薬師丸ひろ子熱烈系掲示板
自由に薬師丸ひろ子さんを語り合いましょう!
[90] 題名:ハート・デリバリー2015年11月29日 名前:にだしもなこ 投稿日:2015年11月30日 (月) 16時11分
2015/11/29
壊れた時計でも一日に一度だけは正しい時刻を指す、それは確かに真理ですが、壊れた時計は修理しなければなりません。誰の胸の中にもそんな時計が一個や二個あるのかもしれません。腕の良い職人さんは御存知ですか?
薬師丸ひろ子・ハートデリバリー。おはようございます、薬師丸ひろ子です。毎週日曜の朝のこの時間、私のおしゃべりやちょっといい話、そして、音楽でデザインするひととき、ハートデリバリー。今朝もご一緒にお過ごしください。
自分の仕事に対する責任感やプライドはとても大切だと思います。えー、ある高級車で、山越えをしていた人が山頂近くのハイウェイで車のシャフトが折れるというまさかのトラブルがあったそうです。電話で連絡をするとどこからともなくヘリコプターが現れて降りてきた職人さんがすぐにシャフトを修理してくれたそうです。修理代の請求書にはこう書かれていたという伝説があります。修理代;無料。当社の車のシャフトは決して折れません。と、かいてあったという、これは実際にあった話だとは思うんですけど、都市伝説にもなっているような、そんな、知る人ぞ知る、有名な話だと思います。こういう話のほかにまた、ある有名なコンピューターの会社の社長さんの部屋の奥の奥の誰も開けてはなりませんというようなお部屋に入ってみて開けるとそこにはそろばんがあったっていう、なんかそういう話も都市伝説として伝わっています。さて今朝はこんな曲でスタートです。平井堅さんで「大きな古時計」。
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それでは今週もお便りを御紹介したいとおもいます。八王子市の白のパパさんから頂きました。おはようございます、毎回楽しみに聞いています。先日の放送、薬師丸さんのわんちゃんとのお別れのはなし、胸にしみました。さて、我が家も二歳になる柴犬がいます。とても食い意地が張った犬で食べ物を置いたままテーブルを離れるといつの間にか無くなっています。しつけ、どうしたらいいでしょうかね?というお便り頂きました、ありがとうございましたっ。
えー、私も今まで犬は三匹飼っていましたけれども、柴犬が二匹、そしてラブラドールが一匹でした。えーラブラドールに関してはですね以前もお話ししたことがあるかと思いますけれども、もうこのラブちゃんはホントに食いしん坊です。食いしん坊じゃないラブちゃんがいたらえぇ紹介してもらいたいなぁとおもうぐらい、どこのおうちのラブちゃんも体が大きいからでしょうか、よく食べると聞きます。家のラブはもうほんとにあのお白パパの柴犬と同じようにそのへんにおいてあったらまず食べますし、お供え物がしてあるものでもきれーいにぃ全部食べてぇしまいます。乗り出して奧の奧までいって食べますから、えーそれは凄い、勢いなんですけれども、さすがにお皿までは食べませんから、まぁ最初一瞬、あれ、食べるものを置くの忘れていたかなぁとおもうんですけれども、まぁそんなわけはありませんお皿だけそこに出しとくって事もないので、またラブの仕業だなぁと思うんですけれども、どうしつけたら良いかというお伺いですけれども、なんか、私にはわからないですねw、はのぉw、わからない、というのはあのぉそういう犬っていうのは、多分ずーーっとあのぉ生涯を終えるまで食いしん坊のまんまなんじゃないかなぁと思うんですね、たった三匹しか飼ってないですけれども、先日お話ししました天国に行ったその柴犬、その柴犬はぜったいに自分のご飯入れの中に入っているご飯以外はどんなに目の前にものがあっても絶対食べたりしなかったんですねー、それはーほんとに、なあんだったんでしょうとおもうんですけれども、その犬はプライドが高かった、ですかね。おこられるってことがまずこう、自分の行動に関して人から注意をうけるなんてことはありえないっていうぐらい悪さもしなければよく犬がものくわえて引っ張り回したり振り回したりってこともしなかったですし、ご飯においても絶対見てないところで食べたりとかもしなかったんですねぇ、だからそういう犬は子供の時からそうだったのでぇ大きくなってからもずっとそういうことだったんですけれども、専門家の方に聞いたらもちろんそれは良いアドバイスをくださるとおもうんですけれどもここでどなたかいいしつけの方法を御存知の方がいたら白のパパのためにもお便りをいただけたら私も勉強になるので嬉しいなと、思います。白のパパ、柴犬、まだきっとねぇ二歳で、小さいんですよね、これからどうぞ一緒にたくさん楽しんでください、お便りありがとうございましたっ。それではここで一曲おききください、薬師丸ひろ子で、「ハードデイズラグ」。
