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夢と笑顔のつれづれ日記


つれづれなるままに日々の感動、気付き、驚きを思いのままの綴っています。ひでさんのつれづれ日記のため、投稿は出来なくなっていますm(__)m


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ネット不自由者
ひでさん | MAIL | URL
帰国に際し、ネット契約を打ち切ってしまったので、帰国するまで更新できそうにありません。
このバタバタもまとめてちゃんとアップしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
2006年07月09日 (日) 19時55分 (569)

まったりとした市役所
ひでさん | MAIL | URL
7月4日(火)雨
 今日は朝から夕方まで市役所だった。
 ポンパキャレーのCAPワークショップの議事録作成とUSIP事業の事前調査のまとめに取り掛かり、1日中、そればかりやっていた。
 明日、USIP事業の第二フレーズを開始すべく起工式も僕の送別会と平行して行うという僕の魂胆は、どうもここ2日間続いている雨を理由に延期されそうな雰囲気である。おそらく、それは小さな理由で、大きな理由は工事を監督するコントラクターと市および自治会の契約書を締結することが今日までにできなかったからだと思う。
 準備ができなかったからじゃないか…と怒ることもできるが、帰国を前にした僕に心配をかけまいと雨のせいにしてくれたとも考えることができる。僕はあえて後者の考えを採用することにして、第二の魂胆、7日起工式の実施に向けて、動き出すことにした。今日は市長が居なかったので、明日提案しようと思っている。
 JICA事務所が設定しているコロンボへの任地変更(帰国に向けた引越し)は今日であるが、僕はぎりぎり9日までラトナプラに居る予定である。活動の締めに向けて、自分の時間よりも活動を大切にしたい。

 CAPの議事録の方は、午前中でできあがった。USIPの方は、調査票が多すぎて、どのように手をつけるか迷っている内に終わってしまった。ヘーリとシャマルカもお手上げという感じで、色々と僕のために厳しいスケジュールでがんばってくれている状況でもあるので、やりたくないという反応がよく見えた。
 個票の集計にコンピューターを使わないというのは非常に面倒であると感じた。明日、コンピューターで集計することを提案してみよう。

 お昼の時間は、残り少ない日々を大切にするために、お店で食べるのはやめ、弁当を買ってきて、3人で机を囲んだ。3人でこうして、あと一緒に食事できるのは、金曜日だけとなったなあと思うと、本当に時の流れの早さを思う。

 後任隊員への引継ぎの書類作りなどは、今日は取り掛かれなかった。ただ、これまでファイルできていなかった日本語で作成された書類などもすべて市のファイルに綴じ込み、これまでの活動の軌跡がわかるようにはしておいた。そして、帰り際に机の物をすべて整理した。これで、もう後任隊員に市役所の机は渡せる状況になった。

 シャマルカのお腹の出っ張りがだいぶ目立つようになり、服が出産用のマタニティドレスに変わった。シャマルカの第3子を見ることはできないが、元気な子を産んでくれることを祈るばかりである。

 帰路で、ランブータンとバナナを買った。今日も果物夕食だ。おいしくて帰国までこのペースはやめられそうにない。

 明日は、ポンパキャレーでの送別パーティ、セーパラさんの娘の初潮を迎えたお祝い会、元副市長主催の送別パーティという予定である。
 そして、明後日はコロンボでもろもろの帰国手続きと最終所長面談である。明後日はずっと僕のペースで働きづめだったヘーリとシャマルカの二人は休暇をとるようだ。
 明日は天気になってほしいなあ。
2006年07月05日 (水) 02時51分 (568)

CAPワークショップ
ひでさん | MAIL | URL
7月3日(月)くもり
 今日、目覚まし時計で起きた。疲れが溜まっていて危うかったからセットしておいたのはヒットだった。
 朝6時に起きて、準備し始めた。昨日の夜から雨が降り続いており、朝、憂鬱な感じであった。
 市役所には余裕をもって着けたので、しばらく机の整理を行い、必要な書類をファイルに移す作業をした。だんだんと片付いていき、机も後任隊員に渡せる状況になりつつある。
 そんなふうに朝バタバタしているとシャマルカ、ヘーリの順にやってきて、CAPワークショップに向う準備が整った。
 CAPワークショップとは、Community action planの略であり、スリランカで長らく行われてきた計画づくりワークショップである。今回のCAPワークショップは簡易なバージョンで変則である。本来は関係する団体、個人が一堂に介して、プランづくりを行っていくが、関係団体のスタッフの参加はなく、住民だけで2003年に行ったCAPワークショップのおさらいみたいなことをやろうという趣旨であるため、半日の短いバージョンである。ファシリテーターも招聘せず、ヘーリが行う。
 ここのところ行事が続いていて、十分に準備状況を確認していないので、ヘーリもシャマルカも、CAPワークショップができるように準備されているのか不安な様子であった。僕も正直なところ、ちゃんと準備物が整っているのか、住民が集まっているのか、それは非常に不安であったが、信じたかったというのが本心である。努めて不安な様子を見せなかった。
 とにかく早く出ようとヘーリらを急かせて、スリーウィーラーを拾い、途中、リッチモンドホテルでアヌラーダプラ隊員と落ち合い、ヘーリとシャマルカ、それにアヌラーダプラ隊員とで先にポンパキャレーに向ってもらった。僕は別便で、コッテ隊員を迎えに行った。スリーウィーラーにさすがに5人乗るのはしんどく、シャマルカが身重でもあるので、2台で行くことにしたのだ。
 僕とコッテ隊員は少し遅れて会場となる自治会のメンバー宅へ到着した。しかし、住民は見事に集まっていなかった。模造紙も購入されていなかった。
 やはり………。

