煙草の問題を考える伝言板
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管理人 2006年12月28日 (木) 00時58分 No.126
Nさん、こんばんは。
お久しぶりです。本ページをご紹介頂きまして有難う御座いました。一所懸命書いていますので、理解して頂ける方には、意味のあるページだと思っています。私は、誰でも訪問できるよう、インターネット全体に公開しています。mixiは良く知りませんし、あまり、会員制のクラブというのは、馴染みがありません。
先ずは、切手展での入賞おめでとう御座います。私は切手には縁が無く、最近は、郵便さえも出すことが少くなって、殆ど縁がなくなってしまいました。しかし、趣味も継続は大変な力だと思っています。いい趣味だなあ、と思います。
私も、趣味でやっていることはありますが、あまりにもマイナーなので、ここでは触れません。来年は趣味の件で特許の申請予定です。あまりお金にはなりそうにはありませんが。
ところで、ネットは、使いたいときに使うものですが、使えないと困ることもよくあります。普通は新聞を読まなくても困らないが、困るときもある、というようなものだと思います。空気のような存在でもあり、マスメディアでもあり、本のようでもあり、ペンやノートでもあります。使うべきものであって使われるものではないと思います。1週間使用できなくても、仕事以外では困ることはありません。ちょっと寂しいだけです。
今年の年末年始は眺めの休みをとって、旅行に出かけますので、暫くは、インターネットにアクセスすることはありません。戻りましたら、何か報告したいと思います。
それと蛇足ですが、あまり個人的な情報は晒さないほうがよろしいかと思います。これは、家に鍵を掛けるのと同じようなものです。私の素性も、メール以外では晒すことがありません。
それでは、来年また、ネットでお会いしましょう。
来年もよろしくお願い申し上げます。
N 2007年01月06日 (土) 11時11分 No.129
あけましておめでとうございます
理人様
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
切手展での受賞のこと、また切手収集を「いい趣味」と言って頂けて嬉しく思います(^^)
「オタク」なんて言われることもありますので(笑)
私事ですが、「エディンバラに転勤になった」と言い残して音信不通になってしまったドイツのメル友から半年ぶりにメールが届きました。
仕事上博士号を取得しなくてはならなくなり多忙だったとのことです。
個人情報の漏洩は気を付けたいと思います。
No.125の既婚者の女性にも「声が聞きたいので電話下さい。こちらからかけなおします。3分で良いのでお話しして下さい」と言われて着信記録から私の電話番号を知られたことが大きな失敗でした。
既婚者である女性が自分の夫以外の男性を性交目的に存在する店舗に誘うことは大変な不謹慎で、実際に性交渉があったか否かとは関係なくそのような行為自体が夫に対する重大な裏切りと言わざるを得ません。
数日おきに謝罪などのメールが届きますが徹底して無視しております。
一緒に飲みに行く約束をしてあったのを白紙に戻したので「機嫌が治ったら会って欲しい」と言われておりますが、彼女が私のことを「性の対象」と見る限りリアルで会うことは絶対にあり得ません。
相手は私のことを「夫の代用とは考えていない」と弁解してきましたが、私に対して浴びせた「萌える」と云う言葉や肉じゃががどうの、「お酒がはいったらどうなるか分からないわよ」等の発言はあからさまに私を挑発するものでした。
「『人妻』ではなく『一人の人間』として見て欲しい」とのことでしたが、私は関係を迫られるまでは彼女のことを「人妻」と云う色眼鏡で見ることなく「一人の人間」と認識し接してきました。
自分の発言に責任を持つことができない人だと思うようになりました。
煙草問題とかけ離れた内容で恐縮です。
発煙者も自分の行動に責任を持たなければなりません。
自分の排煙によって故意に他人を傷つけている者には発煙する権利はありません。
故意ではなくともちょっとした過失で他人に迷惑をかけてしまうことは必ずありますが、少なくとも「人前では排煙しない」と云う一点だけを徹底して守るだけでもかなりの確率で他人を傷つける可能性は低まると思います。
管理人 2007年01月22日 (月) 21時35分 No.131
Nさん、こんばんは。
気付いてみるともう1月も後半に突入しています。
Nさんの趣味は国際的で羨ましいです。とある人によると、手段が目的になることが趣味なのだそうです。Nさんの場合も、切手そのものもそうなのでしょうが、収集すること自体が趣味なのかもしれませんね。自分の場合は、個人情報は避けますが、趣味は手段そのものになっています。
私事ですが、年末年始に、イタリアに旅行に行きました。イタリアは、屋外以外の公共の場所は全て禁煙といっていいようでした。日本もそのようになってゆくことを期待したいと思っています。記事は書いたのですが、まだ、更新していません。なかなか気に入らないのです。
今年もよろしくお願い致します。
規格外品 2006年12月11日 (月) 23時05分 No.123
いじめの問題について
管理人様、こんばんは。
皆様、初めてお目にかかります。
私は軽度の煙草アレルギーがあり、受動喫煙を大変苦痛に感じることから、以前は「この世から煙草などなくなってしまえ」と思っておりましたが、N様の「たばこを辞めない理由」を拝見して、深く感銘を受けた者です。世の中に溢れる暴煙者が、N様の様な「本物の愛煙家」になれば、煙草の問題は解決すると思います。
管理人様のWebページや、N様の掲示板では大変参考になる御意見を頂き、大変感謝しております。N様の掲示板は残念ながら閉鎖されてしまいましたが、再開できる日が早く訪れることを心から願っております。
さて、いじめの問題についてですが、かつての被害者の一人として怒りを禁じ得ません。
私の場合、発煙者の担任教師が、他の児童を主導していじめを行ない、私の父が怒鳴り込んだ結果、陰湿な嫌がらせに変わりましたが、結局担任から外れるまでの間ずっと続いていました。その後、若い教師(非発煙者)が担任となり、「いかなる卑怯も絶対に許さない」との強い姿勢を打ち出した結果、クラスから(私の知る限り)いじめはなくなりました。
最近の報道を見ていると、「いじめる者が悪い」と考える児童は「いじめられる者が悪い」と考える児童よりも少ない(色々と条件は付してありましたが)とのことで、親や学校は何を教えているのかと、愕然としました。
「いじめられる側に原因がある場合の方が圧倒的に多い」等という戯言が散見されますが、結局はいじめる側の自己正当化に過ぎません。
如何なる理由があろうと、集団で一人をいじめることこそが絶対に悪であり、正当性などあり得ない、極めて卑怯な行為であることを強く子供たちに教え、また、手本として行動で示すことこそが大人の義務であると考えます。
煙草の問題も、いじめの問題も、共通するのは以下の点であると考えます。
・強い立場の者が自己を正当化し、弱い立場の者に一方的な攻撃を行なう
・自分の攻撃が相手から拒絶されることは絶対に許容しない
・咎められると、「○○の方が悪い」と矛先を逸らす
いずれも、善悪の区別を理解できない、自分の欲望を抑える事ができない、そして他者を非難/攻撃する事で自らの安寧を確保しようとすることが問題の根底にあり、この様な傾向は、発煙者に多いと感じます。
家庭や学校は当然として、社会活動の全般を通じた教育/啓蒙を継続的に、そして諦めずに続けて行くことが大切だと思います。
管理人 2006年12月18日 (月) 00時20分 No.124
規格外品さん、こんばんは。
>世の中に溢れる暴煙者が、N様の様な「本物の愛煙家」になれば、煙草の問題は解決すると思います。
