闇が支配する夜の世界。 空に浮かぶ月は、その姿を厚い雲に覆い隠され、まばらに立てられた街灯の無機質な光だけが、この街を冷たく照らしている。 吹きそよぐ風は、夜の冷たい空気に晒され、涼しげな冷気を伴い街を吹き抜けていく。 「……汝が不浄は、その存在也」 そんな街の一角から、静かな声が聞こえてくる。 「貴方の罪には、貴方の命で贖罪を施しましょう……」 見る者に暗黒を思わせるような、漆黒の法衣に身を包んだその女性は、小さな声でそう呟いた。 そのすぐ眼前に在るのは、まるで壁に張り付けにされたかのような人間の姿。 ……いや、まるでなどではなく、その対象は明らかに張り付けられていた。 良く見なければ、周囲の闇に溶け込んで分からないが、その体は全身の至るところを漆黒の剣で壁ごと貫かれている。 ……それに、一般人には分からないかもしれないが、彼女の見据える先のそれは、明らかに人間などではなかった。 鮮やかに輝く真紅の眼が、その存在の人外性を何よりも表している。 敢えて表現するなら、人型の何か。 それ目がけて、彼女は腕を前へと突き出す。 ドスッという、肉を穿つ鈍い音を伴って、対象の心臓部が一突きにされた。 「我が代行は神の御心なり。願わくば、貴公が御魂の行く先に光溢れんことを……」 どこか悲壮感を漂わせた声で、彼女は目の前の何かにそう語り掛ける。 途端、その何かの姿が瞬時の内に消え去った。 ただ消えたのではない。 文字通り、消え去ったのだ。 そこに存在していたという事実。 その僅かな痕跡すら残さずに、この世界から完全に消滅した。 その後に残されたものは、壁に突き立てられた数本の黒鍵と、耳をつんざくような静寂だけだった。 「……ふぅ」 彼女は一つ、大きな溜め息を付いてから、壁に刺さった黒鍵を一つ一つ抜いていき、慣れた手つきで黒衣の中にしまっていく。 その間も、眼光鋭く辺りを警戒するその様子からは、塵程の油断も見受けられない。 そう、彼女こそ、バチカン最強を誇る埋葬機関。 そこの第七位の代行者“弓”ことシエルだ。 この街を襲っていた諸悪の根源であるロアが滅んで以来、彼女はこの街を任された代行者として、毎夜のように見回りをしていた。 実際、吸血鬼が絡んだ事件において大変なのは、その源を断つことではない。 むしろ、最も忙しいのはその後だ。 吸血鬼に噛まれた者は、常人であればそれは例外無く吸血鬼と化す。 そして、その吸血鬼化した人間に噛まれた人が吸血鬼となり、その人間が更に別の人に噛みつき……という風に、さながらネズミ構式に増加を続けていくのだ。 その流れを断ち切る手段はただ一つ。 その根本、つまり吸血鬼化した人間の全てを、抹消することでしか解決は出来ない。 そのために、シエルはあの日からずっと、夜な夜な一人で吸血鬼を狩り続けてきたのだ。
――……だけど……。
シエルは全ての黒鍵をしまい終えてから、ゆっくりと天を見上げた。 「私は……生きていてもいいのでしょうか……」 見渡す限りを雲で覆われた、今日の夜空を仰ぎながら、シエルは弱々しく頼りない口調で、誰に言うともなく呟いた。 吸血鬼を狩ること。 そのことに対して、罪悪感を感じるなんてこと、今まで一度たりとて無かった。 そんなこと、当たり前と言えば当たり前のことだ。 彼女にとってその行為は、己の感情云々を超えたところにある、完全な義務に他ならないのだから。 こんな気持ちを抱くようになったのは、つい最近、それもロアの消滅後しばらく経ってからのことだった。 ふと、こんなことを考えてしまう。
――私は……本当に狩る側の人間なのでしょうか?
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