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夢と笑顔のつれづれ日記


つれづれなるままに日々の感動、気付き、驚きを思いのままの綴っています。ひでさんのつれづれ日記のため、投稿は出来なくなっていますm(__)m


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平和を望みます
ひでさん | MAIL | URL
12月14日(木)くもり

今、防衛庁を防衛省にしようと国会で議論されています。
誉められたものではなく、僕も国政については傍観者ですが、何だかとても怖いなあと思っています。

僕の居たスリランカでは、内戦が激しくなりつつあり、本格開戦かと言われている状況でした。

戦いは、何故?

やはり、思いました。
普通の人たちはみんな嫌がっているのに、終わらないのです。不幸が積み重なっていきます。
見えざる力、一部の人たち、組織の欲のための不可避な動き、そんなものに動かされているように感じました。

防衛省になってもならなくてもいいですが、決して、見えざる力で例えば北朝鮮とかと戦争になるようなことだけは避けて欲しいなあと思います。

そんなことを思っている僕の目下の戦いは、今のところ、年末大掃除です。
年末から年始にかけて、海外に出るので、それまでに何とかしなければいけないのですが、家に居る日(休み)が24日と出国前の29日だけです。
これではやる前から白旗をあげなきゃいけません。
戦略を練らねば…
2006年12月14日 (木) 06時06分 (579)

どうにもならないことが多い世の中で
ひでさん | MAIL | URL
12月7日(木)

多いなあ。

自分の職場を見ていると感じます。ワンフロアに170人ほどの職員がいます。よく内面まで知らない人がいっぱいです。

大きく見ると、170人もの働く集団。すごいけど、他人事。
うまく言えませんが、この「集団」っていうのが、大きすぎて実感がわかず、なおかつ何だか個々の存在というか感情を感じず、寂しくもあります。
僕たちは個人として、ちゃんと人格を持っています。一人ひとり、しっかりした人間ですから、感情もあるし、欲も価値観も持っています。もっと人間的に個々の持つ、感情溢れる表情が、場面場面で見られてもいいような感じがしています。
「集団」は個人が本当の信頼関係で繋がったものでありたいなあなんて思うのですよ。
とはいっても、僕の所属する職場が悪いわけではないんですよ。
強いて言えば、スリランカの影響の違和感の一つなのでしょう。

というわけで??集団をファミリー的な意識でつなげられたらいいなあということか、いつの間にか、忘年会の幹事、ボーリング大会の世話役などを仰せつかっています。

どうにもならないことも多いので、できない、やれない、嫌だ…なんて批判的なことばかり言うのはやめて、せめてどうにかできることをやろうと思います。

まず一番はじめにできることは、自分が楽しく元気で居ることですよね。
今日も元気に笑顔で頑張っていきます。

そのための大問題が「寒さ」。早く閉じろ、僕の毛穴!
2006年12月07日 (木) 06時02分 (578)

原因不明の背中の痛み
ひでさん | MAIL | URL
12月6日(水)

何でしょう?
背中がこっているような、痛いような…。ここ2週間あまりにわたる症状です。

「左半身の痛みは悪いんだぞ」

そんな声を聞いて、職員診療所の門をたたきました。
結果は

「心配有りません。その患部の裏には、肺しかありませんから、臓器由来のものではありません。」

そっか、ただのコリ?

それで、職場のリフレッシュルームに置かれている、マッサージチェアで、入念に背中をマッサージしたら、やりすぎて、今度は本当に痛くなっちゃいました。ねんざみたいな感じ?
恥ずかしながら、今はシップをしながらの生活です。
何でもほどほどが良いですね。やりすぎはいけません。
2006年12月06日 (水) 05時11分 (577)

今日から投稿再開
ひでさん | MAIL | URL
12月5日(火)
今日から、日記をぼちぼち再開します。
文体を「である」調から「です・ます」調に改めて、短いトピック日記に変わります(ミクシィと同じ内容になります)。

