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出逢いの頃の思い出 ・ モラルハラスメント? 早期発見のために

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[650]/私の思い出話も聞いてください /投稿者:momo [2854]
 10代の終わりころ、2年弱くらい、つきあっていた同い年の男に、ひどい暴言や暴力などを受け続けました。あれはDVと呼ぶよりは、モラルハラスメントと呼ぶべきものだったのね、あいつはああやって私の全人格を支配しようとしていたのね、と気づいたのはつい最近です。しかも、ここやカップル版でいくつかの投稿を読んで、「うわーあいつとそっくり!あのころの私とそっくり!」と思って気がつきました。

 あれは10年以上も前のこと。刑事役なんかよくやってる、二枚目を気取った(?)某俳優さんを気取った彼(当時17歳くらい)が、まずは知り合った当初(その日だったか?)初夏の星空の下で、遠い目をして演じた「子泣き爺」芝居は、こんなんでした。
 「昔(って、まだ17だよ?いつのことだよー)、強く深く愛し合った女が、去年(?一昨年?私の記憶が定かでない)の○月○日ころ、交通事故で突然死んだんだ。家族揃って車で旅行へ行く途中、どこそこのあたり(地元)で、家族全滅だった。悲惨な大事故だったから、もちろん、新聞の地元版にも載ったさ。ほんとにいい女だった…。あんないい女にはもう巡り会えないだろうな。あれ以来、俺は女を本当には愛せてない…」
 もちろん、信じましたよ。というか正確には、「まさかこんな、少女漫画みたいな嘘をつく『あほ』が、現実社会にいるはずがない」という、「あほ」そのものの思いこみで、まさか嘘とは思いませんでした。その後だいぶたってから、地元の図書館でその事故があったとされる日の前後1か月くらいの地元紙と地元版新聞記事を全部調べましたが、それらしき記事を発見することはできませんでしたので、ほぼ100%嘘なのでしょう。
 その後も、何かことあるごとに、遠い目で、あるいは星空を見上げて、「もういいよ…、俺はあいつのところへ行きたい」などと言って、「ネタ」として利用していました。

 モラ男は、つかなくてもいい嘘をつくものですね。だけど、自分でついた嘘(あるいは嘘をついたこと自体)を細部まで記憶するだけの知能がないために、すぐに破綻することもしばしば。嘘をつくことは簡単ですが、ついた嘘を記憶し続けることはとても難しいことを、身をもって教えてくれました。
 
 それにしても、あんなに頭が悪いのに、何故、私を支配する術だけは、あれほどに巧みだったのでしょう?!まるで身に染みついた本能的行動のように、ここぞというときに、飴を与え鞭をふるい、またその鞭の種類や振るい方を上手に使い分け、実に有効適切に、私を支配していました。私はいつも、彼の顔色をうかがっていなければいけなかったです。
 彼の機嫌がよければ、私は安心して、デートを楽しめる。私が笑顔で楽しんでいるのがおもしろくないのか?私の安心感、楽しい時間をぶちこわしにするのがほんとうに得意でした。些細なことを取り上げて、それすらもないときは何がなんだか分からないことで、しつこく責め続けるか、突然無視し始めるか、そんなことの繰り返しでした。私はただ泣いて「ごめんなさい」と、わけがわからないまま、言い続けるしか、できなかった。

 つきあい始めて間もなく、どれくらいだったか忘れたけど、たぶん何週間とかそれくらいしか経ってなかったと思う、訳も分からず突然の別れ話をされました。奴がこのときどういう話をしたのか、具体的には全く覚えていないけれど、とにかく、いくらきいても理由がはっきりしない、私のどんな言動や態度、性格を「別れの理由」として取り上げられているのか、全くわからない、とにかく「お前はダメな奴だ。何を言われているのか分からないということ自体ダメだ」みたいに言われ続けたことだけ覚えています。当然、私が「別れたくない」と泣いてすがるのを待っている。半分くらいそれがわかっていて、そのとおりの行動をしてしまった、情けない私…

