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世界ウルルン放浪記

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タ・プローム 6
NO.361/キシ
まるで大きな手が遺跡をつかんでいるように見える。
2005年12月11日 (日) 20時56分
 

 

タ・プローム 5
NO.360/キシ
遺跡の中にまで木の根が延びる。
2005年12月11日 (日) 20時54分
 

 

タ・プローム 4
NO.359/キシ
自然は偉大なり。
2005年12月11日 (日) 20時51分
 

 

タ・プローム 3
NO.358/キシ
かっこええー。
2005年12月11日 (日) 20時50分
 

 

さて、アンコールの続き。
NO.357/キシ
タ・プロームを見た次の日。
前日タ・プロームを見に行ったが終了時間間際のため中をじっくりと見ることが出来なかった。
それでこの日再びタ・プロームを見に行くことに

片道1時間以上かけて自転車をこいで何とか到着。
中を時間をかけてじっくりと回る。

タ・プロームは本当にいい!
根っこが遺跡に絡まっているのが大好きなんだけど、あちこちでそういう見所がある。
わざとそういう風になるように木を植えたんじゃないのかって思えるぐらいだ。だとしたら気の長い話だなー。ってんなわけないか。

その後バンテアイ・クデイを見る。
ここも、まあ、すごいんだろうけど他にもすごいのが一杯ありすぎてあんまり印象には残ってない。なんというか贅沢な話だ。

その後バイヨン寺院をもう一度見に行く。
時間は4時半。ちょっと空いた時間帯にもう一度見てみたかったから。
やっぱりバイヨン寺院もいい。
作りがなんか立体的で3次元的な奥行きがある。
バイヨンの微笑みのでかい顔があちこちにポンポンあって、なんつーか楽しい遺跡だ。

その後夕日を見るべくプノン・バケンの丘を登る。
良くこんな丘の上にあんなでかい遺跡作ったよなー。と関心するほど急な階段(崖?)をよじ登る。

眺めは最高。夕日もきれいだった。
けど、別に遺跡から見ると言うこと自体には別に意味ないよなーと思った。
特に遺跡の後ろに夕日が沈んでいく。みたいなのは無いし。どちらかと言うと、夕日の眺めがきれいな丘の上にたまたま遺跡が作ってあったって感じ。

まあ、いいや。

帰ってシェムリアップ最後の夜。
おれが泊まっているタケオゲストハウスの入り口スペースでやっているレストランタケオのオーナーは日本人。
この日、新商品のチキンカツを作っていたのを目ざとく見つけ、それを作ってもらう。

それを商品化する上での意見がほしいと言う。
タイチさんと二人であーだこーだ意見を言う。このソースはやめてマヨネーズを混ぜたらとか、揚げ方がどーだとか。
そのうち、元飲食関係コンサルタント?の血が騒ぎ始めた。
お勧め商品で利益コントロールしたほうがいいだとか、値段はこのくらいに設定すべきだとか、アンケートで意見を集めたほうがいいとか何とか。

ちょっと仕事のことを思い出した。
真剣に何かアイデアを出して新しいことを始めると言うのはやっぱり面白いと思った。

結局、オーナーさんからお礼と言うことでチキンカツはただにしてもらった。

おれがコンサルティング??したチキンカツがタケオのメニューに並ぶ日もそう遠くないはずだ。

まあ、そんなこんなでシェムリアップ最後の夜は更けていった。
2005年12月11日 (日) 20時37分
 

 

京都には、
NO.356/キシ
多分そのうち遊びに行くよー。
そん時はまた連絡するね。

それにしても、健康が一番だねー。ビールも飯もうまいし。後は鳥インフルに気をつけるだけだな。

マリちゃんも寒さの厳しい師走の折、ご自愛下さいますよう。
2005年12月11日 (日) 19時49分
 

 

ひっでー!!
NO.355/マリ
なおき君大変だったね。日本語の通じない所で入院するだけでも充分大変なのに、、、私も学生の頃腸炎になったことがあって、そん時のしんどさだけは死ぬまで忘れないんじゃないかと思った。肺炎で死にかけた時よりつらかったなあ。
なおき君の帰国とかぶってたらよかったんだけど、残念ながらもう京都に帰ったんだ。年末に向けて忙しくなるし、当分地元に張り付きだわ。こっちに来ることあったらいつでも訪ねて来てちょうだいね。
2005年12月11日 (日) 04時26分
 

 

ダナンで入院中
NO.354/キシ
急性胃腸炎で緊急入院。点滴も取れ、ちょっと調子が良くなってきた頃。
2005年12月11日 (日) 03時06分
 

 

苦難の旅路(ダナン)
NO.353/キシ
ダナンの病院はさすが近代的だった。

ダナンについた頃はじょじょに痛み止めも効き始め、苦しみはひと段落着いた。

その後、なんやかんや検査したり注射打たれたり薬を飲まされたりした。
何の注射を打っているか、何の薬を飲んでいるか何の説明も無いから多少不安。なんといってもここは日本ではないから。

そして、その日はそのまま入院することに。

次の日半日ほどで体調はほぼ回復。
手術をする必要も無く、無事に退院することになった。

支払いは保険のキャッシュレスを当てにしていたのだが、ベトナムではホーチミンとハノイいがいではできないらしい。

仕方なく、診断書を書いてもらい、現金で支払う。

夕方病院を出て、バイタクで再びホイアンに向かう。
そして途中で気がついた。
領収書を貰うのを忘れてた。
病気が治ったのに浮かれて気が抜けていたとしか言いようが無い。
それがこの後の悲劇の始まりだった。

