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[949]そうですね。 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年04月04日 (火) 14時28分

ただ、よくよく考えるとマリという女性は美人ではあってもお嬢様育ちではなく、どちらかというと日陰者の境遇で育ち、頼りになる家族もいなかったようですね。色恋、遊びには長けていて、その才能をいかして生きていくために男性から男性に渡り歩く生活。しかし実はそんな自分の行く末が見えていたからこそ、なりふりかまわず貴族の奥様という安定した地位を得たかったとも推測出来ます。たぶん気持ちに余裕があった人ではないでしょう。デュマからピア−ヴェ・ヴェルディを経て、ヴィオレッタという人の心を打つ造形(そのままでは、いくらなんでも・・・)にたどり着いたのはやはり彼らを動かした何かがあったのかもしれません。それにしても、高級娼婦という日本語の語感はいまひとつだなぁと。もう少し粋なものはないかいなと思います。コルチザンはコルチザンですか。ここらへんは文化の違いで。もちろん彼女たち、パトロンからお手当てとかプレゼントとかたんまり貰っていたんでしょうね。

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[950]貧乏人で死んだわけではない投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月06日 (木) 08時08分
ヴィオレッタの場合、最後のお金を喜捨して、貧乏の中で死を迎えますが、マリーの最後は貴族夫人として、それなりの環境の中でなくなったはずです。若死にしたという点では一緒ですが。田舎者の決して裕福ではなかった美貌の娘のある意味サクセス・ストーリーだったのかもしれません。その時代の世間の感覚が分かりませんので、実際どうだったのかは全くわかりませんが。
確かに高級娼婦、と言い方でヴィオレッタを見れば、何となく分かった様な気がしますが、もうすこし、言い方があるかもしれませんね。

[944]ヴィオレッタについて 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年03月31日 (金) 00時13分

モデルとなったマリー・デュプレシは、現実には結構ミもフタもない人物だったようですね。私の持っているパンフレットによると、原作者のデュマは、序分の中で「彼女は本当の心を持った最後の少数のコルティザンで云々」と書いていたそうですが、客観的に見るとデュマは随分甘い。騙されていたのでは。少なくともそのように上昇志向の強いマリーがマルグリット(ヴィオレッタ)のようなけなげな自己犠牲の精神を持っているとは思えません。頭の切り替えも早そうだし。ひょっとするとこうあって欲しかったという理想を書いたのかな。うーん。まぁ彼女が随分魅力的で、そうとは見えない手練手管にたけていて、デュマがぞっこんだったことは確かだろうけど。現実はそれほどロマンチックなものではありませんねえ。ヴィオレッタを通して現実のコルティザンというものをちょっと勘違いしていたようです。

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[947]よく分かりませんが投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月01日 (土) 22時47分
あるパンフレットの受け売りですが、コルティザンとは、「正式な結婚を前提としない、性的関係を含めた自由恋愛をする女性」だそうです。これは恐らく半分本当で半分うそでしょう。
 「椿姫」の第一幕は、ヴィオレッタの屋敷で開かれた夜会ですが、あの豪華なヴィオレッタの屋敷をヴィオレッタがどのようにして手に入れたか、と考えると、相当のパトロンがいなければ、現実には無理です。建前は、「正式な結婚を前提としない、性的関係を含めた自由恋愛をする女性」だったとしても、実際は、たくさんのお金をくれる人との恋愛関係だったのでしょうね。
 小デュマはマリー・デュプレシーと知り合って恋愛関係になるわけですが、彼らが別れた理由は、小デュマのお金が続かなかったとが原因という説もあります。金の切れ目が縁の切れ目ですね。そう思うと美人の上昇志向はどうにもいやらしいです。

[943]はじめまして 投稿者:堕天使ゆみこ

投稿日:2006年03月30日 (木) 15時32分

いつも楽しみに覗かせて頂いております。熱心なレポートには本当に頭が下がる思いです。
しかしいつも辛辣な語り口なので、ヒヤヒヤしてしまいます(爆笑)
純粋に音楽を楽しむのは難しいものなのですね。