昨日の帰り道、電車で小学生の二人組と一緒になりました。
しばらく聞き耳をたてていますと、

「○○、今日帰ったら、宿題せなあかんよ。わからんかったら、お兄ちゃんが教えたるから。」
「ややなあ、算数きらいやから。」
「そんなこと言うとったら、○○になることもできへんよ。」

どうもお兄ちゃんと弟のようです。
まだ低学年なのに、偉い!お兄ちゃん。

兄弟はいいなあと思い、自分の弟を思い出しました。
元気にしているかな?
弟は、今、インドネシア大学大学院に留学しています。

僕は、とてもこのお兄ちゃんのようにやさしくはなかったと思います。
それでもやはり兄弟。何かあったら、助け合います。
2006年12月05日 (火) 06時10分 (576)

本当に本当に最後
ひでさん | MAIL | URL
7月10日(月)晴れ
 スリランカ、最後の日。頭、がんがん。熱ばんばん。体調悪し。でもそんなことは言っていられない。ポーヤデーということで、店がほとんど開いていない。それを何とか開いている店を探し出して、テープを買わねばと、睡眠時間2時間で、家を出た。
 朝から、またまた荷物片付けを行った。さらに二箱、船便で送らねばならない。遣り残したことがいっぱい。
 午前中、また隊員連絡所に行き、長らくお世話になってきたバランゴダ隊員にさらに迷惑をかけた。
 船便発送と、お金をハバラドゥワ隊員へ渡してもらうこと、そして、そのときのお金を僕の後任隊員から受け取ってもらうこと。そんなことで、頭があがらない状態。日本に帰ってきたら、思いっきり郷里名産松阪肉ででも接待せねばなるまいと思う。それくらい頭があがらぬが、頭がんがんだったので、感謝の気持ちが届いていなかったかもなあと心配している。

 その後、ちょっと出かけて、後任隊員への引継ぎをカフェで行った。
 行政職員の僕はちゃんと??紙ベースの引継書を作らせてもらった。何もできないのであるが、ラトナプラを今後よろしくねっていう気持ちの表れである。少しでも僕の期待を感じてもらえたらなあと思う。
 変なプレッシャーにだけはならないことを願うばかりだ。

 その後、へーリとシャマルカがコロンボにやってきた。
 彼女たちは空港まで見送ってくれるのだ。僕のファミリーだ。

 彼女たちとシニア隊員宅で合流して、シニア隊員宅で最後の晩餐を取った。そして、語り明かすこともなく、まったりと時間が流れた。

 その後のことは、うまく表現できない。空港へ、JICAの車ではなく、シニア隊員の車で連れてもらった。へーリとシャマルカも着いて来てくれた。何を話したのかを僕は思い出せない。どの言葉にも、僕はありがとうを込めた思いだった。
 本当に別れが来ることをそのときようやく実感した。

 空港では、そんなに儀式の時間もなく、中に行った。素っ気無いほどに。そうでないと壊れてしまいそうだったから。

 空港の中に入ると脱力。何もやる気になれず、いすに腰掛けてフライトを待った。
 離陸の時は…。

 本当にありがとう。イストゥティ。またいつか。

 つれづれ日記はまだ続けます。
2006年08月15日 (火) 12時03分 (575)

ラトナプラでの最後の日
ひでさん | MAIL | URL
7月9日(日)晴れ
 朝、アヌラさんがやってきた。状況を見に来てくれたのである。不肖な息子がちゃんと後片付け出来たかどうかなあと確かめに来てやったといったところだろう。
 手伝ってもらうことはなかったが、頼みたいこと、渡したいものもあったので、助かった。まず、たくさんごみが出てしまったが、普通の回収に出せる量ではないので、市によるごみ収集取り仕切るアヌラさんにお願いをして特別回収してもらうことにした。そして、片付けの最中に出た不用品を、アヌラさん、へーリ、シャマルカに分配した。それのアヌラさんの分を持っていってもらうことにした。
 極力、余分なものは買わないようにしてきたのに、たくさん物があったという印象である。もっとシンプルに過ごせたなあとちょっと反省。
 そして、実は、僕はお昼すぎに出ればよかったのであるが、忙しいアヌラさんが見送るために残ってくれているので、大家さんに挨拶をして、10時すぎには家を出た。涙はなかった。感動の別れの儀式もなかった。
 ここのところ、別れ、別れで、別れ疲れになっているからかもしれない。きっとまた来ると思う気持ちからかもしれない。いっこうに引かない熱のせいかもしれない。答えはわからないけれど、変に落ち着いていた。