 結局、待つこと1時間。見学に来た2人の隊員に悪いことをしたなあという思いと、まだこんな感じの住民の意識でしかないんだという現実に直面して、やるせなかった。待っている1時間、いつもの柔和なモードはどこへやら、僕はだんまりモードであった。こんなときどういうふうに対応するのが良いのか、やはり怒らなきゃいけないか、最後なのに嫌だなあなどと頭で考えながら。
 だんだんと住民も集まってきて、模造紙も準備され、始まったのは予定の9時をはるかに過ぎて、10時半ごろであった。
 ファシリテーターのヘーリが始める前に、お説教をした。
 「この集まりようは何?自分達で地域改善しようという意識がないのなら市として支援できない。嫌ならもうプロジェクトは終了する。」
 元来、人のよさが出てお説教が苦手なヘーリも今日はしっかりお灸をすえた。

 ワークショップの最初は地区内の問題列挙から始めた。人数がそれほどでなかったので、グループ分けはしなかった。
 地区課題、計20個を列挙したころには、住民もワークショップに熱を入れるようになっていた。
 ここで、アヌラーダプラ隊員は任地に帰らねばならないため中座。アヌラーダプラはバスで6時間以上かかる。遠いところを来てくれたのに、遅れてしまってほとんど見てもらえなかったのは申し訳なかった。
 参加者にコーヒーが振舞われ、一息ついて、20個の問題に優先順位を付けた。そして、各問題について、どんな対処を誰がいつ行うかを決めていく。本来なら「誰が」という部分も大切なのであるが、今回は関係団体が居ないので、自分達がどうするかを中心に議論した。
 1 土地権利譲渡の問題、2 家の修繕の問題、3 排水路の整備、4・・・。
 議論は非常に良かった。
 特徴的には、まだ受身な姿勢が抜け切れていないポンパキャレー地区の特質もあり、主に市などにやってもらわなければどうしようもない課題が上位に来た。どういうことかというと、不登校児童の問題や、就職難の問題など大事ではあるが、自分達で対処を主に行うものは優先順位が低かったのだ。住民の連帯が薄い、自治会の活動が充実していないという僕としては一番だった課題は17番目だった。
 他の機関に対処してもらわねばならない課題については、リクエストレターを作るとか、プロポーザルを作るなどの対処案が出されていった。
 まだ本当の意味で、自分達で何とかしようという気持ちが芽生えていないので仕方がないが他力本願である。これは今の時点は仕方がないとも思われ、一歩、一歩改善していくしかないであろう。
 嬉しかったのは、17番目の課題への対応策として、毎月28日に、自治会の定期総会を開くことになったことだ。記録もしてあるので、これを約束事項として、実現させていくのは、今後の活動(後任の)の有効な方向となるであろう。
 すべては記録して、住民の行動プランとして約束された。
 プチCAPワークショップはこうして終了した。
 終了の挨拶をファシリテーターのヘーリとこれが実質上の最後の活動となる僕から行った。二人とも市ができるのは支援だけであり、支援をしていきたいが、やる気を見せてもらうことが前提であることを再度、口をすっぱくして述べた。
 僕にとっては最後の活動ではあるが、もう一度5日に開いてもらう送別パーティの機会もあるので、今日の挨拶は感謝モードには敢えてしなかった。

 市役所に戻って、食事を4人で囲んだ。そして、早速、CAPワークショップで約束してきた僕たちが行うべき確認事項をMOHやエンジニアに確認して回った。また、副市長が市役所に居たので、Minipura(女性グループ)の保管庫とホワイトボードを移送するため、副市長の公用車を貸してくれるようお願いした。市長や副市長らとの距離が近いことがラトナプラ市役所の良いところである。何でも気軽に頼める。それでも頼むときは、ヘーリらは臆して躊躇するので、もっぱら僕の役目である。
 快く副市長はOKしてくれて、借り出せることになった。副市長が何時、出かけるかわからないので、すぐに準備に入った。ご飯をゆっくり食べる暇はなく、せっかく来てくれているコッテ隊員と感想やら意見を交換する暇もなかった。バタバタバタ…保管庫を運び、車に乗せ、ドライバーに交渉し…。
 僕は後をヘーリらに任せて、コッテ隊員をバススタンドまで送っていった。
 バスは運悪く来ておらず、待たなければいけない状況になった。そのまま1人にするのはかわいそうなので、待っていようとしたが、ヘーリらに呼ばれて、配送を手伝うことになったので、僕だけ先に戻ってしまった。朝から見送りまで、バタバタしていてコッテ隊員には本当に申し訳ない。

 配送を無事に終えて、市役所に戻って、一息ついたら、すぐに終業時間となってしまった。今日もせわしなく時間が過ぎていった。
 CAPワークショップの議事録づくりが残ってしまったが、それには取り掛かることはできない。明日仕上げなければいけない。
 ヘーリもシャマルカも、僕の活動期間が残り少ないので、僕が休まないと休まない。一緒に過ごそうとしてくれている。気持ちはありがたいし、予定を狂わせて申し訳ないけれど、仕事は進んでいくのもこの時期ありがたい。

 明日は、実質、市役所で事務を執る最後であるので、CAPワークショップのまとめ、USIP事業の開始準備、後任への引継ぎ業務の整理、住宅建設省への報告の作成…事務作業をすべて終わらさねばならない。
2006年07月04日 (火) 01時38分 (567)