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[945]ありがとうございます投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月01日 (土) 22時02分
堕天使ゆみこさま
書き込みありがとうございます。

さて、私、感想は辛口ですが、音楽を楽しんでますよ。上手な演奏を聴くのが好きですが、下手な演奏が悪いとも思いません。勿論、入場料を払った方が詰まらない、と思うような演奏は、良くないと思います。

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[948]辛口の評投稿者:父さん羊
投稿日:2006年04月02日 (日) 21時49分
入場料を払って聴いているんだから辛口でもOKでしょう。
でも父さんは何を聴いても楽しいクラシック初心者です。永遠の。

[942][ボエーム」について(21日稿へのお答え)1 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月26日 (日) 21時54分

 管理人さんの21日のご意見有難うございました。 一応お答えいたします。
 
 ミミが隣りの屋根裏に住んでいるとして私が挙げたもろもろは、殆どがいわゆる状況証拠であって、物的証拠ではありません。 唯一の証拠性を持つのは、ミミの「厄介をかけるお隣り(VICINA)」という言葉であって、これも「近所」とも訳せるので、いわば50パーセントの証拠能力を持つだけです。裁判だったら証拠不十分の扱いとなるでしょう。

 ただ考えたいのは、「ボエーム」は芸術作品であることです。 芸術作品は 1+2=3 のようには割り切れないのが普通だし、また作家の手を離れた作品は、鑑賞者がどう解釈しようと、それは観賞者の自由であって、他から押し付けることは出来ません。従って私が言わうとしたのは、ミミが屋根裏以外には住み得ないとは言えないが、屋根裏に住むと解釈するのが、この作品としては最も無理が無く、しかも強い感動をもたらすことを、多くの人に知って欲しいということだったのです。

 先にも触れましたが、例えば「私の名はミミ」のアリアで「最初の太陽が私のもの、四月の最初の接吻が私のもの」というところで、それまでのボツボツしたレチタティーヴォ調から、急に大きく歌い上げる旋律に変わるのは、その前の「屋根の上と空」だけを眺める屋根裏部屋での毎日の生活の侘しさを感じ、パリの長い陰鬱な冬から、最初の春の太陽を見た(誰よりも先に)ときの喜びを感じなかったら、あの美しさを感じ取ることが絶対に出来ません。 それを感じないのは観賞者の自由ですが、それでは作品の見事さが勿体無いし、そんな見方ではオペラの本当の楽しさが分からないのです。
 もしもモーツァルトの作品だったら、例えば「魔笛」のタミーノが日本の王子だろうが中国の王子だろうが、その音楽には殆ど関係しないでしょうが、プッチーニのオペラは全く違います。各登場人物の性格や感情、ドラマの詳細な展開がどう音楽と結びついているかを深く感じ取って、初めてその本当の価値が分かるのだと思います

 話は変わりますが、昨日中野のゼロホールで、東京オペラプロデュースの「カルメン」を見ました。終幕の演出がなかなか面白かったほか、注目されたのは、日本の「カルメン」としては恐らく初めて、第一幕で工場の鐘が鳴ったとき、女工たちやカルメンが工場の中からでなく原曲の指定通りに町の方から現れ、二回目の鐘で工場の中に入ったこと。 全体の構成と共にこれが成功だったかどうかは別として、この団体が諸困難を乗り越えて頑張っているのを感じました。
 過日の新国立劇場の「運命の力」もしっかりした配役の熱演で十分に楽しめましたが、普通カットする詰まらない部分まで全部含めたのが疑問でした。 

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[946]断定は難しいけれども投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年04月01日 (土) 22時07分
KG様のおっしゃりたいことはよく分かっております。
それにつけても、永竹さんが書き込んでくれるとよろしいのですが。

