| 日本の未来 モーニング娘。に学べ! 世界がうらやむヒットの秘けつ |
日経産業
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「モーニング娘。」を生み出したプロデューサーのつんく氏にヒット商品を生み出す秘けつを聞いた。 ―― 初めてプロデュースしたモーニング娘。が“大ヒット商品”となった。 「音楽は商品開発に似た部分があるかもしれないが、モノというより空間のようなもので、言葉では説明できない。ただ、根拠は全くなくてもヒットの自信はあった」 ――「ユニット売り」がユニークな手法だ。 「ボクだけのアイデアではなく、レコード会社などと意見を交わすなかで生まれた。そういう(共同作業という)意味では、商品開発と同じかもしれない。大ヒット商品が出たら色違いや姉妹品を出すような。ユニットとして切り出すことで『こんな子もいたんだ』『こんな風にも映るんだ』とモーニング娘。の幅が広がる。ボクの中ではアイデアが煮詰まらない原動力にもなっている」
――カテゴリー作った 「米国には『プロデュース買い』という消費行動がある。あるプロデューサーやあるレーベルの作品ならば何でも買うという消費パターンだ。モーニング娘。はモーニング娘。という『カテゴリー』に興味を示すファンをつかんだ。日本の音楽産業は少し堅いところがある。モー娘はインディーズ感覚でいいという気がする」 ――番組で開発過程をすべて見せることで、ファンを引き込んだ。 「あれだけやれば売れて当たり前と言う人もいるが、それだけではない。舞台裏を明かすことはアーティストの話題性にはなっても、曲のヒットに直接はつながらないからだ。テレビの持つ魔術かもしれないが、制作過程をカメラに映されているという意識は常にあって、それが(いい作品をつくる)刺激になる。あれだけ女の子達を映していく以上、結果を出さないと番組だって維持できない」 「ヒットの理由が楽曲の良さかと言えば、別の人が歌ったら売れなかったかもしれない。モーニング娘。のあの八人が歌ったから売れたのであって、グループ自体にエネルギーがある」
――エネルギーを維持するのは大変ではないか。 「彼女たちには、自分の才能や人との縁を信じてやっていこうといつも話している。ユニットがあることで『あっちも頑張っているから私たちも』という意欲もわく。この世界はシビアで、同じグループでも歌った瞬間にはっきり優劣がつく。八人いれば調子悪いときには八分の一以下になる。モーニング娘。で一人を集中的に映せば、残り七人の中には絶対におもしろくないと思う人間がいる。でも(ユニットの)タンポポがあるから我慢できる。それで精神的な余裕や責任感が生まれてくる」
――増員の狙いは。 「ASAYANがデビューまでを扱う番組だったので、デビュー後の娘。を番組に登場させるには、増員オーディションしかなかった。当初からのメンバーには不愉快に感じた人もいただろうが、後輩が入った途端にいくら教えられてもできなかったことが急にできてしまう。驚くほどの成長ぶりで、これは面白いなと思った」 普遍的な部分ある ――モーニング娘。の曲はいかにも歌謡曲らしい。 「ボクは、戦争もなく平和な日本が今の日本である限り、(どんな時代にも共通する)普遍的な部分があると思う。時代とともにメディアや通信ツールは変わる。音楽自体もジャンルが細分化されたり音符が変わるが、根本的に日本人が好む音楽はこの二、三十年変わっていないのではないか。ただ、懐かしいとか歌謡曲の再来とか言われるが、ボクがいま作る音楽のような音符、リズムは昔はなかった。その新しさに若い子達は知らず知らず反応しているのだと思う」
――ヒット商品開発に奮闘しているビジネスマンに何かメッセージは。 「もし責任者とか現場のチーフが部下より給料をもらってるのなら、その分、下にサービスしてあげるべき。モーニング娘。に例えると、人間はのっている時はすごい力を発揮するし、ボクも結局楽しめる。何の仕事であっても、その仕事を楽しむことが一番強いのではないか」
【モーニング娘。開発レシピ】 「モーニング娘。」という女性八人のアイドルグループをご存じだろうか。昨年は代表作「LOVEマシーン」が百三十万枚を超す大ヒットとなり、紅白歌合戦にも二年連続で出場した。芸能界に疎いお父さんも、カラオケで「ニッポンの未来は…世界がうらやむ…」という歌詞ぐらいは耳にしたことがあるかもしれない。実はこのグループのヒットの裏には、レコード会社やプロデューサーのち密な計算がある。ヒット商品開発のヒントがちりばめられた“モーニング娘。の作り方”に迫る。 「モーニング娘。」は九八年一月のデビューから二年で一気にスターダムにのし上がった。昨年九月発売のシングル「LOVEマシーン」の販売は百三十五万枚を突破。「モーニング娘。」から生まれた三人組の派生ユニット「プッチモニ」の新曲は初登場で二週連続チャート一位となり業界関係者を驚かせた。モーニング娘。とその派生グループはデビューから二年間でシングル十六作品、アルバム五作品、ビデオ三作品を発売、売り上げ累計は九百九万枚に上る。
テレビ東京系のバラエティー番組「ASAYAN(アサヤン)」のオーディションから生まれた無名の新人グループがこれだけの話題と人気を得た背景にはテレビの魔力がある。レコーディング風景や地方での営業の模様など、一般商品でいえば、デザインや研究開発にあたるプロセスを、テレビ番組の中で毎週のように露出させ、視聴者が感情移入しやすい状況を作った。
ASAYANの仕掛け人であるテレビ東京の佐藤哲也チーフディレクターは「仕掛けようという意識でなく、歌番組にドキュメンタリーの手法を取り込んだらこうなった」と話す。ASAYANではモーニング娘。のメンバーが泣くシーンが多い。仲良しだったメンバーが脱退したり、新曲でメーンのボーカルを担当させてもらえなかったりすると、メンバーは涙を流す。その傍らでは常に携帯用カメラが回っている。「彼女たちはカメラが回っていることを意識していない。素の表情がそこに出る」(佐藤氏)。
そもそもモーニング娘。はオーディションの落選メンバー五人で結成された“残り物”。CMとのタイアップ戦略などを駆使しデビューまでは力技で仕掛けることができても、そこからの成功物語は演出の枠を超えている。日本人特有の判官びいきと、稀有なサクセスストーリーがテレビを通じてリアルタイムでお茶の間に繰り広げられ、視聴者はいやでも感情移入を余儀なくされる。
テレビ東京の番組「ASAYAN」の「女性ロック歌手オーディション」の落選組5人で結成。全国のキャンペーン会場で5日間にCD計5万枚を売ることをデビューの条件にされ、97年11月にこれを達成、デビューを果たした。 当初メンバーは5人だったが、98年5月に3人が新加入。個々の活動もスタート、メンバーが演歌歌手としてデビューしたり、3人組ユニットを結成したりしている。99年4月にはメンバーの一人が脱退したが、同8月に1万1000人の応募者の中から新メンバーが選ばれ、再び8人編成になった。
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掲載日:00/01/01 |
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