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[934][ボエーム」について(追加の続きー12日稿へのお答え) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月19日 (日) 18時52分

 まずミミの職業ですが、お針子ど訳されていますが、普通は「グリゼット」 (grisettes) と呼ばれるものとされています。 これは当時のパリでの有名な社会的存在だったらしく、念のためインターネットで原綴で引いてみたら、千以上の項目が出てきました。当時の家庭で、金持ちの娘は年頃になっても家庭内にあって、いろいろ修行に励むが、貧乏人の娘は早々に家を出て一人立ちし、多くがグリゼットになると、何かに書いてありました。 グリゼットという言葉は鼠色の安い生地の服を着ているからだそうで、お針子という意味のほか、身持ちの悪い娘という意味も、字引に書いてあります。
 若く一人で自由に暮らし、しかも貧乏暮らしなので、自然に身持ちが悪くなったのでしょう。 ネットには彼女たちも一種のボヘミアンと書いてありました。 集団生活をさせる方が、合理的だと私も思いますが、革命時代の当時はまず自由が大事で、少なくとも彼女たちにそんな考えは無かったらしii. これは「カルメン」の女工たちも同じです。(序でながら、カルメンの幕開きは、女工たちが皆食事の為、自宅か外の食堂に出かけた留守、ということになっています。)
 ミミが趣味で刺繍をするなどという余裕は全く無かった筈です。
 彼女が子爵をパトロンにしたこともあり、ロドルフォ以前に男関係があったことも確かですが、売春婦では絶対にない。 ムゼッタが、金持ちのアルチンドロを蹴飛ばしてマルチェロの胸に飛び込む。これがグリゼットなのです。 金持ちは勿論大歓迎だが、それよりも自分の好みの方がずっと大事なのです。
 
 次にパリの古いアパートですが、オースマンの改革で全てが6-7階以上に決められていた(もっと高いか?)筈ですが、私がずっと昔にパリに行ったときは、それ以前の古いア¥パートが、下町に沢山あり、多分4階建てくらいでエレベーターは無し。 またバスティーユに留学した娘が住んでいたアパートもやはり同様の古いものでしたが、娘が居た三階まで階段を上がるのに、木の階段が磨り減ってツルツルで、とても怖い思いをしました。コリーネが滑り落ちたのはこんな階段だなと、そのとき痛感したのです。 屋根裏はスペースが狭い筈ですが、パリの普通の建物で考え、少なくとも二つはあるでしょう。
べノアは建物の所有者かもしれないが、私はいわゆる差配、所有者から頼まれ、家の管理と部屋代の取立てをする役だと思います。 勿論門番とは別で、家も別のところに住んでいたはずです。 三ヶ月というのは、当時のフランスの習慣で、三月単位で家賃を取ったからです。 

 以上偉そうにいろいろ書きましたが、私は「ボエーム」が昔から大好きで、いろいろ調べたつもりです。 他にも何かありましたら私の知っている範囲でお答えします。

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[936]反論するつもりはありませんが投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月21日 (火) 23時18分
KG様の「ボエーム」に対する思い入れ、よく分かりました。この掲示板はあまり有名ではありませんから、どれだけの方がご覧になっているか分かりませんが、ご覧になった方は、KG様の見解に非常に興味を持たれるだろうと思います。

私は、KG様の考えがリーズナブルであると思いながらも、貴見が唯一の正解だとは思えないのです。議論が錯綜していますので、少し整理しますが、

1)オペラはオペラの原作を踏まえて理解すべきであるのかどうか、ということです。 
2)プッチーニは1830年代のパリについて、どの程度の理解があったのか、ということです。
3)ミミが屋根裏部屋に住んでいる、と仮定した場合と、ミミが階下の部屋に住んでいる、と仮定した場合で、この作品の解釈に影響がでるか、ということです。

結局はこの3点に絞られ、多分本質的に重要なのは(3)だけだろうと思います。

私の考えは、
(1)については、オペラを解釈する上で原作を知っていた方がベターである。しかし、ボエームは原作を相当に換骨奪胎して作られているので、原作を踏まえた議論はあまりよろしくない。

(2)プッチーニは所詮イタリア人であり、また19世紀後半から20世紀前半に活躍した方である。その方が本当のところで、1830年代のパリを描けたと考えるのには無理があるように思う。

(3)歌詞との対応、という点では屋根裏部屋に住んでいると考えた方が妥当性が高いが、階下に住んでいると仮定しても、歌詞と矛盾があるとは断定できないし、若干の矛盾があったとしてもオペラの本質には影響がない。

です。私は1830年代のパリを知りませんし、その時代の建物の屋根裏部屋がどのようなものであったかも知りません。家賃の相場がいくらで、階下の「まともな」部屋との差がどの程度あったかも知りません。また、この屋根裏部屋には誰かの部屋から行くのではなく、直接階段から上がれますが、そのような屋根裏部屋が一つの建物に普通何室あったのかも知りません。反対に外階段から入れるような屋根裏部屋がいくつもあるのであれば、そこは、通常に家賃を取る安い部屋として見るべきであって、屋根裏部屋をあえて強調する必要もないです。

ここで重要なのは、現在のパリではなく1830年代のパリはどうだったか、です。その当時パリで若い女性が部屋を借りて一人暮らしできるところはどのような所だったのでしょうね?

ミミの職業は「グリゼット」ととのこと。「グリゼット」ですぐに思いつくのは、「メリー・ウィドー」のマキシムの踊り子たちです。彼女たちが「グリゼット」。「ミミ」とどう違うのでしょう。いくらでも疑問は出てくるのですが、これらの私の思う疑問と「ミミ」が住む部屋が「屋根裏部屋」か「階下の部屋」というところがどう繋がるかは私もよく分かりません。

ま、議論はさらに錯綜しそうなのでこれ以上申し上げません。

要するにKG様の主張はリーズナブルです。しかし、逆を否定は出来ない。もし確実に否定できると断言されるのであれば、それ相応の文献的証明を行っていただければ、と思います。私は本職が自然科学者で、実験をしながら仮説を証明するのが基本的な手法です。そのため、きっちりとした議論をする場合は、それなりの緻密なやり方に基づかないと納得できないのです。

はっきり申し上げますが、「私の名前はミミ」の歌詞をいくら読んでも、KG様のおっしゃる「屋根裏部屋でなければ、あの歌詞はありえない」という考えに同意することは出来ないのです。

私が納得するためには、建築史の文献で、1830年代のパリのアパートの構造から、屋根裏部屋以外の部屋は、「私の名前はミミ」に書かれたような状況は起こりえないことを証明していただく、あるいは、社会経済史の文献で、1830年代の一人暮らしのグリゼットの住居は屋根裏部屋が普通だった、ということを証明いただく、といった検証が必要だと思います。

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[937]上と下とで、きちんと繋がっていませんね。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月21日 (火) 23時27分
上記書き込み、上と下とがきちんと対応していませんね。

要するに私が申し上げたいのは、
1)KG様のご意見は納得できる。
2)しかし、他の可能性を否定できるほど論理的ではない。
3)私は、プッチーニ自身もそこまで緻密に考えていなかったと思うし、「ボエーム」の音楽的意味合いを考えるとき、ミミの部屋の問題は、本質的な問題ではないだろう

ということです。



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