退席させてもらった。

 次の仕事は、住宅ローンプログラムの証明写真撮影。これももう手伝えないだろう。たぶん最後の撮影になる。そんなことを思いながら撮影した。いつもなら雑談をして過ごすところ、後に予定が詰っているので、いささか急いで、街に戻った。
 今日の夕方からお泊りの予定であったが、朝電話があって、今日はお昼に法事があるから、お昼すぎに来るようにヘーリから言われていた。
 街まで完全に戻らずに近道をしたのがまずかった。失敗だった。
 三輪タクシーに出会うことがなく、最後まで歩きとおす羽目になってしまった。時間も超過、気分も急いて、普段は使わない三輪タクシーにこれほど乗りたかったことはこれまでそれほどなかっただろう。汗だくになった。

 ヘーリの家に辿り着く手前で、既に法事の家に向うために、ヘーリ家族が待っていた。挨拶もそこそこに法事の家に行った。内容をよく聞いていなかったが、三回忌法要らしかった。この前、ダーネを手伝った、自治会の役員の家の法事で、是非、僕にも来て欲しいと言われたらしい。
 大きな家でたくさんの人が出入りしていた。
 読経が一通り終わると、食事。色んな人にたくさん食べることを薦められて、たくさん食べてしまった。期待されるとそれに応えようとしてしまう。バランゴダの隊員に言わせれば、自らコントロールをしなければいけないというが、なかなかコントロールは難しい。
 腹が重くなったところで、子供達の要望に応えて、一緒にクリケットを楽しんだ。しっかり走ることはできなかったが、子供達は皆僕へのコーチになった気分で楽しそうであった。僕は小さなコーチたちに囲まれた、唯一の生徒のようであった。

 汗もばっちりかいて、ヘーリの家に行った。足をぬらしてはいけないので、水浴びは遠慮して、タオルをぬらして、全身を拭いた。汗くさくなっていた体が蘇ったようであった。
 昼寝と休養をとるようにヘーリは配慮してくれたが、下の息子は僕を離してくれない。ここでも期待に応えて、ずっと色んな物を見せてもらったり、スリランカ式おはじきのキャロンをはじいたり、生徒になった気分で色々と教えてもらった。望まれればうたも歌った。
 そんなことをしていると、夜になり、上の息子が帰ってきて、3人きょうだい勢ぞろいで、また僕を歓待してくれた。歓待疲れを見せることもなく、ずっと子どもの世界で楽しんだのであった。
 夕飯は、インディアッパを食べた。ヘーリが僕のために好物のかぼちゃのカレーを作ってくれた。午後のティータイムもあり、食べ通しでお腹が空いていなかったがしっかり食べてしまった。ここでも期待に応えた僕…コントロールは?

 旦那さんが帰ってきてから、夜10時ごろ、また法事の家に行った。子供達は家でお留守番。夜中じゅう続けられるという、読経にしばらく加わるために行くのである。たってのご招待に応えないわけにはいかない。
 読経ってなんとも眠気を誘うように平坦に行われるのであろう。1時間半ほどして、読経が一段落して、ご飯の時間となった。もちろん、強くご飯を勧められたがさすがにこれは食べることができなかった。もうコントロールとか腹いっぱいという状況ではなく、これ以上入れると腹が壊れるという感じであった。ヘーリもさすがに食べられないようで、断っていた。壊れても、一人だったら食べてしまったかもしれないなあ。
 で、断っていたら、色んなおかしが出てきた。それまで断るわけにはいかず、ひととおり、ひとつずつ食べることにした。

 来客たちが帰りだしたので、その列に混じり、ヘーリの家に戻るともう子供達は眠っていた。旦那さんも読経の途中で帰ってしまったようで、先に寝ていた。
 僕は長男の部屋をあてがわれて、一人で眠ることになった。しっかり疲れていたので、すぐに眠ってしまった。
2006年06月19日 (月) 02時37分 (551)

しょちょう、おいわい
ひでさん | MAIL | URL
6月16日(金)晴れ
 今日は、結婚式かと思っていたら、そうではなくて、娘が初潮を迎えた祝いの食事の振る舞いを受けるということであったらしい。自分のシンハラ語もまだまだだと実感。というか、あまり説明を受けてなくて早合点してしまっていたのである。

