フシギ+BBS
ようこそぉ♪
皆さん、ずずいとカキコしていって下さいねvv
[116] 題名:今晩和! 名前:るい MAIL URL 投稿日:2002年08月04日 (日) 20時08分
ちーやん今晩和!
うちのサイト、やっと更新再開できそう!
いろいろあってストップしてた・・・
ここのリンクもはっとくね!
聞いておくれ!今日うちの誕生日なんよ(笑)
ただそれだけ(笑<をぃ)
荒らしは大丈夫かい?
うちは丼さんと言う方が熱心にきてくださってます(*^^*)
んじゃまたっ!
[115] 題名:あらら 名前:あさこ MAIL URL 投稿日:2002年05月26日 (日) 13時27分
あたしが全然来ないうちに荒らしが来てたのね。
もう来てないみたいだし、よかったよかった。
あたしのよく行くサイトにも2ちゃんねる的な荒らしが来てたんだけど
どの荒らしを見ても思うのは、「こいつ、暇人だなぁ」ってこと。
よほどの暇人でなけりゃ荒らすことに時間なんて使わないっしょ。
その暇な時間を荒らすことに使うってのもおかしいしね。
もっと他にやることあるんじゃねーの?とか思う。
荒らすこと以外にやることないって…やばいって(笑
荒らしには趣味とかねーのかなぁ?荒らすことが趣味なのかなぁ?
したらめっちゃ悪趣味だよね。
時間はもっと有効に使うべきだと思うんだけど。
荒らすこと以外に時間を使えないなんてかわいそうな人間だわ、ホント。
荒らしには、あたしもいろいろとひどいことされてきたからねぇ。
勝手に人のサイト荒らして楽しんでる人はやっぱ許せないわけよ。
ネットの世界にいる人は最低限のネチケットは守ってもらいたいね。
ネチケットなんて名前ついてるけど
内容はネットの世界に限ったことじゃないでしょ。
普通に生きていく上での最低限のマナーじゃんね。
それさえも守れないならネットするなよ、みたいな。
ネットするなっつーか…もう一回マナーについて学びなおしたら?
いろいろ書いちゃったけど、なんかまだ言いたりないなぁ。
まぁ、もう荒らしいないみたいだし
もうココに書く必要なないと思うけど。
ちーやん、がんばれよぉ〜!
応援してるからねぇ☆
[114] 題名:名前だし 名前:笑 MAIL URL 投稿日:2002年05月12日 (日) 14時09分
なんでネラーらしき人が居るんだよ。ははっ
シュ!昨日帰ったら来るの忘れてた〜!ごめんよ〜(>_<)
ラジオ聴けた?
[113] 題名:おひさぁ〜♪ 名前:よなりん MAIL URL 投稿日:2002年05月05日 (日) 23時36分
お久ぶり!!9ヶ月ぐらいPC止ってたよ(汗)
やっとPCが直りまいしたぁ〜!!
っということでまたあらわれま〜す♪
[112] 題名:初めましてと、お久しぶりです。(*^_^*) 名前:夏目久美 MAIL URL 投稿日:2002年05月02日 (木) 02時07分
ええと。(笑)彼女のサイトで、『お絵描き掲示板』のレスを、過去に頂いたことのある、『陽なたの王国。』夏目久美です☆覚えていらっしゃいますでしょうか?
お元気ですか?
いや、今、うちのサイトは、リニューアルの為、一時、閉じてます。はい。その報告に参りました☆遅くなってしまい、御免なさいです。
これからも、何とぞ、宜しくお願いしますネ。ほんとう。
今は、仕事が忙しいのですけども、今度、イラストでも、進呈させて頂いても、かまいませんか??
お返事、ゆっくりで構いませんので、よろしくお願いします。
夏目でした!あ、『久美さん』でいいですので。今度、是非、遊びにいらして下さいね。
お休みなさいまし。
[111] 題名:無題 名前:ちーゃん MAIL URL 投稿日:2002年05月01日 (水) 21時20分
ょくここまでヒマがぁるんナニ"ネぇ…関心したょ。
ここまで荒らしで対策がナィ訳ナィらUぃケド、自分が否認されナニからってUきかに八っ当ナニり、そUて私のサィトまで荒らす。
自分が何をUてるのか分かってる?
人間とUて一番嫌われる事ダョ?!
私には関係ナィけど、もっと自分を大切にUナニ??
ってゅーか、ィィ年してこんな事ゃって何が楽Uぃんだろぉねぇ…。
子供のダダ子みナニな事するのゃめナニら?
人の事ゅー前に自分を見っめナょぉUナょょ…。
では
[110] 題名:Hallo! nice to meet you! 名前:juria MAIL URL 投稿日:2002年05月01日 (水) 05時30分
Bowing to the Omniscient
The noble Avalokiteshvara-Bodhisattva, when pursuing the
course of attaining Perfection in deep Wisedom, surveyed the
world from on high and came to know that the five constituents
of being (form; feeling, perception, volition and recognition)
are empty in their own nature.