 バススタンドに行くと、アヌラさんが、どっかから係員の人を連れてきた。そうだ、バススタンドは市の管理だったんだ。そんなことを知ってはいたが今までは意識したことがなかった。バススタンドの係の人たちは、僕のことを知っていたが、僕は彼らを知らなかった。ごめんなさいである。

 バスに乗り、色んな出来事を振り返っていた。
 なんとも言えない時間だった。

 コロンボに着いて、隊員連絡所に寄って、シニア隊員の家に行った。別れは地味に目立たず。僕は隊員連絡所ではなく、ひっそりと帰るつもりで、シニア隊員の家におじゃますることにしたのである。
 隊員連絡所の方は、全部片付けをしておいた。

 シニア隊員の家からまた、隊員による送別会+新隊員の歓迎会に参加するために、隊員連絡所に戻った。早い、お戻り。

 歓迎会+送別会。……。なんと言うか、力がなく脱力した時間だった。段取りをしてくれた後輩隊員にありがとう。

 そして、シニア隊員の家に。
 夜中、シニア隊員が日本から戻ってくるので、空港に迎えに出た。そして、朝方戻ってきて、就寝。スリランカ、残り滞在時間もあとわずか。
2006年08月15日 (火) 12時03分 (574)

最後の授業…やっぱり涙
ひでさん | MAIL | URL
7月8日(土)晴れのちくもり
 今日は朝からバタバタバタ。
 見納めにラトナプラ市内を散策したい気持ちでいっぱいであったが、それよりも部屋の掃除と荷造りが忙しい。
 思えば、ラトナプラ市内でも行けていないところが多かった。白い仏陀像が有名らしいが途中まで行って、何だか大層な感じのお寺で、信仰厚い人で溢れていたので、躊躇して行けなかった。宝石を掘っている穴に入るという目標も達成できなかった。市内全部の飯屋を制覇というのもできなかった。できないことでいっぱい…これはまた来いということと自分で納得し、とにかく明日、コロンボに引き上げられるように荷造りを進めた。
 夕方は、大家さんの家で最後のディナーをご馳走になる。泣けてくるなあ。

 午後、最後の日本語教室のため、隣町のクルビィタに向かった。
 最後まで名前さえ、満足に交し合わなかった日本語の先生。彼の熱意にほだされて、そして、日本語を勉強する子供たちとのふれあいにひかれ、お手伝いを続けた。これが最後。
 この前、日本語とシンハラ語で教えた歌を2曲復習し、さらに2曲練習した。
 その後、将来の夢というテーマで会話した。
 僕の授業は専門的ではなく、日本を好きになってもらうための授業。これからも日本語を勉強してもらうための授業。
 最後に、言葉だけではなく感情を表情や行動でも表してください。ありがとうには笑顔をつけてくださいね。と伝えた。そして、ありがとうを。

 帰りに、生徒たちにたくさんのランブータンやら果物をもらった。そして家にも招待を受けた。この時間が楽しすぎて、大家さんとの約束があるからとなかなか切り上げて帰れなかった。また、ここに来るだろうか。来られるだろうか。来たい。

 夕食は、初めてというくらいであるが、大家さんと夢やらこの2年間について、ごはんを食べながら、話した。
 家に戻り、荷造りはだいたいできていたので、今度は掃除を進めて、途中で疲れたので眠り込んだ。
 微熱は続いていた。
2006年08月09日 (水) 15時01分 (573)