病院に戻り、担当医を探す。バイタクの運転手が通訳してやるからといってついて来た。
担当の医者を見つけた時には日も暮れていた。

担当医に領収書をくれというとなぜかあーだこうだ言って領収書を出そうとしない。
ねばりにねばって領収書を書いてもらう。

すると、領収書と一緒に約130ドル分のお金も持って来た。そのお金ををなぜかバイタクの運転手に手渡して何か言っている。

その時は気づかなかったのだが、この医者、治療費を上乗せして払わせ、それを着服していたようなのだ。
領収書を請求したときにそれを隠せなくなって返却してきたようだ。どうやら130ドル分のお金はその分だったようだ。
その医者はそんなことおれに直接説明せずにバイタクの運転手に何か言っている。

医者が立ち去った後、運転手が着いて来いという。その運転手が言うには、この130ドルは病院の別の病棟の会計所で支払う分だとのこと。

バイクで別の病棟に行き、おれが払ってくるからバイクを見張っててくれと言って病棟に向かおうとする。おれも行くと言うと、医者におれが頼まれてるから大丈夫とか言う。

まさか、医者がお金を上乗せして着服しようとしていたお金だとは思わなかったのでその運転手の言うことを信じてしまった。

まあ、領収書さえあれば保険がおりるだろうと思って運転手に領収書を貰うようにだけ念を押して任せてしまった。

しばらくして戻ってきた運転手が持ってきた領収書と言うのが小さく破ったチラシの裏側に落書きみたいに金額だけ書いてあるメモだった。
もちろん、こんな糞もふけねーような紙切れで保険がおりるわけが無い。そいつが適当に自分で書いたものに決まっている。

そこで気づいた。
さっきの金はおれの金で、医者が着服しようとしてたの返してきたんだと。
今思えばおれじゃなくてタクシー運転手にお金を手渡している時点で医者もグルだったかもしれない。
「ドクターに頼まれた。ドクターに頼まれた」と言うのを信じたおれが馬鹿だった。。。

なにはともあれ、そこで
「金を返せこのヤロー!」
とやり取りが始まる。
取ってない、返せ、取ってない、返せの応酬が続く。
そのうち雨がだんだん強くなってきたので、雨の当たらない建物のひさしに移ることを提案した。
荷物を持って歩き始め、ふと後ろを見るとやつがいない。
なにぃっ??

やつはバイクにまたがっている。
と思ったら即効で出発して暗闇の中へ逃げていってしまった。
追いかけようにも背中にはめちゃ重いバックパック。

やつは130ドルと共に二度とおれの目の前に現れることは無かった。。。

悔しいやら、情けないやらでしばらくは怒りが収まらなかった。

自分を納得させるためにいろいろ考えた。

きっと、あの運転手には重い病気の娘がいて、その薬を買うためにやむにやまれずおれの金を取ったに違いない。
きっとそーだ。
かわいそうなやつなんだ。
娘が元気になるといいなー。

ふぅ、少しだけ怒りが収まった。

ともあれ、ようやくニャチャンから続いた苦難だらけの旅路は一段落ついたのだった。
2005年12月11日 (日) 02時51分
 

 

苦難の旅路(⇒ホイアン)
NO.352/キシ
ホイアン行きの夜行バス。
最初はちょっと気持ち悪さを感じた。
その後、おなかが張るように痛み始めたが、まだまだ耐えられないほどじゃなかった。
12時になり、徐々に痛みがエスカレート。
2時に痛みのピークを迎えた。

これは急性胃腸炎になった人じゃないとわからないと思うんだけど、ほんっっっとうに痛い!
なんつーか、胃の中を錆びたペンチでぎゅーってつねられてるような痛さだ。しかもそれが絶えることなくずーっと続くのだ。
さらに、時々「おえっ」と吐き気が襲ってくる。幸いバスの中で大惨事を起こすことは無かったが。(隣のエドゥはその度に焦ってたけど)

2時以降は本当につらい。一秒でも早く病院に行って痛み止めを打ってもらいたいって思った。もう、バスの中で考えてることっていったら病院で痛み止めの注射を打ってもらってる姿ばかりだったぐらいだ。
脂汗が流れ(暑くも無いのに変な汗がいっぱい出た)、呼吸が荒くなり、思わずうめき声を発してしまう。吐き気で口の中に唾がたまってくる。
そんなときほど時間が経つのが遅い。5分おきぐらいに時計を見る。一時間ぐらい経ったような気がするがほとんど針は動いていない。時間の経つ遅さに気が遠くなる。
そんな状態で朝の6時まで耐えた。今考えても気が狂いそうな4時間だった(気が狂っちゃえばもっと楽だったのにとさえ思う)。ほんと自分をほめてあげたいくらいだ。

バスから降りるやいなや近くの建物の前に吐いてしまった。

エドゥが付き添ってくれてそのままホイアンホスピタルに運び込まれた。

ホイアンホスピタルはホイアンでは一番大きい病院だったが、建物がボロイ。会話はもちろん英語だし、ちょっと不安だった。

実は今回と同じ病気には去年まだ会社に勤めているときにもなったことがある。その時もめっちゃつらくて入院したのだけど。

それで、症状がほとんど同じなので今回も同じだろうとは思っていた。
ただ、昔から腸が弱く、大学のときも大腸憩室炎という病気で手術をしたことがあったからあんまり楽観もできない。

医者の見立てではたぶん胃腸炎だが、ひょっとしたら手術が必要な類の病気かもしれないとのこと。
それで、より詳しい検査のできるダナンのもっと大きい病院に運ばれることに。

おしりに2本痛み止めと抗生物質をうたれ、手には点滴をうたれた。
そして、点滴をしたままの状態でダナンに緊急輸送。
(エドゥとはここでいったんバイバイ)

苦難の旅路はまだまだ続く。。。
2005年12月11日 (日) 01時43分

 



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