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悲喜こもごも |
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From:あろま
谷先生、今回も「一途な人」を拝読させて頂きました。ありがとうございますm(_ _)m
「一途な人」といえば、以前こちら様でも語らせて頂きました、わが友人の筑後川青年が、居合いの二段に昇格いたしました〜!!! その上、社内でも昇格したとの事で、実にめでたいのですが、キャラが岩目地先生ないし、ポンタルさんに似ている彼は、二段になっても「まだまだ未熟者ですから」と謙遜し、自身が部下持ちになった事に至っては、甚だ困惑している様子なのです。。。 そこがまた、彼のいい所ではあるのですけどね ^ ^
しかも、まさに一途に、好きの一念で作ってしまった彼の歴史研究サイト。あれでまだまだ進化中だそうですから凄いものです。 おまけに、最近、少しずつそのサイトが、社会的に認められつつあるのですから大したものです ^o^
本当に、一途パワーって凄いですね!! 林老師や、常陸宮殿下とは別の意味で(!?)「常人とは違う」と自他共に認める私も、本当に頑張らねばなりませんね^v^ 谷先生も、応援して下さっている事ですし…!!
P.S. ところで谷先生・・・。 この世には、病気や不妊症などの理由で、子供が出来ない方々もいらっしゃるのです…。 ホームのようなご発言は、お控えになられた方が…;;-_-
2005年09月30日 (金) 15時11分
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知ってますよ |
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From:谷照之
筑後川さんは、居合道二段に昇段したんですよね。彼のサイトはお気に入りに登録して毎日のように行っております。 中でも好きなのは「ブログ」です。今回は、おめでとう! と発信しようかと思いました。しかし、いまいち入力の方法に自信が持てませんでしたので止めにしました。
筑後川さん良いですね。あろま様に叱られてオタオタするところなど、最高です!
>P.S.ところで谷先生…。
あろま様の仰ることはよく分かります。発表するのを躊躇したことは事実です。しかし、あえて書きました。 一般論として、新たな視点から意見を申したかったのです。 私の友人で、子供が出来ない者がおります。それも一組だけでは有りません。結婚出来ない人も何人もおります。(しないのでは有りません) 精神的、肉体的に遺伝子レベルでハンディを負った人は多くおります。個人の責任とは言えない部分です。 私もある種のハンディがあります。あろま様もハンディをお持ちかもしれません。 人はそれぞれ何らかの荷物を背負って生きているのでしょう。 でも私はこの様な文章を書きました。自らの宿命、あるいは自らが選択したことに覚悟をもって欲しいという願いがあります。 人間が救われるとしたら、開き直り以外にないのでは? と思う部分があります。
自分の意見を発表することは、他の人にとっては差し障りのあることです。ようは許容範囲の問題だと思います。 子供ができない友人も、このHPを見ています。 彼の反応は予測できます。 「おう、おう、相変わらず好き勝手なことを言いやがって」 のはずです。
最後に、あろま様ありがとうございます。 貴方の御指摘は本当に感謝しております。 あろま様の勇気と情けに、乾杯!!!
2005年09月30日 (金) 18時22分
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ご存知でしたか・・・。 |
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From:あろま
谷先生、筑後川君の件、ご存知だったのですね ^ ^
> 彼のサイトはお気に入りに登録して毎日のように行っております。
…との由、本当に有難うございます。彼に代わりまして、厚く御礼申し上げますm(_ _)m 本当に彼、味のあるいいキャラですよね ^ ^ 何より、駄々をこねる先輩に「それよりも、早く仕事を済ませましょう」と諌めたり、仕事で落ち込む後輩の悩みを聞き、慰めるなど、「自分さえ上手く世渡り出来ればそれでいい」という風潮の強い今、本当に貴重な存在だと素直に思います ^ ^
ブログへの書き込み方は、ここへのお返事を書かれるのと同じ要領ですから、あまり難しくお考えになられずとも…と存じますよ ^ ^ もしよろしければ、私から谷先生のお言葉をお伝えしましょうか?