パーティはしご
ひでさん | MAIL | URL
7月2日(日)晴れ
 今日は午後1時まで予定がない。しっかり眠るぞ!と思って気合入れていたのに、6時には起きてしまった。でも眠い。起きるなら起きる、寝るなら寝るでビシっとしたかったのに、できなかった。グダグダしてしまった。最近のハードスケジュールで相当疲れが溜まっているようだ。
 気がつけば10時半。そろそろ起きて、街中へ買い物でも行こうかとしているところでヘーリから電話がかかってきた。ヘーリは旦那さんのお兄さんの家でホームパーティに参加しているはず…。今日はそこの娘さんの初潮を迎えたお祝いの宴なのである。僕は1時からのパーティがあるので参加予定にはなっていない。
 電話で、僕を招きたいと言っているらしく、ありがたく招待を受けることとなった。あわただしく用意をして、迎えに来てもらう待ち合わせ場所のスーパーまで出かけた。
 すでに車で兄が着いており、僕をゲットして、すぐに家に行った。まだ来客はパラパラ程度、子ども達が広い庭で遊んでいた。僕もスリランカのおはじき、キャロンをはじいて遊んだり、ヒンディミュージックにあわせて踊ったりしていた。
 明日のCAPワークショップを見学するべくラトナプラで滞在中のコッテ隊員も合流して、一緒に語らいあった。アットホームな感じで、招いてもらった僕は、楽しくやるのが役目なので、楽しく賑やかにしていた。
 ご飯もしっかりとおかわりして食べ、2杯、水牛のヨーグルトも食べた。
 コッテ隊員も満足してくれたようである。昨日の腹痛は良いようであった。

 時間はすぐに経っていく。予定されていた送別パーティには遅れると電話を入れておいたがそんなに遅れるわけにはいかないので、ホームパーティの方は中座さしてもらった。向うバスの中では、眠気が襲い、わずか10分くらいだったのに落ちてしまった。
 日本語教室の生徒の家に着いてみると、料理がたくさん用意してあった。僕がかぼちゃのカレーが大好きだと言ってあったので、しっかり用意してくれていた。
 腹はいっぱいだったが、その好意へ応えようという思いとおいしさで、普通にいっぱい食べてしまった。腹がそれこそパンクしそうになったが幸せだった。
 ヘーリとコッテ隊員はさすがにそれほど食べられなかったようだ。コッテ隊員の方は、腹痛がぶり返し大変そうだった。調子に乗って、コッテ隊員のご飯をおかわりしてしまった僕は反省がいっぱいである。明日、謝ろう。
 このパーティには、先生である和尚さんもやってきてくれて、たくさんのお土産を持たせてくれた。ワルニ、ピユミ、それに家族に和尚さん、ヘーリ、コッテ隊員、みんなに囲まれて、本当にいいひとときであった。
 パーティのはしごは、体には負担だが、気分的には悪いものではない。別れ際、これが最後かーという思いがふっとよぎり、無性にさみしくなるのをのぞけば、非常にありがたい時間である。
 この人たちには日本から絶対にお礼状を出さなければいけない。要チェック。

 コッテ隊員をゲストハウスまで送り、家に帰ってきてから、さすがに疲れがどっとあふれ出て、ベッドに倒れこんだ。そして夜までグー。そして起きて今。
 これが悪循環で、また夜更かししてしまう。明日のことをイメージしたりして起きていてしまう。こういう夜ももうそれほどないので、それもいいかな。
 明日はポンパキャレーでCAPワークショップともろもろの打ち合わせを行う。気合を入れて、笑顔!
2006年07月03日 (月) 01時39分 (566)

料理で思い出づくり
ひでさん | MAIL | URL
7月1日(土)くもりのち晴れ
 今日は料理教室。
 朝起きたら、頭が痛かった。風邪か、それとも昨日、1杯だけ飲んだアラックによる二日酔いか。すぐに鎮痛剤であるパナドールを飲んで、ぼーっと1時間した。
 催促の電話をもらい、料理隊員たちとの待ち合わせのバススタンドに出向いたが、彼女達から起きたばかりだろうと寝癖を見ながら指摘されてしまった。起きて1時間経つことを説明したが、果たして信じてもらえたのだろうか…。
 コッテのユニット隊員と合流して、4人でヘーリの家に向った。
 以前から、お客さんになってあげたかったポンパキャレーの住民が運転するスリーウィーラーに乗車して向った。5日の起工式のことを広めるために、自治会の役員でもある彼とヘーリを引き合わせ、3人で話しておきたかったということもあった。その思惑もちゃんと果たせたのでよかった。
 9時半ごろ着いた。そのときには、Minipuraの三役を含め、既に10名程度の人が集まっていた。ヘーリの家は市街地から少し離れており、どれだけの参加者があるか不安であったが、それは見事に解消された。そして、シャマルカが到着した丁度、予定の10時ごろから始めた。
 今日の料理教室では、女性グループの人たち(みんな裕福な家庭ではない)の所得向上のために、売れる料理の講習を目的とされていた。それで、料理隊員の協力を得て、企画を作り、考えて、日本の「おかき」の作り方を実習することとなっていた。
 講習用のセンターなどはないため、ヘーリの家を使わせてもらったのだ。
 開始に際して、各自、自己紹介をした後、ホワイトボードを使って、レシピの説明と質疑を行った。それから、実際の製作に入っていった。
 僕たちJOCVとヘーリ、シャマルカをのぞいて、最初は8名だったが、どんどん参加者が増えて、実習に入るころには、20名を数えた。さすがに広い台所のあるヘーリの家とはいえ、全員でやるのは難しいかなあということで、班分けも考えたのであるが、時間のこともあり、いっぺんにやることにした。
 作り方自体は単純なので、いかにみんなに覚えてもらうかということにピントを合わせて、作業に参加者を巻き込みながら、講習は続いた。さすが、いつも講習している料理隊員は馴れたもので、進行は素晴らしかった。
 僕はと言えば、始まってしまうと役目は終わり、記録写真を撮ったり、参加者の様子を見て、疲れている人のフォローなどに回った。なるべく邪魔にならないようにということだけに気を配った。
 出来上がりをみんなで試食して、終了。本当の成果は彼女達がこのおかきを自分達でアレンジして販売商品にまで仕上げられるかどうかを見極めないといけないのだろう。しかし、僕はこうも考えている。今日の参加者たちは、本当に楽しそうにレクチャーを受けた。僕はこの良いひとときで、Minipuraの絆がまた深まったと考えており、これだけでも成果と言えると。そして、さらに今日、蒔いた種が実を結べば、もっと良いなあと。
 僕にとって、気持ちのいいMinipuraの人たちとの最終プログラムとなった。このフォローはヘーリたちや後任に任せることになる。
 今日のひとときをほとんど寝ずに演出してくれたヘーリ、気持ちよく協力してくれた料理隊員、参加して熱心にレクチャーを受けてくれたMinipuraの人たちに感謝しなければいけない。