 朝、市役所に出て行って、仕事をしようと思ったら、雑談の輪があり、しばらくそれに加わった。どうもMOHという職階の人が入ってくるらしい。この職、略称しか知らないが、健康関係の仕事をする偉いもの。何をみんなが話していたかというと個室をどこに用意するかというようなことであった。ただでさえ手狭な市役所なのに、新たな個室は用意できないので、誰かを出して、個室を空ける必要があるのだ。
 うーーん。活動期間さえもっとあれば何らかのプログラムで連携をする人ではあるが、もう僕が一緒に活動することはないだろう。関係するとすれば、僕らの居る個室がどうなるかと言うことになる。ヘーリがここも手狭で場所を提供することはできないことを切に説明して、狭くなることはなくなった。
 その後、USIPに要求されている調査のための調査票をどうするかを話し合った。直後から印刷機で作成を依頼していたが、色々仕事が詰っているらしく、なかなか作ってもらえず、時間ばかりが経ってしまうから、策を練ったわけである。簡単な結果で外注しようということになった。費用は自治会もちで。勝手に決めていい物かと僕は心配したが、ヘーリはポンパキャレーのプロジェクトのためなのだから自治会が出すのが当たり前だと勝手に納得していた。それでいいのかなあ。それで市の責務は果たせるのかなあ。
 新しい職員もいいが、コピー機、ファックス、電話、タイプライター、これら基本の機器のメンテナンスをしっかりしなきゃなあと少し愚痴をこぼしながら、黙り込んでしまった。最近の僕の悪い癖で、腑に落ちないと黙り込んでしまうのだ。ヘーリは少し気にしていたみたいだった。しかし、この結論しかないのも最もで、今はスケジュールを予定どおり進めていくために、時間のほうが惜しい。明日、ポンパキャレーに行き、僕が住民には事情を説明しようと思う。

 続いて、市長に呼ばれて、草の根無償事業申請はどうなったと問われた。正直なところ、エンジニアが後ろ向きな申請については、あまりやる気が起こらず、僕らもどうでもいいと考えているが、市長はそうではないようである。エンジニアは今も気乗りしておらず、工事の見積書は作るが、申請に対して積極的に関与はしたがっていない。プロポーサル作りから説明、申請については、僕らにやるように言っている。
 今回の申請について、そこまで中心的に関与するのは、嫌なので、このままゆっくりして逃げてしまおうかと思うけれど、後任にツケが回るのも申し訳ないし。だいたい採択される勝算はとても少ないようにしか思えない。口八丁で取ってしまうと逆に自分達の首を閉めることになるだろう。
 相談に行ってあっさり断られてくることも必要なのかも。でも今となってはそんな時間はもったいない。

 結局、午前中、バタバタ話し合いやらをしているうちに、過ぎていった。
 で、僕とヘーリは二人で、印刷ショップにより、調査票の印刷を頼んで、昼食の振る舞いを受けに行くことにした。
 印刷は意外に高かったが、時間を取って注文した。
 そして、お昼ごはんをたくさんもらって、また、歩いて帰ってきた。途中で、ヘーリがお父さんに買ってやった携帯電話の領収書を取りにショップに寄り道をしていった。
 足がまだ本調子でないため、疲れがたまりやすく、疲れてしまった。市役所に戻ると地月曜日から来るMOHの部屋の準備でバタバタしていた。結局、別館2階の一部が選ばれたのであるが、そこには女性グループの保管庫が置かれていたので、撤去するように言われてしまい、僕らもその段取りでバタバタしなければならなくなった。
 29日のJICAの調整員たちの赴任前訪問の予定を告げに、市長、コミッショナー、副コミッショナーの部屋をはしごもして、気をいっぱい使って、気疲れというものにも襲われた。コミッショナーは新しい人で、初めて話すために、自己紹介が長くなってしまった。ぼそぼそと早口で話す人で、シンハラ語が聞き取りにくい人だなあという印象である。典型的なJOCVに対して誤解を持っている人でもあった。何のプロジェクトをしているんだ。新しいプロジェクトのお金をJICAから引き出せないかなどなど、JOCV=お金と考える人である。
 これから、後任も苦労しそうな感じであるが、今のところ、どれだけコミッショナーが影響を及ぼしてくるのかは不透明である。だからこそ、これからの残りの期間でコミッショナーの理解と支援を勝ち取らなければと思っている。その前提にわずかな時間ではあるが、仲良しさんにならなければと思う。

 ようやく席に戻ったときは、終業30分前。疲れてしまい、ついつい椅子で居眠りをしてしまった。ヘーリもどの仕事から手を付けようかと考えあぐね、とりあえず出来ることころからやろうと話し合った。2人の中では、草の根無償事業のプロポーサル作りは端っこに置かれた。

 明日は土曜日ではあるが、ポンパキャレーでマイクロファイナンスのマンスリーミーティングがあるので、それに午前中参加して、午後からはヘーリの家に遊びに行く。そして、お泊りさせてもらい、翌日、お昼に一緒にシャマルカの家にランチのお呼ばれに行く。その後、お寺の日本語教室に出向く。
 何とも予定がいっぱい。どうも、この土日は最終報告書づくりに勤しめない感じである。こちらも待ったなし。尻をたたかれている。簡単に書いて出すというのも、最後で嫌だし、しっかり書きたい気持ちが強い上に時間が取れない。ジレンマ。月曜日、早い目に帰ってきて報告書づくりに励もうと思う。
 体調は…。はあ、疲れた。
2006年06月17日 (土) 02時29分 (550)





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