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Touka's BBS

「あんた書きなさいよ」「お姉ちゃんが書いて」「いいかげんにしなさい」

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はじめまして [270]
投稿者: 吉田誠司 (2007年03月12日 (月) 10時39分)


>デスノート

『白い巨塔』正・続みたいな。






テレプシコーラ第10巻 その3 [269]
投稿者: トウカ (2007年03月12日 (月) 00時49分)


テレプシコーラの1部と2部の関係は、デスノートの1部と2部の関係に近いものになるんじゃないだろうか?1部ラストの展開が、1,2部合せた作品全体の頂点で、その後の2部は「それでこのあとどうするの?」と目を見開いて凝視している読者に対しての説明責任を果たす部分だと。

漫画世界を破壊するような出来事が起こったあとに、それでも壊れずに続いていく世界を十分に描写して初めて、その漫画の、歴史からの特異点としての価値が確定する。そういう意味でデスノの2部は成功していて、一過性の熱狂ではなく時代を代表し、時代を越えて読み継がれる作品となった。

頂点を越えた先にあるのは下山作業で、それは地味で厄介な作業だ。登ってた頃のような調子で勢いをつけたりすれば一気に転がり落ちてしまう。



その時、私たちを直接襲ったショックは明らかに漫画を越えていた。本当に人がんで、穴が開いていた。私はお母さんがいいのにと考えた。別にお母さんのことは嫌いじゃないけど、そうやって一人、また一人とあの小さな世界全部を飲み込むことでしかあの穴は消えない気がした。替わりに捧げられたのはおばあちゃんだった。者はいつだって軽く扱われる。まあ者だからな。鎮魂を済ませて漫画は続く。その先へ、ではなく麓の方へ。特異点から降って再び漫画の世界へ。

さっそく千花はバレエの守護神に祭り上げられてしまった。それでいいんだ。漫画だからな。生きている人たちが生き続けていく世界だからな。明日、自分が交通事故でんでしまう可能性は確実にあって、それでもそんなことを気にせずに今日を生きてゆける鈍感さが必要なんだから。
だから、んだ子の歳を数えるのはそろそろ止めよう。






やおいとよしながふみ [268]
投稿者: トウカ (2007年03月05日 (月) 18時18分)


>おーつかさん
よしながふみは頭いいっすからね。今回の青年誌進出の件も、オファーが来る前から十分に想定の範囲内だったんじゃないでしょうか。なんてゆーか、さそい受けってゆーか。
よしながふみはおもしろい漫画の描きかたを知っているので、私は今回の漫画もおもしろいと思いますが、これまでを知らない男性読者を前にして漫画を描くことからいったいどのようなデータが得られるだろう、という実験をしているんだと思いますね。もちろん編集じゃなくてよしながふみが。その実験の統制を取るために、ことさら目新しい要素は省いているんじゃないかと。
「大奥」はもちろん、本気入れて描き進めている漫画ですが、それでもどこか実験室の感じがあるのは、これはもう作者の気質というものではないでしょうか。自分の頑固さに気がついていない頑固者、いわば独善的な彼女に、昨日今日知り合ったモーニングの編集がなんか言ったところでなんの効き目もありませんって。けど、私はよしながふみはスゲー才能あると思いますし、好きとは言えないけどけして嫌いじゃない、でも、って人です。

>nogaminさん
「フラワーオブライフ」をなんでやおいと感じてしまうのかというと、登場人物の思考ルーチンのOSがすべて同一で、それが論理的な思考であるのならば、常に目の前の人と共感することができる、漫画の中の展開ではそうではない場面も多々ありますが、しかし常に「話せばわかる」の前提に立ってモノローグが編まれているからだと思います。だから川原泉もやおいだ、と糾弾する私は集英社っ子で、しかしフラワーズで連載していた「残酷な神が支配する」は、あれだけ男同士がセックスしていてもやおいじゃないんだなあ。雁須磨子先生はBLを描いても少女漫画になるし。文化会系ユートピア、つまり、文化祭の前日の熱気を尊ぶビューティフルドリーマーな人たちを指してやおいと呼ぶのであり、だから究極超人あ〜るの光画部もやおいです。もちろん私はそういう人たちが嫌いです。でもよしながふみはおもしろい漫画を描くので保留です。あ〜るはクソだがパトレイバーはおもしろかったし。






