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タイトル:If 恋愛

――何の変哲もないはずの日曜日。それは、ただの休日から突如として激変する! 「わ、私が、遠野君と、デ、デデデ、デートーッ!?」 仲睦まじく、肩を並べて歩く二人の背後に潜む謎の陰。その正体は!? 月夜プレゼンツの5作目は、薄幸少女に捧げる幸せの一時!

月夜 2010年07月01日 (木) 23時52分(71)
 
題名:If(第一章)

誰もが気だるさを覚え、布団の中から出たくなくなるような、ほのぼのとした休日の朝。
カーテンが締め切られているせいで、部屋の中は少し薄暗かったが、その僅かな隙間から漏れる眩しい陽光が、どんな事象よりも雄弁に朝の訪れを知らせていた。
軽く耳を澄ませば、どこからか小鳥のさえずりも聞こえてくる。
「さつきーっ!!」
と、そんなのほほんとした空気を破って、強制的に目覚めを促すような怒声が、突如として階下から投げ掛けられた。
「……う……ん」
さつきが、ベッドの中で軽く身じろぎをする。
現実と夢幻の狭間を漂っているかのような、倦怠感混じりの薄ぼんやりとした意識。
そんな中、その耳に微かに届いた母親の声に、まどろんでいた脳内が覚醒し始める。
それと時を同じくして、不意に浮かび上がってくる疑問。

――あれ? 今日は休みだったと思うんだけど……。

ベッドの中から腕を伸ばし、枕元にある時計を掴み取る。
時刻は朝の10時過ぎを示していた。
先に朝の陽光などと述べておきながら、どうやら実際は、朝とも昼ともつかない中途半端な時間だったようだ。
そして、その時刻表示のすぐ下には、白い文字で“Sun”と記されていた。

――うん。やっぱり今日は日曜日だよね。

その事を再確認してから、

――……何か、忘れてる用事とかあったかなぁ。

そんなことを、曖昧な思考の片隅で考えてみる。
と、下の階からまたもや、母親の怒声とも取れるような呼び声が聞こえてきた。
「さつきーっ! いい加減起きなさい! 下で彼氏が待ってるわよ!!」
「……え?」
その母親の言葉に、さつきの朦朧としていた意識が、冷や水を掛けられたかのように、急速に覚醒へと傾き始める。
……彼氏?
「……えっ!?」
さつきが驚愕の声と共に、勢い良く上体を起こす。
上に覆い被さっていた布団が吹き飛ばされ、その半身がベッドからはみ出す。
か、彼氏!?
わ、私、そんな人作った覚えなんか無いのに!?
朝っぱらから訳の分からない事を言われ、さつきの頭はパニックを起こしていた。
思い出さなければならない何かは、多分山ほどあるはずなのに、何にも考えられない。
と、そんな時、木製の階段を上る時独特の木の軋む音が聞こえ、次いで部屋の扉が開かれる。
その奥から、母親の見慣れた姿が現れた。
「何ぼーっとしてるの? 彼、玄関前で待ってるわよ」
母親が呆れたように呟く。
「彼って……?」
さつきは問い返しながら首を傾げた。
「何を寝ぼけてるんだか……確か……遠野君だったかしら? あなたのクラスメイトの子じゃない。」
「……」
刹那、時が止まったかのような沈黙で、部屋全体が満たされる。
……そして、
「えぇーっ!?」
次の瞬間、さつきの口から、悲鳴にも似た大声が飛び出す。

――な、何で遠野君が!?

さつきの頭の中は真っ白だった。
何かを考えようにも、思考回路が一つにまとまってくれない。
思い出せるのは、昨日の夕飯や授業の内容など、現状況においては全く役に立たないようなものばかりだ。

――お、落ち着け……落ち着くのよ、私……!

自らの動揺する心を落ち着けようと、さつきは胸に手を当てて、一度と言わず何度も、深々と深呼吸をしてみた。
だが、その程度の月並みな行為で、この心の揺れが治まるはずが無い。
こうして胸の上に手を置いている今も、鼓動は激しく高鳴り続けている。
だけど、決して嫌な高鳴りなんかじゃない。
そこには、胸を締め付けられるような息苦しさの中にも、疑心暗鬼の内に確かな喜びを感じている自分がいた。
「と、とりあえず、早く下に下りなきゃ!」

月夜 2010年07月01日 (木) 23時53分(72)
題名:If(第二章)

さつきは自らに言い聞かすように言うと、慌てて部屋から飛び出して行った。
「あ、ち、ちょっと、さつき!?」
その背に、母親の呼び止めが投げ掛けられる……が、今のさつきにそんな声が届くはずは無かった。
一階へと続く階段を、ほとんど転がり落ちるようにして、一気に駆け下りる。
そして、向かい側の壁に肩からぶつかり、勢いを殺すと同時に方向転換を行う。

――ドンッ!

激しい衝突音が家全体を揺らすが、そんなことを気にしていられる時と場合ではない。
さつきはそのまま駆け足で走った。

――ドクン。

玄関が近づいてくる。

――ドクン!

それにつれて、胸の高鳴りにより一層の拍車が掛かっていく。

――ドクン!!

視界が開ける。
そこに佇む、愛しいあの人の姿。
いつもは制服なのだけれど、今日は休日ということもあって、カジュアルな私服姿だった。
黒の制服姿しか見たことが無かったので、何だか妙な新鮮味を感じる。
「……あ、えと……お、おはよう」
さつきが小さく挨拶をした。
他にも言いたいことは沢山あったのだが、余りにも多すぎて、逆に何も言えなくなってしまっていた。
さっきの“おはよう”という言葉だって、必死の思いで紡ぎだしだものだ。
「……あ、あぁ……お、おはよう……」
そんなさつきに対して、かなり戸惑い気味に挨拶を返す志貴。
心なしか、その表情には仄かな赤みが見受けられる。
まるで、何かを恥ずかしがっているかのようだ。
「……あ、あのさ、さつき……」
「えっ!?」
躊躇いがちに口を開いた志貴に、さつきが急に驚愕の声を上げた。
「っ!? い、いきなり何だよ!? 」
その声の大きさと唐突さに、志貴が少々退き気味に後ろへ退く。
「え……あ、ううん! な、何でも無いよ」
そんな志貴に、さつきは軽く首を振って応えた。
胸に手を置かずとも、早鐘の如く脈動するその鼓動が手に取るように分かった。

――いつもは“弓塚さん”なのに、急に“さつき”だなんて……。

せっかく治まりかけていた動悸が、心地よい息苦しさを伴って蘇るかのようだ。
「そういえば、今日はどうしたの? 突然家に来るなんて」
胸に手を置いたまま、さつきが不思議そうに尋ねる。
「え? 何言ってるんだよ。今日は前々から約束していた日だろう?」
「約束?」
さつきが怪訝な面持ちで問い返す。
「……何だよ、忘れてたのか……」
そんなさつきの態度に、志貴が落胆を露わにがっくりと肩を落とした。
「えっ……あ、あの……ご、ごめんなさい!」
さつきが慌てて頭を下げる。
下げながら、どんな約束をしていたのか、必死で思い出そうとした。
脳内にある記憶という名の玩具箱を漁り、その中に約束の内容を探し求める。
だが、どんなに内部をひっかき回しても、そんなものは何一つとして見つからなかった。
「いいよいいよ。そんなにかしこまって謝らなくても」
志貴は笑顔で応えてくれた。
良かった。
どうやら、そんなに怒ってはいないみたいだ。
さつきは内心胸を撫で下ろした。
しかし、だからといって、志貴に対する申し訳なさが消えた訳ではない。
むしろ、笑って許してくれたせいで、その懺悔の感情は倍加していた。
「本当にごめんね」
「別にいいって。そんなに気にしないでよ」
そう言って、もう一度深々と頭を下げたさつきを、志貴は優しくなだめた。

――おかしいなぁ。遠野君との約束を、私が忘れちゃうはずないのになぁ。

さつきは心の中で不満げに呟いた。
だが、いくら忘れるはずがないと言ったところで、事実忘れてしまっている以上、何を言おうとそれは言い訳か現実逃避に他ならない。

月夜 2010年07月01日 (木) 23時54分(73)
題名:If(第三章)