 以後も、ことあるごとに「(私が泣いてすがることを当然のこととして期待してされる)突然の、訳の分からない別れ話」はたびたびありました。これがいわば、暴力に次ぐ「鞭」だったんだな。これが怖くて、彼の顔色をいつもうかがってたんだもの。

 そのときはやっぱり、せっかく築いた関係を壊したくない、1人になりたくない思いなどなど、いろいろな思いの中に、彼をただ嫌う親への反発もありました。当時、私は親に対して複雑な感情を持っていたこともあり、彼らに「それみろ」みたいに言われるのがいやで、無理してつきあい続けたという面があります。それから、いつかきっと、私の思いが通じて、いい関係になれるんじゃないか、きっと彼は変わってくれるんじゃないか、幸せになれるんじゃないかって願って。
 
 実は私の場合、その願いが通じたのか、別れる直前の数か月は、モラハラ行為がぴたっとなくなり、ほんとにいい関係になれたのです。それでも、彼の顔色をうかがっていたのは私のいわば習性となっていて相変わらずだったけど、以前ほど辛いものではなくなっていました。だからよけい、私は離れがたくなり、つきあいが長引くことになりました。せっかく築いたいい関係を壊すなんてもったいない、私がこの1年半あまりもの間苦労してきたものは何だったの?という思いがよけい強くなって。

 いつごろだったか、最後に別れる時以外に、いちどだけ、私が耐えかねて、別れを切り出したことがありました。もちろん、彼がしょっちゅうしていた「支配の手段としての別れ話」とは違う、本気だった。ほんとに耐えかねて、別れに伴うあらゆる辛さも覚悟しての決断でした。これを電話で伝えたときの彼の一言目をよく覚えています。「やっと、終わるんだね」。いかにも、「俺はお前みたいなダメ女と我慢してつきあってやってたんだ」といわんばかり。私は、自分の選択の正しさを実感しました。
 なのに。その後間もなく、「会ってきちんと話がしたい」とかいうことだったと思う、呼び出され、たぶん謝ってくれたのかなあ、とにかく優しかったのです。「俺を思いっきり殴れ!」(でも当然、後が怖くてそんなことできない)とかなんとかいう状態にもなり、要するに「俺たちは別れるべきでない」と説得され、あれだけの決意を固めたのに、よりを戻してしまった…

 つきあっていたって、辛いことばかり。心を込めて作ったお菓子、大学受験でそれどころでないのに、頼まれて作った、そうとうに手の込んだポーチ。友達は誰もが「おいしい」「上手」等とほめてくれるようなものだった。でも奴には、気分次第でののしられました。「今食う気しないんだよ!」「(ほんのちょっと、裏面の糸始末が悪かっただけで)こ・ん・な・も・の!で、俺のために心を込めて作ったなんてぬけぬけと言えるのか!」「作り直せ!」等々と。
 服装についても、そうとう傷つくことをさんざん言われました。きちんと正装する必要があって着ていたスーツも、「スーツなんか着て、気取りやがって!お前なんか、汚いジーンズで充分なんだよ!」「口紅が濃い、取れ!」等々。私がおしゃれすることは許せなかったようです。
 また、奴がしょっちゅう使っていた言葉は、「調子に乗るな」「お前はすぐに調子に乗る」。私はとても愚かで、ダメな人間なんだと植え付けたかったようです。「お前の話はくだらない」。では自分の話は?当然、たいした話題など持っていない。
 ほとんど共通の友人とも言える人にすら、私にはまともにあいさつひとつさせない。「あいつは俺の友達なんだから、お前は引っ込んでろ!」とまるで私がすごく悪いことをしたみたいに、叱りつけられることもありました。訳が分からなかった。

 それでも言い足りないと、暴力でした。殴られたり、突き飛ばされたり、首根っこつかんで引っ張り回されたり。

最後に受けた身体的な暴力では、別れる10か月ほど前でしたか、鼓膜が破れました。大学受験を控えた時期、治療に、半年かかりました。その後も長いこと、耳鳴りが残りました。このときも奴は、つかなくてもいい嘘をついた。「親父(元やくざだという。たぶんこれも嘘)に話したら、同じように殴られた。鼓膜が破れ、出血した。今でも痛い。耳鳴りもする」と。そして、都合が悪くなると、耳を押さえて痛そうにしたり。でもその押さえる耳が、殴られたとする側と逆だったり(嘲笑)
 何故この時に別れなかったのか…、よく覚えてませんが、たしか、上記した、私が別れを決意したときというのが、このときだったようにも思うのですが…、もう記憶がはっきりしません。