> あろま様の勇気と情けに、乾杯!!!
…いえどうも有難うございます;;^ ^A 表現とは、甚だ難しいものです。 私自身も、新聞の経済漫画を手掛け始めた当初、「既製の会社名を連想させる名前などは使わぬように」等、様々なチェックを受けました。 例え、良い例として引き合いに出したとしても、差し障りがあるのだそうです。 今は大分、表現のコツを摑んで参りましたが、様々な立場の、不特定多数の方々に向けて何かを発信する事の難しさを、常に実感しております…。
それはHPでも同様でしょう。 当然、谷先生も弁えていらっしゃる事とは存じますが、HPとは、広く世間に発表するものです。 つまり、後で「あれは、こういう意図だった」と説明して、解って頂ける間柄の方のみがご覧になる媒体では無い、という事ですし 、また、表向きにはそれで済ませてくれている人も、心の中ではズタズタに傷ついているかもしれません。
ましてや、それを読んで、いたく傷つく不特定多数の方々がいよう事は勿論、「結婚・出産を、しない・出来ない連中は、いくらでも差別してやっていいんだ」などという不届き者も、同時に世間に増殖させかねない。 結果、ますます世間の住み辛さに拍車をかけかねない、という事です。
この様な事を書いてよいものかは解りませんが、私のペンフレンドに、こんな女性がおりました。 彼女は、父親と兄より、幼少から凄まじい虐待を受け続けた為、男性が少しでも近寄ると、暴力を振るわれるのでは…と怯えるまでになってしまいました。 頭では「全ての男性がそんな人ではない」と解っていても、心と体が拒絶してしまうそうです。 彼女自身は、不幸な家庭に育った分、幸せな結婚を渇望しているのですが…。
彼女は成人後も、父と兄の執拗な虐待の追っ手から逃れる為に、派遣社員として日本各地を転々として生活しているのです。 自然と全ての生き物が大好きで、困っている人がいれば、自分を犠牲にしてまで救おうとする程優しい彼女が、何でこんな理不尽な人生を送らねばならぬのかと思うと、悔しさで一杯です。 移転先から手紙をくれる彼女の、少しでも救いになれば…と、私も色々と相談に乗ってあげていたのですが、ある日届いた「もっと人生が何とかなってからお便りするね」との手紙を最後に、彼女からの音信は途絶えてしまいました…。
世間には、結婚しない・子供の無い人を馬鹿にする人が多いですが、出来ない・しない人の中には、こういう彼女の様な例もあるのです。 勿論、それ以外にも、色々な例がある事でしょう。 事故・天災・病などで、全員子供を失った人も、いるかもしれません。 私自身、様々な理由から、なかなか結婚に踏み切れずに来た上、今、病気(伝染性はありませんが難病の類です)で、強い薬を日々投薬している状況です。 仮に結婚出来たにしても、多分もう子供は産めないでしょう。薬のもたらした卵子への影響が恐ろしいからです。 もっともそれ以前に、この先どこまで命があるか、本当にこの病を乗り越える事が出来るのか?…という問題があります。 私などは、それこそ「子宝」にもなれず(両親の老後の世話も出来ず)に、早々とこの世を去るかもしれないのです。 因みに、私は兄弟を早くに失い、今、両親にとって子供は私1人だけです…。 世の中には、私達一家の様な例も多い事でしょう。
世間から見れば、私が挙げた例や、私達のような者達もまた、十把一絡げに「どうしようもない負け組・落伍者」に見えるかもしれません。 だが、だからと言って、「これが世間一般論だから」と、一方的な意見を押し付けていいものでしょうか? もっと、ご発言に、思いやりと責任とご配慮を持つべきではないでしょうか? 不特定多数の人々に発信するのであれば、尚更です。
随分と重い話を長々と書き込んでしまいまして、本当に申し訳ございませんが、少しでも思いをご理解頂けましたら幸いです。 「武道もいいもんだ」は、私の大切な人生の一部分です。 このHPに出会えて、谷先生や皆様に出会えて、本当に良かった…と思っております。 これからも、もっともっと素敵なHPでありますよう、そして、谷先生始め、皆様のご多幸とご活躍を深くお祈りしておりますm(_ _)m
