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タイトル:とある日、秋葉の憂鬱 コメディ

――いつも通りのとある日、風邪を引いてしまう秋葉。誰しも風邪を引けば気弱になってしまうもの。折しもそんな時、偶然出会った占い師によって気付かされる、兄に対する恋慕の情。果たして秋葉は、愛しい兄に対し、自分の素直な気持ちを打ち明けることが出来るのか!? アトリエにおける月夜の**作は、少し稚拙さの残るラブコメディ!

月夜 2010年06月28日 (月) 23時06分(16)
 
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第一章)

「ケホッ、ケホッ」
あれ?
「ケホッ、ケホッ」
何だろう?
何故だか咳が止まらない。
ここ最近……というか、つい今さっきまで何とも無かったのに。
「ゴホッ! ゴホッ!」
「どうしたんだ秋葉?」
向かいの席から声が投げ掛けられる。
ふと顔を上げた私の視線の先には、私のことを覗き込む兄さんの不思議そうな表情があった。
「いえ、何でもありません」
「そうか? ならいいんだが」
兄さんはそう言うと、何事もなかったかのように、視線を私から読みかけの雑誌へと戻し、空いている方の手で紅茶のカップを持ち上げる。
「…………」
私は態度に出すことなく、いまさっきの自分の行為を悔いた。
あぁ、まただ。
またやってしまった。
兄さんと話すといつもこうだ。
私の兄さんに対する話し方が無愛想なことくらい、自分が一番良く分かっている。
だけど、自分でも何故だか分からないが、兄さんと話す時は、どうしても刺々しくなってしまう。
裏返しの感情……という言葉を最近良く聞く。
だが、自分のこの感情は、本当にこれに当てはまるのだろうか?
「…………」
私も、同じように紅茶のカップを持ち上げ、それを口元に持っていき、飲むフリをしながら、上目使いでそっと兄さんのことを覗き見た。
雑誌を読む眼鏡の奥のその瞳は、上下左右へとせわしなく動いており、私の視線に気付く気配はない。
「…………」
私は、そんな兄さんの表情を、しばらくの間見つめ続けていた。
いや、見とれていたと言った方が、正確かもしれない
「……ん?」
余りにもジロジロと見つめすぎたのか、兄さんも私の眼差しに気付いたようだ。
雑誌から顔を上げた兄さんの目と、兄さんに見とれていた私の目とが見つめ合う。
「どうかしたか?」
「えっ!? あ、い、いえ、何でも……!?」
と、その時、私は急に喉に違和感を感じて、蒸せ返るように口元を押さえ込んだ。
「ゴホッ! ゴホッ!」
「おいおい。大丈夫か?」
目線を伏せて咳き込む私に、兄さんが心配そうに声を掛けてくれる。
椅子の動く音と、視界の隅に映る閉じられた雑誌から、兄さんが立ち上がったことが分かった。
「いえ、ゴホッ! だ、大丈夫で、ゴホッ! ゴホッ!」
兄さんに心配をかけまいと、何とか話そうとはしてみるのだが、出てくるのは乾いた咳ばかりで、なかなか言葉が繋がらない。
「大丈夫ってお前……全然大丈夫じゃないじゃないか」
そう言いながら、兄さんが私の背中を優しく撫でてくれる。
「ゴホッ! 兄さん、ありが……ゴホッ! ゴホッ!」
「無理に喋ろうとするな。余計に酷くなるぞ」
服越しにでも暖かい兄さんの手が、私の背を慈しむように撫でるその度毎に、だんだんと苦しさが無くなっていっているような気がする。
そうこうしている内に、大分気分は楽になってきたが、咳はなかなか止まってはくれなかった。
「秋葉様、風邪でも引かれましたか?」
そんな私が心配になったのか、兄さんだけでなく翡翠までもが、不安げな表情で歩み寄ってきた。
「秋葉様が風邪ですか〜?」
それだけではなく、台所の方からは琥珀の声も近づいてくる。
「にわかには信じられませんね〜。秋葉様が風邪を引くなんて、太陽系の全惑星が突如として直列する確率と大して変わらないんじゃないですか〜♪」
……どうやら、皆が皆心配をしてくれているのでは無いらしい。
カップの中の紅茶がカラだったなら、あのムカつくまでににこやかな顔面めがけて、迷わず投擲しているところなのだが……残念かな、まだ紅茶は半分以上残っていた。
「また琥珀さんはそんなこと言って……いくら秋葉でも風邪くらい引くさ」
兄さんが慌ててフォローを入れる。
だけど、これが純粋に私のためだということではなく、後々自分にとばっちりが来ないようにという意だと、私はしっかりと理解している。
だんだんと喋れるようにもなってきたので、ちょっと意地悪してみよう。
「ちょっと兄さん、“いくら秋葉でも”とはどういう意味です?」
「えっ!? い、いや、そ、そういう意味で言ったんじゃないよ! お、俺はただ……」
案の定、兄さんは面白いくらいに狼狽えてくれた。
期待通りと言えば期待通りの反応なのだが、だからといって、こんなにおたおたされるというのも、何だか少し悲しくなってくる。
普段、兄さんの目に私はどう映っているのかしら?
「それはそうと……」
そんなとき、脇から翡翠が控えめに進言してきた。
こういう時に場の空気を戻すのは、大抵翡翠の仕事だ。
「本当に調子が悪いのでしたら、一度病院で診てもらってはいかがです?」
「そうね……」
もう咳は止まっていたが、喉の奥には未だに痺れるような痛みが残っていた。
それに、少し体がだるいような、気だるい倦怠感も感じる。
どうやら、本当に少し風邪気味のようだ。
だが、実を言うとこの時、“病院”という言葉に、私はちょっと抵抗を感じていた。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時07分(17)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第二章)