 街に戻り、4人で食事して、エッラ見学に行く2人を見送り、コッテのユニット隊員とポンパキャレーを訪問した。
 ポンパキャレーで、3日のCAPワークショップ、USIP工事の現状、ジャナルクラの住宅ローンプログラムの問題点などを話し合い、サイトの人たちと談笑して、街に戻った。
 コッテの隊員と少し早い夕食を取って、ゲストハウスまで送り、家に戻った。コッテの現状や活動上の悩みなどの話を聞いていて、答える僕を冷静に見ている僕が居た。どこかで、そうやって悩める時間があっていいなあと羨ましい気持ちがあったように思う。
 いつもはしっかりと食べることのない夕食を二日連続で食べて、腹が重たい感じである。

 明日は、お寺の日本語教室の送別会である。ヘーリはもしかしたら参加できないかもしれないと言っていた。それは残念であるが、明日も良い思い出づくりをしたいと思う。
2006年07月02日 (日) 01時43分 (565)

大送別パーティ…挨拶アワアワ
ひでさん | MAIL | URL
6月30日(金)晴れ
 今日は僕の送別パーティ。Minipura women welfare foundationの面々が用意してくれるもの。今までで一番大きなパーティに、僕も気合を入れて!?カッターシャツに革靴を履いて向った。
 朝、僕は今回は主賓だし、準備でバタバタしているところに顔を出してもいいのかなとちょっと迷いながらも、待つことができず、いつもと同じ時間に出かけてしまった。スリランカ的には主賓に気を使わせるのはよくないことかもしれない。けれど、準備から住民と共に過ごす方が僕らしい。これまでもシュラマダーナと言えば、無駄な動きが多いからでもあるけれど、誰よりも服を汚しながら、笑いを誘いながら一緒に住民と居たのが僕。最後も、一緒にパーティを作り上げていくことを僕が望んでいるんだから、僕らしくていいかと自分で納得して、最後なのにバタバタ動いた。まるでスタッフだった。
 住民はそんな僕を見て、もう咎めることもない。微笑をたたえて迎えてくれる。これが僕と住民たちが築いてきた信頼関係の成果かと思った。

 パーティは市長の待ちのため、20分くらい遅れ、10時20分くらいから始まった。結局、市長は現れず、副市長が来てくれた。それに4人の市議も顔を出してくれた。
 挨拶がいくつかあり、市から、この女性グループから、別の活動グループからと3箇所からの記念品をもらった。
 お礼の挨拶では、真っ白になり、何も言えなかった。言葉が出なかった。かろうじて「ありがとう」を何度も言った。
 その後、歌、踊りがいくつも行われた。僕のために行ってくれている。思わず、それらを見ながら、ここまで歩んだ2年間を思い返してしまった。胸がつまった。

 1時前に終了になり、そこからは、僕はまたスタッフのように動き始め、ヘーリたちに注意された。そして、記念写真用の記念パネルのように、何枚も記念撮影に同席した。今日ばかりは主役なのである。

 すべてが終わり、昼食を買ってきて、ヘーリたちと一緒に食べた。そして、余韻に浸る間もなく、1日の料理教室プログラムの打ち合わせと、月曜日のCAPワークショップの打ち合わせ、それに、USIP工事の具体的な起工日についての話し合いを行った。USIP工事の起工については、僕が居る内に行いたいと考えている。そうでないと先延ばしされるかもしれないし、心配だから。それだけは拘りたいとエンジニアに話して、5日のポンパキャレーでの僕の送別会のときに起工式も一緒に行ってしまうことにした。そこには市長も招く予定になっている。

 すべての調整を終えてから、ヘーリが兄の娘の初潮祝いに贈る金のペンダントトップを選びに行った。金はスリランカ人が非常に好むものである。ここでは指輪でもペンダントでも腕輪でもピアスでも金である。プラチナは見ることは無い。だから金の装飾品を扱う店はたくさんある。その中の一つに初めて踏み込んでみて、金に囲まれる気分を味わってみた。
 金、金、金…。気分は悪くなかった。しかし、自分で付けたいと思うものはなかった。プレゼントに選ぶセンスもないから、お土産にはちょっと…。

 夕方、明日の料理教室のためにラトナプラ入りしたエンビリピティアの料理隊員、見学のアヌラーダプラの村落隊員と合流して、中華料理に舌鼓を打ち、どかどかとホテルの部屋まで押しかけて、語り合ってから帰った。
 帰ってからは疲れがどーーーっと出て、メールだけチェックしてすぐに寝てしまった。
2006年07月02日 (日) 01時42分 (564)

