【広告】楽天市場から1月9日よりお買い物マラソンエントリー受付中

音文協奏曲メイン掲示板

何か記念に書いてください!

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
アイコン アイコンURL
削除キー 項目の保存

このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください

[928]「ボエーム」について(続きの3) 投稿者:KG生

投稿日:2006年03月07日 (火) 16時50分

 パリでの屋根裏部屋について私は詳しくは知りません。子供のころ「小公女」という少女小説を読み、その中で大金持ちの娘が父親の死で、学校の寄宿舎からいっぺんに屋根裏部屋に追いやられる話で、可哀そうで泣いたことを覚えています。 ともかく普通の人より一段低い階層の人が住む場所とされていたようです。 日本なら天井裏に当たるというべきかもしれませんが、通常は斜めになった壁に、やや上向きに窓が明いていて、下の景色が見えない。また階段も一般のと区別され別につけられることもあったと聞いたことがあります。 ボヘミアンもミミも、そうした屋根裏部屋に住む最低生活者ですが、日本のホームレスなどと違うのは、貧乏で自由な生活だが、同時に夢と希望があり、誇りを持っていることです。一見破天荒な行動もそのためで、ミュルジェもプッチーニもボヘミアン生活を経験したので、このオペラはそうしたボヘミアン生活を描いているのです。 ボヘミアンの最もよい仲間であるお針子のミミが、家賃の高い下の部屋に住んだり、通常のお嬢さんであってはいけないのです。 よくミミが純情可憐の乙女のように書いたものも見ますが、これも誤り。世の中のことは良く知っていて、しかもある意味の純粋さを保っている、これがプッチーニの「理想の女性」だったのです。
 
 オペラの舞台の部屋は、ボヘミアンたちの部屋と書かれていますが、四人が全部ここに寝泊りしているのではなく、恐らく借主はマルチェロ、そこにロドルフォが転がり込んできている状態だと思います。後の二人は、それぞれ別の場所の別の部屋に住んでいて、生活だけを、ここで共にしているのではないでしょうか。 原作では四人の住まいは全く別で、日日の生活だけを一緒にしています。そしてロドルフォだけが、マルチェロの部屋に転がりこみ共同生活をしたときがあるのです。
 オペラではこの部屋にベッドが一つと指定されています。べノアが来たとき、真っ先に「家主だ」と叫び、また積極的に彼と応対するのは常にマルチェロです。「三か月分は払ったよ」とどなるのもマルチェロです。借主はマルチェロと考えて間違いないと思います。 

----------------------------------------------

[929]明日レスつけます。投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月10日 (金) 00時41分
いろいろと思うところがあります。週末までお待ちください。

----------------------------------------------

[930]男と女の違い投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月12日 (日) 07時46分
KG様、いろいろとありがとうございます。
私も、ここ何日間か「ボエーム」のことを考えました。そして、結局のところ、基本的な背景が分からない、ということにいやおう無しに気づかされております。

まず、「ボエーム」舞台は1830年代のパリですが、この時代のパリが、どのような町だったかが分かりません。フランスはそのときナポレオン時代が終わって、王制復古の時代になっていますが、社会・経済的には産業革命が進んで、工場労働者が出てくる時代だと思います。そのような時代にパリの住民とはどのようであったか。

このころ日本は江戸時代ですが、「江戸」はそのころ完全な男性偏重社会でした。参勤交代で江戸に出てくるのは妻子を田舎に置いた武士たちでしたし、地方で食えない百姓の倅たちは江戸に出て、大工や左官になります。すなわち、男であれば江戸には食い扶持があったのですね。しかし、女の職は何かあったかといえば、女郎ぐらいしか思いつかない。その頃の江戸で、若い娘の一人暮らしは、それがたとえ女郎であっても現実的ではないのですね。

そのような感覚でパリを律してはいけないのですが、ミミが一人暮らしである、というのも、かなり特殊な感じがします。産業革命で最初に勃興するのは繊維産業であることは歴史的事実ですが、そこで働くお針子たちが一人暮らしをすることは、経営的視点で見れば非常に効率が悪い。普通は寮生活をさせるか、住み込みです。私にも洋服屋の息子、という友達がいるのですが、彼のところでも1970年ごろまでは、若いお針子を3,4人いつも住まわせて、仕事をしていました。

ミミが一人暮らしをしている、という事実一つとっても、その時代のパリ社会の中でどういう位置づけか分からなくなります。

以下別項にします。

----------------------------------------------

[931]ミミは本当にお針子か?投稿者:どくたーT@管理人
投稿日:2006年03月12日 (日) 08時21分
とすれば、ミミは本当にお針子を職業にしていると考えてよいのか。勿論そういう設定であることは分かっております。しかし、ミミは自分の仕事を語ってはいない。「私の名はミミ」で、ミミは、
「私は家や外で麻や絹に刺繍をしています。心おだやかでしあわせで、百合やばらを作るのが慰めになっているのです。」と歌います。これでミミはお針子であることを示しているわけですが、これは職業のことかしら。これはミミの趣味のことを言っているだけではないのでしょうか? 仕事だったら、「心おだやかでしあわせで、百合やばらを作るのが慰め」にならないように思うのです。第一、お針子で生活しようと思ったら、「心おだやかでしあわせで」済む様な数の刺繍で済むわけがありません。そう思うと、ミミの本業は(お針子としての収入がゼロでなかったにせよ)他の商売だと考えた方が良いかもしれません。私が考えるのは水商売ですね。
水商売をしていたからこそ、ミミがロドルフォと分かれた後、子爵の囲われ者になれたのではないかしら。ただのお針子だったら、どうやって子爵と知り合えたのか。

ミミの話はここで置きますが、屋根裏部屋に関しても、よく分からないことがいくつもあります。当時のパリの標準的な建物は何階建てだったのでしょう。ロドルフォたちボヘミアンは屋根裏部屋に住んでいるのですが、何階の上の屋根裏部屋だったのか?。また、屋根裏部屋の下は何だったのか? やはり貸し部屋だったのか、大家の住居だったのか。
ベノアが家賃の取立てに乗り込んできたとき、ボヘミアンたちは3ヶ月の滞納があったわけですから、ベノアが同じ屋根の下に住んでいたとは思えない。とすれば、ボヘミアンたちの住む建物は、学生アパートのようなものだったのかしら。その中で特に安い家賃で住めるのが屋根裏部屋。ところで、そのような屋根裏部屋が一つのアパートに二部屋も三部屋もあるのが普通だったのでしょうか?

考えれば考えるほど、基本的知識に欠けるので、分からなくなります。



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から1月9日よりお買い物マラソンエントリー受付中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板