駅から5分第5話感想。 and,今月のコーラス2007年4月号 [267]
投稿者: トウカ (2007年03月04日 (日) 21時47分)


風香「いやいやいや、お父さん超生きてるし」
ここは思わずツッこむところだろう……。「何億の人ゴミの中でその人が背を向けていても、好きになる人は瞬時にわかるわ」とはいっても、今回の出会いは漫画における納得できる偶然の範囲を超えている。日本中に小中学校の生徒数が10人以下の田舎はたくさんあって、そのなかに、そよちゃんみたいな可愛い女の子がいる田舎ってのはある割合で存在するだろう(もちろん、全員が三つあみにしてるわけじゃない)。それでたとえばそよちゃんみたいな状況にある女の子が日本に10人いて、たまたまその中の1人の下に大沢君が転校して来る。天コケはその話の始まる前にこういう奇跡に支えられており、それはつまり、残り9人のそよちゃんのところには大沢君は転校しては来ず、シゲちゃんみたいなのしか回りにいないってことに支えられているってことなのだ。

しかし今回の「姫」は存在自体が特別で、「こういう女の子が存在する」ってところですでに、ひとつのお話の中で利用できる奇跡の総量を超えている(ちなみに、その数がひとつであるならば「奇跡」はどれだけ大きくても可)。だから、こういう女の子が、たまたま電車の中で生徒会長に出会ってしまうということは、ありえないのだ。漫画における不文のルールとして。んで、

んで、もちろんくらもちふさこはその逸脱をわかっている。わかってやっているんだこの人は。この、漫画の文法内ではありえない逸脱をどうまとめちまうんだろうかという興味をして、この漫画を読み進めさせる原動力にしてしまっている。まさにThe Art of comic!。神技(しんぎ)と言うほかないまとめっぷり!いや、これはシャレにならんよ?だって、バッハはバロックの大成者であると同時にアンカーでもあるのだ。いったい誰がこれを引き継げるというんだろうか。美しき響きの逆行カノンとも言うべき圧倒的な技術に支えられたこの作品を読んで、私は漫画文化の終焉を予感した。


人生は有限で、だから順列組み合わせで世界中の人間との相性を試してみたあとで一人を選ぶ、なんてことはできない。だから、ただの偶然をただの偶然だと知りながらそれを運命とする心の働きに人の世の美しさがある。なにも「見る前に跳べ」と言っているわけじゃない。神様はいなくても、あなたの運命は祝福されているよ、というお話。


狛犬、唖然とする阿形じゃなくて吽形のほうなのね(笑)。ほう、後輩はこれだけ先輩べったりなのにイリヤのことを知らんわけか。ちなみに私的には弓道部の女の子がゲロ萌え。編集がとうとう前回までのあらすじをまとめるのを放棄してるのが笑える。

今月のコーラス
>渡辺ペコ
はい、ワタクシも最初こちらのページを開いてやられたと思いました。完璧に考えきったあとで描いている(最後にネームを清書する)くらもちふさこに対して、考えながら描いている(作成途中のネームがそのまま描かれる部分がある)渡辺ペコの描きかたはもっさりしておりますが、まあ、悩むのは若さの特権だ。枠線のプレッシャーに負けないでがんばれ!

ああ、別コーの表紙絵が美しいなあ。

>おーつかさん
>nogaminさん
もうちょっとレスお待ちください。






本棚のシンクロニティ [266]
投稿者: トウカ (2007年03月04日 (日) 12時03分)


うちの本棚のひとつ。
http://www.geocities.jp/touka3108/synchronity.html
最新刊の放浪息子6巻を収めて完成。
よつば既刊6巻、ハクバ既刊6巻、放浪既刊6巻。

下段でひそかに、へうげもん、もやしもん、ヴィンランドもん、と朝昼晩に並んでいるのが深い(正確には朝晩昼だけど)。






少女マンガ家が青年誌に移ると・・・ [265]
投稿者: nogamin (2007年03月02日 (金) 21時44分)


青年誌に移ると妙にみがまえてしまうのか、なんとなくイヤな感じになってしまう女性向けマンガ家さんっている気がします。『働きマン』とか、なんかイヤーな感じでした。なんででしょう。よしながふみのモーニングは見逃したのでこれから見てみます。






よしながふみ新作 [264]
投稿者: おーつか (2007年02月27日 (火) 11時23分)


