投稿日:2006年03月05日 (日) 18時36分
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この本を皆が孫引きして「ボエーム」の誤った解釈をしていると私が指摘した本は、永竹由幸さんが1980年に書いた「オペラ名曲百科」(上)です。これは大変な労作で、この本が書かれたため、日本のオペラ界にどれだけ貢献したかわからないほどの名著ですが、なにしろ名作オペラを全部取り上げたので、中にはいろいろ問題もあるのは当然で、この本の価値を下げるものではありません。 しかし読む側は最初からこれは人間が書いたもので、万能ではないこたを知らなくてはいけないのです。 実はミミが下の部屋に住むと書いた本は、この本より前にもあります。 英語の本でも一冊見つけましたし、また日本では、1955年に田中良雄さんという人がデイスク社から出した「イタリヤ歌劇解説」という本に、「階下に暮らす美しい小娘」と書かれています。 日本で戦前から最も権威あるオペラ解説書とされていた大田黒元雄さんの「歌劇大観」では、大正14年の初版から「同じ屋根裏に住む美しい娘」と書かれていましたが、恐らく大田黒さんは単純に、ミミが隣の部屋で蝋燭が消えそれで火をもらいに来た、と考えていたと思います。昔は殆どの日本のオペラファンは、そう考えていました。 私は永竹さんが、「ミミは階段を上ってきたのであって、隣の部屋からきたというのはおかしい」と何かに書かれていたのを記憶しています。 それからまもなく、あの本が出版されたのですが、そのとき私は、ミミが下の部屋に住むわけがない。パリでは屋根裏部屋は階段で結ばれているのではないかなどと真面目に考えたのです。随分考えた結果私は、ミミは自分の部屋から出て来たのではなく、自分の部屋に戻ろうとするところだったのだということに気が付いたのです。 そしてよく調べると、プッチーニは実に細かくしかも見事にそれを描いているのを知りました。 例えばアリアの「屋根の上と空を眺めながら」というのが屋根裏でないとしたら、どんな状況を想像できますか? 刑務所の部屋というなら分かりますガ。 アリアの言葉など、普通のオペラでは毒にも薬にもならないことを言っているのが多いのですが、プッチーニは違います。特に「ボエーム」は実に詳細に書かれており、それだからこそ世界の代表的オペラとなったのだと思います。 「最初の太陽が私のもの。 四月の最初の接吻が私のもの」というのは、一見何を詰まらないことを言っていると思うかもしれませんが、パリの冬の、毎日どんよりした暗ぼったい日が続くときから、初めて春の太陽を見たときの感激と、それが屋根裏の貧乏生活にどんな喜びであるかを考えると、やっぱりこれは屋根裏生活を意味するのだと、はっきりする筈です。 「最初の太陽、最初の接吻」が「私のもの」とわざわざ言うのは、本当に彼女が誰よりもそれが最初だからなのです。 これが、ミミが死ぬときのロドルフォの動きと関係しているということなど、私は随分してから始めて気が付きました。 ミミが屋根裏の住人だと書かないのは、決定的な言葉が無いからだというのは、その通りだと思います。しかしそれと同時に、その人が、このオペラをよく知らずに、しかも台本をあまり見てないからなのです。 「ボエーム」があまりにも有名なので、却って良く知らないくせに知っているような気がしてしまうのでしょう。 よくミミが隣りの部屋というのは、それなら二人は知り合いの筈で、自己紹介はおかしいと言う人もいますが、私は二人は恐らく顔くらいは合わせた仲だと思います。だから蝋燭の火が消えたくらいで、火をもらいにきたのです。また二人が互いによくは知らないのは、今の日本のマンション生活でも同じです。そして、初めて自己紹介し合って直ぐに意気投合し二人が結ばれるのがおかしいと書いた人がいますが、最低生活だが自由気ままで、常に夢と希望、それに誇りをもって生活するボヘミアンたちなら極めて自然と思うのですが、あまり長くなったので、これはまた次回に譲らせていただきます。 |
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