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投稿日:2016年01月15日 (金) 22時08分
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35年、レチナはNo118に。117、軍艦部上部に有った、巻き止め装置。118では、ファインダー下部に変更している。他は、117とほぼ同じ。118は、117の改良品(と云うより、117の後期型) 此処で少し135カメラを整理して見る。 コダックが135フイルムを販売。是に先ず乗っかったのが、ライカとRFコンタックス。これ等は、如何にも高級品。セミ判イコンタの、精密小型カメラとして登場している。 34年。ツアイスは、スーパーネッテルを発売。是はスプリングカメラでは有るが、コンタックスの普及品。レンズ交換こそできないが、コンタックスの鎧戸FPシャッターと、スーパーイコンタのドレイカイルRFを備えている。普及品とは言え、コンタックスに対しての物。レンズも、テッサー、トリオターである。 コダックは、135フイルム普及の為、その下のカメラを求めた。 その為、コダックは、ドイツ、ナーゲル社を傘下に収める。 ナーゲル社は、ツアイスで研究開発していたナーゲル博士が、独立して作った会社。主な作品はナーゲルピュピレ。 127半切、沈胴。レンズは、ツアイスとの確執から、エルマー、クセナーであった。 ナーゲル博士が、是をベースに、セミイコンタの要素を取り入れ、135レンズシャッター、スプリングとしたのが、レチナ初期型だと思う。 ピュピレは良く出来た小型カメラ(沈胴レンズ、127半切)だったので、レチナも初めから、良く出来ている(巻き止め、巻き戻し装置には、結構試行錯誤>機構改良しているが) 加えて、レンズ。是の確保も結構大変だった様子。36年のNo126では、クセナー、エクター、テッサー、アルコ―、イザール、アンンジェニュー等色々。 37年、No141。この辺りから、巻き上げ、巻き止め機構、レンズ共安定。レチナTと成る。39年のNo148で、戦前のレチナTは完成する。 追伸)生産台数。初期型No117が、6万台程に対して、118は4100台、119は3900台と云われている。どちらも、レチナコレクターにとって、最も手に入れにくいレチナ。 レンズに関して。本家、ロチェスターのエクターを使えば?当時の社会情勢を考えて欲しい。ナチスドイツとアメリカは険悪な情勢。加えて、ナチスドイツは、ライカ、RFコンタックスを、主要精密カメラ(軍事用、輸出用を含め)と考えていた。レンズもこれ等用がメイン。ドイツコダックには、これ等のレンズを供給するはずが無い。 レチナT。No141がレチナTと成ったのは、RFのレチナが完成した為、此方がレチナUと成った為。 初期型レチナは、No126でほぼ完成している。枚数表示の位置を変え、アクセサリーシューを付けた(付いて無い物も有る、その位置にネジが)是を、ボデーシャッターにしたのがNo141である。 |
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