投稿日:2011年07月03日 (日) 06時09分
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2011年7月2日 自由席 3600円
主催:maekawa.mania.company(MMC)
音演出Vol.2
オペラ プロローグ付3幕を2幕に再構成(字幕つき原語(イタリア語)上演) モンテヴェルディ作曲「ポッペアの戴冠」(L'Incoronazione di Poppea) 台本:ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブセネッロ
会場:日本橋劇場(中央区立日本橋公会堂ホール)
スタッフ 音演出:前川 久仁子 ピアノ:吉田 貴至 照 明:石川 紀子 舞台監督:池田正宣
キャスト ポッペア:宮本 彩音 ネローネ:今尾 滋 オットーネ:鶴川 勝也 オッターヴィア:諸 静子 ドゥルジッラ:竹村 明子 アモーレ:堀江 真鯉男
感想:前川スタイルの徹底という点ではよかったが、、、。MMC「ポッペアの戴冠」を聴く
「ポッペアの戴冠」がどのようなオペラであるかを知らない方が聴いたのであれば、かなり高い評価を与えたのではないでしょうか。お話の中身はそれなりにすっきりとまとまっていましたし、歌も劇的な表現を、皆、それなりにしっかりとやられていて、なかなかよくまとまった舞台であったことは間違いないところです。
前川久仁子は、このオペラの完全譜が無いことを踏まえてか、それ以外の理由もあったのでしょうが、休憩を含めれば、4時間は優にかかるこの作品を、15分の休憩を含めて、2時間10分強にまとめてしまいました。ほぼ半分の楽譜は演奏されなかったわけです。登場人物も大幅にカットされていて、重要なバス役の『セネカ』がまったく出てこないなど、存在それ自身まで切られた役がたくさんあります。
そこまでしても前川はこの作品のドラマツルギーを徹底して集密化して、ひとつの音空間を作りたかったのでしょう。それはある意味成功したと思います。結構複雑でわかりにくい作品を、すっきりと見えやすくしましたし、構図はっきりさせたとは思います。
ただ、それがよいことか、と申し上げれば、私は否定的な意見を述べないわけには参りません。私は、オペラのストーリーに比較的関係しないアリアをカットすることを必ずしもいけないことだとは思わないのですが、ここまで短くしてしまうと、もう、モンテヴェルディの目指していたものと、似て非なるものになってしまっています。
たとえば、外題役のポッペアは、本来はもっと野心満々の悪女ですが、この前川バージョンを聴いていても、さほど悪女には見えないし、その悪のアピール力も強くありません。これは、ポッペアを歌った宮本彩音の技量に問題があるというよりは、前川のカットのやり方が、ポッペアの持つぎらぎらした側面を削いでしまった、というところがあるのではないかと思います。 もっと申し上げれば、今、この時点で、前川がここまでカットして「ポッペアの戴冠」という作品を上演しなければならない必然性が見えません。ご本人は「違う」とおっしゃるのでしょうが、今回のやり方は、モンテヴェルディへの尊敬の念がないように見えます。また、モンテヴェルディ研究成果や、17世紀の歌唱スタイルは全て無しにして、前川風に完全に変えることが、本当によいことなのか、という自己批判も見えない。
以上、評価しがたい舞台ではありました。
しかし、この舞台はあくまでもモンテヴェルディの名を借りた前川の舞台だと割り切ってしまえば、それなりに楽しめる舞台でした。特に今尾滋、鶴川勝也の二人の男声が魅力的です。今尾は本来バリトンですが、今回はテノール役に挑戦して、まずまずの高音の響きを聴かせてくれて存在感がありましたし、鶴川のオットーネも本来歌われる声部とは異なっておりますが、声の力に魅了されました。
外題役の宮本彩音は、悪女の表現の淡白さに今後の課題を残したとは思いますが、歌唱そのものは、軽くよく伸びる高音が魅力的で結構だったと思います。
諸静子の表現も淡白。本来のバロックオペラのオーセンティックな表現を目指すのであれば、諸の表現は悪くないと思うのですが、今回の前川演出の目指すところが、ヴェリズモの表現のようなところにあったように思うので、そうであれば、もっと踏み込んだ表現があってもよいのではないか、と思いました。
竹村明子のドゥルジッラは、二幕後半の愛のアリアがよかったです。堀江真鯉男はカウンター・テノールの声を出してきてよかったのですが、もし、本当にカウンター・テナーで歌うのであれば、もっと歌の細かい精度を上げてほしいと思いました。 |
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