このご意見には、全く賛同いたいます。薬物中毒を正当化するための似非愛煙家などはもってのほかと思います。彼らは単なる、発煙者であって、愛や家が付くような代物ではないのです。
私もNさんの掲示板が再開できる日を心待ちにしています。アクセス制限のないインターネット掲示板で、悪意ある投稿を整理して再開されることを望んでいます。
>さて、いじめの問題についてですが、かつての被害者の一人として怒りを禁じ得ません。
>私の場合、発煙者の担任教師が、他の児童を主導していじめを行ない、私の父が怒鳴り込んだ結果、陰湿な嫌がらせに変わりましたが、結局担任から外れるまでの間ずっと続いていました。その後、若い教師(非発煙者)が担任となり、「いかなる卑怯も絶対に許さない」との強い姿勢を打ち出した結果、クラスから(私の知る限り)いじめはなくなりました。
いじめの問題については、本当は殆どの人が被害経験者ではないかと思うのです。教員にいじめられ、親にいじめられ、兄弟にいじめられ、そんな例は多いと思います。そして、その中の一部が自分より弱いものを探していじめに走る、そういう世相が見えます。人間の性なのかもしれませんが、そういうことを防止するのが教育であるはずです。他人を尊重する気持ちを養わなければいじめはなくならないのでしょう。いじめるの教員は、発煙者が多いのでしょうか、単なる偶然なのでしょうか。いじめる子供の親は、発煙者でしょうか、興味あるところです。発煙者が減ってくると、公表されそうですね。
>最近の報道を見ていると、「いじめる者が悪い」と考える児童は「いじめられる者が悪い」と考える児童よりも少ない(色々と条件は付してありましたが)とのことで、親や学校は何を教えているのかと、愕然としました。
>「いじめられる側に原因がある場合の方が圧倒的に多い」等という戯言が散見されますが、結局はいじめる側の自己正当化に過ぎません。
>煙草の問題も、いじめの問題も、共通するのは以下の点であると考えます。
>・強い立場の者が自己を正当化し、弱い立場の者に一方的な攻撃を行なう
>・自分の攻撃が相手から拒絶されることは絶対に許容しない
>・咎められると、「○○の方が悪い」と矛先を逸らす
>いずれも、善悪の区別を理解できない、自分の欲望を抑える事ができない、そして他者を非難/攻撃する事で自らの安寧を確保しようとすることが問題の根底にあり、この様な傾向は、発煙者に多いと感じます。
ご指摘のように、いじめられる側が悪いというロジックは、発煙の正当化に酷似しています。
本音を云えば、煙草さえ無くなれば、世の中の問題の多くが片付いていくのではないでしょうか。どんな社会問題も煙草の問題に極めて似通っているのです。社会の大勢がこのことに気付くようになれば、問題は改善されていくのでしょう。
管理人 2006年11月18日 (土) 22時38分 No.111
Nさん、こんばんは。
法律問題について、分かりやすい解説を有難う御座いました。議論の余地のないほど明確な論旨ですが、実際は理解できない人のほうが多数派というのが問題です。多くの人に対して教育が効果を上げていないのだと思います。
私も、法律問題について、いろいろと論じています。以下にいくつか挙げましたので、お読みください。Nさんの掲示板での議論も含まれています。
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-03.html#dispute
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-02.html#terms
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-02.html#constitution-day
N 2006年11月19日 (日) 11時52分 No.115
いじめの問題と併せて
管理人様
No.111で触れられているように私は法律に関してまったくの素人で、素人なりに必死に考えた文章だったのですが、「分かりやすい」とのことで安心しました。
「いじめの問題」と併せて興味深く拝読致しました。
>健康増進法の成立以降は、受忍限度論を展開する余地さえも無くなってしまっている。
とのことですが、罰則がない故の不完全な分煙措置が強煙、暴煙を助長させている印象が確かにあります。
(大抵大手の)飲食店・チェーン店のファミリーレストランで「喫煙席と禁煙席を分けているからうちは優良店だ」と勘違いさせてしまうことがあり、おそらく禁煙席を設けた時点で煙草問題への取り組みが完結したと思い込み次のステップ(完全分煙もしくは全面禁煙)に踏み切ることの妨げになっていると思います。
飲食店などの「発煙席をなくすと客が来なくなる」と云う誤解は環境問題でも同じようなことが言えるのですが、消費エネルギーの節約に伴い多くの失業者が生まれると勘違いされていて、エネルギー効率化によって産み出される雇用は発電所などで働く人間の数よりも実は多くの雇用を産み出すと地球温暖化対策地域協議会が指摘していたはずです。
憲法には罰則がないので遵守しなくても良いのか?と云う切り口は思いつきませんでした。参考にさせて頂きます。
私事ですが、自分も日本の小学校では小さなものですがいじめのようなものを受けていました。
名字が苗字だけに「ニノキン」と呼ばれており、これは親しい友達が「金ちゃん」と呼んでくれることはある意味親密さの裏付けでもあり構わないのですが、私は「給食を食べた直後にトイレ(大の方)に行きたくなる」小学生でした(笑)
「ニノキンが糞してるぜ!」
「見に行こうぜ!」
「おう、俺も行く!」
と毎日のように隙間から覗かれたりトイレの個室にぬれ雑巾を投げ込まれたり・・・。
小6の時にアイルランドに引っ越してからは学校で大をしようが小をしようがそんないじめもどきは皆無でしたから「日本の子供って陰湿なんだな」と思いました。
クラスの連中と遊んだり喧嘩したりしておりましたが、「黄色人種だから」と云う理由でいじめられたことは一度もありません。
本当の意味で「友達」として迎え入れてくれていたのだと思います。
良い思い出のある国です。
トイレの方は、汚い話で恐縮です(^_^;
管理人 2006年11月19日 (日) 19時12分 No.116
Nさん、こんばんは。
いじめの問題も早速お読み頂きまして有難うございました。
お友達が無料法律相談を利用されたとのこと、そしてその担当の弁護士の言動を聞いて益々、法曹界に疑問を持ちました。No.106では、裁判官についての問題点を書きましたが、同じことが弁護士にも云えると思います。苦痛があって来ている相談者に、”面白いですね”というのは不謹慎極まりなく、逆に、こんな当り前のことを知らない弁護士が居るとは面白いですね、と言ってやるべきなのでしょう。
そういう弁護士が”勝てますよ”と云ったって、とても信じる気にはなれません。恐らく、いじめの部分に焦点を当てて証拠があれば、”いじめ”被害に対して勝てるという知恵を働かせたのでしょう。
心の通っていないデータベース人間には弁護を任せたくありません。
Nさんもいじめは、大変でしたね。その後強くなれたのは良かったと思います。アイルランドで過ごされたというのは、どこか羨ましいです。わたしは子供時代外国には縁がなく、大人になってからようやく自力で米国に行きました。
その後は、外国人と接点が多くなっています。国際的に働いている人とは、国籍に関係なく大抵ウマが合います。日本人の場合でも、外国人と付き合いが多い人とは合いますが、いじめられるのは大抵外国人との付き合いがない人(何故か全て発煙者)からですね。発煙者は発煙者のコミュニティを作りたがる人が多いようですのでそのせいでしょうか。コミュニティに入らない人には冷たい、そんな感じがします。
こういうのも隠れた煙草の問題なのでしょうか。
N 2006年11月19日 (日) 23時20分 No.117