"Here in this world, O Shariputra, form is emptiness, emptiness
indeed is form. No other than form is emptiness, and no other
than emptiness is form. What is form, that is emptiness; what is
emptiness, that is form. The same can be said of feeling,
perception, volition and recognition.
"Here in this world, O Shariputra, all objects of thinking are
characterized with emptinss. They are neither produced nor
destroyed. They are neither defiled nor immaculate. Neither do
they decrease, nor do they increase.
"In emptiness, therefore, O Shariputra, there is no form, no
feeling, on perception, no volition and no recognition. There
is no eye-ear-nose-tongue-body-mind, nor is there any form-sound
-smell-taste-touch-object. There is no world of vision on one
side, and no world of mind and recognition on the other, and
nothing exists in between. There is neither knowledge nor
ignorance, nor is there any extinction of either of them, on one
side. And on the other, there is neither old age nor death, nor
is there any exhaustion of either of them. And nothing exists in
between. There is no suffering, no origination, no stopping
and no path to stopping. There is no cognition and there is no
attainment.
"On account of there being no attainment, therefore, Bodhi
sattva lives on, leaning on Perfection in Wisedom, without his
mind being clouded. As his mind is unclouded, he is free from
fears, he overcomes a perverted view, and then he is blessed
with the consummate extinction of all earthly desires. All the
awakened personages in the past, present and future, leaning on
Perfection in Wisdom, have attained, and will attain, the
highest enlightenment.
"Therefore, one ought to know that Perfection in Wisdom can be
a great spell, a great spell of wisdom, an unsurpassed spell,
and an unequalled one, and that it can pacify all kinds of
suffering. This is true! As an evidence that it is not false,
one ought to recite the spell in the following way, when
pursuing Perfection in Wisdom:---
Gone, gone, gone to the Shore Beyond, completely gone to the
Shore Beyond! Blessed is the awakening of wisdom!"
Thus ends the Heart of Perfection in Wisdom.
[109] 題名:シキカ… 名前:鈴木宗男 MAIL URL 投稿日:2002年04月30日 (火) 23時44分
わたくし、鈴木宗男、貧しい北の大地の家庭に生まれながら、
政治家になる事を夢見るようになって以来、
そんな糞ッたれな環境にもめげず、勉学に励み、
高校では野球部にも入り、猪突猛進に誰にも負けず頑張り、
大学に進学し、そして、ナカガワー氏の秘書となり、癒着の政治を学び
癒着の政治のシステムによって成り立っている日本の現状を知り、
このような素晴らしい体制を築きあげてきた自民党を素晴らしく
思い、この先人たちの築き上げてきた物をさらに発展できる様願い、
衆議院議員当選後、地元業者と癒着し、さらに外務省とハァハァな関係を結ぶ間柄となり、自民党でも野中師匠に師事し、自民党政治を担う中枢となって、未来の総理になりうる地位を確立したのであります。
すべてはこの国のために良かれと思ってやってきたことなのに、
そして、事実この国の為にロツアとの関係を築き上げたのに、
悪人扱いされ、アポーンされることとなってしまいました。
こんな事が許されるのでしょうか?
しかし、今となってみれば…いけないことでした。反省しています。
だからこそ、母子家庭という不遇な環境に育ち、
心の曲がったヲンナノコになってしまったシキカタソ。
あなたには、恵まれない環境ゆえに他人に馬鹿にされない様に
ならないといけないと思い一心不乱に生きてきたのでしょうが、