普通の人ならばともかく、私の場合、常人とはちょっと身体の体質が違う。
それに、ここ数年風邪など引いていなかったし、ましてや病院など、今まで一度も行った記憶がない。
別に平気だとは思うのだけれど、不安が無いと言えば嘘になる。
さて、どうしたものかしら……。
「そうだな。翡翠の言う通りだ。大事を取るにこしたことはないんだし、一応行っておいたらいいんじゃないか?」
兄さんがそう言いながら、私に心配そうな眼差しを向けてくれる。
兄さんがそう言ってくれるなら、大事を取って医者に診てもらっておくのもありかなと思えてきた。
「……分かりました。そうすることにしましょう」
私は病院に行く決意をすると、重々しく椅子から腰を上げ、その足で玄関へと向かった。
その後ろを、ちょっと不安げな表情の兄さんと、少し心配そうではあるけれど、基本的に無表情な翡翠、それに、普段通り満面の笑顔を振り撒く琥珀がついてくる。
私は玄関前で履いていたスリッパを脱ぐと、その場に腰を下ろし、靴箱の中から自分の靴を取り出す。
それに足を通し、立ち上がろうとしたその時、
「本当に大丈夫か? なんなら、俺も付いて行ってやろうか?」
「えっ?」
不意に聞こえてきた兄さんの言動に、私はそこで動きを止めた。
兄さんが付いて来てくれる?
私のために?
つまりそれは、翡翠や琥珀にも、あのいつも兄さんに付きまとっている、無礼極まりない真祖の吸血姫や、猫をかぶった夢魔だか淫魔だか分からないような使い魔、それに、ただひたすらカレーを崇高する変態な先輩にも一切邪魔されることはなく、完全に二人っきりということ……そ、それはまさか…………。
頭の中で大量の脳内麻薬が分泌され、止まることを知らずに想像が膨らんでいく。
病院で診てもらった後、「ちょっと疲れちゃった」なんて言って、途中の公園で二人掛けのベンチに隣り合って座って、二人っきりで楽しく話し合いながら、手を握ったりなんかして……そう、まるで恋人同士みたいに……。
想像の範囲はやがて妄想の範疇へと移り変わり、歯止めを失った想像力が、その妄想を無限に広げていく。
それから、人通りの少ない所に行って、二人っきりで見つめ合いながら、私はゆっくりと目を閉じて、兄さんの首に手を回して、兄さんもゆっくり目を閉じて、手を私の腰の辺りに回してくれて、徐々に二人の顔が近づいていって、お互いの吐息を肌で感じ合い、最後には…………。
「おい、秋葉?」
「っ!?」
兄さんの私を呼ぶ声を境に、私の中で膨らんでいた想像が一気に消し飛んだ。
「どうしたんだ? 顔が赤いぞ」
「な、何でもありません! 私だってもう子供ではないんですから、病院ぐらい一人で行けます!」
反射的にそう言ってしまってから、私は少なからず後悔した。
あぁ、また言ってしまった。
折角兄さんが付いて行こうかと言ってくれたのに、どうして私はこう強がってしまうのだろう。
「そうか? ならいいんだけど……」
兄さんが言う。
兄さんも、もっと強く押してくれればいいのに……押しに弱いし、押してもすぐに引いてしまうのは、兄さんの悪い癖だ。
あぁ……兄さんと二人っきりになる、本当滅多に無いチャンスだったのに……。
「秋葉様は強がりさんですね〜。もっと志貴さんに甘えられたら……」
「うるさいっ!!」
私は靴箱の傍から手近なスリッパをふんだくると、その勢いそのままに大きく振りかぶり、相変わらず憎らしい微笑みを浮かべる琥珀の顔面めがけて、それを思いっきり投げつけた。

――ゴン!

スリッパの先端の最も固い部分が、琥珀の額に見事なまでのクリティカルヒット。
痛々しく鈍い音が辺りにこだます。
よし、狙い通りだ。
「それでは行って参ります。留守は頼みましたよ」
私はそう言うと、もんどり打って倒れた琥珀を尻目に、妙にすっきりとした気分で屋敷を後にした。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時07分(18)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第三章)

「ふぅ……美味しかったよ、琥珀さん。ごちそうさま」
「は〜い♪ お粗末さまでした♪」
琥珀さんの料理はいつも絶品だ。
昼食には勿体無いくらいに豪勢な料理を平らげた後、俺は満足してテーブルを立つと、自分の部屋へと続く階段を上った。
そして、部屋の前に立ち、その扉を開けようとする……ちょうどそれと同時だった。

――ガシャーン!

何かが砕けた時のような、何やら甲高い音が聞こえてきた。
……俺の部屋の中からだ。

――ガシャン!バキッ!ドゴッ!ガラガラッ!

そんな賑やか過ぎる効果音達を聞きながら、俺はドアノブを握ったまま固まっていた。
……出来るなら、この扉、このまま開けたくないなぁ。
俺は、心の底からそう思った。
と言うのも、この部屋の中で今、一体どんなことが起きているのか、大体の予想が付いたからだ。
それも、言ってしまえば、予想と言うよりも確信に近い。
間違いない……きっとあの二人だ……。
「志貴様、どうかなされましたか?」
「志貴さん志貴さん、これは何の騒ぎですか〜♪」
声のする方を振り返ると、相も変わらず無表情の翡翠と、こちらも相変わらずどこか楽しそうな琥珀さんが、早足でこちらに近づいて来るのが見えた。
それに、その更に後ろに、二人の後をついて歩いて来る、黒猫姿のレンも。
「あ、あぁ……ちょっとね……」
俺は少々言葉に詰まってしまった。
仮に俺の予想通りのことが、部屋の中で繰り広げられていたとして、何と説明したらいいものか……。
「泥棒ですかね?」
「姉さん、泥棒がこんなに派手なことをする訳無いです」
「じゃあ、武闘派の泥棒かも」
琥珀さんが、さらっと怖いことを言う。
「そういうのを、世間では一般的に強盗って言います」
そんな琥珀さんに、俺はすかさずツッコミを入れる。

――バキキッ!!

「うわっ!?」
それとほぼ同時に、木製の扉が粉々に粉砕され、それを粉砕した何かと共に吹っ飛ばされた俺は、避けることも出来ず反対側の壁に激突した。
後頭部を激しく打ち付け、一瞬視界が暗転しかけたが、何とか薄れ行く意識を呼び戻し、俺は顔をしかめながら起き上がる。
「いってぇ〜……」
「あ、志貴だ。やっほー♪」
脳震盪を起こす一歩手前な俺の耳に、能天気な明るい声が聞こえてきた。
その音源の方へと目を向けてみると、白いセーターと紫のロングスカートという、いつもの服装のアルクェイドが、燦然とした部屋でにこやかに笑っていた。
やはり予想通りだ。
当たったところで、別に嬉しくともなんともないが。
「やっほーじゃないよ。俺の部屋で何やってるんだ」
俺は横たわった体勢のまま、アルクェイドに問いただす。
「え? 私はただ志貴と遊びに来ただけだよ。近くの道で志貴の妹さんを見かけたから、今がチャンスかなと思って。そしたら、いきなりそこのバカが因縁付けてきたからさ〜」
バカの部分をやけに強調しながら、アルクェイドは俺の方をビッと指さした。
いや、正確には、俺の上にいる何か、ちょうど人間の女の子くらいの何かを。
……それに俺が声を掛けなかったのは、声を掛けたくなかったからではない。
ただ単に、この面倒な状況を受け入れたくなかったからだ。
だが、今更そうも言ってはいられない。
「先輩。大丈夫ですか?」
俺は仕方なく、自分の体の上に覆い被さっている、制服姿のシエル先輩に声を掛けた。
「こんの吸血鬼は……まだそんなことをほざきやがりますか……」
だが、そんな俺の言葉など、今の先輩の耳には届いていないらしい。
俺の体の上からのそのそと立ち上がると、烈々たる怒りの眼差しで、部屋の中央で静かに佇むアルクェイドを睨み付ける。
「あ〜、い〜けないんだ。シエルったら、志貴の前でそんなはしたない言葉遣いしちゃって」
「そんなことは関係ありません!!」

