投稿日:2006年03月19日 (日) 18時52分
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まずミミの職業ですが、お針子ど訳されていますが、普通は「グリゼット」 (grisettes) と呼ばれるものとされています。 これは当時のパリでの有名な社会的存在だったらしく、念のためインターネットで原綴で引いてみたら、千以上の項目が出てきました。当時の家庭で、金持ちの娘は年頃になっても家庭内にあって、いろいろ修行に励むが、貧乏人の娘は早々に家を出て一人立ちし、多くがグリゼットになると、何かに書いてありました。 グリゼットという言葉は鼠色の安い生地の服を着ているからだそうで、お針子という意味のほか、身持ちの悪い娘という意味も、字引に書いてあります。 若く一人で自由に暮らし、しかも貧乏暮らしなので、自然に身持ちが悪くなったのでしょう。 ネットには彼女たちも一種のボヘミアンと書いてありました。 集団生活をさせる方が、合理的だと私も思いますが、革命時代の当時はまず自由が大事で、少なくとも彼女たちにそんな考えは無かったらしii. これは「カルメン」の女工たちも同じです。(序でながら、カルメンの幕開きは、女工たちが皆食事の為、自宅か外の食堂に出かけた留守、ということになっています。) ミミが趣味で刺繍をするなどという余裕は全く無かった筈です。 彼女が子爵をパトロンにしたこともあり、ロドルフォ以前に男関係があったことも確かですが、売春婦では絶対にない。 ムゼッタが、金持ちのアルチンドロを蹴飛ばしてマルチェロの胸に飛び込む。これがグリゼットなのです。 金持ちは勿論大歓迎だが、それよりも自分の好みの方がずっと大事なのです。 次にパリの古いアパートですが、オースマンの改革で全てが6-7階以上に決められていた(もっと高いか?)筈ですが、私がずっと昔にパリに行ったときは、それ以前の古いア¥パートが、下町に沢山あり、多分4階建てくらいでエレベーターは無し。 またバスティーユに留学した娘が住んでいたアパートもやはり同様の古いものでしたが、娘が居た三階まで階段を上がるのに、木の階段が磨り減ってツルツルで、とても怖い思いをしました。コリーネが滑り落ちたのはこんな階段だなと、そのとき痛感したのです。 屋根裏はスペースが狭い筈ですが、パリの普通の建物で考え、少なくとも二つはあるでしょう。 べノアは建物の所有者かもしれないが、私はいわゆる差配、所有者から頼まれ、家の管理と部屋代の取立てをする役だと思います。 勿論門番とは別で、家も別のところに住んでいたはずです。 三ヶ月というのは、当時のフランスの習慣で、三月単位で家賃を取ったからです。
以上偉そうにいろいろ書きましたが、私は「ボエーム」が昔から大好きで、いろいろ調べたつもりです。 他にも何かありましたら私の知っている範囲でお答えします。 |
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