ダナンの病院はさすが近代的だった。
ダナンについた頃はじょじょに痛み止めも効き始め、苦しみはひと段落着いた。
その後、なんやかんや検査したり注射打たれたり薬を飲まされたりした。
何の注射を打っているか、何の薬を飲んでいるか何の説明も無いから多少不安。なんといってもここは日本ではないから。
そして、その日はそのまま入院することに。
次の日半日ほどで体調はほぼ回復。
手術をする必要も無く、無事に退院することになった。
支払いは保険のキャッシュレスを当てにしていたのだが、ベトナムではホーチミンとハノイいがいではできないらしい。
仕方なく、診断書を書いてもらい、現金で支払う。
夕方病院を出て、バイタクで再びホイアンに向かう。
そして途中で気がついた。
領収書を貰うのを忘れてた。
病気が治ったのに浮かれて気が抜けていたとしか言いようが無い。
それがこの後の悲劇の始まりだった。
病院に戻り、担当医を探す。バイタクの運転手が通訳してやるからといってついて来た。
担当の医者を見つけた時には日も暮れていた。
担当医に領収書をくれというとなぜかあーだこうだ言って領収書を出そうとしない。
ねばりにねばって領収書を書いてもらう。
すると、領収書と一緒に約130ドル分のお金も持って来た。そのお金ををなぜかバイタクの運転手に手渡して何か言っている。
その時は気づかなかったのだが、この医者、治療費を上乗せして払わせ、それを着服していたようなのだ。
領収書を請求したときにそれを隠せなくなって返却してきたようだ。どうやら130ドル分のお金はその分だったようだ。
その医者はそんなことおれに直接説明せずにバイタクの運転手に何か言っている。
医者が立ち去った後、運転手が着いて来いという。その運転手が言うには、この130ドルは病院の別の病棟の会計所で支払う分だとのこと。
バイクで別の病棟に行き、おれが払ってくるからバイクを見張っててくれと言って病棟に向かおうとする。おれも行くと言うと、医者におれが頼まれてるから大丈夫とか言う。
まさか、医者がお金を上乗せして着服しようとしていたお金だとは思わなかったのでその運転手の言うことを信じてしまった。
まあ、領収書さえあれば保険がおりるだろうと思って運転手に領収書を貰うようにだけ念を押して任せてしまった。
しばらくして戻ってきた運転手が持ってきた領収書と言うのが小さく破ったチラシの裏側に落書きみたいに金額だけ書いてあるメモだった。
もちろん、こんな糞もふけねーような紙切れで保険がおりるわけが無い。そいつが適当に自分で書いたものに決まっている。
そこで気づいた。
さっきの金はおれの金で、医者が着服しようとしてたの返してきたんだと。
今思えばおれじゃなくてタクシー運転手にお金を手渡している時点で医者もグルだったかもしれない。
「ドクターに頼まれた。ドクターに頼まれた」と言うのを信じたおれが馬鹿だった。。。
なにはともあれ、そこで
「金を返せこのヤロー!」
とやり取りが始まる。
取ってない、返せ、取ってない、返せの応酬が続く。
そのうち雨がだんだん強くなってきたので、雨の当たらない建物のひさしに移ることを提案した。
荷物を持って歩き始め、ふと後ろを見るとやつがいない。
なにぃっ??
やつはバイクにまたがっている。
と思ったら即効で出発して暗闇の中へ逃げていってしまった。
追いかけようにも背中にはめちゃ重いバックパック。
やつは130ドルと共に二度とおれの目の前に現れることは無かった。。。
悔しいやら、情けないやらでしばらくは怒りが収まらなかった。
自分を納得させるためにいろいろ考えた。
きっと、あの運転手には重い病気の娘がいて、その薬を買うためにやむにやまれずおれの金を取ったに違いない。
きっとそーだ。
かわいそうなやつなんだ。
娘が元気になるといいなー。
ふぅ、少しだけ怒りが収まった。
ともあれ、ようやくニャチャンから続いた苦難だらけの旅路は一段落ついたのだった。
2005年12月11日 (日) 02時51分