については、今がまさに旬の時期である彼女にあんな手抜きマンガを描かせるモーニング編集者の不見識をキビシク問い質したいです。

http://d.hatena.ne.jp/o-tsuka






よしながふみ [263]
投稿者: トウカ (2007年02月27日 (火) 08時57分)


本屋に行ったらモーニングの表紙にでかでかと「よしながふみ」と縦書きされていて驚いた。

私が思うに、よしながふみは世の中で一番頭のいい少女漫画家である。彼女は漫画の、じゃなくって、おもしろい漫画の描きかたを知っている。ベテランはみな漫画の描きかたを知っているのだが、その技術で描かれる漫画をおもしろくするのに日夜苦労しているのに対して、よしながふみは最初っからおもしろい漫画の描きかたを知っているので苦労しなくてもおもしろい漫画が描ける。もちろん、そーゆーところが手放しで好きになれない理由だ。

初めての青年誌進出という一点だけが今回の漫画の焦点で、変にそちらの読者に迎合するよりも、自分のほうが絶対に知っているといいきれる土俵で勝負したほうが逆に勝率がいい、という方法論をもちろん彼女は知っている。鬼面人を驚かす傲岸不遜さ。でも鬼面は鬼「面」でしかないのだ。だからもう掲載が青年誌という一点を除いてガチガチに固めてんの。ゲイ!スーツ!料理のプロセス!弁護士!変な母親!しかも絶対これ最初から短期連載と決めていて、勝ち負けに関係なくさっと身が引けるように重心を按配している。ああいやらしい。お前はどこぞの研究所か。次か次の次の新作で「狭義の」少女漫画描いてくれなきゃ、きっぱりと見切らせて頂きますから!

よしながふみと雁須磨子とウミノチカの三人を合わせて「スラダン同人誌組」と言うんだそうな。バブリーな輩に挟まれて須磨子先生の肩身が狭いわ。


それから「よつばと!」も立ち読みした。よつばが熱を出す回。なんか6巻辺りからよつばと!も変わってきた気がする。傑作の道を歩むのに躊躇がなくなったっていうか。これまでいくつもの国民的漫画があったけれど(その中であなたならどれ?ときかれればちびまる子としか答えようがないなあ。ただし6巻まで。250万乙女世代はちびまる子で最初に笑った世代でもあるのだ)、よつばと!が国民的漫画になる国っていうのは…もしかしたらそのときに初めて21世紀の日本がやってきたといえるのかもしれないね。とーちゃんはいつもパンツ一丁で私たちから見ればふらふらした大人に見えるが、よつばから見れば偉大で厳格な父なんだなということが、読んでいてとにかく泣ける。あと、よつばちょっとふとった?



おまけ・ネットで見つけた世界のあずまんが大王
http://bonklers.hp.infoseek.co.jp/azu01.html






テレプシコーラ第10巻 その2 [261]
投稿者: トウカ (2007年02月24日 (土) 05時01分)


故・中川勝彦氏が、くらもちふさことの対談の中で「でも、先生の"やさしさ"っていうのは、アフリカの食べられない子の苦しみとか、いろんな、やさしくない部分を知った上で、やさしく描いてるところがあるんだよね」と語っている。1984、5年頃、まだA-Girlが最新作だった頃の言葉だが、現在まで一貫して貫かれているくらもちふさこの漫画の本質を語った言葉だと思う。
以前、萩尾望都の「残酷な神が支配する」を読んだ時も同じようにこの言葉を思い出したのだけど、テレプシコーラは(そして残神は)その「アフリカの食べられない子の苦しみ」を直接漫画に描いているんだと思った。

あまりにセンセーショナルで悲惨で、読んでいて思わず「なに描いてんだ!?」と口に出してしまう方向に話は進んでいく。空美ちゃん周りの話も酷かった。しかし、決して興味本位でもなければ、ウケをねらってエスカレートしたのでもない。そうじゃなくて、ここまで描かなければ届かないところに、居る人がいるのだ。

別に幸せな人たちだけがくらもちふさこの漫画を楽しんでいるわけではない。空を見上げて美しいと思う、少なくともその瞬間だけは自由なのだ。そしてその空はアフリカの空にもつながっていて、くらもちふさこはそんな空のような漫画を描く。けれども空すら見えない場所に置かれている人もいる。いや、空を見上げたら途端にバランスを崩して谷底へ落下する崖に立って生きている人もいるのだ。多分持ち回りで。