「あの……その……とっても申し訳ないんだけど……それで、さっきの約束って……」
未だに思い出せない自分自身に嫌気を感じながら、さつきは文字通り、申し訳なさを全面に表しながら、控え目な口調で志貴に尋ねた。
「あぁ、“せっかくの休みなんだし、一緒にどこかへ遊びに行こうよ”って話だよ」
「……え?」
瞬間、二人の間で時が止まる。
「……どうかした?」
否、二人ではなく、さつきの中だけで。
「……」
しばしの間、フリーズを起こした精密機器の如く、瞬きすることさえ忘れ、まるで氷のように固まるさつき。
……と、次の瞬間。
「ええぇぇぇっ!!?」
焦点を取り戻したさつきの口から、またもや驚愕の声が飛び出す。
「ま、また!? い、一体どうしたんだよ!?」
志貴が再び後退る。
「そそそ、それって、ももも、もしかして、デデデ、デートってこと!?」
物凄いどもりながら、何とか文章を作り出す。
「ま、まぁ、そういうことになるかな」
志貴が恥ずかしそうに答える。
だが、そんな言葉を聞き取れるほどのゆとりや余裕など、今のさつきにあるはずがなかった。

――わ、私と遠野君とが、休みの日に二人っきりでデート!?

そのことだけで、さつきの脳内はとうにオーバーヒートを起こしていた。
胸を締め付けていた高鳴りも、益々その激しさを増幅していく。
息苦しさが増大するその度毎に、たまらない快感が胸の内に溢れてくるようだ。
「……ところでさ……」
おずおずと口を開いた志貴の様子に、さつきが我を取り戻す。
「な、何?」
「えっと……その……何て言ったらいいのかな……」
「? どうしたの?」
さつきが訝しげな表情を浮かべる。
何だか歯切れが悪い。
放たれる言葉の節々から、戸惑いがありありと感じ取れる。
その理由は、彼が次に呟いた一言で、全て明らかになった。
「さつき……今の自分の格好……分かってる?」
「え?」
その言葉に、さつきが何気なく視線を自らの身体へと落とす。
その視界に映る、ある意味でいつも通りな自分の姿。
それは、可愛い動物達のイラストが描かれた、ピンク色で些かメルッヒェンな要素の含まれた、典型的な少女用の寝間着に身を包んだ己の姿。
「……」
再び時が止まる。
「……」
今度ばかりは、さつきばかりでなく志貴も同様だ。
重苦しいという表現とは、どこか違う気がしないでもないが、それでもどことなく空気の重さが感じられる、一種独特の沈黙。
そして、それを破ったのは無論さつきの方だった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああぁっ!!」
怒号さながらなさつきの悲鳴が、朝の家中に響き渡る。
もう、何が何だか自分でもわからない。
さっきからずっと叫びっ放しだ。
とりあえず、頭で考えるよりも早くに体が羞恥を感じ、さつきは大慌てで志貴の視界から身を隠した。
そして、自分の部屋へと続く階段を、未だかつてないほどの全力疾走でもって、下りてきた時以上の速度で一気に駆け上っていく。
「あら、さつき」
途中、階段を下りてくる母親とすれ違ったが、そんなことはさつきの視界に映ってすらいなかった。
階段を上がりきると、さつきは凄まじい勢いで扉を押し開き、中へ入ると同時に体を使って叩き閉めた。
「ハァ……ハァ……」
静寂に包まれた部屋の中で、さつきの乱れた呼吸音だけが、やけに大きくこだまする。
烈々と脈打つ胸の鼓動。
そこに、心地良さなどは一塵たりとて存在していない。
あるのは、もう顔も上げられない位の恥ずかしさだけだ。
部屋の隅に備え付けられている鏡に、自らの顔を写し出してみる。
そこに写ったのは、端から見てもかなり紅潮しているのがバレバレな程に上気した、茹で蛸同然な自分の顔だった。
「ごめんなさいね。そそっかしい娘で」
「あ、いえ、そんなことは……」
階下から、さも楽しそうな母親と、困惑気味な志貴のやり取りが聞こえてくる。
「……!」
声にならない、この憤りにも似た感情をぶつけるようにして、さつきは荒々しくクローゼットを開け放つ。
そこから着替えを取り出し、直ぐ様それをそこら辺に放ると、ベッドの上に倒れ込み、枕の中に顔を埋めた。
「……」
しばらくの間、さつきはそのまま動けなかった。

月夜 2010年07月01日 (木) 23時55分(74)
題名:If(第四章)

昼前の、徐々に強さを増し始める陽光の下、だんだんと暖まっていく空気の中を、志貴とさつきは肩を並べて歩いていた。
「……」
「……」
何となく気まずい沈黙。
あの後、さつきは神業的な速度で身支度を整え、皮肉混じりに笑う母親を背に、志貴を引き連れる形で急ぎ家を飛び出した。
それが、多分10分程前のことだっただろう。
そう思って、何気なくさつきは手首に巻いた腕時計へと視線を落とす。
だが、余り時間は経っていなかった。
現実過ぎた時は、せいぜい3分かそこらぐらいだ。
重苦しさによって引き延ばされた体感時間のせいで、何だかずっと黙りこくっていた気がしたが、それが錯覚だと分かると、ちょっとだけ気が楽になった感じがする。
「……」
伏し目がちにうつ向きながら、隣で無言を保つ志貴の表情を伺う。
どちらも、考えていることは大体同じのようだった。
気恥ずかしさと戸惑いと妙な申し訳なさが融合したような、何とも表現のしにくい複雑な彼の表情が、何よりも良くその内なる感情を表している。

――……何だか、私のせいで悪いことしちゃったなぁ。

さつきは重苦しいその雰囲気の中に、一種の罪悪感を抱き始めていた。
それもそうだろう。
何と言っても、今のこの状況を作り出す最たる要因を生み出したのは、疑いの余地無くさつき自身に間違いない。
あの時、自分が寝間着のまま玄関に行かなければ、こんなことにはならなかっただろうに……。
そう思うと、何となくとても悪いことをした気になってくる。
しかし、その行為自体に罪悪の要素は無いのだし、実際、見られた相手がクラスメイトの女子とかだったなら、多分笑って済ませられただろう。
ただ、今回は相手が悪かった。
男子に、それも、よりにもよって自分が想いを寄せる彼に、不覚にも自分の寝間着姿、つまるところ、最も無防備な姿を見られたという事実だけで、さつきは顔から火が出る思いだった。
「……」
さつきは志貴の横顔から視線を外すと、自分の胸に手を当てた。
高鳴るその鼓動は、未だに治まる気配すら見せない。
だけど、最初の時と比べたら、幾分かはマシになっているような気がする。

――……このまま、いつまでも黙ってる訳にはいかないよね。

さつきは覚悟を決めると、一度だけ大きく深呼吸をしてから、隣を歩く志貴に対して言葉を紡いだ。
「あの……さっきはごめんね。急に大声出しちゃったりして」
「え? あぁ、別にさつきが謝る必要はないよ。そんなに気にしなくても大丈夫だって」
そう言ってから、少々恥ずかしそうな表情で、
「……まぁ、俺が言うべきことじゃないんだけどね」
と、呟きながら、照れたように笑った。
さつきも同じような照れ笑いを浮かべる。
何となくだが空気が和んだように感じて、さつきは内心安堵感を覚えていた。
「……それにしても」
さつきが改めて志貴の方へと目線を向ける。
「ん? どうしたの?」
そんなさつきの瞳を、志貴が真っ直ぐに見つめ返す。
「未だに信じられないよ。私と遠野君が、休みの日にこうして肩を並べてるなんて」
「何言ってるんだよ。初めてって訳でもないのに。それに、最初に誘ってくれたのはさつきの方だろう?」
感慨深そうに呟くさつきに、志貴が不満げに言葉を返す。
「えっ!? わ、私が!?」
「そうだよ。……そんなことも忘れちゃったのか?」
「忘れたというか……その、記憶にないというか……」
「あれ? じゃあ、今日の約束は、俺の勘違いだったのかな?」
「えっ!?」
そう言って、唐突に踵を返そうとした志貴を、さつきが慌てて引き止める。

