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[928]「ボエーム」について(続きの3) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月07日 (火) 16時50分

 パリでの屋根裏部屋について私は詳しくは知りません。子供のころ「小公女」という少女小説を読み、その中で大金持ちの娘が父親の死で、学校の寄宿舎からいっぺんに屋根裏部屋に追いやられる話で、可哀そうで泣いたことを覚えています。 ともかく普通の人より一段低い階層の人が住む場所とされていたようです。 日本なら天井裏に当たるというべきかもしれませんが、通常は斜めになった壁に、やや上向きに窓が明いていて、下の景色が見えない。また階段も一般のと区別され別につけられることもあったと聞いたことがあります。 ボヘミアンもミミも、そうした屋根裏部屋に住む最低生活者ですが、日本のホームレスなどと違うのは、貧乏で自由な生活だが、同時に夢と希望があり、誇りを持っていることです。一見破天荒な行動もそのためで、ミュルジェもプッチーニもボヘミアン生活を経験したので、このオペラはそうしたボヘミアン生活を描いているのです。 ボヘミアンの最もよい仲間であるお針子のミミが、家賃の高い下の部屋に住んだり、通常のお嬢さんであってはいけないのです。 よくミミが純情可憐の乙女のように書いたものも見ますが、これも誤り。世の中のことは良く知っていて、しかもある意味の純粋さを保っている、これがプッチーニの「理想の女性」だったのです。
 
 オペラの舞台の部屋は、ボヘミアンたちの部屋と書かれていますが、四人が全部ここに寝泊りしているのではなく、恐らく借主はマルチェロ、そこにロドルフォが転がり込んできている状態だと思います。後の二人は、それぞれ別の場所の別の部屋に住んでいて、生活だけを、ここで共にしているのではないでしょうか。 原作では四人の住まいは全く別で、日日の生活だけを一緒にしています。そしてロドルフォだけが、マルチェロの部屋に転がりこみ共同生活をしたときがあるのです。
 オペラではこの部屋にベッドが一つと指定されています。べノアが来たとき、真っ先に「家主だ」と叫び、また積極的に彼と応対するのは常にマルチェロです。「三か月分は払ったよ」とどなるのもマルチェロです。借主はマルチェロと考えて間違いないと思います。 

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[929]明日レスつけます。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月10日 (金) 00時41分
いろいろと思うところがあります。週末までお待ちください。

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[930]男と女の違い投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月12日 (日) 07時46分
KG様、いろいろとありがとうございます。
私も、ここ何日間か「ボエーム」のことを考えました。そして、結局のところ、基本的な背景が分からない、ということにいやおう無しに気づかされております。

まず、「ボエーム」舞台は1830年代のパリですが、この時代のパリが、どのような町だったかが分かりません。フランスはそのときナポレオン時代が終わって、王制復古の時代になっていますが、社会・経済的には産業革命が進んで、工場労働者が出てくる時代だと思います。そのような時代にパリの住民とはどのようであったか。

このころ日本は江戸時代ですが、「江戸」はそのころ完全な男性偏重社会でした。参勤交代で江戸に出てくるのは妻子を田舎に置いた武士たちでしたし、地方で食えない百姓の倅たちは江戸に出て、大工や左官になります。すなわち、男であれば江戸には食い扶持があったのですね。しかし、女の職は何かあったかといえば、女郎ぐらいしか思いつかない。その頃の江戸で、若い娘の一人暮らしは、それがたとえ女郎であっても現実的ではないのですね。

そのような感覚でパリを律してはいけないのですが、ミミが一人暮らしである、というのも、かなり特殊な感じがします。産業革命で最初に勃興するのは繊維産業であることは歴史的事実ですが、そこで働くお針子たちが一人暮らしをすることは、経営的視点で見れば非常に効率が悪い。普通は寮生活をさせるか、住み込みです。私にも洋服屋の息子、という友達がいるのですが、彼のところでも1970年ごろまでは、若いお針子を3,4人いつも住まわせて、仕事をしていました。