月夜 2010年06月28日 (月) 23時08分(19)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第四章)

おふざけ半分なアルクェイドの態度に、先輩は大いに激昂なされているご様子だ。
俺も後頭部を押さえながら、緩慢な動きで立ち上がる。
「どうやら、一度たっぷりと反省させる必要があるみたいですね」
先輩が低い声でそう呟く。
それが単なる脅しでないことは、言葉の各所に感じられる明確な怒りと、いつの間に取り出したのか、両手に握られた鋭い黒鍵が証明していた。
「あら? 上等じゃない。反省しなければ、どうする気なのかしら?」
アルクェイドの方も、どうやらやる気満々のようだ。
不敵な笑みを口元に浮かべ、軽く身構えるその様子からは、臨戦体勢時の張り詰めた緊張感が、ひしひしと伝わってくる。
まさかと思うが、この二人、今ここでやり合う気じゃないだろうな?
俺は額に冷や汗を浮かべた。
もし、そんなことになろうものなら、勝敗こそ分からないが、既にボロボロな部屋の様子を見るだけでも、その被害だけは明確だ。
俺の部屋が完全な廃屋と化す。
バラバラに分解されたベッドに、微塵に砕け散った窓ガラス。穴だらけの床や天井に、ボコボコにヘコミまくった家具達。
……想像するだけで、思わず背筋が凍り付きそうだった。
「秋葉様に見つかったら、何て言われるでしょうかね〜」

――ビクッ!

琥珀さんが不意に呟いた一言に、全身の筋肉が一気に収縮した。
……冗談じゃない。
……きっと、いや、絶対に殺される……!
「……行きますよ!」
「だあぁ〜っ!」
今まさに跳躍しようとしていた先輩の前に、俺は慌てて立ち塞がった。
「二人とも、頼むからこれ以上俺の部屋を破壊するのは止めてくれ!」
二人の間に仁王立ちしたまま、俺は強く声を荒げた。
「何があったか知らないが、穏便に話し合いで解決してくれないか?」
ほとんど懇願に近い形で、俺は必死に二人を説得する。
ある意味命がけとも取れる状況なだけに、当然と言えば当然だ。
「まぁ、志貴がそう言うなら……」
「……そうですね。遠野くんがそうまで言うなら、私はそれでも構いません」
二人とも多少の不満はあるようだったが、どうやら落ち着いてくれたようだ。
そんな二人の様子に、俺は心から胸を撫で下ろした。
「じゃあ、私と翡翠ちゃんは、下からお茶とお菓子を持って来ますね」
そう言うと、琥珀さんは翡翠を連れだって、軽く荒廃した俺の部屋を後に、階下へと下りていった。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時09分(20)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第五章)

「では、お薬の方ですが、こちらの錠剤を5日分出しておきます。朝夕2回、出来るだけ食後30分以内にお飲み下さい」
「はい。どうもありがとうございました」
私は処方された薬を鞄にしまい込み、軽く頭を下げた。
「それでは、お大事に」
そんな看護師の言葉を背に、私はもう一度だけ小さく頭を垂れ、静かに病院を後にした。
自動ドアをくぐり、少し歩いたところで、
「……ふぅ」
私はホッと一息付いた。
私が普通の人間と違うなどと、そうそうバレることは無いだろうと思ってはいたが、やっぱり少し不安ではあった。
特に、聴診器を胸に当てられた時などは、かなりドキドキしたものだ。
不整脈と疑われるかもしれない……なんて考えてしまうくらいに。
「まぁ、それでも一応無事診察はしてもらえた訳ですし、後は……」
そう言って、肩から下げた鞄に手を突っ込むと、その中から先ほどもらった薬の袋を取り出し、そこに書かれている文字をまじまじと見つめた。
表側には、大きな字で“用法”と書かれており、その下には、“一日二回、朝夕食後30分以内に”と記されている。
裏側を見てみると、投薬月日と書かれた欄と共に、病院名が大きく記載されていた。
「……この薬が、本当に私の体に効いてくれるかどうかですね」
誰に言うともなくそう呟くと、私は再び鞄の中に袋をしまった。
ふと、左腕に着けた時計に目が行く。
その短針は1を少し過ぎた辺りを、長針はちょうど6の部分を指し示している。
1時半か……そういえば、昼を食べ損なった分、ちょっと空腹気味だな。
まだ、昼の残りがあるかどうかは分からないけど、まぁ、無ければ無かったで、何か作れば、もとい、琥珀に何か作らせれば良いことね。
私はそう考え、歩く足を少し速めた。
「ねぇ、ちょっとそこの人?」
「?」
不意に呼び止められ、私はその場に立ち止まった
辺りを見回し、さっきの声の音源を探す。
……が、どこにもその姿は見当たらない。
声質から察するに、どうも女性のようだったが……。
「あぁ、こっちよ。こっち」
キョロキョロと周囲に視線を向ける私に、もう一度さっきの声が投げ掛けられる。
そのおかげで、やっと声の主を探し当てることが出来た。
薄暗い路地裏からこちらを見つめ、何やら手招きしている。
その容姿は、ここからでは良く見えないが、服装的には怪しい魔術士のようだ。
そう……例えるなら、ちょうどいつかの琥珀が着ていたあれに似ている気がする。
「何か用ですか?」
「えぇ、ちょ〜っと手を見せてもらえるかしら?」
そう言うと、その見るからに怪しい女の人は、有無を言わさずいきなり私の手を握り、じろじろと見つめ出した。
一体何?
私の了解も無しに、随分失礼な人ね。
そう思ったが、それ以上に疑問に感じることがあった。
「……一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「いいわよ」
私の手を見つめながら、その女性が応える。
「何なんですか? あなたは」
「あら、見て分からない? 占い師よ」
その自称占い師の女性は、酷く心外だと言わんばかりの表情で、私の顔を下から見上げる。
その後すぐに私の手へと視線を戻してしまったので、ほとんど見ることは出来なかったが、彼女が自分の予想より遥かに若かったことに気付いた。
さすがに正確な年齢までは分からないが、多分私より少し上なくらいだろう。
だが、いや、だからこそ、彼女が言っていた占い師という言葉には、かなりの疑問が残った。
占い師って、こんなに若い女がやるものだったっけ?
いえ、第一、あんな軽いノリで話す占い師っていうのが、そもそも無理な話なのでは?