月夜 2010年07月01日 (木) 23時56分(75)
題名:If(第五章)

「そ、そんなことないよ! うん! 絶対に約束してた! 問題なく! 間違いなく!!」
基本、どちらかと言えば消極的なさつきにしては珍しく、ある意味鬼気迫るかのような気迫に満ちた口調でまくし立てる。
「じゃあ、いつ約束したか、覚えてる?」
「う……」
志貴の問いかけに、さつきが口ごもる。
もう一度、脳内の記憶バンクを呼び起こす。
だけど、やっぱり何も思い出せない。
やっと抑まりかけていた申し訳なさが、胸の奥からまた込み上げてくるようだ。
「えと……あの……その……」
慌てふためきながら、必死の思いで次の言葉を模索する。
「……ぷっ、あははは!」
と、そんなさつきを見つめながら、志貴は突然笑い出した。
「え?」
さつきが弾けた様に顔を上げる。
「え? えっ?」
依然として笑い続ける志貴に、さつきが狼狽えながら問いかける。
どうして?
私、何か可笑しな事言ったかな?
不思議そうな表情を浮かべるさつきに、志貴は優しく言葉を投げ掛けた。
「ここまで来たっていうのに、さつきを一人残して帰るはずがないだろう?」
「え?」
「今日は二人のための日なんだから、思いっきり楽しまないとね」
志貴の朗らかな笑みが、戸惑い気味のさつきに向けられる。
見てるだけで、こちらの気持ちが暖かくなるかのような、柔和で温厚な微笑みだ。
「う、うん……」
さつきも頷きながら、つい顔を背けたくなりそうな気恥ずかしさを堪えて、精一杯の笑みを返した。
「……ん?」
と、志貴の表情に微かな異変が生じた。
何かを見つけたのだろうか。
その眼差しはある一点を見つめたまま停止していた。
「? どうしたの?」
尋ねながら、さつきもその眼差しの行き着く先へと目を向ける。
そこに見えたのは、今日は休みだというにも関わらず、何故か学校の制服に身を包んだ、青く短い髪をもつ一人の少女。
見慣れた……と言う程ではないが、同じ校舎で学生生活を送っている以上、少なからず何度か会ったことのある人だ。
「あら?」
彼女も、こちらの様子に気付いたようだ。
「遠野君? ……それに、弓塚さんも?」
不思議そうな表情を浮かべ、二人の元へと歩み寄ってくる。
「こんにちは、シエル先輩」
シエルが目の前まで来るのを待ってから、志貴が軽く挨拶をした。
「こんにちは」
さつきも、同じように小さく頭を下げる。
「二人とも、こんにちは。二人揃って、今日はどうしたんですか?」
「あぁ、せっかくの休みですし、たまには二人で遊びに行こうってことになりまして」

――ピシッ。

……瞬間、何か空気が裂けたみたいな、不気味で乾いた音が聞こえた気がする。
……気のせいかな?
「……つまりそれは、デートというやつですね」
「えっと……まぁ……そういうことになりますかね」

――ピシシッ!

……どうやら、気のせいなんかでは無さそうだ。
「へぇ〜、そうなんですか。二人とも、楽しんできて下さいね」
シエルが言う。
表面上では一応の笑いの形を保ってはいるが、その目は全くもって笑っていない。
正直、本気で怖い。

――うわ〜。シエル先輩、すっごく怒ってるよ〜……。

内心怯えを感じながらも、それを露呈させることなく、精一杯の作り笑いを浮かべたまま、何とかその場をやり過ごした。
「……シエル先輩、何だかものすっごい怒ってたね……」
「あぁ……そうだな」
路地の奥へと去っていくシエルの背を見送りながら、志貴とさつきはどちらからともなく呟いた。

月夜 2010年07月01日 (木) 23時57分(76)
題名:If(第六章)

太陽の光が照らし出す、自然の明るさで満ちた昼下がりの街道。
「やっぱり、昼間はダルいわね〜」
暖かさの中にも、だんだんと熱気を伴い始めた明るい陽光の下、真祖の姫はかったるそうに呟いた。
額に手を添えて、降り注ぐ日の光を遮りながら、眩しそうに空を仰ぐ。
透き通るような青空の海を漂う、幾つかの不定形な雲が、西から東へとゆっくり流れていく。
そんな中、この地に昼の暖かさと明るさをもたらしている眩い円状の光源が、アルクェイドの視界の隅に映し出された。
「いっそのこと、一日中夜だったらよかったのに」
忌々しそうに呟く。
元来、吸血鬼達にとって、太陽の光というのは猛毒に等しい。
並の吸血鬼が日光を浴び続けたら、それは死に直結することとなりかねない。
今、この直射日光の中でもアルクェイドが平気なのは、彼女が全ての吸血鬼の真祖たる吸血姫であるからに他ならない。
それでも、夜間の時の彼女と比べたら、大分弱っているのもまた事実だ。
……まぁ、いくら新祖とは言え、日の光を“何かダルい”程度にしか考えない吸血鬼も、かなり異常であることには違いないのだが。
そして、わざわざ日の光に耐えてまで、アルクェイドが今向かっている先は……まぁ、言わずとも大体の予想は付くだろう。
もちろん、その足は寄り道することなく、遠野邸へと真っ直ぐに進められていた。
無論、アルクェイドとしては、夜の方が断然ありがたいのだが、志貴の猛烈な反対を受け、仕方なく昼間限定ということに妥協したのだ。
「あ〜あ、志貴に会うためとは言え、な〜んかしんどいなぁ……ん?」
と、アルクェイドが空を見上げながら、不服そうに呟いた時、その視界の端の方に誰かの姿が映った。
短い青髪と、休日だというのに何故か制服姿という、奇妙ないで立ちの少女。
今まで、もう嫌という程に見てきた姿だ。
残念ながら、見間違うはずが無かった。

――……見なかったことにしよ……?

いつもなら、こんな真っ昼間の一番ダルい時間帯、あんな奴は無視してしまうのが常なのだが、今日は少々事情が違った。
「……」
電信柱の陰や曲がり角に身を隠しながら、何やら前方を伺っている。
その横顔は、まるで臨戦時のような険しく引き締まったものになっていた。

――あいつ、何やってんだろ?

そんな事を考えていると、再びその視界の隅に、小洒落た喫茶店から出てくる人影が映った。
何となくその方へと目線を向ける。
そこに立っていたのは、まさに彼女が目的とする人物その人だった。
「あっ、し……」
瞳を輝かせ、意気揚々と駆け寄ろうとしたアルクェイドだったが……。

――……え?

彼の背中に付いて来るようにして現れたもう一つの人影によって、その行動は強制的に制止させられた。
ここからでは少し遠いが、その相手が女性であることは、遠目からでもはっきりと理解出来た。
「ご、ごめんね。お昼、ご馳走までしてもらっちゃって」
「いいって、いいって。気にしないでよ」
おずおずと頭を下げるその少女に、志貴が満面の笑顔を向ける。
端から見てるだけで微笑ましくなるような、とっても良い雰囲気でいっぱいだ。

――……何だか、恋人同士みたいじゃないの。

アルクェイドが、険しい眼差しでその少女を睨み据える。
「ねぇ、シエル」
そのまま視線を動かすことなく、依然としてこちらに気付いていないであろうシエルの横顔に、アルクェイドは不満げに声を掛けた。
「え?」
唐突に呼ばれた自分の名に、シエルが素早くその音源へと向き直る。
「っ!!?」
その口から、声にならない悲鳴が漏れる。
冗談抜きで、本格的に全く気付いていなかったようだ。
「ア、アルクェイド! あなた、一体いつからそこに!?」

月夜 2010年07月01日 (木) 23時58分(77)
題名:If(第七章)