外国人に対する偏見
管理人様
こんばんは。
ちょっと煙草問題から逸脱してしまって恐縮なのですが、以前発煙者の、私より5つほど年上の知人がおりました。
その知人(知り合った直後は何度かうちに遊びに来たのですが敢えて「友人」とは呼びません)が外国人に対して多大なる偏見を持っている人物だとその後分かりました。
「不良外人」「日本に来るな」が口癖でした。
私は彼に実際に何らかの形で外国人との交流はあるのかと尋ねたところ全くない、皆無とのことでした。
さすがに考え物だろうと思い「リアルで外国人の友達が一人もいないのにそういうことを言って欲しくないな」と言うと「君が不良外人を見てないだけだよ」と云う回答でした。
恐らく不法就労者のことを言っていたのだと思いますが、日本に滞在している外国人は大使館職員の家族や技術支援で親会社から派遣された人物も含みますよね。
ちなみに私はインターネットを通じて知り合った外国人はかなりいて(趣味の切手収集つながりの人ばかりですが(笑))、実際にその国を旅行して会ってきた友人は三人、先方が来日した際に会った友人は二人おります(片方の友人とは今も引き続き会っています)。
だからこそなのですが、何の予備知識もなしに「外国人である」と云う点だけで偏見の色眼鏡で見る、否、その人の「人物」を見ていない人には憤りを感じます。
彼には同時に発煙のマナーというか意識の低さがありました。
彼が最初に私の家に遊びに来た時に近所のコンビニエンスストアまで昼食を買いにでかけたのですが、道中、歩行排煙を始めようとしたのですかさず「あ、悪いけど歩きたばこやめてくれる?」とお願いしたところ彼はその場では一旦シガレットをしまってくれました。
ところが帰宅して昼食を採っている最中に
「歩きたばこ嫌いなんだ?」
「うん。少なくとも俺の前では辞めて」
この「俺の前では」がいけなかったのですが、彼に「わーった」と一息おいてから、大声で
「でもそれ以外の場所では俺の勝手だよな!?」
と言われ非道く失望させられました。
また私のいじめ体験談になってしまうのですが、1980年代の日本がプロレスブームだったのかどうかは良く知らないのですが、クラスで二番目に身長が低かった私はY田と云う生徒に朝礼が終わって一時間目の始まるまでの間「プロレスごっこ」の実験台にされていました。
これが、教師には「仲良し同士がじゃれあっているように」見えるように技をかけられていたので、暴煙の被害者同様に「一見して被害を被っているようには見えない」ものでした。
技の名称は知りませんが、両足を掴んで逆さづりにして床に叩き付けると云うものをやられたところ私の頭から出血しまして、そのことを母が「連絡帳」に書いて教師に渡したところようやくプロレスごっこを禁じる措置が学校により採られました。
まあ私の場合は命にかかわるような深刻なものと比較すると些細なものでしたが、「いじめの問題」で触れられていた「自殺者が出なければ放置されてしまう」「自殺者が出なければ何もしないというのは社会正義に反している。」と少し通じるものがあると思います。
私が「強く」なったかどうかは一概には言えませんが、少なくとも「故意に他人をいじめる(暴煙被害を被らせる)ことだけは断じてしない」と、この姿勢は死ぬまで貫き通すつ決意です。
管理人 2006年11月20日 (月) 00時35分 No.118
外国人に対する偏見
Nさん、こんばんは。
外国人に対する偏見のある知人の話、私も良く分かります。私の親は、発煙者ではありませんでしたが、外国人に対する偏見が強くありました。特に日本以外のアジア諸国の人々に対して強い偏見を持っていました。そして、煙草には寛大で、煙草の悪口を言うと、”大人なのだから我慢できるようになれ”云々の説教をされました。そんな偏見に満ちた親に育てられたので、物事全て、自然体で捉えて自分で判断するよう心掛けてきました。お陰で、親を反面教師として成長することができたのかもしれませんが、今でも尊敬できない、心理的外傷を負っていると思います。
例えば、不良外国人と呼ばれる人たちのことを考えてみると、単に、出て行けとは、思えません。誰だって、祖国を捨てたくはないだろうし、幸せに暮らす権利があります。その中で、不法入国という選択肢しか取れなかった人も中には居ると思います。
貧しいから差別する、というのでは、世の中益々住みにくくなってしまいます。現在の、所得の二分化傾向を見ていると、先が恐ろしくなります。”不良外国人出て行け”と云っている人たちの先に待っているものは何なんでしょうか。それが分からないからこそ、そのようなことを云えるのだと思います。
多くの発煙者には、発煙者コミュニティを作ろうとする傾向が見えます。そしてコミュニティに入らない人を村八分のようにし、仕事のことでさえ、情報の共有を避けることが少くありません。こういった傾向が、いじめや偏見に繋がっていると思うのは私だけではないと思います。
Nさんのいじめ体験は、大変だったと想像します。私は小学校の低学年の頃は、喧嘩早かったので、いじめには無縁でしたが、転校を繰り返し、穏やかな小学校で過ごし、すっかり大人しくなってから、兵庫県の小学校に行ったら、馴染めずにいじめにあいました。結局は自力で切り抜けたのですが、切り抜けられなかったら大変だったと思います。
無意味な偏見、思い遣りの欠如、自分だけのコミュニティを作る性格、皆いじめに繋がっているのだと思います。
N 2006年11月24日 (金) 07時00分 No.119
強煙も立派な「いじめ」だと思います
管理人様
こんにちは。
ご両親がアジア諸国の外国人に対して強い偏見を持っていらしたとのことですが、実は私の外国人の友達の6割くらいがアジア人なのです。
実際にその国を旅行して会ってきた友達は北京・上海・ソウルの友人で、先方が来日した時に会ったのがマレーシアとインドネシアの友人です。
切手収集家が気のいい親切な人間ばかりというわけではありませんが、実際に会ってみるとみんないい人ばかりです。
私は「実際に会って会話したり一緒に食事をしたり切手の売り買い(「お金のやりとり」と云う、信頼関係がなければできないこと)」をしたわけですから、会ったこともないのに「不良外人」などというレッテルがどこから出てくるのか合点がゆきません。
「切手収集をしている」と云うことは「ある程度経済的に余裕がある」とほぼ同義なので不法就労という選択肢を採らざるを得なかった人たちとは一概に比べることはできませんが、「不法就労者」=「犯罪予備軍」と云う偏見はなくしてほしいと思います。
>煙草の悪口を言うと、”大人なのだから我慢できるようになれ”云々の説教
をされたとのことですが、「大人」「子供」は関係ないと思います。
「大人は(強煙を)我慢して然り」と言うと「受動喫煙を我慢しない者」=「子供」と云う誤った図式と傲慢を助長させます。
自分がクリスチャンなのでこのような例を出すのですが、信仰の妨げとなる"vanity"は"Sin"同様に全ての人間が持っている罪と教わりました。
異なる点は"Sin"が「遺伝的な罪」である点で、キリストによりアダムの原罪は贖われたと解釈されております。
"vanity"の日本語訳はおそらく「うぬぼれ」だと思いますが、キリスト教ではこれを「自己過信」と「(善行を)遂行する喜び」の二つに大別しています。
これを煙草問題の用語に置き換えると、
前者は
・暴煙者が自分はマナーを守っていると勘違いすること
後者が
・きちんとしたマナーを遵守すること
になると思います。
「我慢」は「辛抱」「頑張る」とほぼ同義で、何か(例えば受動喫煙)を「我慢」した場合、それに見合う「見返り」があって然るべきなのですが、受動喫煙を我慢したとしても被害者は何のメリットも得ることができない場合が99%だと思います。
「今日は残業を我慢したので今月の手取りは○○円増える」と云うような見返りはありますが強煙を我慢して何か見返りがありますか?