後任隊員の赴任前調査同行
ひでさん | MAIL | URL
6月29日(木)晴れ
 今日は朝方、寝不足で、のどが痛かった。何に興奮していたのか!?、朝方4時まで寝付けず、部屋の片付けをダラダラとしていた。本当はもっとシャキシャキして、終わるはずだったのに、つれづれ日記を書いた後も、荷物を再整理始めたりして、だらだらやってしまった。
 のどが痛いけれど、遅れるわけにはいかない。今日は準備をしなければいけないものもある。
 市役所に定時8時半に着いた。定時に着くと、他の人はまだほとんど来ていない。だいたい30分遅れが普通である。いつもは僕もそのペースであるが、今日は違う僕が居た。頑張ろうと踏ん張り!?が利かない。のどが痛いし、鼻水もグズグズしはじめた。気分もよくない。
 それでも準備に取り掛かった。何をしようとしたかというと、僕が作らなければいけないレターの準備であった。
 僕たちJOCVユニットのメンバーは自由に使える小口現金を住宅建設省からもらっており、12月に精算する。しかし、年度途中の帰国をする僕は帰国前に精算をしてしまわなければいけない。返還金もあるので、住宅建設省を訪問して行わなければならないところ、今日、住宅建設省から副ディレクターとアシスタントが来るので、持って行ってもらおうと画策したのだ。それに加えて、第二四半期の英文活動レポートと最終報告書のコピーを持って行ってもらうつもりにしている。
 帰国までスケジュール目白押しで、コロンボに行く日が惜しい。
 小口現金の方は、領収書とカバーレターは準備したので、後は現金を封筒に入れ、一セットにまとめるのみである。第二四半期レポートもOK、最終報告書も封筒にセットした。
 つづいて、JICA事務所に持っていってもらう書類を準備する。
 こちらはヘーリの日本でのカウンターパート研修のリクエスト。規定では、カウンターパートと半年以上活動を共にしたJOCVが推薦できることになっていて、僕は推薦できても後任はしばらく推薦できないことになっている。通常では7月に募集がある。まだ本部から募集要項が届いていないが、時間がないので、去年の様式で作って、提出準備を行った。実は、去年もリクエストしており、駄目だった。今年はリベンジ。で、時間がなく、去年の申請書をそのまま使った。何も変えていない。希望がコロコロ代わるようでは、信頼感が薄いから変えなくていいんだなんて、1人納得しながら準備した(手抜き?)。
 募集要項も届いていないのに、無謀であるが、ヘーリの希望も通してあげたい。日本に行ける可能性は極めて少なくても、希望があればさらに生き生きと生活してくれるだろう。その姿が僕は嬉しい。

 そんなことをしていると、ほどなくシャマルカとヘーリがやってきた。ヘーリが珍しく遅かった。子どもが調子悪いようだ。
 シャマルカは、すぐに、昨日選んだ僕への記念品を買いに街へ出て行った。会計からお金をもらったようだ。早い処理!すごい!ヘーリも明日の送別パーティの音響などの手配やら準備に精を出した。この部門には僕は手を付けない方が良さそうなので、僕は自分の記念の書類をラミネート加工するために街に出て行った。

 市役所に戻る前にあまりに体調がよくないので、食べなければと思い立ち、ロティとマールパンを食べた。しっかり食べ、生姜入りのジンジャーティを作ってもらい飲んだ。少しは良くなるかと思ったがそんなに甘くはなく、体調は悪いままだった。
 市役所に着いてほどなく、JICA事務所のコーディネーターが到着した。赴任前調査の開始である。まずは後任が入居予定の家を見に行く。つまりは僕の家を見に行く。ヘーリらに昼食を一緒に取ろうと告げて、出かけた。
 家自体の安全性はOKなので、大家さんへの挨拶と入居条件の確認、衛生携帯電話の室内アンテナと室内固定台の取り外しが仕事である。もう一つ大きな仕事、コロンボの隊員連絡所に持って行ってもらう僕の荷物の積み込みがあった。これ、一番大事。
 衛生携帯電話の取り外しについては、スリランカ人運転手に任せて、まずは一番大事な仕事である荷物積み込みを行って、その後、調整員と僕は大家さんの家に入って行って、話し合いに入った。最初は状況確認と雑談が主で、ケーキとコーヒーを出してもらった。そして、徐々に核心に入り、家賃の話となった。僕が入居してから電気料金の高騰とそれに伴う物価高があって、大家さんは家賃を上げたい意向である。初めからの想定どおりで、どの辺で手を打とうかと調整員と僕で話し合っている。そして、まずは大家さんの希望を聞き、法外でなければ、それで手を打とうという事にしていた。しかし、大家さんは人が好いのでなかなか、どれくらいならいいのかを言ってもらえない。いいにくそうに、やりとりを続ける。こちらからもどれくらいならいいのかとはっきりと言い切れなくて、じれったい商談が続いた。
 最終的に電気代、水道代として、毎月1500ルピーを支払うことになった。予想の範囲内で、これで手を打つことにした。

 ひととおり話を終えてから、僕の家の方に戻り、中の確認写真をたくさん撮った。治安上の問題で、僕が居る内に一度、ラトナプラに後任を招きたいと思っていたが、どうもそれは叶わないようである。それで、しっかり色々な写真を撮っていってもらうことになっていたのだ。
 衛生携帯の方の取り外しは概ね終わっていた。僕たちの話し合いが終わったので、次は運転手が大家さん宅に招かれ、ケーキとコーヒーを戴いていた。概ね衛生携帯の取り外しは終わっていたのであるが、固定台のネジ後をパテで埋める作業が残っていた。運転手は話に入ってしまったし、仕方なく、調整員と僕とで作業をすることになった。一生懸命やるが、悪戦苦闘した。出来上がりは、60点くらい!?
 午後の市役所での業務打ち合わせ会議に間に合うよう、ご飯を食べないといけないので、焦っていた。ま、いいかの心情で、作業を終えて、ご飯に向った。