シエルが声を荒げる。
その表情の紅潮は、怒り故か恥ずかしさ故か。
「そんなことはどうでもいいの」
そんなシエルの言葉を、アルクェイドは構うこと無くあっさりと流した。
「それより、志貴の隣にいるあれ。どこのどいつよ」
そして、シエルの方などは見向きもせずに、その尖鋭とした視線の先に佇む、例の少女の姿を指差した。
「あれ? あぁ、彼女は弓塚さんと言って、遠野君のクラスメートですよ」
相変わらず傍若無人な態度のアルクェイドに、多少の不快感を覚えながらも、シエルはその問いかけに簡潔に答えた。
「ふ〜ん……」
投げやりに言葉を返す。
そこで、アルクェイドは初めてシエルへと向きを直した。
「……で、あんたはこんなところで何やってんの?」
アルクェイドが悪戯っぽく問う。
「なっ!? そ、それは……」
到底隠しきれない焦りを露わに、恥ずかしそうに口ごもるシエル。
「あぁ、別に言わなくてもいいわよ。理由ならはっきりと分かってるから」
アルクェイドが、勝ち誇ったかのような笑みを口元に浮かべ、恥ずかしさの余り敗色満面のシエルに向かって、更に言葉を放っていく。
「それにしても、志貴の後を尾けるだなんて、何とも未練がましい女ね」
「……何ですって?」
その言葉の中に含まれている明らかな侮蔑の響きに、シエルの目元が釣り上がる。
「あら、違うの? 今更志貴に横恋慕するような女々しい女の、どこが未練がましくないというのかしら?」
「よ、横恋慕……!」
「他人の恋人に想いを寄せるのって、横恋慕って言うんでしょう? まさに、今のシエルそのものじゃない」
「……では、遠野君はあなたの恋人だとでも言うのですか?」
「当たり前じゃない。そんなこと、世間の一般常識にも等しいことよ」
アルクェイドが断言するかのように言い放つ。
「……相変わらずですが、言いようの無い程おめでたい人ですね。あなたは」
「何よ。何か文句でもあるの?」
まるで、哀れむかのようなシエルのその口調に、アルクェイドが怒りを面に表す。
「あの二人を見ても、まだそんな世迷い言が言えますか?」
その言葉に、アルクェイドが前へと目線を向ける。
その眼界の中央に映し出される二人の姿。
照れた様に頬を赤らめるさつきと、さつきのそんな姿に笑みを溢れさせる志貴。
見てるだけで、胸が締め付けられるようだった。
志貴には、私だけを見ていて欲しい。
あんな楽しそうな笑顔、私以外の誰かに向けて欲しくない。
志貴に対する愛慕の感情と、さつきに対する嫉妬が、互いに入り混じって、アルクェイドの胸に降り積もってゆく。
「分かりましたか? あの二人は、どこからどう見ても……悔しいですが、恋人同士にしか見えませんよ」
「……」
すぐ隣から、シエルの嫌味な声が聞こえてきた気がしたが、今の彼女に、そんなものにいちいち反応していられるだけの余裕などは無かった。
「……まぁ、あなたの言う通り、そんな二人の後を尾けるだなんて、私にも多少女々しい節があったのかもしれません。ですが、もう……」
「……シエル。行くわよ」
アルクェイドは唐突に口を開くと、シエルの言葉を遮って、前方へと歩みを進め出した。
「え? 行くって、何処へ?」
「決まってるじゃない!二人の後を尾けるのよ!」
戸惑い気味のシエルに、アルクェイドが凄まじい剣幕で言い放つ。
「なっ……あなた、ついさっき自分で、私のことを未練がましいやら横恋慕やら散々言っておきながら……」
「そんな過去のことはどうでも良いの! 大事なのは今! 行動を起こすか起こさないかよ!!」
呆れたように呟くシエルに、アルクェイドは大声で豪語すると、曲がり角へと消え行く二人の背中を追って走り出した。
「はぁ……」
シエルは深く溜め息を付いてから、駆け足でその後ろを追いかけた。

月夜 2010年07月01日 (木) 23時59分(78)
題名:If(第八章)

「ご、ごめんね。お昼、ご馳走までしてもらっちゃって」
「いいって、いいって。気にしないでよ」
申し訳なさそうに謝るさつきに、志貴が優しく笑い掛ける。
「でも……」
それでも、さつきは控え目な口調で言いすがった。
そんなに高額という訳でも無かったのだが、丸々全部奢ってもらったのでは、さすがに少し悪い気が……。
「だからいいんだって。俺がご馳走してあげたくてしたんだから、さつきが気にすることじゃないよ」
肩から下げた鞄の中から、財布を取り出そうとするさつきの行動を、志貴の柔和な笑顔がやんわりと制する。
「……うん。ありがとう」
そんな志貴の優しさに、さつきもある意味で観念すると、鞄の中に差し込んでいた手を抜いた。
「こんな所でつっ立ってても仕方ないから、とりあえず歩こうか」
「あ、うん」
先に歩き出した志貴の後ろについて行くようにして、さつきも喫茶店前を後にした。
「……」
「……」
しばらく歩いた後、どちらから言うともなく、二人はさりげなく肩を並べた。
志貴は歩みを遅らし、さつきは少しだけ早足になる。

――遠野君……。

心の中で彼の名を呼びながら、さつきはその横顔を盗み見た。
こうして、休みの日に二人で歩みを揃えていられるなんて、未だに信じられない。
今まで、ずっと近くに居ながらにして、遥か遠くにしか見ることができなかったものが、今はすぐそこにあった。
それだけのことだと言うのに、何故だか無性に緊張する。
だけどそれは、決して胸が締め付けられるような、苦しい緊張感なんかではない。
だからといって、苦しさが皆無という訳でも無かった。
何と言えばいいのだろう……心地よい息苦しさとでも表現したらいいのだろうか?
胸を圧迫するこの圧力に、私自身の気持ちを押し潰すかのような、乱暴で無理矢理な強制力は存在していなかった。
「さつき」
こんな気持ちになったことは、今の今まで一度たりとて無かった。
恐らく、今日彼とこうしていなければ、私がこんな感情を抱くことも無かっただろう。
「さつき?」
この想い……これはまだ、ほんの小さなものなのかもしれない。
けれど、彼を間近に見つめることで、あの時から私の中にくすぶっていたこの想いとも向き合うことが出来た。
「お〜い、さつき〜?」
そして、たった今確信した。
この想いが、紛れもない本物の想いであることを。
「さ〜つ〜き〜?」
あぁ、そうか。
この気持ちは、やっぱりそうだったんだ。
私は、この人を……遠野君のことを……。
「さつきっ!!」
「ひゃう!?」
すぐ近くから聞こえてきた大声に、さつきの口から素頓驚な悲鳴が上がった。
それを境に、焦点を失っていたその瞳が現実を取り戻す。
それまで全然気付かなかったけれど、横目で盗み見ていたはずが、いつの間にか、まじまじと彼の表情を見つめていたらしい。
その目の前にあったのは、心配そうにこちらを覗き込む、志貴の訝しげな表情だった。
「どうかしたのか? 何だか、ぼーっとしてたみたいだけど」
「えっ!? あ、う、ううん。そ、そんなことないよ」
さつきはしどろもどろに言葉を返した。
何だか、心の中を見透かされているような気がして、反射的に顔を背ける。
「そんなことより、これからどうするの?」
この恥ずかしさを誤魔化すため、さつきはあらぬ方へと目線を向けたまま口を開いた。
「これからかぁ……さつきは、何かやりたいこととかある?」
「私? そうだなぁ……」
逆に問い返されて、さつきは少し返事に戸惑った。
あさっての方角へと遊ばせていた視線を、街の至るところへとせわしなく動かす。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時01分(79)
題名:If(第九章)