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日本の喫茶店はここから始まりました。今日は美味しい珈琲をどうぞというお話です。
ブラジルといえばリオのカーニバル、来年のリオデジャネイロオリンピック、サッカーのネイマール選手、いろんな連想をする方がいらっしゃるでしょうがコーヒー豆の銘柄を思い浮かべる方も少なくないと思います。日本人がブラジルへの移住を始めたのは1908年明治41年、かさと丸という船は156家族781人の移住希望者を乗せて神戸港を出発したといいます。この移民団の団長は四国土佐藩の出身、水野遼というひと。最初の移民は大幅な赤字をだし、失敗に終わってしまいましたが、勤勉な日本人に感動したブラジルのサンパウロ州政府は素晴らしい救いの手をさしのべてくれました。それは、三年間日本にコーヒー豆を無償で提供するということ。このコーヒー豆を元に明治43年日本で初めての喫茶店、カフェパウリスタが今の銀座七丁目に誕生したのです。角砂糖たっぷり入れた珈琲。それまで甘い飲み物といえばおしるこや甘酒しか知らなかった日本人、最初から珈琲が受け入れられるはずはありません。こうした逆境の中で水野とそのスタッフが繰り出した戦略は今でも目を見張るような奇想天外な作戦でした。珈琲を運ぶのは純白に金ボタンという下士官風の制服を着た15歳未満の美少年ばかり。アメリカ人講師に仕込まれた英語でお客様の注文を復唱します。「スリーカフィー、アップルパイワン。」当時は珍しかった180センチを超える男性がシルクハットに燕尾服というスタイルで美少年と銀座通りを練り歩き、珈琲の無料サービス券を配る。お店の二階には生の花を持った婦人専用室が用意されました。こうした斬新な戦略に注目したのは文化人達です。芥川龍之介、森鴎外、菊池寛、与謝野晶子、谷崎潤一郎などがパウリスタに出入りして作品の中に珈琲のことを書き込みました。明治の日本人達の新しいものに対する資質の高さ。薫り高い一杯の珈琲は今もそれを静かに伝えています。
私が珈琲に目覚めたのは、ブラックの珈琲が飲めるようになったのは実はホントにごくごく最近のことでした。それまではカフェオレスタイルのものしか飲めなかったんですけれども、でも、そんな珈琲を毎朝飲むところから私の一日はスタートしていました。ま、お砂糖元々入れなかったですけれどもミルクを、牛乳なんですけれども入れないで飲むようになってからはいろんな珈琲の豆の味にもこだわるようになりました。私が初めて喫茶店というのに入ったのは13歳のときのデビューした映画の撮影がきっかけでした。その時にご一緒させて頂いた高倉健さんが珈琲がお好きで、撮影が終わるとご自分でお気に入りの店を見つけたその店に出向かれて珈琲を飲まれて、そこにいつもつれていっていただいていたんですけれども、さすがに小学校を出たばかりの子供が珈琲を飲むこともできずに決まってそこではココアを飲んでいました。ですから、ロケで様々な場所を巡っていろんなところの喫茶店のココアを13歳で飲み歩いたことになります。珈琲の香り、わたしはなんかとってもこう気分が少しユッタリするような感じになるというんですかね、撮影中もいつもお茶セットというのにはでていまして、みんなが好きなときに珈琲が飲めたりするんですけれども、それがポットの中に入っていまして、わたしがあのぉ撮影中に珈琲を飲むのはだいたい眠くなってきたときで、スタッフの皆さんもなんとなくそんな気配を察するのか、珈琲をさっともってきてくださるときもwあります。リラックスするときも珈琲ですし、ちょっと自分に活を入れたいときも珈琲を飲んだりします。お送りした曲はブロッサムディアリーで「Thou Swell」。
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さて、この日曜日、撮影の合間に喫茶店で珈琲でものんでみましょうか。このあとは・・・