2005年10月01日 (土) 16時24分
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マスコミでは |
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From:谷照之
あろま様の仰るように、私の書いたような意見は、あまりマスコミでは見受けられません。事実としてそうです。でもマスコミ論になりますのでやめて置きます。
年金、少子化は経済問題です。結婚、子育て、シングル、ディンクスに関しては個人的問題です。しかし、本来個人の選択の問題であるはずが、広く社会に行き渡ると経済問題になってきます。(物理的生存の問題と言い換えてもいいでしょう) そこでは、合成の誤謬が問題になります。 個人では社会的、人道的に正しい判断が、社会全体に害を及ぼすというパラドックスです。 この、総論、マクロの意見は、人を傷つけることはないと思っています。怒りは買うでしょうが。 あろま様の怒りに火をつけたかも知れませんが、傷つけてはいないと思います。多分… 経済、マクロの問題では、どの視点で述べるかによって、色々な意見が出るでしょう。それで、OKだと思います。
ほんの100年前の日本という国において、夫婦間における子供は、親の生存問題であったのです。「子は宝」はそういう意味がありますよ、忘れてはいませんか、ということです。 豊かになった現代において、子供は経済問題でなく、個人の人生選択の一つになりました。豊かで恵まれた社会になったものだったものだと、先人に感謝です。いや、私もそれなりに頑張りました。
そこで問題は、個人の人生選択に於いて、社会全体のために子供を作る人がいるでしょうか? そんなことはあり得ません。目的は色々あるでしょうが、子供は個人の必要性から生まれます。個人の選択として正しいのですが、社会全体を考えると大変なことになってしまうことも起こります。 では、解決方法は? マクロ経済的に解決するしかないと思います。 その一つの方法が、収入の70%以上を社会保険料、税金に持っていかれる北欧モデルです。日本も多分、北欧型の社会制度になると思います。私が思うのです。 以上の思いを、インパクトのある形でぶっつけたのが挨拶文です。
さらに、 現代日本社会における、結婚の概念は明治期の欧化政策により決まりました。(旧民法)今その制度のほころびが出てきております。時代と環境により、結婚という制度も変わっていくでしょう。
例) 江戸時代、武士階級を除く一般庶民の間では、「めいめい稼ぎ」が行われていました。 財布は夫婦別でした。 「共稼ぎ」というお互いが寄り添った言葉よりも、個の確立が私には見えます。 やっと最近の夫婦は、実質的に「めいめい稼ぎ」が増えているようです。私には喜ばしく思えます。 「三行半はどうなんだ!」という意見が出そうです。しかし、「返し三行半」があったという事実は、余り知られておりません。意図的に出さないのでしょうか? 江戸時代は古い封建的忌々しい社会だとの、明治政府の陰謀でしょうか。 三行半を出しても、返し三行半を貰わないと社会的に大変なことになります。再婚など論外の話です。 戦後の新民法における、離婚届けに近いのです。
このレスは、あろま様の怒りを買うでしょうか? まかり間違っても傷つけることは無いと思います。あなたの友人を傷つけることも無いと思います。
いま「一途な人」というエッセイを書いていますが、こちらのほうが気を使います。林文照老師は、黄檗宗462寺、信徒35万人余りの、頂点に立った人です。もとえ、立たされた人です。 個人を特定し、こんな書き方をして、信徒を傷つけなければいいなと、願っています。
2005年10月02日 (日) 18時16分
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