ミミが一人暮らしをしている、という事実一つとっても、その時代のパリ社会の中でどういう位置づけか分からなくなります。

以下別項にします。

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[931]ミミは本当にお針子か?投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月12日 (日) 08時21分
とすれば、ミミは本当にお針子を職業にしていると考えてよいのか。勿論そういう設定であることは分かっております。しかし、ミミは自分の仕事を語ってはいない。「私の名はミミ」で、ミミは、
「私は家や外で麻や絹に刺繍をしています。心おだやかでしあわせで、百合やばらを作るのが慰めになっているのです。」と歌います。これでミミはお針子であることを示しているわけですが、これは職業のことかしら。これはミミの趣味のことを言っているだけではないのでしょうか? 仕事だったら、「心おだやかでしあわせで、百合やばらを作るのが慰め」にならないように思うのです。第一、お針子で生活しようと思ったら、「心おだやかでしあわせで」済む様な数の刺繍で済むわけがありません。そう思うと、ミミの本業は(お針子としての収入がゼロでなかったにせよ)他の商売だと考えた方が良いかもしれません。私が考えるのは水商売ですね。
水商売をしていたからこそ、ミミがロドルフォと分かれた後、子爵の囲われ者になれたのではないかしら。ただのお針子だったら、どうやって子爵と知り合えたのか。

ミミの話はここで置きますが、屋根裏部屋に関しても、よく分からないことがいくつもあります。当時のパリの標準的な建物は何階建てだったのでしょう。ロドルフォたちボヘミアンは屋根裏部屋に住んでいるのですが、何階の上の屋根裏部屋だったのか?。また、屋根裏部屋の下は何だったのか? やはり貸し部屋だったのか、大家の住居だったのか。
ベノアが家賃の取立てに乗り込んできたとき、ボヘミアンたちは3ヶ月の滞納があったわけですから、ベノアが同じ屋根の下に住んでいたとは思えない。とすれば、ボヘミアンたちの住む建物は、学生アパートのようなものだったのかしら。その中で特に安い家賃で住めるのが屋根裏部屋。ところで、そのような屋根裏部屋が一つのアパートに二部屋も三部屋もあるのが普通だったのでしょうか?

考えれば考えるほど、基本的知識に欠けるので、分からなくなります。

[926]「ボエーム」について(続きの2) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月05日 (日) 18時36分

 この本を皆が孫引きして「ボエーム」の誤った解釈をしていると私が指摘した本は、永竹由幸さんが1980年に書いた「オペラ名曲百科」(上)です。これは大変な労作で、この本が書かれたため、日本のオペラ界にどれだけ貢献したかわからないほどの名著ですが、なにしろ名作オペラを全部取り上げたので、中にはいろいろ問題もあるのは当然で、この本の価値を下げるものではありません。 しかし読む側は最初からこれは人間が書いたもので、万能ではないこたを知らなくてはいけないのです。
  
実はミミが下の部屋に住むと書いた本は、この本より前にもあります。 英語の本でも一冊見つけましたし、また日本では、1955年に田中良雄さんという人がデイスク社から出した「イタリヤ歌劇解説」という本に、「階下に暮らす美しい小娘」と書かれています。
 日本で戦前から最も権威あるオペラ解説書とされていた大田黒元雄さんの「歌劇大観」では、大正14年の初版から「同じ屋根裏に住む美しい娘」と書かれていましたが、恐らく大田黒さんは単純に、ミミが隣の部屋で蝋燭が消えそれで火をもらいに来た、と考えていたと思います。昔は殆どの日本のオペラファンは、そう考えていました。
 私は永竹さんが、「ミミは階段を上ってきたのであって、隣の部屋からきたというのはおかしい」と何かに書かれていたのを記憶しています。
 それからまもなく、あの本が出版されたのですが、そのとき私は、ミミが下の部屋に住むわけがない。パリでは屋根裏部屋は階段で結ばれているのではないかなどと真面目に考えたのです。随分考えた結果私は、ミミは自分の部屋から出て来たのではなく、自分の部屋に戻ろうとするところだったのだということに気が付いたのです。 そしてよく調べると、プッチーニは実に細かくしかも見事にそれを描いているのを知りました。 例えばアリアの「屋根の上と空を眺めながら」というのが屋根裏でないとしたら、どんな状況を想像できますか? 刑務所の部屋というなら分かりますガ。
 アリアの言葉など、普通のオペラでは毒にも薬にもならないことを言っているのが多いのですが、プッチーニは違います。特に「ボエーム」は実に詳細に書かれており、それだからこそ世界の代表的オペラとなったのだと思います。
 「最初の太陽が私のもの。 四月の最初の接吻が私のもの」というのは、一見何を詰まらないことを言っていると思うかもしれませんが、パリの冬の、毎日どんよりした暗ぼったい日が続くときから、初めて春の太陽を見たときの感激と、それが屋根裏の貧乏生活にどんな喜びであるかを考えると、やっぱりこれは屋根裏生活を意味するのだと、はっきりする筈です。 「最初の太陽、最初の接吻」が「私のもの」とわざわざ言うのは、本当に彼女が誰よりもそれが最初だからなのです。 これが、ミミが死ぬときのロドルフォの動きと関係しているということなど、私は随分してから始めて気が付きました。
 