[939]VIVA! Forties! 投稿者:深沢桂子

投稿日:2006年03月24日 (金) 16時39分

昔、「ピノキオ」を作曲しました。そして今、ミュージカルを企画、作曲、作詞もして頑張っています。昨年は「ナイン」いう作品の音楽監督を務めなしたが、まさにオペラのようでした。
40代の自分の生きざなを、そのまま作品にしました。blogを立ち上げたので是非見てください。

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[941]驚きです。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月26日 (日) 12時04分
深沢様

作曲家の方に書き込まれると、それだけで緊張いたします。ありがとうございました。ブログ早速見せていただきました。

VIVA fortiesのご成功をお祈り申し上げます。

[938]ご報告かたがた 投稿者:京都のオペラ好き

投稿日:2006年03月24日 (金) 11時35分

「ボエームについて」のやりとりを読ませていただいていました。おかげでグリゼットという職業について良くわかりました。オペラはその国の時代背景や独特の事情というものがわからないと?なことも多いですね。微妙な話題ではありますが、私は「椿姫」のヴィオレッタがコルチザン、高級娼婦と訳されているのがどうもピンと来ずいろいろと考えたりしてました。日本の江戸時代のいわゆる花魁かなぁとも思ったのですが、ヴィオレッタは財産を持っていてお金に縛られているようでもないし、教養もあって、堅気ではないものの決して蔑みの対象にはなっていない。たぶん私が思うにコルチザンとは恋愛の国フランスならでは?かどうかはしらないけど、貴族が自由に婚姻外の恋愛を楽しむことのできる存在の女性達だったのでは。だから日本で言う娼婦とはちょっとイメージが違っていてどちらかと言うと今の日本の粋筋の人に近いのではと解釈しているのですが。本当のところは一体どうなんでしょう?そうそう、菅さんの夜の女王素敵でしたよ。どうしてモーツアルトがこんな高い声のアリアを作ったかわかったような気がしました。コロラトゥーラ、星降る夜の女王でした。行ってよかったです。ご報告かたがた。

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[940]楽しまれたようで、良かったですね。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月26日 (日) 11時57分
京都のオペラ好き様

楽しまれたようでよかったですね。「魔笛」で、夜の女王は非常に重要な役ですが、登場するのは僅かに3回、1幕と2幕の二つの超絶技巧のアリアを歌うときと、フィナーレの地獄落ちのところ(ここはほとんど歌がない)だけです。だから歌手の方はコンディションを合わせるのがとても大変だ、という話を聞いたことがあります。
菅さんほどのベテランになると、その調子の整え方はお手のものなのでしょうね。

さて、椿姫のお話は1850年ごろのパリで、ボエームの時代とあまり離れてはおりません。ヴィオレッタのモデルであるマリー・デュプレシーは1824年1月15日生まれとされており、父親は行商人、母親は地主の娘だった、といわれています。父親の血統には聖職者、母親の血統には貴族がありますが、父方の祖父は聖職者の私生児、母親も私生児で、聖職者や貴族の血と、私生児の血とが流れていたとされています。13歳で男性を知り、14歳で妾になり、16歳でパリに出、洗濯屋や洋服屋を転々としながら、グリゼットとなり、また男に囲われる生活になります。1840年グラモン公爵の子息ギッシュに見初められ、旦那を乗り換えて、彼の愛人になります。彼は若い二枚目で、彼女も本気で愛したらしい。ギッシュは、マリーを徹底的に貴族的に教育し、ここで、マリー・デュプレシーの名前も与えられます(その前の名前は、アルフォンシーヌ・プレシー)。1841年出産。その後はコルチサンの生活をおくって、その間いろいろな男と関係します。
マリーは、貴族との大恋愛を繰り返しますが、最大の望みは自分が貴族と正式に結婚することだったそうです。実際は1846年、ある伯爵と結婚し、望みを達成するのですが、1年後に死亡します。

