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青二才の目 ささやかな贖罪 |
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青葉
(5240)投稿日:2010年10月25日 (月) 00時49分 ID:
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こんばんは。以前はよくこの掲示板に遊びに来ていた青葉という者です。今日はどうしても書きたい事があり、お邪魔いたします。 昨日、私は最新時計を買うため池袋に行きました。その途中、家の最寄駅の前では自分と同じぐらいの年齢(20歳)の男性がたった一人で声を張り上げて何かを訴えていました。聞けば「あしなが育英会」の募金を呼びかけていました。 小さな女の子がその人に小銭を募金していました。男性は腰をかがめ、女の子が入れやすい高さに募金箱を下げていました。私は(感心な女の子だな)と思いつつ、先を急ぐためその場を立ち去りました。 池袋に着き時計屋に向かって歩いていたとき、またしても若い人の声が聞こえてきました。どうやらここでも「あしなが募金」をしているようでした。その前を私は素通りしました。 時計を買い近くの同じフロアーにある自販機でコーヒーを買いのみしている時の事です。今まで貯めたお金で目的の最新式の電波時計を買ったのに自分の心は晴れていないことに気づきました。まるで今日の空のように・・・。近くでは小さな子供たちが託児センターの遊具で遊んで、楽しそうな声を上げていました。親たちはそんな子供たちを優しい目でみつめていました。 その時になぜ私の心が晴れなった理由に気づきました。駅で声を張り上げていた「あしなが募金」の前を無関心に通り過ぎていました。 彼らはおそらく親を失い、日々の生活を懸命に生きている人たちでしょう。経済難で学校に行きたくても行けず、行けたとしても学業に集中できないかもしれません。 一方の私。親は健在で大企業の正社員です。お金のかかる私立理系大学に通わせてもっています。今回の時計の購入代金もアルバイトで貯めたお金を全額そのままつぎ込んでました。代金は2万6千円程。彼らにとってかなりの大金でしょう。考えてみれば幸運にも私は貧乏を経験したことがありません。それにも拘らず、第一志望の大学ではないこと、今までの自分の姿勢に不満を内心募らせていた自分がいました。 懸命に日々の生活を送るあしながの人たち。対する、豊かな生活ながら不満を持っている恵まれた自分。私は彼らに申し訳なさと恥ずかしさを覚えていきました。 帰り道。私は池袋で3人の男女に募金しました。あしなが募金のチラシを受け取りました。そこにはある母子家庭の事が書かれていました。 家の最寄駅。はじめの男性が一人でかすれ声を張り上げて呼びかけていました。私はまた募金しました。「ありがとう」の声の後、あのチラシを渡そうとしました。私は池袋で受け取ったチラシを見せました。男性はまた「ありがとう」といい、深々と頭をさげました。 豊かな自分は頭を下げられる立場の人間ではありません。募金は雀の涙ほどです。おそらく彼らとは二度と会わないでしょう。彼らが今後どうなるか私は知ることできないでしょう。 そんな彼らにした、ささやかな募金は同情でも、憐みでもありません。一青二才のほんのささやかな贖罪です。
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