 ミミが屋根裏の住人だと書かないのは、決定的な言葉が無いからだというのは、その通りだと思います。しかしそれと同時に、その人が、このオペラをよく知らずに、しかも台本をあまり見てないからなのです。 「ボエーム」があまりにも有名なので、却って良く知らないくせに知っているような気がしてしまうのでしょう。
 
よくミミが隣りの部屋というのは、それなら二人は知り合いの筈で、自己紹介はおかしいと言う人もいますが、私は二人は恐らく顔くらいは合わせた仲だと思います。だから蝋燭の火が消えたくらいで、火をもらいにきたのです。また二人が互いによくは知らないのは、今の日本のマンション生活でも同じです。そして、初めて自己紹介し合って直ぐに意気投合し二人が結ばれるのがおかしいと書いた人がいますが、最低生活だが自由気ままで、常に夢と希望、それに誇りをもって生活するボヘミアンたちなら極めて自然と思うのですが、あまり長くなったので、これはまた次回に譲らせていただきます。
 

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[927]屋根裏部屋の問題投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月05日 (日) 22時18分
KG様の思いを全部述べていただいてから、レスを付けるべきかも知れませんが。
一寸一言だけ追加します。質問です。
「屋根裏部屋」って、どのような部屋を言うのでしょう。これは、ミミが住んでいる部屋、というよりロドルフォたちが共同生活している部屋でいいと思うのですが。考えて見ますと、普通の日本人は、屋根裏部屋を知らないと思うのです。普通の日本家屋には屋根裏部屋はありません。ロフトのある家はありますが、日本におけるロフトは、4人が共同生活できる広さはないですよね。そのように考えると、我々は(少なくても私は)、「屋根裏部屋」がどういうものなのか本当のところ知りません。「屋根裏部屋」が何であるかを明確に定義できないと、議論が噛み合わなくなるような気がします。

KG様是非それを教えてください。

なお、本サイトは結構専門家の方もごらんになっているそうなので、永竹さんから本件に関するご意見を頂戴できるかもしれません。そうなればとてもうれしいですね。

[923]「ボエーム」について(続き) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月02日 (木) 20時35分

 今日はミミの部屋の問題について書きます。 
 まず結論から書くと、管理人さんがお書きになった三つのケースの1が正解であり、2のミミが「階下に住む」というのは完全な間違い、また3の同じアパートとか、近くに住むというのは、字面の上では間違いと言えないけれど、解説としては、やはり失格です。グローヴのオペラ辞典とか、メトが出版した「ボエーム」の本ではミミを neighbor と表現しており、またオペラでミミ自身が自分のことを vicina と言っています。(鍵を探しながら) どちらも日本語で近所と訳せないことはないけれど、普通はお隣りの意味です。 さらに決定的なのは、「私の名はミミ」のアリアの言葉です。原文は面倒なので訳だけで書くと、
「私はあちらの白い小さな部屋で暮らしています。屋根の上と空を眺めながら。 でも雪が溶ける時が来ると最初の太陽が私のものなのです。」
この言葉をよく見れば、彼女の部屋が屋根裏であることが一目瞭然です。 屋根裏部屋は、壁が斜めになっていて、通常は窓もやや上を向いており、下の景色は見えずに方々の屋根と空が見えるだけ。その代わりに春になると、いっぱいに日が差し込む。さらにここで重要なのは、彼女の部屋は東向きであること。 実はボヘミアンたちの部屋は、西向きである。何故かというと、ミミが死ぬ直前にロドルフォは夕日が差し込んでミミの顔に当たるのを避けようと、ムゼッタのショールをあれこれしているうちに、ミミが息を引きとると、楽譜のト書きに書かれているからです。そのお隣りのミミの部屋が春になると、どこよりも先に朝日が差し込むというのは、ボヘミアンの部屋は、家賃が一番安い西向きの屋根裏、ミミの部屋はその次に家賃が安い東向きの屋根裏なのです。
 