その過程でココロが曲がってしまい、他人を傷つける痛い存在に
なってしまったことを、同じ立場の人間として詫びて欲しいのです。
シキカタソ…デテキテヨ(藁
[108] 題名:実話・辛くて悲しい運命(12) 名前:西山文雄 MAIL URL 投稿日:2002年04月30日 (火) 23時43分
同級生の一家につながる人間達は、昭和の時代から、平成の時代、そして今日に至るまで、嫌がり拒絶している私に執拗に付きまとい続け、私を苦しめ続けています。
その間には、同級生の父親に、二回も地獄の底に突き落とされ、塗炭の苦しみを味あわされました。
既に、ストーカー規制法が施行されているのに、同級生の一家につながる人間達は、いまだに付きまい続けています。
もはや、どうしようもない状態になっていて、同級生の一家につながる人間達が、私に執拗に付きまとい続けても、私にストレスを与えるだけであり、もう、遠い過去には戻れません。
私に微笑み続けた同級生が、実は、同級生の妹で、本当の同級生は既に精神病になっていたとしても、私が最初に、同級生に手紙を出したときに、親が総てを打ち明けて、私に同級生を委ねていてくれたら、精神病を承知の上で同級生を受け入れて、心からいたわらせてもうことも出来たと思います。
私が最初に、同級生に手紙を出した頃には、気弱な姿の同級生は、気弱ながらもバスに乗って一人で働きに出たり、日曜日には、一人でバスに乗ってどこかに外出したりしてい、そのときに、親が総てを打ち明けて、私に同級生を委ねていてくれたら、違う道もあったのではと思います。
同級生の親には、そうすることの出来る機会があったと思います。
しかし、同級生の一家と、それにつながる人間達は、それをせずに、何を言うでもなく、ただひたすら私に付きまとい続けるだけでした。
総てを打ち明けて、私に同級生を委ねられるような病状ではなかったのか、あるいは、私の考え及ばないような特別な考えが親にあったのか、いずれにしても私には理解できません。
遠い過去から、現在までの同級生の親の行動を考えると、不憫な娘のことを本当に考えていたのだろうか、ひょっとしたら、親の都合によるエゴがあったのではと思ってしまいます。
普通の思考を持った親の元であれば、通院治療などで病状が快方に向かって、人並みの幸せな人生を送ることも出来たかも知れないと思っています。
私へのストーカー行為に、自分の兄弟や親戚、知人など何十人もの人間を動員し、二十年以上にも渡ってストーカー行為を続けている親の行為には、自制心の欠片すら感じられず、同級生の精神病の原因が親にあったのではと思ったこともありました。
中学時代の同級生を考えると、私には同級生が内的要因で精神病になったとは考えられません。
もし、同級生が精神病になった原因をつくった人間がいて、その人間が何の報いも受けずにのうのうと生きていたとしたら、この世には神も仏もないのかと思ってしまいます。
もし、同級生の人生を奪い、私を二十年以上に渡って苦しめ続けた原因をつくった人間がいたとしたら、それ相応の天罰を受けるべきだと思います。
もはや、過ぎ去った過去には戻れません。
中学のとき以来の同級生のことを考えても、悲しく、虚しい気持ちになるだけです。
私に微笑み続けた同級生の妹のことを考えても、悲しく、虚しい気持ちになるだけです。
過去には、その悲しさ、虚しさから、同級生が私に微笑み続けてくれた時に勇気を出していたらと、何度となく悔やみ、叶うことなら当時に戻って、もう一度人生をやり直したいと何度となく思いました。
もし、同級生が精神病になることさえなかったならと、つくづく思います。
[107] 題名:実話・辛くて悲しい運命(11) 名前:西山文雄 MAIL URL 投稿日:2002年04月30日 (火) 23時42分
私は、同級生の一家につながる人間達の異常なまでの執念深さに憤り、散歩場所を毎日無秩序に変えて逃れようとしましたが、同級生の一家につながる人間達は地域分担?をして、必ずと言ってよいほどに、散歩中の私の周囲に現れました。
私は、一人の人間に何人もの人間が付きまとう行為は、まるで弱い者いじめではないかと憤りました。
以前、夜に同級生の家の前の道路を往復したときに、庭に毎日のように違う車が、入れ代わり立ち代わりと、一、二台駐車してあり、毎日色々な人が泊まるのかと思い、つき合いの広い家だと思ったことがありましたが、それらの人間が、手分けをして私に付きまとっているのだろうかとも思いました。
そのとき既に、私は、同級生に関わることは人生を失うことだと確信していました。
また、私が十年近く前に妹と間違えて同級生に出した手紙が原因で、同級生が結婚せずにいるのではなく、精神病のために結婚できないでいるのだと確信しました。
もし、同級生の病状が軽くて、その病状を隠して見合いが出来るものなら、同級生の父親は、そうしているだろうと思いました。
それが出来ないから同級生の一家につながる人間達は、私に対して、全く道理の通らないキチガイじみたことをするのだろうと思いました。
同級生の一家につながる人間達の異常なまでの執拗さに、私は同級生の父親に手紙を出し、
「先の簡易書留で伝えたように、同級生ならびにアンタ方と関わり合いになる意志は一切無い」
「妹を餌にして、途中で精神病の姉にすり替えて、私に精神病の人間を押しつける企みだったのか」
「まだ付きまとうのなら、アンタ方のやっていることを世間に公表する」
「なお、同級生が見るといけないので封書にした」
と、私の意志を伝えました。
しかし、手紙の効果はなく、相変わらず同級生の一家につながる人間達が私に付きまとい続けました。
その間にも歳月が流れ、年号は昭和から平成に変わりました。
しかし、同級生の一家につながる人間達は、散歩に行く私に相変わらず執拗に付きまとい続けました。
私は同級生の一家につながる人間達の道理の通らない行為に、憤りを感じるだけで受け入れる余地はなく、繊細な私の神経には耐え難いことで、ストレス以外のなにものでもありませんでした。
私に執拗に付きまとい続ける人間達に対する憤りから、私が死ねば、いくらなんでも、私に付きまといようがないだろうと自殺も考えました。
あっちに行っても、こっちに行っても、散歩に行く度に現れて、付きまとっていることが分かるように、分かるようにされ、頭が変になりそうでした。
同級生の一家につながる人間達に付きまとわれるのが嫌で、嫌で、早朝のまだ真っ暗な時間に、田園地帯の中の農道を、星空を見ながら往復して散歩したり、国道に面した畑地帯の中の農道を、懐中電灯を手に散歩したりした時期もありました。