月夜 2010年06月28日 (月) 23時10分(21)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第六章)

それに、脇に置いてあるあのトランク、占い師の人がトランクなんて持ち歩くのかしら?
何だか、私の中にある占い師というイメージとは、ありとあらゆる意味でかけ離れた人だった。
「ねぇ」
と、不意に、その占い師が小さな声で語りかけてきた。
「何でしょう?」
私は投げやりに返事を返す。
私は元々こんな占いなんて信じたりはしない。
それに、風邪を引いていることもあって多少熱っぽいし、何より昼食抜きのせいで今は空腹だ。
本音を言うと、こんなものはどうでもいい。
面倒だから今すぐ帰りたい。
そう思っていた私は、彼女の口から出てきた言葉に、思わず耳を疑った。
「あなた……普通の人じゃないわね?」
「えっ!?」
思わず大声を上げてしまった。
私は弾けたように差し出していた手を引っ込め、占い師の方へと視線を向ける。
占い師の方も、さして驚くような様子はなく、静かに私の目を見返してきた。
その、何もかもを見通しているかのような、綺麗に澄んだ彼女の瞳の奥に、私は例えようのない恐怖に似た感情を抱いた。
「わ、私が、普通の人間とはどこか違うと?」
「えぇ」
バレた!?
ただ手を見せただけで!?
まさか……そんな……。
パニックに陥りそうな私は、必死の思いで自らを落ち着け、更に彼女に尋ねた。
「た、例えば、私のどの辺りが、普通では無いとお思いなのでしょう?」
「綺麗な手をしてるわ」
「……は?」
その答えに、私は自分でも間抜けだと思うくらいに、間の抜けた声を上げてしまった。
「今まで色んな人の手を見てきたけど、こんなに綺麗に手入れされた手は初めてよ」
「は、はぁ……」
「普通の人は、こんなに手を綺麗には保てないわ。さてはあなた……かなりのお嬢様でしょう?」
「ま、まあ一応は……」
私は複雑な気分で返事を返す。
「あ、あの……それだけですか?」
「それだけって……何が?」
「えぇっと、さっきあなたが言ってらした、私が普通の人と違うところっていうのは……」
「えぇ、それだけよ。それとも、他にも何かあるのかしら?」
「い、いえ、それならいいんです」
そのあっけらかんとした答えに、私は密かに安心した。
……が、それ以上に、一瞬でも本気にした自分が、かなりバカに思えてしまった。
何だか損した気分だ。
「さて、それじゃあ、本題に移ろうかな」
占い師はそう言って姿勢を正すと、私の瞳を真っ直ぐ直視してきた。
「あなた、歳の近いお兄さんがいるでしょ?」
「は、はい……居ますけど……」
「……好きでしょ?」

――ドキッ!

一瞬、心臓が張り裂けんばかりに動悸した。
「な……な……」
何てことを言うんですか!と言いたかったのだけれど、何故かそれが言葉にならない。
「隠さなくたって良いじゃない。女同士なんだし、恥ずかしがることじゃないわよ」
「そ、それとこれとは関係ありません!」
ようやくのことで、私は強く怒鳴った。
どうして私はこんなにも焦っているのか、自分でもよく分からない。
だが、苦しいくらいに鼓動が高鳴っていることは分かった。
恐らく、今私の顔は、茹でたタコのように真っ赤なのだろう。
「う〜ん。だけど、どうしても自分に素直になれず、そのお兄さんとは、いつも仲違いしちゃってるみたいね」
「うっ……」
「それで、自分はお兄さんに嫌われているんじゃないかと、不安になっちゃってると」
「うぅっ……」
私は返す言葉に詰まってしまった。
まるで、私の心をCTスキャンしているかの如く、彼女の言うことは、寸分の狂いもなく100%全部正解だ。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時11分(22)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第七章)

「当たってるかしら?」
「……はい」
私は頷くしかなかった。
「じゃあ、私からあなたに、いくつかアドバイスをしてあげる」
そう言うと、彼女は私の目をじっと見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「お兄さんは多分、あなたのことをキツイ妹だと、少なからず思っているはずよ。だからこれからは、なるべくお兄さんには優しく接してあげるべきね」
私は聞きながら納得した。
確かに、今までの私は、兄さんからしてみればキツイ節も多少あったのかもしれない。
ううん、事ある毎に怒鳴り散らす妹が、鬱陶しくないはずはない。
これからは、ちょっと優しくなってあげようかな。
「それともう一つ。あなたは自分の気持ちに素直になれないと思っているみたいだけど、そうじゃないわ」
彼女はしばらく間を置いてから、再び言葉を繋げた。
「あなたは、素直になれないんじゃなくて、素直になろうとしてないのよ」
その言葉に、私は小さく首を傾げた。
なれないのではなく、なろうとしていない……それはつまり、私が努力していないということかしら?
「だから、今日帰ってからでもいいから、一度無防備になって、思いっきりお兄さんに甘えてみたらいかが?」
甘える?私が兄さんに?
今までに、何度か想像したことはあったかもしれないが、実行したことは一度も無かった。
だけど、よくよく考えてみれば、私にとって兄さんは兄さんで、兄さんにとって私は妹なのだから、私が兄さんに甘えることは、道理として別に間違ってはいない。
「たまには妹という立場を利用して、お兄さんに甘えてみるのも良いと私は思うわよ」
そうよ。どちらかと言えば、私は兄さんに甘える立場だわ。
何で今まで気付かなかったんだろう。
そんなの決まってる。
兄さんが、優柔不断で頼りないからだ。
あれも、これも、それも、全部兄さんのせいなんだから。
今日帰ったら、兄さんが困ってしまうくらいに、思いっきり甘えてやろう。
「……と、まあ、私からのアドバイスはこんなところね。どう?ためになったかしら?」
「はい。どうもありがとうございました。あの、お代は……」
「あぁ、別にいいわ。私はこれで金儲けしてる訳じゃないし。」
財布を取り出そうと、鞄の中に手を伸ばした私を、彼女が軽く制止する。
「ですが……」
「いいからいいから。それより、早く帰ってし……お兄さんに甘えてきなさいよ」
「……分かりました。では、これで失礼致します」
私は鞄から手を引き抜くと、その占い師に深々と頭を下げ、早足にその場を去った。
……兄さんに会いたい。
私はその気持ちでいっぱいだった。
風邪を引いていることを忘れてしまう程に、私の心は兄さんのことで溢れ返っていた。
会いたい……兄さんに……一刻も早く……。
私はその気持ちを抑えきれず、歩みを早足から駆け足に切り替え、兄さんの元へと続く家路を急いだ。