 ヘーリとシャマルカを市役所で乗せて、レストランに向った。チョイスしている暇もなく、外来客といつも行く店に行った。
 そして、いつものスリランカ料理をしっかり食べて、会議開始の1時半ぴったりくらいに市役所に戻った。
 住宅建設省から、副ディレクターたちは既に到着しており、ほどなく会議室に向った。
 会議には、市から、副市長、コミッショナー、MOH(ドクター)、副コミッショナー、CDO、カウンターパート3人、それに僕が参加した。それに住宅建設省の副ディレクター、プログラムアシスタント、調整員というメンバーである。
 話は予想をしていなかった方向に進んだ。ひとつひとつの僕らが考えているプログラムを話すのではなく、いかに大きなプロジェクトを取ってきて実施するかという話となり、盛り上がったのだけれど、不安を感じさせた。
 副市長もコミッショナーもMOHもJOCVを知らないので仕方ないのであるけれども、最初に会う人、会う人、誰もが示す、どんなプロジェクトをするのかという反応が見えたからだ。この反応は、後任を苦しめかねない。僕たちは、予算を持っているわけでもなく、プロジェクトをひっぱるために居るのではない。ハード整備も時にはするけれども、住民のエンパワメントを主な目的としているのだ。そこをはっきりさせねばならないと思うのであるが、それは言葉だけではなく行動で主に示す外はなく、後任の仕事となっていくだろう。まずはよい人間関係と理解を作り出すことが先決だろう。
 もちろん、僕たちがプロジェクトをするのではなく、市として必要なプロジェクトなら協力する立場にあるのだということを強調しておいたつもりではある。

 その後、後任の活動予定地3つを順に回って行った。
 まずはポンパキャレーを見た。後任もここがメインサイトになることであろう。
 つづいて、ピタラウムパーラへ行った。ここは手付かずである。まずは様子見から入るしかないが、今のところ、どのように手を付けていくかは見えない。手探りからスタートだ。
 ここで、遅くなってきたのと、運転手の調子が悪かったので、住宅建設省のメンバーは帰路についた。
 最後にラトナプラ市のごみダンピングサイトのあるカナードゥラに行った。ここは、とにかく、ごみダンピングサイトをなんとかしなければならず、プロジェクトの模索と平行して関わっていくこととなる。

 全部終了したのは5時を回っていた。予定よりも2時間ほどのオーバーとなった。僕も疲れたのだけれど、調整員たちは帰路もあり、もっと疲れたことだろう。事故を起こすことなく帰ってくれること、それに僕の荷物をしっかり届けてくれることを祈るばかりである。

 家に帰って、洗濯をして、がらんと空いてしまった部屋でゆっくりした。がらんと空いた部屋はいつもより大きく見えた。
 明日は、Minipura women welfare foundationの主催パーティである。踊りあり、歌ありで出し物いっぱい用意してくれている。しっかり疲れをとって楽しみたいと思う。やっぱり少し恥ずかしいので、泣かないように頑張りたい。
 そういえば、お昼ごはんを食べた後くらいから、調子が戻った。のども痛くなくなった。怠け病だったんだろうか??明日も笑顔と元気で頑張ろう!!
2006年06月30日 (金) 01時42分 (563)

買出し
ひでさん | MAIL | URL
6月28日(水)晴れ
 今日は、アヌラさんの家から出勤した。いつもよりも2時間ほど早い出勤で、いささか眠かった。いつもは朝もっと眠っている息子が起きてきて、見送ってくれた。
 ラトナプラ市に入ったところで、警察がたくさん出て、何かを捜索している様子に出くわした。後で知ったのだが、爆弾の捜索だったようだ。学校に爆弾が仕掛けられたという情報が入り、捜索していたとのこと。結局、爆弾は見つからなかったのだが、この騒ぎの中で、爆弾が見つかったという噂が街に広がり、僕はJICA事務所に確認の電話を入れてしまった。
 それにしても、ひたひたと内戦再開の不安が迫っているようである。

 家に一度帰り、市役所に出て行って、ヘーリたちと1日の所得向上プログラム(料理教室)の必要物品の買出しに行った。本来、市の予算が出るはずなのだが、ここのところの財政難で、予算の支出はままならず、僕のポケットマネーを使った。別にお金を出したくないということではないが、市の事業との位置づけを大切にしたいので、もうちょっと余裕があったら、市長とかと掛け合いたいと思うところである。

 買出しのついでにか、この買出しがついでだったのかはわからないが、続いて、市から僕への記念品の購入に行った。
 「どれがいい?」
 聞かれるけれど、答えられない。予算もないのだろうし、無理もかけたくない。かといって、あまり要らない物では、邪魔になるばかり。欲しいなあと思うものは高い。ということで、どれでもいいとばかり言っていると、時間ばかりたってしまった。本人に欲しい物を選ばせるというのはコクだなあとヘーリたちに後で冗談まじり言っておいた。それは結構、本音だけど、伝わっただろうか。
 僕が選んだのは、「ブドゥサラナイ」とシンハラ語で書かれた額であった。それにガーネットの腕輪と色んな石で作った腕輪。予算オーバーだったかどうか心配である。
 それに、いつ市の離任式が行われるのかはっきり聞いていないこと(たぶん、ちゃんと決まっていない)が心配である。予定目白押しだから。

 市役所に戻り、昼ごはんを食べた後、ヘーリは葬式の手伝いに行ってしまった。今日、市議会が行われていたため、市役所内は閑散としており、シャマルカとぶらーんとして過ごした。何とも、もったいない時間であったが、ぜいたくな時間でもあった。こんな時間はもう後残り少ないだろう。ヘーリは結局、葬式が長引いているのか、市役所に戻ってこなかった。

