投稿日:2006年03月02日 (木) 20時35分
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今日はミミの部屋の問題について書きます。 まず結論から書くと、管理人さんがお書きになった三つのケースの1が正解であり、2のミミが「階下に住む」というのは完全な間違い、また3の同じアパートとか、近くに住むというのは、字面の上では間違いと言えないけれど、解説としては、やはり失格です。グローヴのオペラ辞典とか、メトが出版した「ボエーム」の本ではミミを neighbor と表現しており、またオペラでミミ自身が自分のことを vicina と言っています。(鍵を探しながら) どちらも日本語で近所と訳せないことはないけれど、普通はお隣りの意味です。 さらに決定的なのは、「私の名はミミ」のアリアの言葉です。原文は面倒なので訳だけで書くと、 「私はあちらの白い小さな部屋で暮らしています。屋根の上と空を眺めながら。 でも雪が溶ける時が来ると最初の太陽が私のものなのです。」 この言葉をよく見れば、彼女の部屋が屋根裏であることが一目瞭然です。 屋根裏部屋は、壁が斜めになっていて、通常は窓もやや上を向いており、下の景色は見えずに方々の屋根と空が見えるだけ。その代わりに春になると、いっぱいに日が差し込む。さらにここで重要なのは、彼女の部屋は東向きであること。 実はボヘミアンたちの部屋は、西向きである。何故かというと、ミミが死ぬ直前にロドルフォは夕日が差し込んでミミの顔に当たるのを避けようと、ムゼッタのショールをあれこれしているうちに、ミミが息を引きとると、楽譜のト書きに書かれているからです。そのお隣りのミミの部屋が春になると、どこよりも先に朝日が差し込むというのは、ボヘミアンの部屋は、家賃が一番安い西向きの屋根裏、ミミの部屋はその次に家賃が安い東向きの屋根裏なのです。 これだけいろいろあるのに、なぜ日本では、間違った解釈が横行しているかというと、1985年に出版された2冊から成る権威ある(日本では)解説書の中で、ミミのことを「階下に住む」と書いたため、皆がそれを孫引きするようになったからです。 下の部屋がおかしいと思う人も、「同じ家」ならいいだろうと書くようになったのです。 ではこの著者が何故こう書いたかというと、彼は、ミミが階段を上がって来たこと、彼女は当然自分の部屋から来たと思い込んでいたからです。 でもよく考えれば、まず、自分の部屋で蝋燭が消えたなら、普通は自分でまた火を付ける筈です。通常はマッチを使いますが、当時は火打石の時代です。でもどこの家でも火打石はあったはずです。またもし火打石が無かったとして、火をもらいに、わざわざ屋根裏まで来る人がいるでしょうか? おまけに彼女は体がよくないのです。何故近くの部屋に行かなかったのでしょうか。 オペラの中で彼女は自分のことを「ご厄介をかけるお隣りです」と言っていますが、自分の部屋から来たとは言っていません。管理人さんも言われるように、彼女は外から帰ってきて、自分の部屋に戻ろうとするところだったのです。その理由も彼女はアリアの中で仄めかしています。「私は家や外で麻や絹に刺繍をしています」 つまり屋根裏住まいで貧乏な彼女は、クリスマスイブにもかかわらず、仕事をし終わって晩に帰ってきたところだったのです。 廊下や階段には本来は常夜灯があるのですが、門番がケチで油の節約から、階段も廊下もまっくら。それでコリーネも階段を踏み外したのです。コリーネが「畜生、門番の奴」と怒ったのはそれを指しています。 パリの古アパートは、階段も磨り減ってつるつるだし、廊下も穴だらけです。 ミミは門番から蝋燭と鍵を受取って階段を上がって来たが、屋根裏に辿りついたところで下から吹き上げる風のため蝋燭が消えてしまい、もう危なくて自分の部屋まで行けない。そこでドアの下からかすかに灯りの漏れるボヘミアンの部屋をノックしたのです。 ミミが「息が、そこの階段で」と言うのは プッチーニの考えでは、彼女が外から帰ってきたことを説明したのです 。 そのために「階下に住む」と考える人が出ようとは夢にも想像しなかったに違いありません。なぜなら「お隣り」とはっきり言っているからです。 以上長々と書きました。まだ言い足りないような気がしますが、あるいは私が間違っているかもしれません。どなたでもご意見があれば、ぜひ教えていただきたいのです。また何故私が一見こんなに小さなことに拘るかについても、次回に申し上げたいと思います。 |
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