人を殺すこと。自分を殺すこと。これらの行為を有り得ないものとしてネグレクトしてしまわず、確かに選びうる選択肢の一つとして認知すること。この漫画だけが届くところにいる人に千花のメッセージはきっと届く。この漫画はその為だけに描かれたのだから。






The Art of Fugue [260]
投稿者: トウカ (2007年02月15日 (木) 17時04分)


パソコンで音楽を聴く習慣はあまりないのですが、
http://www.lcv.ne.jp/~nakgie/Japanese/page066.html
ここのMIDIすげええっ!バッハのフーガの技法をすべてMIDI化してる。
反響や共鳴がないから各声部が綺麗に聞き分けられてスッゲー気持ちいいの!しかも解説つき。

バッハの作品の中でもこと、このフーガの技法についてはこの演奏方法がど真ん中のど直球なんじゃないだろうか。グールドの演奏よりもMIDIの演奏の方が絶対イカス(といわれても、多分グールドはあまり気を悪くしないだろう)。

おすすめはContrapunctus1、4、8、9、11、それとバッハの絶筆であるFuga a 3 Soggetti 未完の3重フーガ






今月の別冊コーラス [259]
投稿者: トウカ (2007年02月11日 (日) 19時39分)


「表紙絵の女王」すげー。
本誌やサイトの予告に、小さく表紙絵が紹介されていたんだけど、色使いやら塗り方やらが独特で「ああ、表紙絵の女王様、別コー相手だと容赦なく実験するよなー」とか思ってたんですが、これが実際の別コーの表紙になると信じられないほど完璧な出来。シックでキャッチー、視線が画面を上滑りして逃げてしまわない。自然に目が留まる表紙とはこういうものをいうのか。
小さく縮小された画面では見て取れなかった、淡い肌色や色のグラデーションが、表紙絵の大きさだと自然に目に入ってくるんですよね。神業っす。

それにしても、表紙や扉絵のデザイナーさんがめちゃくちゃうらやましいわ。仕事なんだからくらもちふさこの絵ばっかり担当するわけにもいかないんだけど、自分の全能力、全経験を傾けてぶつかることができる仕事相手とぶつかることができて、それを形に残せるなんて。くらもちふさこは多分元絵に文章で指示を付けない人だけど、絵自体の中に、切り取られた画面をデザインする方向性が込められていて、それを読み解きながら、自分の持てる力以上のものを発揮して会心の作品を世に送り出すことができる。たとえば今回の表紙なら、見る人の視線が、絵の中心である緑色の瞳から逸れてしまわないように四隅を同じ色でさりげなく押さえているんだよね。そう思えば、抱えている犬の視線もちゃんとそちらに向かっていて、作っていて唸ったんじゃないかと思う。犬の瞳の水色がぐるりと女の子の瞳の緑を取り囲んでいるんだよ。

天コケの昔から、扉絵、表紙絵くらもちふさこのページだけは神懸かったように素晴らしいデザインでした。一人じゃなく、いろんな人が担当してたんだけどね(←ずっとチェックしてた)。もし私が「くらもちふさこカラー原画展」をコーディネイトすることができるなら、原画の隣に実際に印刷された、文字入りの扉絵、表紙絵を並べて展示したい。


えっと、中身。
万福児の人って、実は結構絵上手いよねと気づいたのは今回の連動ペット特集がきっかけでした。万福児の描く花ちゃんが異形すぎて笑える…。
奥良モトってなんか覚えがある名前だなぁ。なんだったっけ。私は絶対なまこなんかさわれません。
上田めぐみ「あきらめない女たち」はちょっと神懸りがはずれた。すげー誠実に描こうとしているんだけど、しかし、そーいう漫画だったらもうどこかで見たことがあって目新しくない。大河にせずに、人生のぐっと来る瞬間を小気味よく切り取ってみせなくては。
たまきちひろ、変に描き慣れてるなあ。絵柄はいやみがなくていい感じだけど、話のほうがひねりのないパターンをなぞるだけに描き慣れているみたいでいかがなものか。

松田シロ・短編三作。ヤングユー新人三役・文ペコシロの三人が、しっかりとヤングユーの空気を残したままの漫画を描き続けてくれているのがとてもうれしい。今回のシロの短編も自分の中にある描きたいものをじっと見つめて描かれていて、松田シロ以外には描けないマンガになっている。三人目にシロを選んでよかった。ちなみに岡山弁なので地元。