これだけいろいろあるのに、なぜ日本では、間違った解釈が横行しているかというと、1985年に出版された2冊から成る権威ある(日本では)解説書の中で、ミミのことを「階下に住む」と書いたため、皆がそれを孫引きするようになったからです。 下の部屋がおかしいと思う人も、「同じ家」ならいいだろうと書くようになったのです。 
 ではこの著者が何故こう書いたかというと、彼は、ミミが階段を上がって来たこと、彼女は当然自分の部屋から来たと思い込んでいたからです。 でもよく考えれば、まず、自分の部屋で蝋燭が消えたなら、普通は自分でまた火を付ける筈です。通常はマッチを使いますが、当時は火打石の時代です。でもどこの家でも火打石はあったはずです。またもし火打石が無かったとして、火をもらいに、わざわざ屋根裏まで来る人がいるでしょうか? おまけに彼女は体がよくないのです。何故近くの部屋に行かなかったのでしょうか。 オペラの中で彼女は自分のことを「ご厄介をかけるお隣りです」と言っていますが、自分の部屋から来たとは言っていません。管理人さんも言われるように、彼女は外から帰ってきて、自分の部屋に戻ろうとするところだったのです。その理由も彼女はアリアの中で仄めかしています。「私は家や外で麻や絹に刺繍をしています」  つまり屋根裏住まいで貧乏な彼女は、クリスマスイブにもかかわらず、仕事をし終わって晩に帰ってきたところだったのです。 廊下や階段には本来は常夜灯があるのですが、門番がケチで油の節約から、階段も廊下もまっくら。それでコリーネも階段を踏み外したのです。コリーネが「畜生、門番の奴」と怒ったのはそれを指しています。 パリの古アパートは、階段も磨り減ってつるつるだし、廊下も穴だらけです。 ミミは門番から蝋燭と鍵を受取って階段を上がって来たが、屋根裏に辿りついたところで下から吹き上げる風のため蝋燭が消えてしまい、もう危なくて自分の部屋まで行けない。そこでドアの下からかすかに灯りの漏れるボヘミアンの部屋をノックしたのです。 ミミが「息が、そこの階段で」と言うのは プッチーニの考えでは、彼女が外から帰ってきたことを説明したのです
。 そのために「階下に住む」と考える人が出ようとは夢にも想像しなかったに違いありません。なぜなら「お隣り」とはっきり言っているからです。 
 以上長々と書きました。まだ言い足りないような気がしますが、あるいは私が間違っているかもしれません。どなたでもご意見があれば、ぜひ教えていただきたいのです。また何故私が一見こんなに小さなことに拘るかについても、次回に申し上げたいと思います。

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[925]KG様のおっしゃる通りなのでしょう。多分投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月02日 (木) 22時54分
KG様
貴方の意見が本当なのでしょう。私はボエームというオペラがそれほど好きではないので、そこまでのめりこんで考えたことはなかったのですが、ミミの住む部屋は屋根裏部屋だと思っております。

しかしながら、「私の名はミミ」の歌詞からは、屋根裏部屋である可能性を否定するわけには行きませんが、屋根裏部屋でない可能性も否定できません。私も下の文を書くために「ボエーム」の対訳を確認したのですが、
「私は一人で、一人ぼっちであちらの白い小さなお部屋に暮らしています。屋根の上と空をながめながら。でも雪がとけるときがくると最初の太陽が私のものなんです。四月の最初の接吻が私のものなんです!最初の太陽が私のものなんです」
という歌詞は、彼女が屋根裏部屋に住んでいないとしても、そういう状況がないとは言えない、といわれたとき否定しようがないなあ、と思うのです。高崎保男さんだって小畑恒夫さんだって、ミミの部屋がロドルフォたちの隣の屋根裏部屋だと思っています。にもかかわらず、そう書かないのは、台本に決定的な表現がないからだろうな、と思うのです。ちなみに、「階下が間違いである」と断じている最初の間違いが起こした文献を教えていただければ幸いです。

