投稿日:2006年03月01日 (水) 15時48分
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早速管理人さんから、非常に立派なご意見をいただき、有難うございました。 このオペラの題名についても、前回私は「ラ・ボエーム」と書きましたが、これは意識して最近の日本での流行に従ったのであり、管理人さんがお書きになったように、ただ「ボエーム」と書くのが、日本語としては正しいと思います。 まず、土曜日の指揮と演出についてですが、私は批評をしようと思って見ていた訳ではなく、また年寄りなので記憶も悪く、詳細を述べるわけにいきません。指揮は、近頃一般の傾向は、早いところはやたらに早くして、粘るところはやたらにねばって、メリハリを強調するのが多いのですが、今回の指揮は、もっと締めることが出来る1幕の出だしや2幕の頭などはごく普通のテンポで、しかも方々の遅い部分だけは充分にねばっているという感じだったのです。特に印象に残っているのは、4幕すぐのロドルフォとマルチェロの二重唱の後奏で、ここは割合にさらっと終わるのが、ドラマの上で余韻を残すのに、いかにも大げさに粘ったことです。 また第3幕終わりの4重唱の二組のテンポのかみ合いの面白さも、どこか中途半端になってしまった等等です。 次に演出では、第2幕全体の難しい処理は感心するところが何も無かったし、1・4幕のボヘミアンたちの絡み合いも冴えたところが無い。特にいけなかったのは、4幕で、舞台上手で「外套の歌」を歌ったコリーネが、ロドルフォ越しに下手のショナールに向かい声をかけて呼び、この場を外すように勧めたこと。 ここは普通やるようにコリーネがそっとショナールに近づいて言うのでなければいけない。 その前のショナールの位置が悪かったと思います。 また、ミミが死ぬとき、ロドルフォが、窓かのところで日を遮る手段を講じているというのは、台本道りで結構だけど、装置が悪く、肝心の窓がずっと上手でしかも小さく、あれではかなり下手にあったミミのベッドに西日が当たることは絶対不可能で、何故ロドルフォが窓のところに行ったか、分からない。ロドルフォが、ミミのことを心配しながらも、なお彼女の死に気づかなかったという、クライマックスの悲劇が不明になった。 計画はいいが、あの装置を見たら当然動きを変えなければいけない。 以上私の感想で覚えていたことを書きさした。 ミミの部屋に就いては、私が前から考えていたことなので、もっと詳しくいろいろと書けると思いますが、今一寸時間が無いので、明日か明後日に書かせていただきます。
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