河内遙・がんばってるけど、話の組み立てが微妙に大味で四天王にはなれなかったんだよなあ。
つれウツ売ってるの見かけなくてまだ買えてないけど、細川貂々の漫画が載っていたのでよかった。


入院されていたのでしたか。快復されたようで本当に良かった。
コーラスについてあーだこーだ言ってきたけど、今回の別冊コーラスは、全体でくらもち先生の快復を喜んでいるように感じられて、マイナスのイメージが払われた気がしました。






テレプシコーラ第10巻 [258]
投稿者: トウカ (2007年02月10日 (土) 22時19分)


今日明日と連休なのでとうとう読むことにした。
連載時に風の噂が耳に入って、それから半年間いつも頭のどこかにこのことがあったような気がする。その、読む前にずっと考えていたことから書いていこう。

まず、漫画の中で日本人がお稽古事で成長して才能を発揮してプロになるストーリーの不可能、がある。今の日本では、学校と社会の間にある亀裂、溝があまりにも深くて、目を閉じ、息を止めて、身を投げるようにして踏み切らなくては跳び越えられない。普通の就職に於いてすらそうなのだから、希望者が押し寄せる花形職業に成ることはもはや、人知を越える行為と言って間違いはない。真っ暗でなにも見えない川岸で、それでも皆が跳び越えられているという情報だけはあるのが通常の就職で、その情報すらない闇の岸辺に千花は立っている。

千花レベルまで完璧に仕上げた子が10人いて、その中からランダムで1人だけ選ばれてあとの9人は落とされる。運とはつまりこういう非人間性のことで、そして漫画は、この非人間的な運というものを描写するのにまったくもって向いていない。漫画の主人公が運良く合格する。それは本当に「運良く」だろうか?違うよね。漫画の主人公だからだよね。「いや、そうじゃない。これはあくまでも運が良かったんだ」と言っても、本当かどうか検証できない。運というのは検証することができないんだ。

だからお稽古事漫画の主人公は「異常な強運の持ち主」ということになってしまう。現実に存在しているプロは、すさまじい幸運の「結果」今そこにいる普通の人間なのだけれど、漫画の主人公はその初めから強運を持って存在している。それは、自由に時間を行き来して自分の好きに世界を組みかえられる能力に匹敵するような「超能力」だ。漫画として、そういう主人公が活躍する話はおもしろかったりもするのだけれど、それこそ、漫画の楽しさのメインディッシュのひとつだったりもするのだけれど、今、現実に同じ場所に立っている人間に対して誠実であるとはとてもいえない。そして、程度の差こそあれ、私たちは皆千花と同じ真っ暗でなにも見えない川岸に立っているのだ。

漫画の中で運の良さをなんとか上手く扱おうとするときに用いられる手法は、ストーリーの始まる前に一発大きな奇跡を起こす、だ。漫画の主人公だから奇跡が起きたのではなく、たまたま奇跡にぶつかった「結果」漫画の主人公になった、というパターンである。先に奇跡を乗り越えておけば、あとは努力の積み重ねでなんとかなる。御存知ヒカ碁のサイのことで、しかし漫画の始まる前に千花ちゃんに「バレエの守護霊をつけてあげようか?」と尋ねてみたら、きっと「いらない」と答えただろう。


とりあえず一段落。






いらっしゃいませ。 [257]
投稿者: トウカ (2007年01月30日 (火) 02時34分)


>nogaminさん
いらっしゃいませ。書き込んでいただけてうれしいです。
はじめて訪れた方の選ぶアイコンの「憧子ちゃん率」って結構高いんですよね。極初期に作ったアイコンなのでたまたまですが、「海の天辺」「チープスリル」「おばけたんご」の中からひとつと言われたら迷わず「おばけたんご」を選ぶ私としては、憧子ちゃんのアイコンがこれほど皆さんから好意をいただけたのが幸いです。考えてみれば、「おばけたんご」を読んでるから選べるんですよね。あの、地味で難解でマイナーな漫画を読んで憶えていてくれる人がこんなにもいたという事実に改めて感動しました。