[922]再び 「ボエーム」について 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月01日 (水) 15時48分

 早速管理人さんから、非常に立派なご意見をいただき、有難うございました。 このオペラの題名についても、前回私は「ラ・ボエーム」と書きましたが、これは意識して最近の日本での流行に従ったのであり、管理人さんがお書きになったように、ただ「ボエーム」と書くのが、日本語としては正しいと思います。
 まず、土曜日の指揮と演出についてですが、私は批評をしようと思って見ていた訳ではなく、また年寄りなので記憶も悪く、詳細を述べるわけにいきません。指揮は、近頃一般の傾向は、早いところはやたらに早くして、粘るところはやたらにねばって、メリハリを強調するのが多いのですが、今回の指揮は、もっと締めることが出来る1幕の出だしや2幕の頭などはごく普通のテンポで、しかも方々の遅い部分だけは充分にねばっているという感じだったのです。特に印象に残っているのは、4幕すぐのロドルフォとマルチェロの二重唱の後奏で、ここは割合にさらっと終わるのが、ドラマの上で余韻を残すのに、いかにも大げさに粘ったことです。 また第3幕終わりの4重唱の二組のテンポのかみ合いの面白さも、どこか中途半端になってしまった等等です。
 次に演出では、第2幕全体の難しい処理は感心するところが何も無かったし、1・4幕のボヘミアンたちの絡み合いも冴えたところが無い。特にいけなかったのは、4幕で、舞台上手で「外套の歌」を歌ったコリーネが、ロドルフォ越しに下手のショナールに向かい声をかけて呼び、この場を外すように勧めたこと。 ここは普通やるようにコリーネがそっとショナールに近づいて言うのでなければいけない。 その前のショナールの位置が悪かったと思います。
また、ミミが死ぬとき、ロドルフォが、窓かのところで日を遮る手段を講じているというのは、台本道りで結構だけど、装置が悪く、肝心の窓がずっと上手でしかも小さく、あれではかなり下手にあったミミのベッドに西日が当たることは絶対不可能で、何故ロドルフォが窓のところに行ったか、分からない。ロドルフォが、ミミのことを心配しながらも、なお彼女の死に気づかなかったという、クライマックスの悲劇が不明になった。 計画はいいが、あの装置を見たら当然動きを変えなければいけない。
以上私の感想で覚えていたことを書きさした。 ミミの部屋に就いては、私が前から考えていたことなので、もっと詳しくいろいろと書けると思いますが、今一寸時間が無いので、明日か明後日に書かせていただきます。











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[924]「ボエーム」について投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月02日 (木) 22時24分
私は、「ラ・ボエーム」と書くのがめんどくさかったので、「ボエーム」と書いただけなのに、お褒め頂き恐縮です。KG様は本当によくご覧になり、お聴きになっています。私は、後ろから2列目の端から3番目の席で聴いていたので、舞台の動きの細かいところまで見えておりませんでした。勿論、オペラグラスで覗いていたのですが、注目すべき点を選んで見ていたのではなく、歌手の表情とか、そういうところに注目していたものですから、演出の詳細は分かっておりません。KG様のご指摘の点、全てを覚えているのではないのですが、なるほど、と得心の行くところがありました。
自分的には「まあ、いいか」と思っていたのですが、ボエームたちの動きが妙に軽薄に見えるところがあったのですが、動きが不適切だったからそう思えたのかもしれません。

指揮に関しては、KG様のご趣味の問題のようですね。指揮者の音楽のつくりがKG様のご趣味に合わなかった様ですね。私はKG様ご指摘の部分は、必ずしも気にならなかった部分なので、それは、私の聴き方に問題があるのか、それとも2日目と3日目とで指揮者が振り方を変えたかですね。そこは分かりません。