「……さてと、私に出来るのはここまでね」
占い師はその背中が路地裏から消えるのを見届けてから、だるそうに立ち上がった。
「後は貴方次第よ……志貴」
彼女は小さく呟きながら、あらぬ方へと視線を送る。
その眼差しは、何か遠い過去を懐かしむような、優しく暖かい慈愛で満ちていた。
「あの……」
「ん?」
声のした方を振り返ると、そこには一人の若い女性が立っていた。
「えっと、占ってもらえますか?」
「あぁ、ごめんなさいね。今日はもうおしまいなの」
その占い師は、大して申し訳無さそうな様子も見せずにそう告げると、着ていたフード付きの黒いマントを脱ぎ、適当に折りたたんでから、それをトランクの中に乱雑に詰め込んだ。
「いつか会うことがあれば、またその時に占ってあげるわ」
彼女はそう言うと、トランクを片手に、赤い長髪をなびかせながら、ゆったりとした足取りでその路地裏から姿を消した。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時12分(23)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第八章)

「……」
「……」
俺の部屋で、威嚇するかのようにお互いを睨み付けあう、先輩とアルクェイド。
既に見慣れた光景ではあるが、やはり、いつまで経っても馴染めない。
どちらも無言だったが、言外に勁烈たる怒りが含まれている。
いつ戦闘が再開されてもおかしくはない状況だ。
「……」
そんな中でも、翡翠は相変わらずのポーカーフェイスで、静かにお菓子として持って来たクッキーを頬ばっている。
「にゃ〜ん♪ ゴロゴロ〜♪」
琥珀さんはというと、ピリピリと緊張したこの場の空気とは、余りにも不釣り合いなお天気な声で、猫姿のレンの下顎を撫でたりしている。
レンの方も、琥珀さんの膝の上で丸まって、とても気持ち良さそうだ。
全く……レンも琥珀さんも、ちょっとは俺の気持ちも考えてくれ……。
だが、先輩とアルクェイド、二人の話を聞いている内に、だんだんと事の詳細は明らかになってきた。
まず最初にアルクェイドは、外で病院へ行く途中の秋葉を見つけ、今なら俺に会えるんじゃないかと思い、ここへ向かった。
で、その姿を見かけた先輩が、不審に思ってその後をつけてみると、案の定アルクェイドはここへ辿り着き、あろうことか窓から俺の部屋へ入ろうとしているのを目撃し、軽く撃墜したところ、この騒ぎに至ったらしい。
「だから、私は志貴と遊びに来ただけだって、さっきから言ってるじゃない」
「だからといって、人の部屋に窓からお邪魔しようなんていう非常識が、この世のどこで通用すると思っているんですか」
「別にいいじゃない。私と志貴の仲なんだし、志貴だって公認済みなんだから」
「いや、俺はそんなことを公認した覚えは無いが……」
「そんなことは関係ありません! あなたのそういう我が侭な行為が、どれほど遠野君の迷惑になっているか、少しは考えてもみなさい!」
「あの、迷惑と言うのなら、先輩もアルクェイドも大して変わりありませんが……」
「迷惑?私がいつ志貴に迷惑をかけたと言うのかしら?私は志貴に会いたい。ただそれだけよ」
「だから、それが遠野君にとって迷惑だと言うのです! 少しは遠野君の気持ちも考えてみたらいかがですか!」
……どうやら、俺の意見は誰にも届かないらしい。
「何を言っているの? 志貴の気持ちは私の気持ちよ。だって、私と志貴は愛し合ってるんだから」
そう言って、アルクェイドは俺にもたれかかりながら、腕を絡めてくる。
「わっ!? よ、よせってアルクェイド!」
俺は本気で焦り、半ば強引にその腕を振りほどく。
「あなたという人は……どうやったらそこまでふてぶてしい態度を……遠野君はあなたのものじゃありません!」
「あら、その言い方だと、いかにも志貴は自分のものだって感じだけど?」
「だ、だったら何だと言うのです!」
「別にぃ、ただ、好きなら好きって素直に告白したらいいのに」
「な……」
「誰が誰に好意を持とうと、それはその人の自由なんだし。まぁ、フラレると分かっているのは可哀想だけど、こればかりは仕方ないわ。いつの時代も、敗北者の末路は惨めなものよね」
「な……な……」
先輩の肩が小刻みに震える。
怒りの余り、言葉も出ないって感じだ。
「よくよく考えてみれば、人の気持ちを考えろ、なんていう発言そのものが、もう弱者の発想よね」
「…………」
「好きという気持ちがあるなら、それをちゃんとした形として相手に伝えないと、いつまで経ってもそれは報われないわ。臆病に待ち続けるだけなんて、ただの負け犬に過ぎない。まぁ、シエルにはそんな姿がお似合いかもね」
「…………」
先輩はもう何も言わない。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時13分(24)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第九章)