私はカソリック/プロテスタントではなく正教(お茶の水のニコライ堂のやつです。宗派としてはカソリックに限りなく近いのですがアイルランド在住時代には説教だけ聞いて聖パンは辞退していました)なのですが、正教の場合ミサの前の晩から食事を採ってはいけないことになっております。教会=神の家に行くのに胃の中に物が入っているのは失礼と云うような意味合いからなのですが、空腹を10時間近く我慢してミサの終わった後に食べる昼食は空腹故に大変美味しく感じられるものです。
これもある意味「見返り」かもしれないと子供時代は思ってました(笑)
ちょっと回り道をしてしまいましたが、
>無意味な偏見、思い遣りの欠如、自分だけのコミュニティを作る性格、皆いじめに繋がっているのだと思います。
強煙は立派な「いじめ」だと思います。相手が化学物質過敏症ならなおさらです。
本人は「受動喫煙」と「それに伴う鬱病」に分けて労災申告するとのことですが、「いじめ」に一本化することも可能かと思われます。
ただし現在、「受動喫煙は加害行為である」と云う認識が希薄と言わざるを得ないので、どのように闘うかは友人次第と思い特に口出しはしていません。
No.108に於いて「だからこそ、私(管理人様)も書き続けている」とありましたが、「何をしても無駄だろう」と云う考えは私も好きではありません。
「排煙」と云うものはどれほど細心の注意を払っても「必ず」他人に迷惑をかける行為だと私は思っています。
細心の注意を払って発煙すれば他人にかける迷惑の度合いが「減る」だけです。
発煙者である私は強煙の不快感がどれほどのものか100%理解したり肌で感じることはできません。
せいぜい「散歩中の犬の小便をひっかけられた」(汚い喩えで恐縮ですが受動喫煙の不快感は最低でもこれくらいはあると思います)、他人にこんな不快感を味わわせるわけにはゆかない、と推察することくらいしかできません。
発煙者の私は、非発煙者の友人と会う前に入浴したとしても、発煙者の身体からは若干煙草臭がするものですし、回避策として人から借りた本やCDなどは煙の流れて行かない寝室に置いて絶対に不快臭が付着しないようにしたりPPC用紙も別室に移してありますが、自分が発煙により他人に迷惑をかけている事実に変わりはありません。
他人に強煙を被らせないだけなら簡単です。人前で発煙しなければよいだけです。
しかし自分の発煙によって100%完璧に他人に迷惑をかけまいとすると巧くゆかないものです。
(JTの提唱する自称「マナー」ではなく)きちんとしたマナーを人に分かって、実践してもらおうとしてもなかなか聞き入れてもらえません。
ここで大切なのは「何をしても無駄だ」と投げやりにならないことだと思います。
自分で工夫したり、人の意見などに耳を傾けたりして努力し、続けることが重要だと思います。
「自分たちだけのコミュニティを作りたがる」のは、「いじめをする者は単独犯ではない」につながるものがあるかもしれません。
管理人 2006年11月26日 (日) 23時31分 No.120
Nさん、こんばんは。
いつもながら遅いレスで申し訳御座いません。
Nさんは外国のお友達がたくさんいらして羨ましく思います。うち6割位がアジア地区の方ということは、Nさんのと共通の趣味の方がアジア地区に多いのだと思います。
私は外国の友人は殆どが仕事関係ばかりなので、ちょっと縁遠くなっています。私の親は外国人との付き合いがありませんでした。だから私も子供の頃は外国人というと地球外生物のような存在でした。付き合いが始まったのは、米国に留学してからでした。私の場合も留学での付き合いは韓国とか中国の方との付き合いが殆どでした。米国在住の方とは学校以外では普通に接していましたが、さほど付き合いが深くなることはありませんでした。
留学を終えて仕事に戻り、それからは米国在住の人との付き合いが多くなりました。米国在住や米国で働いている方々は大抵オープンで、お付き合いしていてもストレスは感じませんでした。
しかし、日本人の同僚たちとはなかなか上手に付き合えませんでした。やはり、煙草のコミュニティーが阻んでいたというのが印象です。コミュニティに入らない人には情報も出さない、そういう人が目に付きました。Nさんの場合も、恐らく、煙草仲間のコミュニティーは殆ど無かったの思いますので、同じような経験をされたのではないかと思います。外国の方からは、喫煙者であっても、煙草仲間のコミュニティーを感じることはありませんでした。日本古来の村八分的発想は、残念ながら、発煙者から多く感じます。外国の方は、個人対個人の発想が多いようで、それが、集まって集団を形成することが一般的のように見受けました。日本の場合には、集団の論理が先にあり、個人対個人の関係はそれに付随することが多いようです。だからこそいじめが減らないのだと思います。
>「大人は(強煙を)我慢して然り」と言うと「受動喫煙を我慢しない者」=「子供」と云う誤った図式と傲慢を助長させます。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」という発想が、日本には古くからあったのだと思いますが、それが、誤った方向に適用されてしまっているのだと思います。本来ならば、他人に苦痛を与えないために自分が耐えるべきなのですが、今の社会は逆になっています。だからこそ、「強煙=いじめ」という状態になってしまったのではないでしょうか。
>自分がクリスチャンなのでこのような例を出すのですが、信仰の妨げとなる"vanity"は"Sin"同様に全ての人間が持っている罪と教わりました。
-中略-
>"vanity"の日本語訳はおそらく「うぬぼれ」だと思いますが、キリスト教ではこれを「自己過信」と「(善行を)遂行する喜び」の二つに大別しています。
>これを煙草問題の用語に置き換えると、
>前者は
>・暴煙者が自分はマナーを守っていると勘違いすること
>後者が
>・きちんとしたマナーを遵守すること
になると思います。
私はキリスト教徒ではなく、どの宗教も信仰してはおりませんが、代わりにどの宗教も尊重しております。ですから、宗教の教えも自分で判断していますが、大抵の場合、どれも納得できる信条です。キリスト教も当然学ばなければならないものだと思います。詳しいことは知らないのですが、Nさんのご指摘の内容は私にも良くりかいできるところです。
そもそも、自分の俗物根性のために、他人を犠牲にするというような宗教や道徳があってはならないものだと思います。他人を尊重し、自分を抑えるからこそ、宗教や道徳の価値があるのだとおもいます。
>「我慢」は「辛抱」「頑張る」とほぼ同義で、何か(例えば受動喫煙)を「我慢」した場合、それに見合う「見返り」があって然るべきなのですが、受動喫煙を我慢したとしても被害者は何のメリットも得ることができない場合が99%だと思います。
>「今日は残業を我慢したので今月の手取りは○○円増える」と云うような見返りはありますが強煙を我慢して何か見返りがありますか?
私は我慢の見返りは求まるべきではないと考えます。求めるべき見返りは、我慢の結果ではなく、自分が能動的に実施した仕事の見返りであるべきだと思います。そうしなければ、何も発展しない、我慢は何も生産しないのだと思います。だからこそ、他人に我慢させるべきではありません。我慢しろ、という発想は、発展を妨げる負の発想だと思います。逆説的ですが、Nさんのご意見と結果的に全く矛盾しないのです。
>強煙は立派な「いじめ」だと思います。相手が化学物質過敏症ならなおさらです。
>本人は「受動喫煙」と「それに伴う鬱病」に分けて労災申告するとのことですが、「いじめ」に一本化することも可能かと思われます。
>ただし現在、「受動喫煙は加害行為である」と云う認識が希薄と言わざるを得ないので、どのように闘うかは友人次第と思い特に口出しはしていません。
私は、ご友人に対して出来ることは精神的な支えになることだと思います。弁護士ではありませんから、いい加減に口を出しても良い方向に向かうとも思えませんし、弁護士で無いからこそ、ボランティアで支えになれるのだと思います。是非、支えになって差し上げてください。また、私も、ウェブ上ではありますが、応援しておりますことを、お伝え頂ければ幸いです。