 性についても、彼は典型的なモラ男でした。セックス経験豊富を装っていたけれど、おそらく経験がなく、自信がなかったためでしょう、それからホテル代なんかも惜しかったのでしょう、つきあっていた時期の後半は、会うたび、人気のない公園などの屋外で、口で奉仕させられました。これが辛かった。でも拒否したり、飲むことを避けて下着を汚しでもしたら、どれだけひどい仕打ちが待っているか、怖くて、従わざるを得なかった。私の身体もいいようにもてあそばれた。ただ早く終わってほしくて、気持ちいい振りをしました。屈辱だった。またそうしなかったら、またどんなことを言われ、されるかわからなかった…
 次の彼氏とは、約5年という長期間、とてもいい関係でいられたのに、セックスだけは苦痛だったのは、このせいもあるのかな?

 奴と別れられたのは、この次の彼氏の力が大きかったです。彼(だけでないけど)のおかげで目も覚めたし、モラ男との別れという、それだけでエネルギーの要する作業をなんとか成し遂げることができました。

 というのはですね、このモラ男話の中でこれが一番の笑い話なのですが、奴は、最後の最後、別れ話のために会ったとき、大きな大きな真っ赤なバラの花束を持ってきてました。ずっしりと重い、ほんとに豪華な花束でした、あの、110円の缶ジュース代すら惜しむくらいのケチな男が、です。あんなきれいな、大きな美しく香しい花束を見て、「げんなり」したのは後にも先にもあのときだけです。でもこんなご機嫌取りにも泣き落としにも全く動じなかったのは、ちょっと離れたところで見守っててくれた彼がいたからでした。
 ちなみにこの彼とは、まさに「青春時代」をともに過ごして、そのまま甘くもほろ苦い「青春の思い出」となりました…(;。;)

 とはいえ奴と別れた後も、しばらくの間、夢の中で奴に追いかけられ追いつめられ、殺されるような恐怖に悲鳴を上げて目を覚ましたり、しょっちゅう奴の夢を見てうなされたり、フラッシュバックがあったり、奴からとおぼしき悪質ないたずら電話があったりと、後遺症はいろいろとありました。たぶん、奴とつきあった期間の倍くらいの時間は、いわば「癒し」の時間として必要だったのでしょうね。その間、ずっと、「青春の思い出」となった次の彼が支えてくれましたが。
 でもその後はその彼との辛い別れもあり、自暴自棄になってまたプチ?モラ男に引っかかったりいろいろありましたねえ(;。;) 30過ぎて、今の旦那と結婚して、やっとこさ、おかげさまで幸せです。

 過去の辛い体験を、過去のものにするためには、「時間薬」の力もさることながら、やはりこの辛い体験を「言語化」することなしには難しいと思います。だからみなさん、どんどん語りましょう。聞かせてください。似たような体験を共有できるのは、それだけで心強いことでもあります。
 そうした場となってくれるこの場に、心から感謝します。
 私にとっても、モラ男のことは、次の彼にもずいぶん話しましたし、それと10数年という時間が経ったことで、完全に過去の話になりました。たとえていうなら、肌に傷跡が見える程度に残っているけれど、さわっても痛くも何ともない、ただの古傷跡という状態です。ただ1点、いまだに、彼が気取っていた俳優さんだけは、当然ながらその方には何の罪もないのですが、不快感がわき起こり、直視できません(苦笑)

 長文の乱文で失礼いたしました。
 苦しんでいるみなさん、1日も早く脱出できますように!そのときは辛くても大丈夫、ここに来る限りあなたは1人じゃないから。

投稿日:2005年11月27日 (日) 21時30分




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