ただただ冷たい眼差しで、視殺せんばかりにアルクェイドを凝視するばかりだ。
「あら? どうかしたの、シエル。私、何か気に障ることを言ったかしら? あ、事実を言っちゃったから傷付いた?」
そんな殺意を含んだ眼差しを全身で感じながら、尚もアルクェイドは先輩を挑発し続ける。
二人の間に満ちる空気が、重苦しい雰囲気で充満してゆく。
……まずい。非常にまずい。
このままだと、また二人が激突するのは、もはや時間の問題だ。
そうなれば、俺の部屋はもう人の住める場所じゃなくなる。
いや、部屋だけじゃすまない。
秋葉が帰って来た時点で、俺の命運もこの部屋と共に崩壊確定だ。
それだけは……それだけは何としても避けなくては……。
「ふ……」
先輩が口元に微かな笑みを浮かべた。
いつも俺に向けてくれているような優しい微笑みではなく、異端審問官として、闘うべき相手を見付けた時に浮かべる、狂喜を含んだ危険な笑みだ。
「どうやら、あなたとは永遠に分かり合えないようですね」
膝に手を付きながら、先輩がゆっくりと立ち上がる。
「なら、どうするのかしら?」
そんな先輩に呼応するかのように、アルクェイドもゆったりとした動作で腰を上げる。
「私は埋葬機関第七位の異端審問官。そして、あなたは真祖の吸血姫。元来、私達は互いに相容れない存在……ならば、これから私がやるべきことと、あなたがやるべきことは、同義且つただ一つのはずです」
「そうね。こういう時だけは話が合うじゃない」
お互いに見つめ合いながら、残酷な笑みを浮かべる先輩とアルクェイド。
危険だ。この展開は危険極まりない。
毎度毎度、どうしてこうなるんだ?
何でこの二人は、こんなに暴れたがるのだろう?
しかも、よりによって俺の部屋の中で。
ふと見ると、いつの間にやら翡翠と琥珀さんは、レンを連れてそそくさと部屋の外、かつて扉があった場所付近へと避難していた。
酷い。みんな俺を置いて、自分達だけ安全圏に退避だなんて、薄情すぎる。
「志貴さん、モテモテですね〜♪ 両手に花じゃないですか」
琥珀さんがいかにも楽しげに言う。
くそぅ。琥珀さんも、他人事だと思って好き勝手なことを……。
「では……いきますよ!」
「わあぁっ! ち、ちょっとストップ!」
俺は慌てて、今にも飛びかかろうという先輩を引き止める。
「何ですか! 遠野君は邪魔しないで下さい!」
「そうよ! 志貴は黙ってて!」
そんな俺に、二人が凄まじい剣幕で言い放つ。
普段なら多少怖じ気付くところだが、今回ばかりはそうも言ってられない。
「二人とも、いい加減にしてくれよ!!」
『!?』
俺自身驚くくらいの大声に、先輩とアルクェイドが同時に動きを止めた。
今にも激突しようとしていた二人の間に、沈黙の空気が漂う。
そんな中、俺は二人の間に割り入ったまま、静かに口を開いた。
「……二人がここに来てくれることに関して言えば、俺は全然迷惑だなんて思っちゃいない」
一瞬にして静まり返った空間に、俺の小さな声だけが、やけに大きく響き渡る。
「ここで暴れまわるのも……確かに多少迷惑だし困ることもある……だけど、それに関しても、俺は二人を責めようと思ったことはないよ」
「…………」
「…………」
先輩もアルクェイドも、神妙な面持ちで俺の言葉に耳を傾ける。
二人の間に満ちていた殺意は、俺の怒鳴り声を境として、完全に空気中へと霧散していた。
そのことに、内心安堵しながらも、俺は態度には示さず、小さいがはっきりとした声で語り続ける。
「……ただ、今日みたいに、秋葉が居ない時を狙って来るみたいな、姑息な真似はしないでくれ」
「っ!?」
その言葉に、アルクェイドの肩がビクッと震えた。
楽観的な彼女には珍しく、怯えた小動物のような目で俺を見つめる。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時14分(25)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第十章)

「別にアルクェイドを責めてる訳じゃないよ。ただ今日は……秋葉の奴、実は風邪を引いてるみたいなんだ。だから、あんまり負担を掛けてやりたくはないんだよ……」
「…………」
「…………」
二人が二人とも、しばらくの間、一言も喋らなかった。
思わず気まずくなるような、完全なまでの沈黙。
「……分かりました」
それを破り、初めに小さく呟いたのは、深刻な面持ちの先輩だった。
「遠野君の気持ちを考えていなかったのは、どうやら私の方だったようですね……すいませんでした」
そして、暗く沈んだ表情のまま、申し訳なさを全身で表し、俺に対して深く頭を下げる。
「あ、いえ、そんな先輩達を責めるつもりは……」
「ううん。私も悪かったわ……今日はごめんね」
アルクェイドも、大方彼女には似合わない悲しげな表情で、しょんぼりと顔をうつ向かせる。
「お、おいおい、アルクェイドまで……」
そんなアルクェイドの姿を見ていると、何だかこちらが悪いことをしたような気になってくる。
「じゃあ、私達はこれで失礼します……いいですね、アルクェイド」
「ええ……」
その了承を確認してから、先輩は依然として肩を落としたままのアルクェイドを引き連れて、玄関へと続く階段を下りていく。
そんな二人のうなだれた背中に、多少の罪悪感を感じて、俺はその去り行く後ろ姿に声を掛けた。
「二人とも、今度はちゃんと玄関から来てくれよ。その時は歓迎するからさ」
その言葉に、二人が揃ってこちらを振り返る。
「えぇ、次からはそうさせてもらいますね」
優しく微笑む先輩。
「うん。また明日ね」
と、何やら聞き捨てならない言葉を残すアルクェイド。
「また明日って……あなた、明日も来るつもりですか?」
「そうよ。悪い?」
「ついさっきあれほど言われたというのに……あなたは反省という言葉を知らないんですか?」
「別にいいじゃない。明日はちゃんと玄関から入る予定だし」
「そういう問題じゃありません!」
そんな二人の賑やかな背中を見送り、俺はやっと一息付いた。
やっぱり、あの二人はああじゃないとな。
「志貴さん、どうかしたんですか? 何だか楽しそうですね」
「ん? あぁ、まぁね」
琥珀さんの言葉に、俺は小さく頷いた。
「……しかし、大変なのはこれからです」
翡翠がぼそっと呟く。
その方を振り返ってみると、彼女は真剣な表情で俺の部屋を見つめていた。
「確かに台風は去りました。ですが、この爪痕を何とかしない限り、秋葉様が第二の台風となるのは必至です……」
その言葉に、俺はハッとなった。
そうだ。
今は人の心配なんかをしている場合じゃない。
なんとかして上手い言い訳を考えないことには、俺もこの部屋同様の末路を……。

――ピンポーン。

「なっ!?」
「は〜い」
俺の驚愕に満ちた声と、琥珀さんの呑気な声が重なる。
「琥珀さん! ち、ちょっとタンマ!」
俺は階下へ下りようとする琥珀さんを、大慌てで引き止めた。
「あら、志貴さん、どうしたんですか?」
「どうしたんですかって、今の呼び鈴はきっと秋葉だろ!? このままじゃまずいって!」

――ピンポーン。

再び呼び鈴の音が響く。
「ですけど、このまま出ないという訳にもいかないんじゃないですか? 多分、余計に怪しまれると思いますよ?」
「うっ……」
俺は言い返すことができなかった。
確かに、琥珀さんの言っていることは正しい。
このまま時間だけが過ぎれば、より一層秋葉を怪しませるだけだ。
だからといって、今あの門を開こうものなら、恐らく俺が明日の朝日を拝むことは……。

――ピンポンピンポンピンポーン。

「ほら、秋葉様が呼んでますよ?」
「うぅ……」
連打される呼び鈴の音が、俺の耳には死へのカウントダウンのように聞こえた。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時15分(26)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第十一章)