[920]「ラ・ボエーム」について 投稿者:KG生

投稿日:2006年02月27日 (月) 16時27分

 初めてお便りさせていただきます。 実は土曜日の二期会の「ラ・ボエーム」に行き、皆さんのご意見を伺えればと思うことがあるので、これを書く次第です、
 当日の出来は、歌い手はほぼ全員が好演。特にロドルフォは、あれだけハイCを伸ばせられれば日本人としては最高。ミミもまずまずだし、マルチェロもよかった。 駄目なのは指揮と演出。指揮は変なところをやたらにダラダラ深刻ぶって引き延ばし、演出は、余分な間違えをいろいろ。例えば、一幕で、ロドルフォが、先に行く三人の仲間に蝋燭を渡すが、あれではコリーネが階段を滑り落ちることが出来なくなる。そのほかここには書けないがいろいろお粗末。
 一番いけないのは、プログラムの解説。 例えばこのオペラが「無理な設定」をしているとして、一幕で先に部屋を出た仲間が冬の寒空の下で長く待つことを挙げているが、これは「門番のところで待つ」と断っているのを、見逃している。またロドルフォとミミが短い間に恋愛関係になることをおかしいと言っているが、この人はこのオペラがボヘミアンたちの生活を描いたものという一番大事なことを忘れている。
 さらに私が言いたいのは、筋書きのところで、ミミのことを「同じアパートに住む」と表現していることだ。ミミは明らかに隣りの屋根裏部屋に住んでいるのに、同じアパートと言うと、まるで違う階に住んでいるように聞こえる。しかもひどいことに、このプログラムの別の筋書きだけの説明では「近所に住む」と書いている。このオペラをまるで分かっていない。
 私が何故このことを言い出したかというと、このミミが住んでいるところを、昔ある解説書が間違って書いたため、日本の多くの人が、間違って考えてしまっているからです。これは僅かの違いのようですが、実はこのオペラでは非常に大事なことなのです。
 この掲示板の投稿者の方々の中にも、ミミが屋根裏に住んでいるというのが、かえって間違いとお考えの方がいるかもしれないと思い、ご意見を伺えればと、この掲示板に書かせていただいた次第です。

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[921]ボエームの設定について投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年02月27日 (月) 23時49分
KG様書き込みありがとうございます。
KG様のご意見に対する私の考えを申し上げます。
指揮について:私が聴いたのが2日目でしたので、3日目のKG様とは同じではありませんので、なんとも申し上げられませんが、2日目の演奏は、割合すっきりしていて、しかしながら要所要所は攻撃的な演奏で、全体としてみれば、ボエームの音楽的構造を明確にする優れた演奏だと思いました。

>指揮は変なところをやたらにダラダラ深刻ぶって引き延ばし、

とお書きですが、具体的に何幕のどの辺、とおっしゃってくれればもう少し詳しいコメントが出来るかもしれませんが、私はあまりそのように感じなかったので、これ以上申し上げられません。

尚、私はボエームのスコアを知っていて、あの指揮が妥当だ、と申し上げているのではなく、これまで何度か聴いてきた録音や実演の経験から悪くない演奏だった、と申し上げているので、KG様のおっしゃっていることは正しいのかもしれません。

演出について:KG様のようにそこまで細かく見ていませんでした。しかし、演出全体としては、ごく普通の演出で、取り立てて問題だとも、取り立てて優れているとも思いませんでした。登場人物の動かし方など一寸コメディータッチに流れすぎている気もしましたが、まあ、いいのではないかしら。

ミミの住む部屋に関しては、手元のいくつかのパンフレット、解説書を見てみました。するKG様のおっしゃるとおり、ミミの住む部屋の場所については、3通りの意見があるようです。まず@ロドルフォらが共同生活をしている屋根裏部屋の隣室(屋根裏部屋)(「オペラの全て86」など数冊)、Aロドルフォらが共同生活をしている屋根裏部屋の階下の部屋(名曲解説シリーズ13巻「歌劇」(上)など)、Bロドルフォらが生活しているアパートと同じアパート(「オペラの全て2001」など)ちなみに1999年の藤原歌劇団の「ボエーム」で解説を書いている高崎保男さんや、2003年の藤原歌劇団の「ボエーム」で解説を書いている小畑恒夫さんのご意見は、Bの同じアパート、という言い方で、屋根裏部屋とも階下とも明確にはしていません。