Nさんは、最近、例の事件から立直られる途上なのかと思います。ご意見はとても有難く感謝しております。
またよろしくお願い申し上げます。
N 2006年11月27日 (月) 21時38分 No.121
クリスチャンと言っても・・・
管理人様
こんばんは。
切手収集つながりで私にアジアの友人が多いのは私が中国と朝鮮の切手を特に熱心に集めているからかもしれません。
(最近は旧ソ連がマイブームですが)
欧州のメール友達もそれなりにいるのですが、距離的になかなか会いに行くことは難しいです。
結構あちこちに色々な国の友人がいて、こういう言い方は失礼かもしれませんが特にドイツ人って面倒見が良くて親切だなぁと感じています(笑)
お二方とも私より10くらい年上というのもあるのでしょうが、私が「あの切手が欲しいのに日本じゃどこ行っても見付からない」などとわめいて(?)いたらオーストリアの切手商にまで連絡して切手の入手に奔走してくれた人もいます。
"HOME"のURLが昔フライラッシングのM.さんと云う人との交流をネタに地元の春のミニ切手展に出したものです。
あと欧米人というのは管理人様の指摘されている米国在住の方々と同様にオープンな印象がありまして、4〜5回メールのやりとりをすると「もうMr.なんか付けないでお互いファーストネームで呼び合おうよ(相手の方が年上なのに)」と言ってきたり、切手を送ったり送ってもらうと当然「お金のやりとり」が生じるのですが、すぐ「後払いで構わない」なんて関係になってくれます。
煙草のコミュニティですが、私は全く縁がないわけではなくて、Yahoo! UK&Irelandの"Pipe"コミュニティやmixiの「Pipe Tobacco Reviews」と云う、吸った銘柄の感想などを投稿しながら情報や意見交換する場に身を置いています。
私は一応クリスチャンでして、何故「一応」が付くのかというと「神が本当に存在するのかしないのか」と云う点にあまり関心がないというかそれを重要視していないからです。
神学的な知識も少しはありますが、それよりも「毎日ご飯を食べることができる」とか「ちゃんとした家に住んでいる」「戦禍で命を落とす心配もない」などの一見当たり前のことに感謝するところに信仰の本質があるのではないかと思っています。
そこには当然「故意に他人を傷つけない」も含まれます。
日曜学校やアイルランドの"Religion"の授業で教わったことは日本の学校の校則のように罰則のあるものではなく「(自分の幸せに)感謝」して「道徳を重んじる」ことがベースでしたので。
神の存在にこだわらないのであればキリスト教でなくとも構わないのですが、母方の家系が代々熱心なロシア(ギリシャ)正教の信者なので半ば成り行きで小学生の時に洗礼を受けました。
聖名はアブラハム(アブラム)の子「イサァク」です。英語の「アイザック」に該当します。
成り行きで入信した形になりますが今となってはこういった考えやキリスト教圏の小中学校に通った経験は良かったと思っています。
「受動喫煙」と云う名の暴力が蔓延・放置されている今の日本社会で「他人に苦痛を与えないために自分が耐え」ている者がどの程度存在しているのかは疑問です。
発煙者にとっての「耐える」は「発煙を我慢する」とほぼ一致すると思うのですが、「仕事が忙しくて朝から何も食べていない」を「耐えている」と表現するのは妥当に感じられるのに「ニコチン補充を我慢している」を「耐えている」と大袈裟に表現する必要もないだろうにと思います。
旧掲示板で「お前は禁断症状の苦しさが分からないからそんなことが言えるんだ」と言われた時は一瞬どう回答してよいやら言葉に詰まりました。元から発煙習慣のない方ならこんな言いがかりを浴びせられることはなく、私が発煙者だから言われたことなのですがやはり釈然としませんでした。多分割と苦しいんだと思いますが命に関わるものではないのは確かです。「禁煙の苦しさから荒らし行為にはしったくらいの気持ち察してあげろよ」と言われた時は怒りより精神年齢の低さに憐れみを感じてしまったり。
ちなみに1980年代のアイルランドでは歩行排煙をしていたりポイ捨てをしている人を見たことはありません。Inner cityでは煙草をくわえている少年を目にしましたが少なくとも自宅-学校-shopping street-レジデンス-サマーキャンプを結ぶ五角形の生活空間の中では皆無でした。
よく日本は「喫煙後進国」と馬鹿にされますが、マナーの悪さが原因の一つのように感じられます。
アイルランドには「ピーターソン」と云う伝統的喫煙具ブランドがありますからデンマークに次いで喫煙に関しては先進国になるような気がします。
化学物質過敏症の友人は「(私に出会って)過敏症に立ち向かう勇気がわいてきた」と言っておりました。「誰も話すら聞いてくれない」と云う世知辛い世の中で偶然「少しは耳を傾ける」人間であった私と出会っただけのきっかけなのでそれほどありがたがられる代物でもないのですが、先日早速貴サイトで拝読した「健康増進法には罰則がないが、憲法にも罰則がないので遵守しなくても良いのか」と云う切り口を引用して教えてみました。「すごくいいこと聞いた」って言ってました。
管理人 2006年11月27日 (月) 23時28分 No.122
雑談モードですが
切手収集と云えば、子供の頃に少しだけしたことがあります。同じように、古銭なども集めましたが、自分の場合は長続きしませんでした。本当は何でも継続すれば力なのですが、難しいものですね。
私も詳細は書きませんが趣味の分野があるので、外国のフォーラムにでも参加してみたいと思っています。そこで、仲間が出来れば楽しいものだと思います。Nさんが趣味の世界で国際的なお付き合いをされているのをお聞きして勇気付けられました。
Nさんは、ギリシャ正教ということですが、きっかけはどうあれ、宗教の教えを勉強されていることはとても良いことだと思います。私も宗教の勉強をしたいと思い、20年くらい前に、最も宗教っぽくない神道の勉強をしてみましたが、身に付くには至りませんでした。飽きっぽい性格なのです。我ながら情けないですが。ひとつの宗教をしっかりと勉強できれば、他人に苦痛を与えても意に介さないという人格は育ちにくいのではないかと思います。日本人は、もっと宗教を勉強しなければならないのではないか、教育が間違っているのではないかと思います。
化学薬物過敏症のお友達の方に、私の論法を教えて頂いたということで有難う御座いました。私も自分なりに、論理を考えています。しかし、論理を積み重ねても中々煙草の問題の解決には繋がりません。最初の一発で勝敗がついていても、負けを認めない人が大勢居るからです。明白に負けていても、相手を非難して、「勝った、勝った」と騒ぎ立てる、このような議論には付いていけません。正直言ってうんざりします。
また、Nさんの事例をお聞きして、法曹界にも疑問を持っています。法曹界だけでなく、資格で守られた社会には大抵不信感を持つようになりました。資格で守られると勉強しなくなるからです。本質を見ずに形式論に走る、過去の実績にのみ依存する、そんな法律専門家など糞食らえ、と思います。
管理人 2006年11月14日 (火) 00時17分 No.106
Nさん、こんばんは。
煙害に関する訴訟については、原告勝訴というのは多くないと思います。つい先日江戸川区でタクシー運転手が小さく勝ったという報道がありましたが、日本では他には殆どありません。
裁判所が煙草に甘い判決を出すのにはいくつか理由があります。
(1)煙草の問題は、”政治問題”であること。自衛隊の違憲性判断などでもお馴染みの理屈です。三権分立を犯すと主張しています。
(2)科学的に知見のある裁判官がごく少数であると考えられること。司法試験には、科学の問題がありません。
(3)裁判官が世間知らずであること。司法試験に通ればいいわけです。また、一旦裁判官になると、職業上自由に他人と交流することが難しくなります。判決に予断を与えることを排するためです。
(4)裁判官には発煙者が多く居ると考えられること。原告が忌避できれば良いのかもしれませんが、どうでしょうか。
(5)責任の所在が曖昧であること。