その視界、ちょっと遠くの方に、比較的大きな建物が見えた。
友人とも何度か訪れたことがある映画館だ。

――映画かぁ……。

さつきは心の中で呟いた。
デートコース(言ってて自分でも恥ずかしいけど……)としてはありきたりかもしれないけど……。
そう考えながらも、他にこれといった提案があるという訳でも無かったので、とりあえず言ってみることにした。
「あの……ありきたりかもしれないけど、映画なんてどう?」
「映画かぁ……良いかもね」
そう呟くと、志貴もさつきの視線の行き着く先へ合わせて、その映画館へと目を向ける。
「でも、ここ最近映画なんて全然見てないから、どんな映画が上映されているのか分からないなぁ……さつきは、何か人気の映画とか知ってる?」
「え? えぇっと……」
言葉を濁しながら、脳内から映画に関する情報をピックアップしようとしてみた。
……だけど、何にも思い出せない。
当然と言えば当然だ。
思い出せない以前に、知らないのだから。
「……私もあんまりかな……」
さつきはおどおどと言葉を返した。
あ〜あ、こんなことになるんだったら、ちゃんとテレビで映画情報をチェックしとくんだったなぁ。
「……あれ?」
と、そんなことを考えながら歩いていると、そんなさつきのすぐ隣で、突然志貴がその場に立ち止まった。
「ん?」
さつきも遅れて立ち止まり、彼の方を振り返る。
志貴も、さつきと同じように自分の背後、今来た道を振り返っていた。
「……おかしいな?」
何やら小声で呟きながら、不思議そうに首を捻っている。
「遠野君? どうかしたの?」
「え? あ、いや、別に何でもないよ」
「そう……なら、いいんだけど……」
何かを隠しているような感じがしたけど、問い詰めるようなことはしたくなかったので、それ以上深くは詮索しないことにした。
「とりあえず、一度映画館まで行ってみようよ。どんな映画をやってるか、気になるしね」
「そうだね。行ってみようか」
再び肩を並べて歩き始める。
「……」
何となく気になって、さつきは一度後ろを振り返ってみた。
ついさっき、志貴が見ていた辺りへと目を向ける。
だが、その視界に映ったのは、いつもと何ら変わりない、見慣れた街角の景色だった。
……別に、何にも変わったとこはないなぁ。
「どうしたの? 早く行こうよ」
「あ、うん」
少し先の方に佇み、不思議そうにこちらを見つめる志貴に向かって、さつきは軽い駆け足で走り寄って行った。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時02分(80)
題名:If(第十章)

「ふぅ……危ない危ない」
物陰に身を潜めたまま、アルクェイドは安堵の溜め息を溢した。
額に浮かんだ冷や汗を、手の甲で拭い取る。
「全く……何で私まで……」
その隣では、同じく物陰に隠れながら、シエルがアルクェイドとはまた違った意味で、溜め息を付いていた。
「何言ってんのよ。一番最初に尾行してたのはあんたじゃない」
「そ、それはそうですけど……」
言い返す言葉を見付けられず、尻すぼみな口調で押し黙る。
「……ですが、あの二人をいつまでも追いかけたところで、何が変わるという訳でも……」
「あっ、何か建物に入ったみたいよ」
シエルが再び口を開いた時、既に隣のアルクェイドは行動を開始していた。
「ほら、何ぼさっとしくさってんのよ!見失っちゃうでしょ!」
物陰から飛び出し、駆け足で二人の消えた先へと向かいながら、苛立ちを露わにシエルを催促する。
「……はぁ……」
本日何度目かの深い溜め息と共に、シエルは渋々重い腰を上げると、アルクェイドを追って走り出した。
アルクェイドが、その建物の前に辿り着く。
「あっ!」
と同時に、素早く扉付近の壁に背を押し当てた。
そこから、首だけ覗かせて中の様子を伺うアルクェイド。
そのすぐ隣まで来てから、シエルはここが映画館であることを思い出した。

――二人で映画ですか……ありきたりと言えばありきたりですが、弓塚さんらしいと言えば弓塚さんらしいですね。

そんなことを考えながら、アルクェイドと同じように、慎重にその内部を覗き見る。
そこに見えたのは、数人の人々の列の中に並んでいる、志貴とさつきの姿だった。
互いに顔を見合って、何やら楽しそうに話している。
そんな二人の姿を見ているだけで、胸の奥からふつふつとある感情が沸き上がって来た。
それは何か。
考えるまでもない。
私の中に存在する、遠野君を取られたくないという自らの欲望に基づいた、醜い嫉妬心だ。
自分の中の汚い部分。
今まで、なるべく考えないようにしてきたが、もはやそれは、認識せざるを得ない位にまで、私の心の中に根付いてしまっていた。

――……今、遠野君の隣にいるのが私だったら……。

つい、そんなことを考えてしまう。
二人で映画館の列に並びながら、どんな映画を見ようかと、或いは、その後はどうしようかと、互いに顔を見合わせて語り合う、自分と彼の姿。
……分かっている。
そんなことを想像しても、仕方のないことだということぐらい、誰に言われずとも、自分自身が一番良く分かっている。
その後に残るものは、ifの先にある仮想の世界と、既に決定済みとなってしまった現実との格差によって産み出される、憂鬱で虚しい虚脱感だけだということも。
……分かっている……分かっているけど、想像してしまう。
既存となったこの世界では、決して存在するはずのない、もしもの世界を。
その度に、心が虚無で埋め尽くされていく。
そんな心の傷を癒すため、甘美な想像の世界へと逃げ込む。
そしてまた、この心を空虚な刃が傷付けていく。
どうにも止まらない悪循環。
どこかで断ち切らねばならない。
そう思いながらも、歯止めの壊れたこの思考は、思い巡らすという行為を止めようとはしなかった。

――もし……私が……。

「……シエル?」
「……え?」
不意に間近から聞こえてきた声で、仮想の世界を思い耽っていたシエルの思考回路が、確かな現を取り戻した。
「何ぼんやりしてんの? あんた」
その視界に映る、憎らしい吸血姫の訝しげな表情。
「な、何でもありません!」
別に慌てる必要など無いというのに、つい声を荒げてしまう。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時03分(81)
題名:If(第十一章)

「? あんたが何を慌ててるのかは知らないけど、さっさと中に入るわよ。志貴達、もうチケット買って奥に進んじゃったから」
アルクェイドが投げやりに呟きながら、映画館内へ足を踏み入れる。
「え?」
その言葉に、先ほどまで志貴達がいた場所の辺りへと視線を移す。
依然として人の列は残っていたが、そこに、既に二人の姿は見当たらなかった。
最後に彼らの姿を見た時は、まだ列の半ば辺りだったというのに……。
一体どれだけの時間、思い出すのも恥ずかしいような空想を思い描いていたのだろう?
「……本当ですね」
シエルは、そんな自らに対して呆れたような呟きを漏らしつつ、アルクェイドの後をついて、映画館内部へと踏み込んだ。
人の列に並びながら、二人の消えた先に目を向ける。
ちょうど、映画館特有の重々しい扉を潜って行くところだった。
扉が閉まり、そこに記された番号が目に映る。
「4番ですか……」
そう呟いて、シエルがチケット売り場の上方部分の液晶に示された、本日の上映予定の表示を見上げる。
だが、どの映画がどこで上映されているのかまでは、残念ながら示されてはいなかった。

――もうすぐ上映開始というものは……2つですか。

上映開始まで、後10分程に迫っているもののタイトルが2つ、開演間近であることを主張しているかのように、赤字でスクロールしている。
片方は純愛モノで、もう片方はホラー映画のようだ。
さて、ここでの問題は、二人は果たしてどちらを選んだのかだ。

――遠野君は基本受け身が多いから、多分何を観るかは弓塚さんに任せるでしょうね。そして、弓塚さんの性格から察するに、ホラーを選択することは無いでしょう。なら、必然的にどちらを見るかは決まります。

……などと分析をしているシエルのすぐ近くで、
「4番の所で上映されてる映画のチケット、二人分お願いね」
アルクェイドがあっけらかんと要求した。
「なっ……」
シエルが思わずこけそうになる。
「……は、はい?」
その売り場の女性店員も、戸惑いを隠せないようだ。
無理もない。
普通に考えれば、そのような要求形式はあり得ないのだから。
「だから、4番とこのチケット二人分よ」
そんな店員に、アルクェイドが再び、はっきりとした口調で言う。

――何て常識知らずな……。

シエルは口に出すことなく、心の中で言い捨てながら、呆れたように頭を抱えた。
「は、はい……どうも、ありがとうございます……」

月夜 2010年07月02日 (金) 00時04分(82)
題名:If(第十二章)

終始首を傾げたまま、今一つ納得のいかない表情で、その店員が頭を下げる。
「お二人様で、二千円になります」
そう告げられると同時に、アルクェイドがシエルの方を振り返った。
「じゃあ、お勘定はお願いね」
そして、全く悪びれる様子も見せずに、さも当然であるかのように言い放った。
「……はい?」
シエルが問い返す。
「あれ?聞こえなかった?お勘定はお願いって言ったのよ」
先に述べたことを、アルクェイドが忠実に再現する。

――このアーパー吸血鬼は、一体何を言っているのでしょう? 何故、私がこんな奴の代金を肩代わりしなければならない?