尚、オペラの台本を見る限りでは、ミミの住居がどこであるかは明確にされておりません。しかし、自分の部屋に辿り着こうとしてロウソクを借りに来た以上、その部屋がロドルフォたちの部屋と遠く離れているとは考えにくいです。その意味で、ロドルフォたちの部屋の隣室の屋根裏部屋であると考えるのはごく自然でしょう。

しかし、もしそうであるなら、何故、それまでロドルフォはミミを知らなかったのか、という問題が新たに発生します。つい最近引っ越してきたと見るのか。実はロドルフォは前からミミを知っていて、火を借りに来たとき、これ幸いと言い寄ったのか?

この辺は演出の考え方でよろしいのではないでしょうか。

私は、ミミが住んでいる場所が「屋根裏部屋」であると劇中で言っていない以上、そこが「屋根裏部屋」であるか、「階下」であるかは演出が考えればよいことのように思います。従って、解説書に同じアパートに住む、という書き方は、まあ仕方がないのかな、と思います。

なお、私はこれまで何となく、ミミはロドルフォの隣の屋根裏部屋に最近引っ越してきたお針子である、と思っておりました。


[917]『愛怨』 投稿者:一静庵

投稿日:2006年02月21日 (火) 13時16分

オペラ『愛怨』、残念ながら後半だけ、泉千賀さんと秋谷直之さんの日に見ました。
日本と中国に分かれた姉妹なんて、ちょっと「国姓爺合戦」にも似ていますね。
こういう新作物は、結構お客さんが少ないものですが、今回は満席状態でした。瀬戸内寂聴さんの人気もありますね。第3幕で舞台上でソロがあるシズカ楊静さんの琵琶が、これまでの琵琶のイメージを覆すものでした。撥はもたずに両手で、全部の指を駆使してかき鳴らす感じで、なんというか派手でした。三木稔さんの和風や中国風を廃した作曲が、とても面白かったし、ピットからは金管やパーカッションの活躍するダイナミックなオーケストラがバンバン飛んできました。歌は聴けずでしたが「影巳」役の池田香織さんの扮装は、全く中身が解らないほどでした。京劇の俳優さんを揃えるのもたいへんでしょうが、また見たいオペラです。

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[919]三木稔さんのオペラ投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年02月21日 (火) 23時21分
一静庵様
実を申し上げますと三木さんのオペラを聴くのは初めてなのですが、古典的な雰囲気に驚きました。一静庵様のおっしゃるとおり、一番驚かされたのは、シズカ楊静さんの琵琶でしたね。

19日は私が入場して、パンフレットを買おうとして売り場に行ったところ、すぐ脇に袈裟姿の瀬戸内寂聴さんが立っていたので驚きました。どなたか知人の方とお話されていたようですが、結構野次馬の皆さんが遠巻きにしていました。

[916]いろいろ教えていただいてありがとうございます。 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年02月20日 (月) 08時38分

岩手県出身の方だったのですね。ウイーンに留学されていたのは知っていましたが。BSで「魔笛」を何回か鑑賞しましたが、女王の出てくるシーンになるといつもドキドキします。普段はCDとBSのクラッシック・ロイヤルシートで楽しんでいて実際の公演は今度の「魔笛」で4回目です。ほとんど初心者の鑑賞力ですが、25日は楽しんできます。

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[918]私の耳も当てになりません。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年02月21日 (火) 23時16分
こんなサイトを何年もやっているのですから、私がずいぶんよい耳をしていると思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。絶対音感無しです。先週だか先々週だかの「題名のない音楽会」で、「クラシック共通試験」とかいう番組をやっていましたが、「イントロあてクイズ」でメンデルスゾーンの結婚行進曲とマーラーの第五番交響曲の冒頭の部分にしっかり引っかかりました。
そんな程度です。
「魔笛」の「夜の女王」は、とても印象深い役柄ですが、出番は第1幕のアリアと第2幕のアリア、そしてフィナーレ(ここはほとんど歌なし)だけですので、歌手の方はコンディションの調整が大変らしいです。その辺も含めて楽しんでいらしてください。