 夜は、明日、調整員来訪があり、帰りに荷物をコロンボに持っていってもらうことになっているので、その荷物整理に精を出した。ダンボール3箱と伝えてあるのに、まとめてみると、ダンボール5箱分くらいの荷物が出た。

 明日は、後任の赴任前事前調査だ。がんばろう。
2006年06月29日 (木) 03時32分 (562)

アヌラさん家にお泊り
ひでさん | MAIL | URL
6月27日(火)晴れ
 今日も、市役所デーとなった。最近、事務仕事が多い。打ち合わせも多いのだ。
 午前中、ポンパキャレー行きを予定していたが、自治会の役員が市役所を訪問してくれたので、それは取りやめとなった。
 この役員、パワーがありすぎて、いささか、最近暴走ぎみである。三役の中でも、ちょっと浮き気味。僕らにはそう見える。リーダーシップを力で発揮しようとするタイプっぽくて、住民に厳しすぎる感じである。気に食わないことがあると、強い口調になり、けんかみたいになってしまうので、ちょっと困っている。おまけに少しばかり、自分が得をしよう、利得を得ようとするところがあるものだから、住民からの信頼感も薄くなってしまっている。彼女の押しの強さや理解力などの能力は素晴らしいものがあるので、いい方向でサポートしていきたいと思っているところである。
 僕らは、今回、USIPの第二フレーズ工事を始めるにあたって、ポンパキャレー自治会に負担金徴収と事前調査の実施という課題を課した。これがいささか問題を生じさせてしまっているようだ。
 日本でもどこでも、非協力的な人、けちな人は居るものである。今回、負担金を徴収するのは、前回出し渋った人からであるので、なかなか徴収が難しいことは予想していた。予想通り徴収は難航している。
 もう一つの調査の方は終了した様子。後は集計を市の方で行なうことになるが、少しばかり時間がかかりそうな予感である。1週間とヘーリは言っているので、僕が居る内にはどうも無理そうだ。
 役員の来訪は、この徴収の難航の弁解と三役間の意見の相違の愚痴を言うのが目的であった。三役間のいざこざは想定外で、悲しい出来事である。

 ちょうど僕らは、後任隊員のワークプランを作っているところで、忙しくしているところであった。ヘーリは珍しく少しカリカリしていた。
 タイミングが悪かった。この役員がやってきて、状況説明と弁解をした後、愚痴が長いものだから、珍しくヘーリが嫌そうな素振りを見せてしまった。それでもなお役員は、しゃべり続け、愚痴をとおりこし、他の役員の悪口となっていった。
 そんなことを言っちゃ駄目だ!それまで黙っていた僕が話を切った。
 事務的に、もう少し徴収の努力をして、木曜日に結果を教えて欲しいと伝えて、ヘーリたちと作業に戻った。まだ話し足り無いという感じで、役員は不満顔。ちょっと失礼だったかなと思ったが、あまり三役間のいざこざに足を突っ込むと冷静な判断と支援ができないと思っての対応だった。
 どういう結果になろうとも、ポンパキャレーへの支援を打ち切るつもりはないが、少しずつでも、自治会および役員の彼女達に自覚を持って欲しいと願っている。それには何よりも核になる人たちが仲良くして欲しいのであるところであるので、残念な問題である。
 今回の課題は自治会にとって過大だったのだろうか。彼らだけでは難しかったのかなと反省をしている。僕が帰国するということで、奮起を期待していたのだけれど、そううまくは行かなかった。まだ失敗すると決まったわけではないので、希望をもって待とうと思う。そして、しかるべき手を打てればなあとも思う。
 3日に予定しているCAPワークショップの準備物を自治会に代わって購入しておこうと話していたのだが、こんな状態なので、実施の有無も含めて、改めて、役員そろい踏みの30日に確認した後にしようということにした。ポンパキャレー訪問も、29日まで見合わせようとヘーリと確認した。

 そんなことで、午前中の結構な時間を使い、残りをワークプラン作成とワークプランの合意の取り付けに費やした。
 だいたいの素案は、数日前、僕が作っていたので、それを元に議論を進めた。後任がのびのびと活動できるプランを目指したつもりだが、いささか細かくなったかなという自己評価である。これに沿って、市長やコミッショナー、副コミッショナー、住宅建設省の副ディレクター、それにJICA事務所の調整員の同席する場でワークプランの確認が29日に行われることになる。

 お昼を食べた後、ヘーリと外に出た。前副市長に以前申し出てくれていた僕の送別パーティの実施の有無の確認と、僕のお土産買いの手伝いのためであった。
 パーティは予定どおり行うこととなり、お土産は予定通り調達できた。
 午後、残りの時間は、30日の送別パーティの準備と確認に費やした。
 こうして、今日も1日の執務を終了した。

 執務終了後、僕はアヌラさんの家にお泊りするため、一旦家に戻り、荷物を整え、市役所に戻ってきた。夜、送別ホームパーティに招かれたのだ。昨日はむげに断ってしまっていたので、いささかばつば悪く、少しだけいつもより余計に元気よく、機嫌よく、市役所に戻った。
 アヌラさんの仕事も予定よりも遅れて、出発は遅れてしまった。
 アヌラさんの家に着いたのは、夜7時ごろ。途中、会う人、会う人に僕を紹介してくれて、僕も話しこむものだから、なかなか先に進めなかったのだ。
 家では、アヌラさんの1人息子と奥さん、お父さん、お母さん、近所の仲良しさんが待っていてくれた。食事の準備までに、子どもと遊んで、他の人としゃべって、わいわいガヤガヤとやった。楽しいひとときであった。
 ごはんもおいしいものであった。カメラを持っていかなかったので、楽しいひとときが記録できなかったが、心にはしっかり記録された。
 これで、また一つ帰国が近づいた気がする。
2006年06月29日 (木) 03時31分 (561)