「何をたわけたことをほざいているんですか? あなたは」
シエルが蔑むような口調で言い返す。
「だって、私、今お金持ってないもん」
アルクェイドが言い張る。
その様子からは、依然として、罪悪の欠片すら伺えない。
「……あなたという人は……!」
低く暗い、明確な怒りを含んだ声音で呟きながら、シエルがその胸ぐらへと腕を伸ばす。
しかし、それがアルクェイドを捕らえることはなかった。
「無いものは無いもの。仕方ないじゃない」
後ろへと軽く飛び退き、シエルの腕から身を避ける。
「ほらほら、後ろの人達に迷惑だよ」
まるで他人事のように言う。
シエルが自らの背後を振り返る。
長蛇という程ではないが、それなりの長さの人の列が目に映った。
何だか、無言の内に含まれる、強制力を持った強い催促が感じられるようだった。
「くっ……」
シエルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、やるせない憤りを押し殺しながら、財布の中から紙幣を二枚取り出した。
「あ、ありがとうございました……」
ちょっと怯え気味の店員から、二人分のチケットを受け取ると、シエルは早足で列の中から抜け出した。
少し離れた所で待っていたアルクェイドの手前まで行くと、購入したチケットの内の一枚を、その胸元へと差し出す。
「ありがと〜♪」
笑顔満面で受け取るアルクェイド。
「……いつか、絶対に返してもらいますからね」
それとは対照的に、烈々たる殺意を漂わせるシエル。
「まぁまぁ、そんな怖い顔せずに、早く行こうよ」
そんなシエルの怒りを感じてか否か、アルクェイドはその殺気の波を軽く受け流し、早足に館内の奥へと進んでいった。
「全く……」
シエルは深い溜め息を溢しつつ、何気なく手の中のチケットへ目線を落とす。
「……え?」
そこに記された文字に、シエルが目を見開く。
左上隅、比較的小さな文字だったが、それは真っ先に彼女の視界に飛び込んで来た。

――ジャンル:ホラー

「…………」
暫くその場に立ち止まった後、シエルはゆっくりと歩みを進めた。
「……はぁ……」
その口元から溢れた、深く大きな溜め息は、館内に響き渡った、上映5分前を告げるブザーにかき消され、誰に届くこともなく空気中へと霧散したのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時05分(83)
題名:If(第十三章)

「だけど、意外だな」
左隣から声が掛けられる。
「え?」
その声に私は、前のスクリーン上に映し出される、他の映画の予告編から目を外し、首を回して自分の横へと目線を向ける。
その視界に映る、こちらに向けられた彼の朗らかな表情。
「いや、さつきがホラー映画好きだなんて、初めて知ったな〜と思って」
首を傾げる私に、遠野君が楽しそうな笑顔で話し掛ける。
「そ、そうかな? そんなに意外?」
「うん。どちらかというと、純愛モノの方が好きそうな感じがするかな」
遠野君が柔らかく微笑みながら言う。
「……純愛映画は、あんまり好きじゃないんだ」
そんな彼の言葉に、誰にも聞こえないような声で、私は小さく呟いた。
実を言うと、ホラー映画はあんまり好きじゃない。
どちらかと言えば、怖いのは苦手な方だと思う。
だけど、純愛映画はそれ以上に好きじゃない。

――……ううん。

私は小さく首を振る。
さっきは好きじゃないと言ったけど、多分かなり嫌いだ。
話の筋道や、物語性が嫌いという訳じゃなく、純愛映画というジャンルそのものが嫌い。
だって、ああいう類の映画って、最初はどんなに激しい片想いだったとしても、最終的には、必ずその想いが叶ってしまうもの。
そんなものを見てしまったら、その状況に自分の姿を照らし合わせてしまう。
想いが相手に伝わってゆくその過程を、その想いに答えてくれる想い人の姿を、ついつい思い描いてしまう。
……ありもしない、淡い期待を抱いてしまう。
だから、嫌い。
そんなハッピーエンド、物語の中の世界だけだから。
現実は、必ずしも幸せな終わり方を迎えるとは限らないから。
だから……嫌い……。

――……だけど。

そう思ってから、私はもう一度隣の席を横目で見る。
そこには、確かに彼の姿があった。
夢や幻のような、儚い虚幻ではなく、間違いなくそこにある確かな実像として。

――……夢?

その単語に、一瞬私の中で恐怖が芽生えた。
……夢なんじゃないの?
自らで自身に問いかける。
これは、ただの夢なんじゃないだろうか?
これは、脳内にて創造された、自分にとって都合の良い、ただ単なる虚実の世界なのではないのだろうか?
実はまだ、この体はベッドの中で、安らかな寝息をたてているのではないのだろうか?
そう思って、私は恐る恐る自らの頬へと手を伸ばして、
「……」
すぐに引っ込めた。
これが夢だったら?
別に構わない。
今のこの時間は、例え私の中だけの刻だとしても、私にとっては紛れもない現実だもの。
夢でも良い。
今は、この時間が続いてくれれば、それだけでいい。

――夢なら……覚めないで……。

「あ、ほら、そろそろ始まるよ」
そんなことを考えていると、隣からもう一度声が掛けられた。
その言葉に、私は自分でも気付かない内にうつ向かせていた顔を持ち上げ、前方のスクリーンへと視界を移す。
既に他の上映予告は終わり、その画面上は映画鑑賞における注意事項に変わっていた。
照明が消えてゆき、館内が薄暗く静まり返る。
「……ねぇ、遠野君」
私は、隣に座る彼の耳元で小さく囁いた。
「ん? 何?」
「えと……あの……その……」

――手……握ってて欲しいな……。

心の中では言葉になるというのに、いざ口に出すとなると、恥ずかしさがブレーキとなってしまって、どうにも言葉が紡ぎ出せない。
「どうしたの?」
遠野君が、不思議そうに私の顔を覗き込む。
眼鏡の奥に見える、純粋で澄んだ彼の瞳が、余計に私の中の羞恥心を揺り起こす。
「……う、ううん、何でもないよ」
私は結局言い出すことが出来ずに、仕方なく首を左右に振った。
そして、座席毎にに備え付けられている肘掛けに、両の腕を力無く横たえる。

――やっぱり、恥ずかしいよぉ……。

私は心の中で呟きながら、がっくりと肩を落とした。

――……ん?

と、不意に左の手の甲に、仄かな暖かみを感じて、私はその方へと視線を落とした。
その上に重ね合わせられている彼の掌。
「……え?」
思わず視線を持ち上げる。
そこでは、遠野君が優しく微笑みかけてくれていた。
何も言ってはくれなかったけれど、何よりもその微笑みが、彼の言わんとしていることを、どんな言葉よりも雄弁に伝えてくれた。
「……あ、ありがと……」
私は恥ずかしさに頬を紅潮させたまま、ぎこちなく微笑み返した。
スクリーン上に映像が映し出される。
私は、重ねられた手の暖かみを感じながら、画面へと視線を向けた。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時06分(84)
題名:If(第十四章)