管理者(会社)、発煙者本人、煙草会社、国等、煙草の問題は責任の所在が極めて曖昧です。裁判で相手にするのであれば、最も弱い、管理者を被告にするしかありません。直接の加害者を相手にするのは極めて難しいと思います。正しく責任逃れの構造なのです。
ご質問のような例では、当然救済されるべき、それが社会正義なのですが、実際には、そのようになっていません。私もこのあたりには疎いので、有名な伊佐山弁護士に相談してみたら如何でしょうか。
金銭的に心配ということであれば、市や県などの無料法律相談を利用することもできます。また、地方議会の議員事務所には、法律相談所などの看板を掲げていることもあり、利用できる可能性もあります。
答えになっておらず申し訳ありません。しかし、いい加減な回答も無責任なので、敢えて自分の意見を通すことはしませんでした。被害者の方には是非とも立直って頂きたいと思います。
N 2006年11月14日 (火) 20時46分 No.107
ありがとうございます
管理人様
早速のご回答ありがとうございます。
やはり喫煙問題で原告勝訴と云う判例は少ないのですね。
救済されるべき人たちが救済されない日本社会の欠陥、思いやりのなさとでも呼ぶことができるのかもしれません。
今回の化学物質過敏症の方は無料の弁護士相談をお願いしたそうですが、シックハウスの労災申請は通った事例があるのに受動喫煙の場合ほぼ無理と言われたそうです。
鬱病の原因は社内での不作法な暴煙行為を改めるようお願いしたための「いじめ」だそうです。
三人の発煙者から継続して嫌がらせを受けていたそうで、詳細は知らないので一概には言えませんが人前で排煙するような者は人間としてどうなんだろう、などと思ってしまいます。
会社内に「喫煙室」があり、「昼休みと三時のお茶の時間には排煙しても良い」と云う、発煙者にとってはかなり恵まれた環境の職場だったそうですが、ほとんどの人間が「(自分の服などが)臭くなるから」と喫煙室を利用せずに駐車場や会社の玄関脇で排煙していたそうです。
これは広義の「歩行喫煙」に該当すると思います。
日本社会と云うのは悪い状況を放置するだけで、これを改善するシステムに欠けているのかもしれません。
伊佐山弁護士というのは伊佐山芳郎のことでしょうか。
検索したところ「嫌煙権確立を目指す法律家の会」を結成した方だと分かりました。
余談ですが数週間前、夕食後に空腹を覚えてコンビニまで夜食のグラタンを買いに行ったことがあります。
骨折がまだ完治していないのでステッキをつきながら歩いているのですが、マンションの入り口に差し掛かったところで初老の品の良いおじさんが私がエレベータに辿り着くまで「開」ボタンを押したまま待っていて下さいました。
「何階ですか?」「上天気が続きますね」「はい、三階です。お先にどうぞ」
私が杖をついて歩いていることを差し引いてもかなり親切な方だと思いました。
こういう「思いやり」を日本人全員が持っていれば煙害で人を苦しめるなどと云う事例も激減するんだろうなと思った夜でした。
管理人 2006年11月14日 (火) 23時23分 No.108
こんばんは。
煙草被害の問題は、上に述べたとおりなかなか救済されない状況にあります。だからこそ、私も書き続けている訳です。今後は、健康増進法が根拠となって救済の道が開けることを期待したいのですが、日本の法体系は、悪者勝ちみたいなところがあります。挙証責任は原告側にあるのですから。他の国も同じようではありますが、判例は随分と違います。
被害者の方が相談された弁護士さんがどのように説明されたかはわかりませんが、法の正義についても説明されたのでしょうか。正義が無ければ法律には意味がないのですから。現状の運用がどうなっているか、というのとは別問題だと思います。法律の前に正義があってしかるべきなのに、悪者の保護が優先されている、というのが私の印象です。
>鬱病の原因は社内での不作法な暴煙行為を改めるようお願いしたための「いじめ」だそうです。
>三人の発煙者から継続して嫌がらせを受けていたそうで、詳細は知らないので一概には言えませんが人前で排煙するような者は人間としてどうなんだろ>う、などと思ってしまいます。
>会社内に「喫煙室」があり、「昼休みと三時のお茶の時間には排煙しても良い」と云う、発煙者にとってはかなり恵まれた環境の職場だったそうですが、ほとんどの人間が「(自分の服などが)臭くなるから」と喫煙室を利用せずに駐車場や会社の玄関脇で排煙していたそうです。
実は、次の話題は、いじめ問題について取り上げる予定で、今朝出張中に列車の中で書いていました。まだ、完成していませんが、論旨はNさんのご指摘にそのままあてはまるものです。今週末には更新したいと思っています。
>伊佐山弁護士というのは伊佐山芳郎のことでしょうか。
その通りです。著書もいくつかありますし、煙草被害訴訟の弁護団として有名です。しかし、弁護士費用については分かりません。ひょっとして手弁当に近いかもしれませんが、それなりに高額にしないと活動を維持できませんから、活動は大変だと思います。正義が勝つという訳ではないのです。
今でもあるかどうか分かりませんが、4,5年前には、公判記録をウェブで読むことができ、感銘を受けました。
>骨折がまだ完治していないのでステッキをつきながら歩いているのですが、マンションの入り口に差し掛かったところで初老の品の良いおじさんが私がエレベータに辿り着くまで「開」ボタンを押したまま待っていて下さいました。
>「何階ですか?」「上天気が続きますね」「はい、三階です。お先にどうぞ」
>私が杖をついて歩いていることを差し引いてもかなり親切な方だと思いました。
>こういう「思いやり」を日本人全員が持っていれば煙害で人を苦しめるなどと云う事例も激減するんだろうなと思った夜でした。
煙草の問題に限らず、こうした心掛けで、世の中が住みやすくなるんだろうなと思います。自分も心掛けたいですが、正しいことをするのは易しいものではありません。勇気が要るのですね。
N 2006年11月17日 (金) 00時53分 No.110
積み重ね
こんばんは。
例の化学物質過敏症の友人から電話がかかってきて、明日(今日)また労基署に出向くとのことでした。
受動喫煙で労災申告が通る可能性は低いそうですが、なんとか今回の件は通して欲しいとお願いというか応援というか、そのように返答致しました。
「受動喫煙被害者が法的に救済された」と云う前例を一つずつでも増やしてゆく「積み重ね」が大切だと感じたからです。
暴煙による労災申告が通った事例を増やしてゆけば徐々に日本社会が煙草問題に真剣に取り組むように変化してゆくと思います。
ただ、私自身は発煙者で煙が苦にならないので、この人の苦痛を100%理解したり肌で感じることはできません。相談にのることくらいしか出来ないのですが、「誰も話すら聞いてくれないからそれだけでありがたい」と言われました。
「誰も話すら聞いてくれない」と云うのもかなり問題だと思います。
管理人 2006年11月18日 (土) 23時36分 No.113
お友達の方が少しでも心神の疾患から回復されるようお祈り致します。
聞いてくれるだけまし、というのは全くその通りですが、これこそ社会問題なのだと思います。こんな世の中に誰がしてしまったのか、どうしたらいいのでしょうか。
N 2006年11月19日 (日) 11時19分 No.114
半分涙声でしたね
こんにちは。
化学物質過敏症の友人ですが、無料の弁護士相談はほとんど役立たずだったそうです。
割いてくれる時間がたったの20分。
20分で何を話せというのでしょうか。「命にかかわる」と言ったところでようやく弁護士が事の重大さに気付いたそうですが、「この問題は○○県初でしょうね。面白いですね」
「面白い」と云うのは「興味深い」と云う意味なのでしょうか。
「法の正義」を説明してくれたのは女性のM先生と云う少し遠くの女性弁護士の方だけだそうで、「この問題(受動喫煙の労災の方)はね、勝てるわよ。でも貴方の頑張り次第。つらいわよ。覚悟はできてる?」と言われたそうです。
是非、というかできれば必ず勝って欲しいと思います。
この人自身のためになるだけでなく、「受動喫煙被害者が法的に救済された」前例を増やすことが日本の国益にもつながるからです。
跼天蹐地 2006年11月11日 (土) 16時44分 No.100
こども将棋大会