この経歴を見る限り、ヴィオレッタは上昇志向が強かった、という感じがします。自分の美貌を最大限利用して、貴族に取り入り奥方になろうというわけですから。

また、コルティザンとは、実際は高級娼婦的な部分があるにせよ、相当に社交界の潤滑油的役割を果たしていたのでしょうね。

[935][ボエーム」について(追加の続きの更に続き) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月19日 (日) 21時45分

 もう一つ簡単に付け加えます。ミミが子爵と知り合ったのは、台本だけ作られ、オペラに作曲されずにカットされた一幕があり、その中に出てくるのです。 これは「ミュージカルアメリカ」の1959年2月号に、英訳付きで全文が掲載されています。 今の2-3幕の間にあるもので、ムゼッタの部屋の家具が競売されるというのを邪魔して家の中庭でダンスパーテイーが始まり、そこでミミがムゼッタからパオロという子爵を紹介され、一緒に踊る云々というのです。私はコピーを持っていますが古くてはっきりしないので、また何処かでコピーを作ろうと思っています。 あまり面白くないのでカットしたのだと思います。 以上です。

[934][ボエーム」について(追加の続きー12日稿へのお答え) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月19日 (日) 18時52分

 まずミミの職業ですが、お針子ど訳されていますが、普通は「グリゼット」 (grisettes) と呼ばれるものとされています。 これは当時のパリでの有名な社会的存在だったらしく、念のためインターネットで原綴で引いてみたら、千以上の項目が出てきました。当時の家庭で、金持ちの娘は年頃になっても家庭内にあって、いろいろ修行に励むが、貧乏人の娘は早々に家を出て一人立ちし、多くがグリゼットになると、何かに書いてありました。 グリゼットという言葉は鼠色の安い生地の服を着ているからだそうで、お針子という意味のほか、身持ちの悪い娘という意味も、字引に書いてあります。
 若く一人で自由に暮らし、しかも貧乏暮らしなので、自然に身持ちが悪くなったのでしょう。 ネットには彼女たちも一種のボヘミアンと書いてありました。 集団生活をさせる方が、合理的だと私も思いますが、革命時代の当時はまず自由が大事で、少なくとも彼女たちにそんな考えは無かったらしii. これは「カルメン」の女工たちも同じです。(序でながら、カルメンの幕開きは、女工たちが皆食事の為、自宅か外の食堂に出かけた留守、ということになっています。)
 ミミが趣味で刺繍をするなどという余裕は全く無かった筈です。
 彼女が子爵をパトロンにしたこともあり、ロドルフォ以前に男関係があったことも確かですが、売春婦では絶対にない。 ムゼッタが、金持ちのアルチンドロを蹴飛ばしてマルチェロの胸に飛び込む。これがグリゼットなのです。 金持ちは勿論大歓迎だが、それよりも自分の好みの方がずっと大事なのです。
 
 次にパリの古いアパートですが、オースマンの改革で全てが6-7階以上に決められていた(もっと高いか?)筈ですが、私がずっと昔にパリに行ったときは、それ以前の古いア¥パートが、下町に沢山あり、多分4階建てくらいでエレベーターは無し。 またバスティーユに留学した娘が住んでいたアパートもやはり同様の古いものでしたが、娘が居た三階まで階段を上がるのに、木の階段が磨り減ってツルツルで、とても怖い思いをしました。コリーネが滑り落ちたのはこんな階段だなと、そのとき痛感したのです。 屋根裏はスペースが狭い筈ですが、パリの普通の建物で考え、少なくとも二つはあるでしょう。
べノアは建物の所有者かもしれないが、私はいわゆる差配、所有者から頼まれ、家の管理と部屋代の取立てをする役だと思います。 勿論門番とは別で、家も別のところに住んでいたはずです。 三ヶ月というのは、当時のフランスの習慣で、三月単位で家賃を取ったからです。 