あら?
あれは……?
息急ききって我が家へと駆け戻った私の目に、何やら言い合っている二人の女性の姿が映った。
どちらも見覚えがある。
白いセーター姿のあの女は、アルクェイドとかいう、兄さんの気持ちを弄ぶ憎らしい真祖の吸血姫。
もう片方の、兄さんの通う学校の制服を着た人は、確かシエルさんという兄さんの先輩だ。
この組み合わせと、出てきた方角から考えるに、私の屋敷から帰る途中であることは疑いの余地がない。
……嫌な予感がする。
「あら?」
と、アルクェイドさん越しに、こちらに感付いたシエルさんと目が合う。
「ん? どうしたの? ……あ、志貴の妹さんじゃない。やっほ〜♪」
アルクェイドさんも私の存在に気付いたらしく、こちらを振り返りながら笑顔で手を振る。
「こんにちは、秋葉さん」
「お二方共、ごきげんよう。もうお帰りですか?」
言いながら私は、また心にもないことを……と自分でも思った。
「え? ってことは、もうちょっとお邪魔しててもいいのかしら?」
その言葉に、アルクェイドさんが、喜色満面の表情で私を見つめる。
へ?
こう言うと普通は、「残念ですが、今日はおいとまさせて頂きます」的な言葉が返ってくるはずなのですが……。
この吸血姫は、一般常識というものを知らないのかしら?
「何馬鹿なことを言ってるんですか、あなたは」
そんなアルクェイドさんの首根っこを、シエルさんが後ろから乱暴に掴み取る。
「残念ですが、今日はこれで失礼します」
そのままの体勢で、シエルさんが私に向かって頭を下げる。
「ほら、あなたも」
「いたたっ! 痛いって! 何すんのよシエル!」
シエルさんが、もう片方の空いている手でアルクェイドさんの頭頂部を押さえ、無理矢理その頭を下げさせる。
ホッ。
私は心の中で、安堵の溜め息を付いた。
シエルさんが常識をわきまえている人で良かった。
「そういえば、遠野君から風邪気味という話を聞きましたが、体調の方はいかがですか?」
「え? あ、えぇ、多分大丈夫だと思います。お気遣いありがとうございます」
私はシエルさんに軽く頭を下げる。
実のことを言うと、今の今まで、風邪のことなんかきれいさっぱり忘れていた。
だが、人の身体というのは不思議なもので、忘れている時は何ともないことでも、思い出したらその瞬間に影響を及ぼし始めるものだ。
現に、今さっきまで何の異常もなかった私の身体も、風邪であることを思い出した途端、何だか急に熱っぽさを感じ始めた。
「もぉ〜、あなたが風邪なんて引いてなかったら、私と志貴が遊べないこともなかったのに」
シエルさんの勁椎圧迫を逃れたアルクェイドさんが、私の方を疎ましそうに見つめる。
「また、あなたはそんなことを……」
「? どういうことですか?」
その理由が分からず、問いかけた私に答えを返してくれたのは、呆れたような哀れむような眼差しで、アルクェイドさんを睨むシエルさんだった。
「いえ、実は、秋葉さんが風邪を引いてるからという理由で、遠野君に家を追い出されてしまいまして……」
「えっ?」
私は本気で驚いた。
あの優柔不断で押しに弱い兄さんが、来客を追い返すなんて、俄かには信じられないことだ。
「何でも、風邪を引いている秋葉さんに、不必要な負担は掛けたくないそうですよ」
「…………」
シエルさんの言葉を聞きながら、私は無言だった。
兄さんが……私のために?
そう考えただけで、胸の奥から込み上げてくるものがあった。
「全く……あなたも、私と志貴のために少しは体調管理に気を付けてよね」
「あなたという人は……まだ言いますか!」

月夜 2010年06月28日 (月) 23時16分(27)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第十二章)

シエルさんが再びアルクェイドさんの勁椎を締め付ける。
「あいたたたっ! いたっ! 痛いってシエル! あんた、私のことを猫かなんかと勘違いしてんじゃないの!」
「知りません、そんなこと。さぁ、さっさと帰りますよ」
「あんたこそ、さっさとその手を離しなさいよ!」
シエルさんが、子供のようにわめくアルクェイドさんを引きずるかたちで、二人は騒がしくその場から去っていった。
「…………」
私は、その後ろ姿が遠くに消えたのを確認してから、ぼんやりとした足取りで屋敷の扉へと向かった。
「兄さんが……私のために……」
(たまには妹という立場を利用して、お兄さんに甘えてみたら?)
その脳裏で、さっきの占い師の言葉が忠実にリピートされる。
兄さんに甘える自分の姿を想像するだけで、私は顔から火が出る思いだった。
私が急に甘えだしたら、兄さんは果たしてどう思うのだろう?
嬉しがってくれるのだろうか?
それとも、怪しまれてしまうのだろうか?
いえ、それ以前に、迷惑と思われたらどうしよう……。
それがきっかけで、兄さんに嫌われることになったら、私は……。

――コン。

「っ!?」
いきなり、何か頭に軽い衝撃を感じ、私はハッと顔を上げた。
そのすぐ目の前、大きくそびえる見慣れた扉に、私は自分がもう扉の手前まで来ていたことを初めて知った。
全く、今日の私はどうかしている。
いくら風邪気味とは言え、動かぬ扉に自らぶつかっていくなんて、いくらなんでも考えられない。
私は自分自身の鈍感さに対してあきれ返りながら、扉の横に付けた呼び鈴に手を伸ばし……
「……」
途中でその動きを止めた。
唐突に動作を中断した私の腕が、宛てもなく中空をさ迷う。
……この向こうに兄さんがいる。
いつもなら、そんなことは特に意識もしていないことなのだが、今日は状況が違った。
あの占い師に言われたことが、まだ私の心に深く根を張っている。
そのせいか、私はどんな顔で兄さんに会えば良いか、分からなくなっていた。
だけど……。
「……いつまでも、ここでこうしているわけにもいきません」
私は怖じ気付きそうになる自身に、自らの言葉で喝を入れると、勇気を振り絞って呼び鈴を押した。

――ピンポーン。

昼間の暖かい空気中に、呼び鈴の高い音が大きく響く。
「……」
だが、しばらく待っても誰も出ない。
……おかしいわね?
私は不思議に思い、もう一度呼び鈴を鳴らしてみた。

――ピンポーン。

……が、誰かが出てくる気配など一向にない。
……怪しい。
私の勘がそう告げていた。
ついさっき、あそこであの二人と出会った以上、今この屋敷に誰もいないことなどあり得ない。
となると、何か出られないような事情があるということだろう。
間違いない。
私が居ない間に、何かが起きたのだ。
それも、恐らくあの二人が原因で。

――ピンポンピンポンピンポーン。

私は、ほとんど本能的に呼び鈴を連打した。
何が起きているのかなんて、もう大体は想像が付いている。
あの二人が絡んでくるとなると、ほぼ100%の割合で器物損壊だ。
しかも、あの二人の場合は、その損壊の度合いが一般人とは比べものにならない。
それを隠し通そうなんて、どだい無理な話よ。
もう、何もかも分かってるんだから。
私が、もう一度呼び鈴を連打しようと、そこへ手を伸ばす。