某タバコ製造会社がこども将棋大会のスポンサーになっている。
文部科学省、文化庁、教育委員会などの機関・団体が
後援しているが、
「正気なのか?」と思わざるを得ない。
こんなことでは絶対教育を改善することはできない。
「コンプライアンス」やら「みんなで止めよう温暖化」
よくもまあぬけぬけと掲載できたものである
ttp://www.jti.co.jp/JTI/outline/brand2.html
管理人 2006年11月12日 (日) 00時30分 No.103
跼天蹐地さん、こんばんは。
学歴の過小申告の問題、考えることはいろいろあると思います。私も、学校へ行かず、そのような職に就いていたらどんなに楽だったか、と思ったことが、一度や二度ではありません。
大学や大学院を出ると、就職が必ずしも楽になる訳ではなく、制約が増えて難しくなる場合もありますね。跼天蹐地さんが引合に出された問題は、全く対照的で皮肉でもあります。
>学生を商品にたとえるのは変だが、欠陥商品を販売しているようなもので、企業も大卒なり高卒なりを条件として社員を募集しているわけであるから、必修科目未履修でありながら卒業した人物を雇用した企業は学校に対して訴訟を起こしてもおかしくないかもしれない。
全く同感です。しかし、大学や企業にしてみれば、インチキを見抜けなかったというのは恥でもあり、訴訟を起こすことはできないのでしょうね。端から見ていても恥ずかしいと思います。
>私の職場に大卒研修生たちがやってくる時期があるが、結構発煙率が高い。
>「現代人なのか?」とでも言ってやりたいくらいである。
私もそういう人々を見ると、"文明人か?"と思います。これだけの情報があっても活用できない人なのか、と評価したくなります。
N 2006年11月06日 (月) 22時40分 No.97
排煙は続けるつもりです
管理人様こんばんは。
発煙は、自分にとって半ば「趣味」のようなものなので禁煙する予定は今のところありません。
パイプ煙草は肺喫煙(煙を肺まで吸い込む喫煙方法です)を採らないために紙巻きと比較すると呼吸器へのダメージが少なく、依存性もやや低いようです。
パイプ煙草を火皿一回分吸うことを「1ボウル」と数えるのですが、1ボウルは約5グラムです。
シガレットは1本あたりのたばこ葉の量が1グラム程度なのですが、紙巻きを1本吸うのに100秒程度しかかからないのに対してパイプの場合5グラムの煙草を30分程度かけて吸いきるものでして、燃焼速度とニコチンの吸収はかなり緩慢で、燃えているボウル内の煙草は指で触っても平気なくらいの低温度です。
2005年より国内で販売されるシガレットの箱に肺がんや脳卒中の疫学統計の警告文言が入るようになりましたが、依存性に関しては「人により程度は異なりますが、」と云う出だしになっております。
これはおそらく発煙方法によって依存性を排煙者自身がある程度コントロールすることが可能だからだと思われます。
「煙草がなくなる日」などのコラムを拝読しておりましたが、管理人様の主張されるように受動/能動喫煙の有害性が科学的に証明されつつあり、「正しい情報」が未成年者やこれから生まれてくる子供達にとって得られやすい環境が整備されつつありますので喫煙率自体は時代とともに徐々に減少してゆくと思います。
惰性で排煙している単なる「中毒者」が淘汰された時に煙草が本当の意味で「嗜好品」となるのではと思っています。
余談ですが「必修科目未履修問題」を拝読して、大学1年目の時に「マルクス史観」と云う言葉を知らなくて恥をかいたことを思い出しました(笑)
管理人 2006年11月12日 (日) 00時09分 No.101
お気を付けて
Nさんこんばんは。
節度を守った習慣を是非とも続けてください。
惰性で発煙する中毒者が居なくなったときに、初めて喫煙と云う用語を使うべきなのだと思います。人に見られる場所で発煙しているようではだめでしょう。
煙草会社の云うような、自分でコントロールできる、というのは、全くの偽善、インチキで、彼らは、自分でコントロールできないユーザに支えられています。こういうものがなくならない限り、本当の愛煙家は報われないでしょうね。
Nさんは、文系だったと思いますが、経済が専門ではなかったですね。必修というのも究めていい加減な定義なので、小学校で履修したはずの内容も理解していない大学生も結構居るわけです。うんざりすることも稀ではありません。そういう自分も、履修した科目でも全く理解していなかったものもある訳で、完璧は無理だとしても、今でも自分の不足に気付いたら、そのことは勉強するように心掛けています。しかし、インチキが日常になってしまうと、後から恥ずかしくなる気持ちもなくなってしまうのだと思います。
N 2006年11月12日 (日) 17時47分 No.104
ありがとうございます
管理人様
節制しながらの発煙を心がけるように致します。
ありがとうございます。
「用語の見直し」で指摘されていた日本語の「喫煙」と云う用語ですが、確かに町中で見かける暴煙者の姿を見て煙草を喫=賞味しているようには到底見えません。
発煙習慣のある自分が見ても煙草利害関係者が量産した依存者の姿は醜いものに思えますので特に注意したいと思います。
話変わって私は文学部で英文学を専攻していたので経済や法律に関してはかなり無知です。
高校3年の時に少しだけかじった民俗学が意外に面白かったので日本史周辺の科目を選択してみたのですが、本格的なところを覗いてみると自分が期待していた世界と違っていたので一旦留年して(笑)、元から好きだった語学方面に路線変更して最終的に言語学などやっておりました。
FAQ 2006年10月19日 (木) 00時09分 No.92
正しい判断能力
「前書き」「飲酒運転の問題」を拝見しました。
私も同じ意見というか結論に達しています。
マナーの悪い現象は、タバコだけではなく、世の中の
あらゆるところに見られます。
粉飾決算、飲酒運転問題、消費者金融のグレー金利問題、
耐震偽造問題、オレ俺詐欺、悪徳リフォーム、公共工事の
談合、箱物行政、掲示板荒しなどなど。
自分だけはバレないだろう、ちょっとだけならいいだろう、
違法でなければ危ういことをしてもよかろう、
だましてでもお金をもうけよう、違法であってもお金をもうけようなど。
みなその根底にあるものは同じです。
「正しい判断ができず、「考えが甘い」のです。」
正しい判断があれば、このようなことにはならないはずです。
モラルのない日本人、ルールを守れない日本人、法律を
守れない日本人が増えてきたのは、正しい判断ができないからです。
こうなるともはや大人とは呼べません。
社会を構成している大人が正しい判断をできていません。
(すべての大人とはいいませんが)
社会という仕組みを変えるというより、社会を構成して
いる大人を変えなければなりません。
すでに誤った観念で凝り固まっている判断を変える
ことは容易ではないかもしれません。そのため、時間は
かかっても若者に正しい判断を教育し、時代の流れと
ともに変えていくしかないのかもしれません。
ただし、すでに教える大人側も正しい判断能力をもっておらず、
ジレンマに陥っています。間違った考えを次の世代にも
教えてしまいます。これではいつまで経っても悪循環から
抜け出すことはできません。
果たして自浄能力が日本人に残されているのでしょうか。
正しい判断能力を持ち合わせた大人はどの程度いるでしょうか?
これが目下の課題であり疑問でもあります。
FAQ 2006年11月09日 (木) 23時39分 No.98
タイミングが良すぎるというか、皮肉なもので、
本来「正しい判断能力」を教育しなければならない場で
履修問題が発覚するとは、ますます危機感を覚えます。
高等教育どころか、これでは低等教育と言わざるを得ません。
世界史を教える以前の問題です。
誤った抜け道を教えてどうしようというのでしょう。
良かれと思ったことかもしれませんが、逆に人のためになりません。
叩けばまだいろいろ埃が出てくるでしょう。
教育現場だけではなく社会全体で。
これは教育現場だけの問題ではなく、家庭での教育にも大いに問題があります。
正しい判断能力がなければ、犯罪を犯罪と知らずに手を染めてしまう恐れがあります。
それを教育といえるでしょうか?