映画の前置きとして用意された予告編が終了し、館内の照明が弱まってゆく。
空間が薄暗さで満ち始め、それと平行して、周囲に水を打ったような静寂が広まってゆく。
「ねぇねぇ、いつ始まるの?」
……唯一、私の隣をだけ除いて。
「もうすぐですよ」
「もうすぐもうすぐって、さっきからずっとそれじゃない」
「それは、あなたが一分置きに度々聞いてくるからです。少しは落ち着いて下さい」
「むぅ……分かったわよ」
アルクェイドは未だに不満そうだったが、やがては諦めたように呟いた。
「はぁ……」
彼女の視線が前を向いたのを確認してから、私は重い溜め息を付いた。
全く……この女は、どうしてこうなのだろう。
時々、こいつが本当に真祖の吸血姫なのか、つい疑ってしまう。
まぁ、今はそんなことはどうだっていいのだけれど。
私達より前方にいくこと、約4席分ぐらいのところの、左端の席へと目をやる。
薄暗くなる以前に、前もって確認しておいた彼の席だ。
視界の悪い薄暗さの中、彼の見慣れた後頭部が目に映る。
今日はなかなかに運が良いみたいだ。
まず第一に、観客動員数が今一つだったことが挙げられる。
人の姿に遮られることなく、あっさりと遠野君達の姿を見つけられたのは、間違いなくそのおかげだった。
次に幸運だったことは、今自分達の座っているこの席だ。
遠過ぎず近過ぎずの、この程良い距離感も、なかなかにベストポジションだった。
「あ、やっと始まり出したよ♪」
そんなことを考えていた私の耳元で、アルクェイドがさも楽しそうに囁いた。
さりげなく横目で伺い見たその表情も、声色に寸分と違わない、無邪気な好奇心に輝いている。
……何だか、純粋に映画を楽しんでいるようだ。
本来の目的など、恐らく当の昔に忘れ去っているだろう。
何ともおめでたい思考回路だ。

――……はぁ。

私は、内心密かに、本日何度目かの溜め息を付いてから、遠野君へと向けていた目線を、スクリーン上へと戻した。
今日の話の概要を、簡潔に一言で言い表すならば、人間対吸血鬼の争いの話らしい。

――……とても、よそ事のような気がしませんね……。

私は心の中で呟きながら、ちらっと隣に目を移した。
そこに居たのは、とてもじゃないが吸血鬼、それも真祖の吸血姫とは思えない程、純粋な好奇心にキラキラと瞳を輝かす、既にスクリーン上に釘付けなアルクェイドの姿だった。
―……私は一体何をしているのでしょう……。
全身を襲う妙な脱力感に、私はがっくりとうなだれた。
本来、私が討たねばならないはずの吸血鬼と、隣合って映画鑑賞など、普通に考えれば天地がひっくり返ってもあり得ない。
だというのに、この状況に、一抹の安心感にも似た、穏やかな感情を抱いている自分がいるというのも、疑いようの無い事実だった。
……しかし、二人の間に友情は無い。
元来、互いに殺し合わねばならない存在の二人。
その現実を、私は不変の真理として受け止めていた。
恐らく、それはアルクェイドとて同じだろう。
私達のこの関係は……何と言えばいいのかは良く分からないけれど、ある意味における価値観や立場の相同に因るものなのだと思う。
互いに殺し会わねばならない。
それは、言うなれば二人の思いや意思を超えたところにある、一種の義務に近いものだ。
だが、いくら相手の命を奪ったところで、それはあくまでも表面上のことでしかないのも、また不変の真実。
根本から存在そのものを抹消することなど、誰にも出来はしないのだ。
何故なら、アルクェイドは悠久の刻を生きる真祖の吸血姫。
そして私は……。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時07分(85)
題名:If(第十五章)

――っ!?

唐突に、すぐ隣から聞こえてきた能天気な悲鳴に、現を失っていた私の瞳に、スクリーン上の映像が映し出された。
と同時に、今まで働くことを忘れていた聴覚が、途端にその義務を果たし始めた。
どうやら、いつの間にか映画はメインのシーンに突入していたようだった。
だが、そんなことは関係無い。
「わっ!? ……ひぁっ!?」
隣で断続的におかしな悲鳴を上げているこのバカ吸血姫を、遠野君達に気付かれる前に早く何とかしなければ。
「アルクェイド? 何をそんなに怖がって……」
冷静さを失ったアルクェイドを落ち着かせようと、私が小声で彼女に語り掛けようとした……その時。
「きゃあぁぁああっ!!?」
何を思ったのか奴は、素頓驚且つ壮絶な絶叫を上げて、私に激しく抱きついてきた。
「なっ!?」
私の体から自由が失われる。
「ちょっ、は、離れなさい!」
狼狽えながら、私はアルクェイドの頭を押さえて、力の限り引き離そうとしてみた。
だが、あちらさんもある意味で必死なようだ。
私の体に抱きついたまま、それでもアルクェイドは、依然としてスクリーン上の展開から目を離せずにいた。
「ひっ! ……きゃっ!」
恥ずかしげも無く悲鳴を上げ続けるアルクェイドと、抱き締められているせいで微動だに出来ない私。
何やら全身に感じられる、痛い程に冷たく白い眼差し。
……その中に、彼の視線が含まれていたことは、言うまでもない。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時08分(86)
題名:If(第十六章)

上空は既に、闇の支配する夜の空となっていた。
ぼんやりとした靄が掛かったような、薄い雲の層に遮られ、数多の星々の輝きはこの地上まで届いていない。
だけど、暗い夜空に一際映える真円の如き満月は、その薄膜を突き破って、大地に妖しい白色の光をもたらしていた。
「あぁ〜っ、楽しかった〜」
さつきは大きく伸びをしながら、全身を使ってその満足さを、文字通り体現した。
「……」
だが、そんなさつきの隣で、志貴は下顎に手を添えて、何かを考え込んでいるようだった。
時折、何やら油断ない目つきで、自分の背後や周囲に目配せをしている。
「遠野君……どうかしたの?」
「えっ?」
志貴がさつきの方へと向き直る。
「あ、いや、何でもないよ」
ちょっとどきまぎとした態度で、彼は首を左右に振った。
まるで、内心の動揺を押し殺しているかのようだ。
「本当? 何だか、映画館を出た時からずっと、やたらと後ろを気にしてるみたいだったけど……」
そう言って、さつきは自分の背後を振り返ってみた。
だが、特に変わった何かがあるわけでもない。
月光や街灯、それに家々から漏れる淡い光に照らされた、いつも通りの街路があるだけだ。
「ま、まぁ、そんなことより、今日は楽しかったね」
そんなさつきに対して、何かを誤魔化すかのように、志貴が慌てて言葉を紡ぎ出す。
だけど、つい先ほどさつきが言った言葉は、全然聞いていなかったようだ。
「……遠野君、さっきの私の言葉、ちゃんと聞いてた?」
さつきが目を細めて、疑りの眼差しを志貴へと向ける。
「え、あ、え〜と……」
案の定、口ごもる志貴。
バツの悪そうな作り笑いを浮かべて、視線をさつきから外してあさっての方へと漂わす。
「あ〜ぁ、やっぱり聞いてなかったんだ」
さつきが不満げに呟きつつ、志貴の胸に指を突き立てた。
頬を膨らまし、突き立てた指で、その胸をぐりぐりとこねくり回す。
「う……そ、その……ごめん……」
胸を押されながら、志貴が弱々しい口調で謝る。
「む〜……しっかりしてよ〜」
さつきは依然として膨れっ面のまま、志貴の胸から指先を離した。
「ごめん、ごめん。ところで、さっき何て言ってたの?」
「“あぁ〜っ、楽しかった〜”……って」
志貴の目の前で、先ほどと同じように背伸びをし、言葉と合わせて忠実に再現して見せた。
「あれ? じゃあ、おんなじこといってたんだ?」
「うん。そうだね」
歩きながら、二人が互いに顔を見合わせる。
「……」
「……」
しばしの沈黙が訪れる。
耳元を吹き抜ける風の微かな音ですら、やけに大きく聞こえてしまうほどだ。
「……ぷっ……」
「……ふふっ……」
唐突に、その静寂を破って、二人が同時に吹き出した。
「くっ……あはははは!」
「ふふっ……あはははは!」
二人分の明るい笑い声が、夜の静まり返った町に響き渡る。
「くくっ……さつき、何で笑ってるんだ?」
「ふふっ……そう言う遠野君こそ、どうして笑ってるの?」
にやける表情を必死に堪え、目頭に浮かんだ涙を拭いながら、二人で互いに尋ね合う。
何が可笑しいのか、自分でも分からないのだけれど、どうしてだか笑いが止まらなかった。
顔を互いに見つめ合っているだけで、何故だか自然と笑みが浮かび上がって来る。
それに伴って、言葉では言い表すことの出来ない、不思議だけど幸せな気持ちが、胸の奥から沸き上がってくるようだった。
歩き慣れた道を進む。
その度に、少しずつ自分の帰るべき家が近づく。
それはすなわち、二人の別れの刻が近づいていることをも、同時に表していた。