 以上偉そうにいろいろ書きましたが、私は「ボエーム」が昔から大好きで、いろいろ調べたつもりです。 他にも何かありましたら私の知っている範囲でお答えします。

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[936]反論するつもりはありませんが投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月21日 (火) 23時18分
KG様の「ボエーム」に対する思い入れ、よく分かりました。この掲示板はあまり有名ではありませんから、どれだけの方がご覧になっているか分かりませんが、ご覧になった方は、KG様の見解に非常に興味を持たれるだろうと思います。

私は、KG様の考えがリーズナブルであると思いながらも、貴見が唯一の正解だとは思えないのです。議論が錯綜していますので、少し整理しますが、

1)オペラはオペラの原作を踏まえて理解すべきであるのかどうか、ということです。 
2)プッチーニは1830年代のパリについて、どの程度の理解があったのか、ということです。
3)ミミが屋根裏部屋に住んでいる、と仮定した場合と、ミミが階下の部屋に住んでいる、と仮定した場合で、この作品の解釈に影響がでるか、ということです。

結局はこの3点に絞られ、多分本質的に重要なのは(3)だけだろうと思います。

私の考えは、
(1)については、オペラを解釈する上で原作を知っていた方がベターである。しかし、ボエームは原作を相当に換骨奪胎して作られているので、原作を踏まえた議論はあまりよろしくない。

(2)プッチーニは所詮イタリア人であり、また19世紀後半から20世紀前半に活躍した方である。その方が本当のところで、1830年代のパリを描けたと考えるのには無理があるように思う。

(3)歌詞との対応、という点では屋根裏部屋に住んでいると考えた方が妥当性が高いが、階下に住んでいると仮定しても、歌詞と矛盾があるとは断定できないし、若干の矛盾があったとしてもオペラの本質には影響がない。

です。私は1830年代のパリを知りませんし、その時代の建物の屋根裏部屋がどのようなものであったかも知りません。家賃の相場がいくらで、階下の「まともな」部屋との差がどの程度あったかも知りません。また、この屋根裏部屋には誰かの部屋から行くのではなく、直接階段から上がれますが、そのような屋根裏部屋が一つの建物に普通何室あったのかも知りません。反対に外階段から入れるような屋根裏部屋がいくつもあるのであれば、そこは、通常に家賃を取る安い部屋として見るべきであって、屋根裏部屋をあえて強調する必要もないです。

ここで重要なのは、現在のパリではなく1830年代のパリはどうだったか、です。その当時パリで若い女性が部屋を借りて一人暮らしできるところはどのような所だったのでしょうね?

ミミの職業は「グリゼット」ととのこと。「グリゼット」ですぐに思いつくのは、「メリー・ウィドー」のマキシムの踊り子たちです。彼女たちが「グリゼット」。「ミミ」とどう違うのでしょう。いくらでも疑問は出てくるのですが、これらの私の思う疑問と「ミミ」が住む部屋が「屋根裏部屋」か「階下の部屋」というところがどう繋がるかは私もよく分かりません。

ま、議論はさらに錯綜しそうなのでこれ以上申し上げません。

要するにKG様の主張はリーズナブルです。しかし、逆を否定は出来ない。もし確実に否定できると断言されるのであれば、それ相応の文献的証明を行っていただければ、と思います。私は本職が自然科学者で、実験をしながら仮説を証明するのが基本的な手法です。そのため、きっちりとした議論をする場合は、それなりの緻密なやり方に基づかないと納得できないのです。

はっきり申し上げますが、「私の名前はミミ」の歌詞をいくら読んでも、KG様のおっしゃる「屋根裏部屋でなければ、あの歌詞はありえない」という考えに同意することは出来ないのです。

私が納得するためには、建築史の文献で、1830年代のパリのアパートの構造から、屋根裏部屋以外の部屋は、「私の名前はミミ」に書かれたような状況は起こりえないことを証明していただく、あるいは、社会経済史の文献で、1830年代の一人暮らしのグリゼットの住居は屋根裏部屋が普通だった、ということを証明いただく、といった検証が必要だと思います。