――ガチャッ。

と、その寸前で、頑として開こうとしなかった扉は、小さな解錠の音と共に、諦めたようにその戒めを解いた。
私は完全に扉が開かれるのを待ってから、ゆっくりとその中へ足を踏み入れる。
「お帰りなさいませ、秋葉様」
「お、お帰り、秋葉」

月夜 2010年06月28日 (月) 23時18分(28)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(第十三章)

そんな私を出迎えてくれたのは、満面に笑顔を浮かべる琥珀と、同じ笑顔でも、どこかぎこちない感じの、多少引きつった笑みを浮かべる兄さんだった。
「ただいま。あら、翡翠の姿が見当たらないみたいだけど?」
粗方の予想は付いているにもかかわらず、私は兄さんに尋ねてみた。
「あ、あぁ、翡翠は今ちょっとね……」
兄さんが全面焦りを露わに答える。
前々から思ってはいたことだが、この人はとことん嘘を付けない体質だ。
「はぁ……」
私は溜め息を付きながら靴を脱ぐと、肩から下げた鞄を琥珀に預け、真っ先に兄さんの部屋へと続く階段へ向かった。
「わあぁっ! ちょっと待った!」
案の定、兄さんは大慌てで私の前に立ち塞がった。
「どうかしたんですか? 兄さん」
そんな兄さんに、私はわざとらしく問いかける。
「あ、いや、何だ、その……あ、秋葉も今日は疲れただろ? 夕飯が出来るまでの間、部屋で休んでたらどうだ?」
その言葉の随所には、隠し切れない動揺が含まれている。
「お気遣いありがとうございます。ですが、大分楽にはなりましたし、ちゃんと薬ももらってきたので、その点の心配は無用です」
「だ、だけど、この上はお前の部屋じゃ無いだろう?」
「ですが、私は一応ここの当主です。私がこの屋敷のどこへ行こうと、別に構わないはずですが?」
「そ、そりゃあ……まぁ、そうだけどさ……」
兄さんが口ごもる。
必死に次の言葉を模索しているって感じだ。
私は、そんな兄さんの脇をすり抜けると、早足で階段を登った。
「あっ!? お、おい、秋葉!」
後ろから飛んでくる、どこか悲痛さを漂わせた兄さんの呼び止めを無視し、私はずんずんと歩みを進める。
そして、その後私の視界に飛び込んできた光景は……まぁ、大方予想通りの光景だった。
「あ、お帰りなさいませ、秋葉様」
作業を中断し、立ち上がった翡翠が、私に恭しく頭を下げる。
その足下には、元は扉を構成していたと思われる、砕け散った木片が散乱していた。
扉であれならば、もう部屋の中の状況など、見るまでもなく明らかだ。
だが、その瞬間、私の中で何かが弾けた。
いや、我に返ったというべきだろうか。
どちらにせよ、ついさっきまで私の中にあった甘い幻想は、今の一瞬で見事に砕けたのだった。
甘える?
私が兄さんに?
そんなこと、よく考えなくてもあり得ない。
今の今まで、このことに疑問を抱かなかった自分が信じられない。
やはり、風邪のせいで弱気になっていたのだろう。
あれは一時の気の迷い。
さっさと忘れてしまおう。
私は、自分自身に強く言い聞かせた。
そして今、私が遠野家の当主としてやるべきことはただ一つ。
「ただいま。あなたも大変ね」
私は翡翠に優しく声を掛けると、今さっき来た階段を振り返った。
表面上の優しさを全面に出しつつも、明確な怒りを孕んだ私の眼差しと、何もかも諦めて観念したような兄さんの眼差しが、二人の間でがっちりと交差する。
「……兄さん」
「……はい」
「今から、一緒に私の部屋まで来て下さい」
「……わかりました……」
そして、素直に頷いたその姿を確認してから、私は兄さんを連れ立って自分の部屋へと戻った。


「秋葉様に、こんなものは必要なさそうですね〜」
琥珀は、そんな二人の後ろ姿を見つめながら、今日秋葉が貰ってきたばかりの薬を取り出す。
朝夕食後に一日二錠の、五日分で計十錠。
結局、最後まで秋葉がそれを飲むことはなかった。

月夜 2010年06月28日 (月) 23時19分(29)
題名:とある日、秋葉の憂鬱(あとがき)

え〜、皆様初めまして。
管理人の月夜と申します。
この度は、素人のままごと小説に付き合って頂き、誠にありがとうございましたm(__)m
さて、今回が最初となる作品ですが、キャラ主観の一人称的な小説として作ってみました。
いかがでしたでしょうか?
こういった類の作品を書くのは初めてなので、途中何度となく詰まりそうになりましたが、自分の中ではまあまあそれなりに仕上がってはいると思っております。
実のところを申しますと、話を盛り上げる脇役的なキャラとして、アルクェイドやシエル先輩だけでなく、さっちんやシオンにも活躍してもらい、もっと長い作品にしてみたかったのですが、「長すぎると読むのに疲れる」という、某友人の意見を参考に、短くまとめるということにさせていただきました。
なにはともあれ、最初の作品が完成して、ちょっと安心です(ホッ
内容の方ですが、志貴と秋葉をメインとした、一言で言うなら、賑やかな作品です。
実はここも、「最後に秋葉を甘えん坊にしてみようかな?」とも考えたのですが、「こんなの、ただのツンデレじゃん!」と思い、最終的にはこういう結末と相なりました。
甘えん坊秋葉のシーンも作ってはみたのですが、それは何となく彼女のイメージを壊しそうな気がしたので、残念ながら秒殺廃案となりました(^_^;)
中盤では、アルクェイドとシエル先輩という、毎度毎度の騒がしい二人組や、怪しい占い師に扮した青子のお陰で、なかなか楽しい雰囲気は出てると思います。
今回一番思ったことは、アルクェイドとシエルのやり取りが、書いててすごい楽しかったということですね。
あの二人を登場させるだけで、勝手気ままに暴れまわってくれるので、文章が書きやすいのなんのって……もう病み付きですよ(?)
ただ、唯一の欠点を上げるとすれば、暴れすぎてどこで切ればいいか分からなくなるところですね。
暴露しちゃうと、今回も大幅にカットしてたりします(^_^;)
さてと……あんまり長々とあとがきで話すのも何なので、今回はこの辺りで終焉とさせていただきます。
まだまだ書いていく予定なので、暇があったらまた見に来てやって下さい。
私宛てに、アドバイスや感想、はたまたリクエスト等がございましたら、この下の「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」の方まで、なんなりと書き込み下さい!
これからも頑張りますので、なにとぞ、よろしくお願いします!!


ちなみに、青子に占いの能力なんかありません。
あしからずm(__)m

月夜 2010年06月28日 (月) 23時21分(30)


Number
Pass

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