女性グループの日
ひでさん | MAIL | URL
6月26日(月)くもり
 今日は市役所の日となった。
 市役所の日となると、いつもはゆっくりしたものであるのが普通であるが、今日は忙しかった。おかげで機嫌悪い?と聞かれる場面があり、自らの振る舞いを反省している。
 朝から昼までは、女性グループMinipura women welfare foundationのリーダーズミーティングがあった。
 ここ1ヶ月の収支報告を各小グループに行ってもらい、マイクロファイナンスの取組み上の問題をまず話し合う。その途中で、市議が入ってきて、しばし中断。この市議いわく、同グループへの補助金が州政府から出るはずだから確認するようにとのこと。それで、グループがざわめいて、三役が色んな人に確認に行ったり、電話をかけたり…。結局、名前が悪くて駄目だということになった。相談した人に名前さえ変えればもらえると言われているようだ。本当だとしたら、いいかげん。でも、そこまではねえ、スリランカでもないかなあと僕としては疑ってかかっている。
 雰囲気が少し悪くなって、またミーティングを再開した。延々と収支報告が続いている間、僕は茶菓子と紅茶を準備するために食堂に行ったり来たりした。この会には予算が少なく、ミーティング中の茶菓子と紅茶(スリランカでは必須)が出せない。そこで、僕のポケットマネーで出していたら、いつの間にかそれが習慣となってしまった。
 お金のことはどうでも良いのであるが、この給仕にかかる時間のため、ミーティングに身が入らないことが最大の問題である。
 やっとこさ、すべてを準備して、席に戻ったら、今度はアヌラさんから呼び出しがかかった。大家さんが訪問してくれていて、警察に出頭を求められたということであった。ここ最近、2、3回、警察の訪問を受け、留守だったものだから、近所の人から警察へ来るようにという伝言をもらっていた。それで、大家さんが今日、行ってくれて話を聞いてくれたのだが、僕がどうしても出頭してほしいらしい。調書でも作るのだろうか?最近の治安悪化につき、警察は僕を守ってくれると言っているらしい。はっきり言って、帰国間近でありがた迷惑。警察に守ってもらわなければいけないほど、ラトナプラの僕の周りの治安が悪いとは思えない。笑顔がなくなっていた。不機嫌この上ない気分だった。
 タイミング悪し!そこで、アヌラさんが今日、泊まりに来られるだろうと断言的に言うものだから、そんな急に言われて行けるはずがないと言い返してしまった。
 ここで不機嫌?と聞かれたのであった。不機嫌であったがそうは言えない。それでもめげずに明日、泊まりに来てねというところは、アヌラさんの愛嬌のあるところである。僕も気を取り直し、了解の意思を示して、大家さんには迷惑をかけたことをわびて、お礼も述べて、ミーティングに戻っていった。警察の方はJICAから話を付けてもらった。行かなくても良いらしい。行かない!
 ようやくミーティングに戻ったときには、収支報告は終わり、僕の送別パーティの話になっていた。30日に予定されるパーティはコロンボ他、遠くの関係者にも声をかける本格的なものである。各グループの踊りやら歌もあり、プログラムも大変おおがかりなものだ。
 記念品の打ち合わせやら、会費の徴収やら、僕が居ては気まずい話もあり、僕はとても居づらい感じであった。
 送別パーティの話が一段落してから、1日に予定している所得向上プログラム(料理教室)の話となった。これが僕が一番、気にしている話題である。今日はこれが僕の中のメイン。料理隊員の協力も仰ぐので、生半可なことはできない。迷惑をかけるくらいなら中止もあるだろうと計画の中止も視野に入れて話を聞き入った。
 話の方は非常にスムーズに進んだ。参加者は概ね好意的で、開催に積極性が感じられ、場所やら準備物の話もうまくまとまった。僕の意気込みは何だったんだろうと拍子抜けの感じで話が進んだ。明るい展望が開いた。それまでなかったプログラムの成功のイメージが湧いてきたので、一気に僕のやる気もでてきたのであった。これで、料理隊員にも自信をもってお願いできる。これは今日の一番の成果だ。
 お昼を大きく回って、ミーティングは終了した。
 ミーティング後、部屋を執務室に移して、三役を中心に送別パーティの招待状の発送とプログラムの作成にかかった。彼女達のメインは料理教室ではなく、送別パーティのようだ(?)。お腹が空いていたが、女性グループの人たちがご飯を食べないのに僕たちだけが食べるわけにいかない。作業を手伝い、話をして、時折訪れる来客の対応をして、ご飯にありついたのは2時半を回っていた。
 ご飯を食べた後も会計集計やら、挨拶の準備やら、女性グループの問題について話し合いが続いて、気が付いたら終業時間になっていた。結局、今日は女性グループの仕事のみで終わってしまった。
 USIPの第二フレーズ事前準備のフィールド調査と負担金徴収はどうも遅れているらしい。ポンパキャレーの方は、電話確認のみしかできなかった。本当なら催促に行って、手伝うところは手伝わねばいけないところであるが、行く暇がなかった。明日はこれがメインの仕事となるだろう。
 それはそうと、今日のヘーリとシャマルカは微笑ましく感じた。いいなあと思った。ご飯も食べず、作業を進める彼女達は頼もしかった。

 明日も元気に!
2006年06月27日 (火) 02時12分 (560)





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