最後の登庁日…やはり泣いた
ひでさん | MAIL | URL
7月7日(金)晴れ
 今日は、朝1番でスタンダードチャータード銀行に行き、返金を受けてから、ラトナプラに帰った。
 昨日、すぐにでもラトナプラに帰りたかった。今は、1分でも1秒でも、市役所に通う時間、ポンパキャレーに行く時間を削られたくない。それに今日は、僕の市役所への最後の登庁日であり、別れがいっぱいの日である。涙、涙、涙のはず。
 急いでもどったけれど、帰りついたのは2時ごろであった。
 へーリとシャマルカは、もうご飯を食べてしまっており、何で電話しなかったんだと怒られた。一緒にご飯を食べたのにと。彼女たちも僕との別れを心に刻んでいるのだ。寂しいのだ。
 僕も寂しいよ。

 市役所では、仕事どころではなく、挨拶回りを行っただけだった。
 とにかく知り合いには、今までの感謝を述べて、これからも元気にやってくれるように言う。
 こんなにも知り合い、同僚、そんな言葉ではなく、友達がふさわしい。友達がこれほどにたくさんできたことが活動の2年間で最高の出来事であった。
 一人、一人、思い出をかみ締めて、思い出を浮かべながら、話をした。
 たくさんの記念品、お土産をもらい、持ちきれないほどの宝物をもって、家路についた。へーリ、シャマルカと帰るのはこれが最後。この一瞬もかみ締めていた。

 夕方、家に帰ると大家さんが色々とご飯を作ってくれていた。
 大家さんにもすごいお世話になった。いい人。

 いい人、いい人…その和に守られてここまで来たのだと感無量で1日を終えた。

 夜は、部屋の片付けを行う。まだまだ散らかっていて、本当に出来上がるか、仕上がるのか心配だ。
 微熱が続いているが、今は体調、どうのこうの言っていられる状況にない。
2006年08月09日 (水) 10時56分 (572)

各種帰国手続きから、寂しさ
ひでさん | MAIL | URL
7月6日(木)晴れ
 たいへんな1日が始まる。
 とうとう帰国準備も大詰めである。すべての必要な荷物を船便で送る。飛行機便は眼中にない。金銭感覚は非常に低レベルになっている。とても無駄遣いができる状況ではない。これでは、日本社会で生きていけないのではないかと思いつつ、やはりまだスリランカ感覚である。僕はケチ??
 朝一番で、船便を送り出しに行った。船便は指定の郵便局のみの取り扱いで、スリランカで一箇所のみである。僕らはいいが、普通のスリランカ人はいったいそれでいいのだろうかと思うが、まあ生まれて死ぬまでの間、船便を使うことの人の方が少ないから良いのだろう。
 スリランカから出れないことをかわいそうなどと思う、それが貧しさなのだと思う、それが最初の反応であると思うが、僕は今はそうは思わない。
 アクシデントがあり、僕も任期中、1度は日本に帰ることになったのであるが、それがなければおそらく僕はスリランカから出なかっただろう。息抜きのために、ストレス解消のためにスリランカから出たいとは思わなかった。
 日本に居たらどうしてか、海外に出て行きたいと思ってしまう。そんな国の状況のほうが憂いを誘うように思うのだ。
 もちろん、僕のように感じる人ばかりではないことは確かである。だから一般論とは言えないが、僕はスリランカが好きだ。

 荷物を出すのに2時間を要してしまい、時間がどんどん詰まってきた。
 何の手続きをするにも、雑談がつきまとうスリランカ社会。そこには何だかすべてにおいて人間的なふれあいがあるように思うのだ。うー愛おしい。
 案の定、荷物係のおじさんとたくさんしゃべってしまった。
 あーだ、こーだ、こーだ、あーだ。何てことはない、こういう時間が幸せというものかとやはり感じる。