[914] 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年02月13日 (月) 13時43分

前回しょっぱなから脱字があり失礼いたしました。「そはかの人か」でした。うっかりもので申し訳ありません。

[913]管英三子さんの歌声聞きました。 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年02月12日 (日) 17時14分

いつも読ませていただいてます。アンケートにお好きとあった管英三子さんの「ああ、そはの人か」を、去年たまたま聞く機会がありました。素晴らしい歌声に、全然オペラに疎い我が家族までうっとり。今月の京都芸大大学院オペラの「魔笛」の夜の女王役で出演されるのを知り、そうそうにチケット手に入れ、聞きに行く予定です。

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[915]菅英三子さんのこと投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年02月13日 (月) 22時57分
すがさんは、岩手県の水沢出身で、小学校から高校までは仙台で過ごされ、大学は京都市芸術大学の声楽科です。卒業後、仙台で幼児音楽教室の先生などをやられていたのですが、オペラ歌手の夢絶ちがたく、ウィーン音楽大学に留学されました。1991年にプラハでヨーロッパデビューを果たし、その後は国内外で活躍中です。
何年か前からは、母校の京都市立芸術大学で教鞭をとられています。
コロラトゥーラ・ソプラノとして出発された彼女にとって、「魔笛」の「夜の女王」はまさに当たり役と申してよく、何度となく歌われております。40代後半になられて、昔ほどの声の輝きはなくなってきている、とも思いますが、2-3年前に歌われた夜の女王は、十分に聴きものだった、という話を聞きましたので、今回も大いに期待できると思います。
京都のオペラ好き様が堪能できることをお祈り申し上げます。

[909]后覧オペラ 投稿者:どくたーT@管理人

投稿日:2006年01月25日 (水) 00時15分

本日、新国立劇場に「魔笛」を見に行ったのですが、皇后陛下がご臨席遊ばされ(天皇陛下はいらっしゃらなかったようです)、后覧オペラとなりました。
ロイヤルシートは2階席中央だったようで、天井桟敷にいた私はご尊顔を拝する栄には浴しませんでした。「魔笛」の感想は明日以降、本文に書きます。とりあえず報告まで。

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[911]一寸ついでに投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年01月31日 (火) 00時05分
皇后陛下は割りとオペラがお好きらしく、時々お出かけのようです。さて、私は、皇后・美智子様のことを皇后陛下と書きましたが、最近のマスコミでは、美智子様と呼ぶのが一般化しているようです。

私が子供の頃、即ち昭和天皇がまだお元気だった頃ですが、天皇家の人々の呼び方は、普通、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下(または美智子妃殿下)、浩宮様、文宮様、紀宮様と書かれていました。昨年結構された黒田清子様は、結婚直前まで紀宮様でした。
ところが、現皇太子妃のことをマスコミは「雅子様」と書き、皇太子妃殿下と書いたり、雅子妃殿下と書くことはありません。皇太孫である敬宮愛子内親王も普通は、愛子様とだけ書かれて、かつてのように敬宮様とは書かれない。

これは日本文化の伝統からすると、相当おかしなことです。日本では、「名前を呼ぶ」ということは失礼なことと考えられてきました。普通人でも、フォーマルな場所では苗字で呼ぶのが一般的です。まして、高貴な人の名前を呼ぶなんて考えられないことでした。

高貴な人は、場所の名前で呼んだり、立場名で呼ぶのです。例えば皇太子を「東宮」と呼ぶのはその名残ですね。そういう伝統文化を無視して、雅子様、愛子様と呼ぶ神経は私には分かりませんし、皇后陛下を美智子様と呼ぶのもいかがなものかと思うのです。

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[912]皇太孫投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年01月31日 (火) 00時10分
皇太孫とは、皇太子がいらっしゃらないときにおける儲嗣たる皇孫のことを言います。皇太子が元気で、且つ現皇室典範下では天皇になることのない敬宮愛子内親王は皇太孫ではありません。
皇孫です。筆が滑りました。失礼。




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