今月号の表紙、どこまで見続けても少女漫画なんですけれども、ずっと見続けていると、だんだん「コーラスの表紙」という場の方がずれてくる。既にコーラスという雑誌の特徴になってしまった「大雑把さ」や「デリカシーのなさ」が浮かび上がってきて、まるっきり少女漫画の絵なのに場違いな感じがしてきます。デザインの関係でしょうか、ぱっと見て思い浮かぶのがビーム、それから(大判になったあとの)ぶ〜け(残念ながら私の大好きなヤングユーとはズレてんだなぁ。不思議とヤングユーとは相容れなかった人だ)。この超絶な絵に発奮されて影響を受けまくってくれるだけの「近さ」があってほしいというか。ここまで書いてわかったのは、私は毎月こんな感じの表紙をした雑誌がほしい、ってことです。きっとこの表紙だけがイレギュラーなまま、なにもなかったように来月からのコーラスは続いていくでしょうから。

世紀が変わってこっち、絵がうまい人間ならいくらでもいる。それらの絵にまぎれるようにして、しかしはっきりと一線を画す(少女漫画である)この絵はなんなんでしょうかね?吉野朔実(世紀が変わる前からうまいですが)とも違うし、美樹本晴彦(私はうまいとは思わないが)とも違う。どこを切っても山岸凉子ってやつでもない。パソコンゲーム誌の表紙を飾っていても違和感ないくらいにベタなのに、絶対的に少女漫画、どこから見てもくらもちふさこ。






くらもちさんの絵 [256]
投稿者: nogamin (2007年01月29日 (月) 22時11分)


お邪魔します。「駅から5分」面白かったですね。
(アイコン迷ったのですが憧子ちゃんにしてみました。)
>「オシャレ系」
くらもちさんの絵はオシャレ系じゃなく少女漫画っていうの、同感です。オシャレ系の人は、内容もオシャレ的なものに縛られがちで普遍的な感じにならないですね。くらもちさんの絵が今風に見えるのは、絵がうまくてセンスもいいから、上手にアレンジされるのではないかと思います。






駅から5分第4話感想。 [255]
投稿者: トウカ (2007年01月27日 (土) 20時30分)


おおお、『表紙絵の女王』復活!
今日発売とは思わずに本屋を覗いてみたら、遠目からもそれとわかる最新号のコーラスが!手にとって、しばらくのあいだ表紙をめくれませんでした。当然二冊買い。保存用は袋に入れたまま取っておくのです。今回の表紙は春ですね。本棚にしているカラーボックスの上に雑誌を積んでるんだけど、2001年11月号、2004年12月号、2005年8月号の三冊がその一番上に、秋、冬、夏とならんでいて、今回の表紙でやっと春夏秋冬揃い踏み!

パッと見フォトショップでフィルターを掛けてるのかと思うけど、よくよく見てみるとそんな単純な絵じゃない。花のところだけ紙質が違う感じになっているけど、ピンポイントでフィルターを掛けているのかなあ?着彩は多分コピックのはず。しかしすっごい質感!まるでレリーフのような絵だけれど、それをただ再現しているのじゃなくて、気持ちよくマス(体積)を感じることができるように、レリーフという表現方法の持つ魅力だけを引き出している。

ここまでハイセンスでも「オシャレ系」じゃないんだなあ。少女漫画の絵だ。具体的な女の子がまず居て、その女の子を可愛く描いてあげる。それは垢抜けなかったり泥臭かったりするんだけれども、、でも多分、そうやって地に足が着いているから、少女漫画家は本人の内だけで成長することができるんだと思う。オシャレな絵を描く人たちがパッと出てすぐに消えるのは、その時その時に目に付いたよさそうな物を組み合わせて使っているだけで、それでその分野全体としては回っているけども、一人一人の中に熟成されるものがないからじゃないかな。私たちの言う「少女漫画家」って、改めて考えてみれば10年単位で活動してるし。


で、駅から5分
インターネットの掲示板に書き込まれた言葉が、漫画内のふきだしとしてずーっと残っていて消えないって表現がおもしろい。錯綜する情報、
と言うか情報が錯綜している状況を一望できるようなイメージは、まだパソコンはあってもインターネットなんてなかった頃のライトな和製SFで夢見ていた、あの電脳空間のイメージだなあ。そこに今、我々は存在していて、そしてそーゆーことやってるわけだ、話の中に出てるようなやり取りそのまま……orz。

http://www.too.com/copic/faq/color.html











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