――離れたく……ないなぁ……。

さつきは心の底から思った。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時10分(87)
題名:If(第十七章)

――このまま……時が止まってしまえば良いのに……。

それと時を同じくして、そんな願望が芽生える。
だけど、そんなことは起こり得ない。
過去から未来へと向かう時の流れ。
それは絶対不可侵の真理であり、それを早めることや逆巻くことはもちろん、止めることなど決して出来はしない。
その程度のことは、誰もが暗黙の内に理解していることだ。
……だけど、だからといって、そのことがこの想像に歯止めを掛けてくれるとは限らない。
むしろ、叶わないと分かっているからこそ、余計にその存在し得るはずのない世界への想いが募ってゆく。

――このまま……世界が二人だけのモノになってしまえば良いのに……。

さつきの中で、ifの先にある理想が無限大に膨張をし続ける。

――……だけど……。

そんな妄想を断ち切るかのように、さつきは小さく頭を振った。
どんなに強く渇望したところで、やはり無理なものは無理なのだ。
それなら、自らの欲望に基づいた空想を思い描くより、今のこの時間を……二人がこうして同じ空間を共有していられるこの刻を、精一杯大切にしよう。
「……」
さつきは無言のまま、隣を歩く志貴の手元へと目線を落とした。
そのままそっと手を伸ばし、彼の手に自らの手を重ねると、さつきの方から指を絡めた。
「……」
志貴も、無言でその手を握り返した。
夜の冷えた空気に晒され、身体が徐々に肌寒さを覚え始める。
だけど、握り合ったその手だけは、お互いの肌の温もりが伝わり、とても暖かく感じた。
その目線の先に、次第に明らかとなってゆく別れの場所。
その屋内から漏れてくる、人工的な淡い輝き。
いつもは、さつきを優しく迎えてくれるその明かりも、今は見るだけで彼女を憂鬱な気にさせた。

――……。

志貴と手を繋いだまま、さつきはその場に立ち止まった。
「ん?」
引かれるようにして、志貴もそこで足を止める。
「どうしたの?」
「……ない」
「え?」
「離れたく……ないよ」
消え入るような小さな声で、だがその中にはっきりとした意思を秘めて、さつきは呟いた。
「……」
静寂に包まれた夜の中、手を握り合ったまま佇む二人。
別れの場所は既に間近に迫っていた。
だからこそ、もう先には進みたくない。
……分かっている。
これが、ただの私の我が侭であることくらい。
こんな情けなくて弱い私を見せてしまったら、遠野君に嫌われてしまうかもしれない。
だけど、こうせずにはいられなかった。
離れたくない。
別れたくない。
……このまま……ずっと一緒でいたいよ……。
「……さつき」
志貴が小さく呟きながら、繋いでいた手を解き、その肩の上にそっと手を置く。
「え?」
知らず知らずの内にうつ向かせていた顔を、さつきが反射的に持ち上げた。
こちらを直視する彼の真剣な眼差しが、その視界全体に映し出される。
「……」
「……」
もう、ここから先は、言葉など必要無かった。
さつきがゆっくりと瞳を閉じる。
二人の間の間隔が、少しずつ埋まっていく。
肩に置かれた彼の手の上に、自らの手を重ねる。
互いの吐息が、肌で感じられる。
冷たく無機質な街灯の光によって生み出された二人の影が、ゆっくりと一つに重なってゆく……。






――ジリリリリリリリ!!

と、そこで、突如として鳴り響いてきたけたたましい金属音により、その世界は無色と化した。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時11分(88)
題名:If(第十八章)

――ジリリリリリリリ!!

「……うぅ」
志貴は布団に埋もれたまま、その中から腕だけを伸ばし、手探りでその音源を探し出し、その頭頂部を軽く叩いた。

――ジリリ……。

煩わしい騒音が、やっとのことで鳴り止む。
そのことを確認してから、体の上にのし掛かる布団を押し退け、気だるさを露わに上体を起こした。
「ふぁあ〜……っと」
大きな欠伸をしながら、志貴はベッドから立ち上がると、何度か体を捻り、全身を使って数回伸びをした。
時計を手に取り、今の時刻を確認する。
大体、朝の8時少し過ぎといったところだ。
よし。
予定通りだ。
志貴は満足げに頷くと、首を回しながらクローゼットへと向かった。
今日は、秋葉も琥珀さんも翡翠も、全員が屋敷を留守にしていた。
秋葉は浅上女学院の寮に。
琥珀さんと翡翠は、何かの用事で朝から出るとのことだった。
何の用事なのかは教えてくれなかったが、琥珀さんが翡翠を連れて、どこかへ行く予定のようだった。
翡翠は「志貴様を起こすのが、私の仕事です」と言って、最初は堅くなに姉の勧誘を拒んではいたものの、何やら、琥珀さんが小さく耳打ちをすると、途端に表情を変えて首を縦に振ったのだった。
それでも、まだ多少申し訳なさそうな顔をしていた翡翠に、「別に大丈夫だよ。どうせ明日は休みだし」と言ったのを覚えている。
「……さて」
着替えを終え、外出の準備を整えてから、志貴は自分の部屋を後にした。
今日は、彼女との約束の日だ。
逸る気持ちを抑えて、志貴は早足で階段を下り、玄関へと続く廊下を小走りで急いだ。
腕に巻いた時計へと目線を落とす。
約束の時まで、時間はまだまだある。
だけど、自然と足が速まってしまう。
心が踊るとは、多分こういうことを言うのだろう。
玄関に着くなり、志貴はそこに屈み込み、毎日履いている靴に足を入れた。
その場に立ち上がり、自分の身なりと持ち物を、もう一度確認する。
……忘れ物もなし……と。
再確認を終えると、目の前にそびえ立つかのような仰々しい扉を押し開き、志貴は外の世界へと足を踏み出した。
朝の明るく暖かい陽光が、志貴を優しく包み込んでくれた。

月夜 2010年07月02日 (金) 00時12分(89)
題名:If(あとがき)








「おぷばっ!!」

























はい。
冒頭の猫アルクの台詞に、意味は全くございません。
ただ、メンタル的にそういう気分でしたので。

皆さん、どうもお久しぶりです。
素人にもかかわらず、無謀にもメルブラのアンソロジー小説に手を出している、命知らずな爆走妄想人間列車こと、管理人の月夜です。
小説の更新、大分遅れてしまいまして、誠に申し訳ありません……(ToT)
そして、私宛てに催促と励ましのメッセージを下さった皆さま、本当にありがとうございます!o(^-^)o
これからは、出来るだけ早く皆さんにご覧頂けるよう、力の限り頑張りますので、見捨てないで下さい〜!m(>_<)m

さて、今回は読者リクエスト第二弾、弓塚さつき編です。
皆さん如何なものでしたでしょうか?
最初は、暗い話でいこうかとも思ったのですが、暗い話=悲しい話となってしまうのは必定。
それでは、余りにさっちんが可哀想だろうということで、今回は明るい方面でいかさせてもらいました。
Ifという題名の通り、一応は夢の世界という設定です。
ただ、実はさつきの夢ではなく、志貴君の夢だったりします。
そして、それもただの夢ではなく、微妙に正夢のようなもの……だったりするのかもしれません。
その真相は、“If 続編”の方で明らかとなることでしょう。
(っていうか、あるのか?)
まぁ、なにはともあれ、久々の更新が無事に完了しまして、ほっと一息です。
ただ、次のリクエストとして、既にシオンをメインとした作品制作の予定が詰まっておりますので、正直休んではいられませんが……(^o^;
さて、それでは今回も、この辺りで幕引きと致しましょう。
この作品についてのご感想やご意見、その他リクエスト等ございましたら、下の「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」の方まで、どしどし書き込み下さいね♪
ではでは、また次の作品で会うその時まで。
管理人兼素人小説家の月夜でした♪

月夜 2010年07月02日 (金) 00時14分(90)


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