 続いて、JICA事務所で口座解約のレターをもらって、スタンダードチャータード銀行に口座解約に行く。
 担当さんと雑談をしつつ、つつがなく手続きは終了。ところが、何でか預金引出手数料を取られ、腑に落ちない。食い下がってみたが、だめだった。

 そして、昼ごはんを取って、再びJICA事務所に向かった。所長との面談である。最後の面談。何を話すのであろう。僕は、これまで言いたいことは言ってきたので今、JICA事務所に言うべきことはあまりない。強いてあげれば、ありがとうということかなあと思う。でもせっかく時間を取ってもらうので、後輩隊員が活動しやすいように今持っている意見だけは再度言っておくようにしたいと思う。
 そんなことで、JICA事務所で1時間半ほどにわたる面談を行った。
 最後の最後まで文句ばかり言っていると思われたかもしれない。でも、自分の利益のために、申し入れたことは1度もなかったと思うので、許してもらえるかなあ。行政職員としては、できないだろうなあと思うこともずけずけ言ってしまったと思うが、それはJICA事務所がしっかりした組織であると信じているからこそ(最後にフォローを入れている)。
 面談を終了して、会計係のほうに口座解約の際、手数料が取られるのかどうかを確認したところ、やはり取られないとのこと、団体契約をしているので特別扱いなのだそうだった。向こうの間違い。電話してもらい、無事解決?
 何で、僕が出向く手間を取らねばならないのかは納得行かぬがそれがスリランカ、明日、朝、返金手続きに行かなければいけなくなってしまった。

 最後にSLTテレコムに行って、ネット契約の解約を行った。
 あっけなかった。この日記でも何度も書いたように、ネットの速度があまりに悪いので、何度も何度もラトナプラにあるSLTに通いつめたのに、解約するときはすぐだった。
 改善は時間がかかっても、解約はすぐなのだ。
 これで、家でネットも繋げないし、日記も更新できなくなりそうだ。メールもチェックできなくなる。不自由人になった気分。僕は中途半端な現代人生活者だったのだなあと感じる。

 その後、隊員連絡所に帰った。今日の夜が隊員連絡所での最後の夜となる予定である。
 お名残を感じながら、ってこともないかなあ。隊員連絡所にあるDVDを観ながら、夜更かしをしてしまった。
2006年08月09日 (水) 10時56分 (571)

ポンパキャレー送別会…感動
ひでさん | MAIL | URL
7月5日(水)晴れ
 今日はポンパキャレーで、僕の送別会が開かれた。
 その後、市役所の職員の娘さんの初潮祝い。

 ポンパキャレーは、これまでも登場した僕の担当メインサイト。貧しいタミル人が集まる居住区である。ところが、そんな貧しさ、苦しさを感じさせない、送別会を開いてくれた。踊りや歌をいっぱいプレゼントしてくれた。あたたかい心をプレゼントしてくれた。
 それに対して、僕も精一杯、歌をうたい、挨拶もした。感謝も届けた。
 これをわかってもらえたかどうか、はっきりいえないが、僕は通じ合ったと思っている。2年間で学んだ人間と人間のつながりのすばらしさと、つながれるんだということ。ちゃんと向き合っていれば、どんな違いがあってもそれを越えてつながれるという思いは大切にしていたい。
 決して、一人、一人を僕は忘れはしない。

 次に初潮祝いに出向いた。
 大勢の客があって、忙しいさなかであったが、僕を見つけて笑顔をくれた娘さんの気持ちのあったかさが僕はうれしかった。
 おいしい料理をしっかり食べて、市役所に帰った。

 まだ、始められていないUSIP事業のことや、女性グループの事務のことを中心に、へーリらと整理して過ごした。遣り残しは出るだろうが、僕はへーリやシャマルカを信じて帰れるんでとても幸せである。心配せずに帰れそうだ。

 夜は、片付け。明日、いろんな手続きをするためにコロンボにいかねばならない。
2006年08月09日 (水) 10時55分 (570)





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