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[937]上と下とで、きちんと繋がっていませんね。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月21日 (火) 23時27分
上記書き込み、上と下とがきちんと対応していませんね。

要するに私が申し上げたいのは、
1)KG様のご意見は納得できる。
2)しかし、他の可能性を否定できるほど論理的ではない。
3)私は、プッチーニ自身もそこまで緻密に考えていなかったと思うし、「ボエーム」の音楽的意味合いを考えるとき、ミミの部屋の問題は、本質的な問題ではないだろう

ということです。

[933]ボエームについて(追加)I 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月16日 (木) 18時25分

 申し訳ありません。私はこのところ、大嫌いな税金のことで時間を取られ、管理人さんがいろいろお書きくださったのを、全く見ませんでした。ゆっくり読ませていただいてから、またお返事を書きます。 取り敢えず。

[932]ボエームについて(終) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月16日 (木) 18時12分

 新国立劇場の研修生公演を見ました。 「ボエーム」の1,4幕のほか、同じプッチーニの「つばめ」の1幕という珍しいものをやったのですが、まずまずの出来栄えはいいとして、プロの筋書き
を見たら、果たせるかな「階下に住むお針子のミミ」となっていました。 これほど有名なオペラなのに、日本ではこんな間違いが大きな顔で通用しているとは、本当に情けないことだと思います。
 
 ミミがどこに住もうと、たいした違いは無いと思う方のため、何故それがこのオペラで大事なのか、最後に付け加えさせていただきます。 
 
 一つはこのオペラは、前にも言ったように作者たちも経験したボヘミアン生活を描いたものであること。ボヘミアンとは、若い芸術家の卵であって、大変な貧乏だが、夢と希望と誇りを持ち常に自由な生活をしている連中のことです。 ミミやムゼッタはそうした彼らの完全な仲間であって、同様に、大変な貧乏生活だが、やはり若さ、夢、希望、ささやかな誇りを持って自由な生活をしている。 言うなれば彼女たちはボヘミアンに最も近い存在として、同様にプッチーニが描こうとした人物なのです。
 オペラにはありませんが、原作ではロドルフォもマルチェロも、後に有名になって、立派な生活を送ることになります。しかしこれらは実生活ではまれなケースであって、むしろ多くのボヘミアンは深刻な生涯を送っています。また貧乏生活というのも、決して生易しいものではない。ミミは原作では、施療の病院に入って、ロドルフォが一度見舞いに行き、喜ぶがもう一度行こうとしたのが手違いで引返してしまい、間違いを知って再度行きかけたその朝、ミミは一人で淋しく死んで、既に学生たちの実験解剖に回された後だったというのです。 オペラでロドルフォがミミの死に気が付かないのは、こうした原作を反映しているのですが、そうしたボヘミアンの不幸を代表するミミの部屋は、やはり屋根裏でなくてはいけないのです。

 もう一つ重要なのは、下の部屋だと有名なミミのアリアも全く意味を成さないことになるからです。「屋根の上と空を眺めながら」というところもそうですが、それよりも「雪が溶けるときが来ると最初の太陽が私のもの」 この言葉は彼女の屋根裏生活の唯一の喜びと誇りを歌っているのであり、旋律がそれまではボツボツとレチタティーヴォ調だったのが、大きく歌い上げる見事なメロディ−に変わる。その意味、ミミの気持ちを感じ取れなければ、このアリアの美しさを全く理解しないことになります。そしてこのアリアだけでなく、このオペラ全体の音楽を感じ得ないことになるからです。

 以上長々と書きました。私が書いたのはあくまでも私の独断であって、間違いも多々あると思います。もしも変なところがありましたら、どなたでもお教えいただけないでしょうか。
 貴重なこのホームページで私見だけを述べて、申し訳ありませんでした。 
              KG生




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