大学には入学できるが正しい判断ができず、犯罪を犯しかねない子供と
大学には入学できなくても正しい判断のできる子供のどちらを親は望みますかね。
管理人 2006年11月12日 (日) 00時16分 No.102
飲酒運転の問題と必修科目未履修の問題とは共通点がありますね。どちらも、ばれなきゃいい、ということで。私も危機を感じています。
>誤った抜け道を教えてどうしようというのでしょう。
>良かれと思ったことかもしれませんが、逆に人のためになりません。
本当に良かれと思ったのでしょうか。高校の実績を大学合格という物指でしか評価できない教員ばかりだったのではないでしょうか。自分の実績を上げるために、教員がズルをした。また、そのために生徒が犠牲になったのではないでしょうか。また、同じことを考える保護者ばかりだったのではないかと思います。
>大学には入学できるが正しい判断ができず、犯罪を犯しかねない子供と大学には入学できなくても正しい判断のできる子供のどちらを親は望みますかね。
大学に入れることでしか、子供の幸せを評価できない親が多数派なのではないでしょうか。お受験の馬鹿騒ぎを見ていると、親が馬鹿だと感じざるを得ません。危機感が一層強くなります
管理人 2006年10月02日 (月) 00時13分 No.88
Nさん、こんばんは。
”荒らしについて”は、”歩き煙草に一言云いたい”、の掲示板を観察していて気付いたことです。荒らしの行動は単純なので分類は容易でした。Nさんもとっくにお気付きのように、問題は、他人に対して思い遣りも無く危害を加え続ける発煙者そのものよりも、そのような人間を作っている社会なのです。そのような社会だからこそ、住みにくいのです。そもそも、権利だとか人権だとか騒いでいるのは大抵悪いやつらの側です。
なお、Nさんの掲示板では、投稿者のパスワードが漏洩していたものと見られ、かなりの投稿が削除されていました。その他の問題も大変だったと思いますが、私自身(ピエール松雄さんや”社会の早期分煙化”の管理人様も)Infoseekの掲示板システムには悩まされました。私は結局こちらに引っ越してきた訳ですが、結果として今のところ、何も被害には遭っていません。せっかく掲示板は優れた掲示板だと思います。用心するに越したことはありませんが。
Nさんの場合、掲示板に書き込む前に諸注意を読んでもらえないのは、本ページが更新されていないためだと思います。文学に造詣の深いNさんのことですから、是非とも文学的に読み応えのあるページを開発して頂きたいと思います。
Nさんはご自身の排煙が他人に迷惑を与えていないかお悩みのようですが、おそらくNさんからの被害者は居ないものと思います。私自身Nさんのような発煙者には会ったことがありません。おそらく、そういう人は会っても発煙習慣があることさえ気付かないのだと思います。
N 2006年10月02日 (月) 21時06分 No.90
ありがとうございます
管理人様
RESSありがとうございます。
>Nさんの場合、掲示板に書き込む前に諸注意を読んでもらえないのは、本ページが更新されていないためだと思います。
この点は改めてみます。本ページは存在しても掲示板はありませんが・・・。
>おそらくNさんからの被害者は居ないものと思います。
とのことですが、掲示板閉鎖の直前に投稿された煙草撲滅論者の元発煙者の投稿で、「排煙に伴う有害物質の拡散を完全に防ぐためには周囲数十メートルの私有地に囲まれた一戸建てで排煙しなくてはならない」と云う内容のものがありました。
現に、禁煙したと言うKが隣の部屋の換気扇から流れてくる煙が不快になったと発言しております。
私の住宅事情は3DKのマンションです。
窓も開けず、換気扇も回さずに市販の空気清浄機2台を設置した部屋で排煙しておりますが、市販の空気清浄機が発煙時に発生する気体成分に対して無効なのは周知のことです。
従って自分の排煙に伴い発生する化学物質等は濾過されることなく残留しており、外出時にドアを開けた場合などに外部に漏れますので残念ながら100%完全に他人に危害を加えていないと言いきることは出来ません。
言い方を変えれば、「煙草」はどれほど細心の注意をはらっても「必ず」他人に迷惑をかける嗜好品であるということです。
この点に関しては「極力努力致します」としか言いようがなく、「絶対に迷惑はかけません」とお約束することは不可能です。
>おそらく、そういう人は会っても発煙習慣があることさえ気付かないのだと思います。
この点に関しては、知り合って間もない方によく排煙習慣はないものだと誤解されます。
過去の記事ですが、No.63に於いて
>煙草利害関係者に歓迎されるのは、
(1)ヘビーユーザ
ヘビーユーザでなければ歓迎されないと云うのは随分迷惑な話です。
一年半ほど前ですが、私は急に「納豆」が好きになり、毎日一回納豆を食べておりました。しかし二ヶ月ほどでこの「マイブーム」は去り、以後ほとんど納豆を購入しなくなりました。
だからといって納豆業者から「お前は納豆を食べなくなった(煙草を吸わなくなった)」と文句を言われる筋合いなどありません。
新記事「飲酒運転の問題」を拝読致しましたが、煙草販売者が
"それぞれのユーザの行為には責任が持てない"
と言っているのですから、一日に何グラム吸うかは私の勝手です。
煙草販売者は暴煙を放置しているのですが、商品の消費方法に責任を持たないのであれば消費量の少ない者や禁煙した人間を非難する権利も同時に放棄していることになります。
管理人 2006年10月04日 (水) 09時25分 No.91
ツリーが長くなってしまいましたが、
>>Nさんの場合、掲示板に書き込む前に諸注意を読んでもらえないのは、本ページが更新されていないためだと思います。
>>この点は改めてみます。本ページは存在しても掲示板はありませんが・・・。
是非お願い致します。期待しております。
>>おそらくNさんからの被害者は居ないものと思います。
>とのことですが、掲示板閉鎖の直前に投稿された煙草撲滅論者の元発煙者の投稿で、「排煙に伴う有害物質の拡散を完全に防ぐためには周囲数十メートルの私有地に囲まれた一戸建てで排煙しなくてはならない」と云う内容のものがありました。
>現に、禁煙したと言うKが隣の部屋の換気扇から流れてくる煙が不快になったと発言しております。
>私の住宅事情は3DKのマンションです。
>窓も開けず、換気扇も回さずに市販の空気清浄機2台を設置した部屋で排煙しておりますが、市販の空気清浄機が発煙時に発生する気体成分に対して無効なのは周知のことです。
>従って自分の排煙に伴い発生する化学物質等は濾過されることなく残留しており、外出時にドアを開けた場合などに外部に漏れますので残念ながら100%完全に他人に危害を加えていないと言いきることは出来ません。
さて、被害の中にはいろいろとあると思います。ひとつは、煙草煙に含まれる有害化学物質、もうひとつは、不快な臭い、煙、でしょう。
有害化学物質については、現状の空気清浄機で全て取り除くのは不可能ですが、Nさんのように室内で締め切って空気清浄機を使用し、時間がたってから換気するのであれば、他住戸にその空気が入った時点で相当薄められていると想像できます。しかし、本人に対しては最悪です。副流煙の被害をもろに受けるからです。煙草はどのようにしても、害が無くならないという矛盾のうえに成り立つ商品なのですね。
>言い方を変えれば、「煙草」はどれほど細心の注意をはらっても「必ず」他人に迷惑をかける嗜好品であるということです。
>この点に関しては「極力努力致します」としか言いようがなく、「絶対に迷惑はかけません」とお約束することは不可能です。
上にも書きましたように、他人に迷惑を掛けないように注意しても本人のダメージが増えます。一層のことやめてみたら如何でしょうか。煙草のために人里離れたところに移住するというのも考え物だと思います。
>過去の記事ですが、No.63に於いて
>煙草利害関係者に歓迎されるのは、
>>(1)ヘビーユーザ
>ヘビーユーザでなければ歓迎されないと云うのは随分迷惑な話です。
> 一年半ほど前ですが、私は急に「納豆」が好きになり、毎日一回納豆を食べておりました。しかし二ヶ月ほどでこの「マイブーム」は去り、以後ほとんど納豆を購入しなくなりました。
>だからといって納豆業者から「お前は納豆を食べなくなった(煙草を吸わなくなった)」と文句を言われる筋合いなどありません。
納豆の場合は、好物にはなっても中毒にはなりませんよね。煙草の場合は中毒促進のためにアンモニアなどの化学物質を添加しているのですから、中毒にならないユーザは、儲けにはなりません。煙草会社からしてみれば、僅かなカネでしかないのです。
>新記事「飲酒運転の問題」を拝読致しましたが、煙草販売者が
>"それぞれのユーザの行為には責任が持てない"と言っているのですから、一日に何グラム吸うかは私の勝手です。
そのように云うだろうという私の推測の話でした。そのように読んで頂ければ有難いです。Kの場合とは全然違うのですが、私も興味で法律を勉強したことがあります。その中で最も印象深かったのは、責任の考え方です。どこで責任を切るか、何故責任があると云えるのか、といった点に特に興味を持ちました。ある意味個々の条文などどうでもいいのです。
二ノ宮浩嗣 2006年09月25日 (月) 22時38分 No.79
拝読致しました
管理人様
新記事、さっそく拝読させて頂きました。
私を応援してくださるような内容で、大変嬉しく思いました。
「正しい喫煙マナー」のトップページはロボット型検索エンジンに収集されないタグを挿入し、私の本名に辿り着くことが不可能な場所に移動させました(末尾をindex.htmlに入れ替えても何も出てきません)。
管理人様より何もなくなってしまっているとご指摘頂きましたので、リンク集やデータをアップロードしておきましたので皆様もご覧になって下さい。
旧掲示板を立ち上げてから学んだことをふまえ、
・「嫌煙者」と云う用語
・「愛煙家」と云う用語
を禁止して新たに排煙習慣はないが暴煙に無関心な者を以後「喫煙擁護派」と呼ぶように致しました。
管理人様へは既にメールを送らせて頂いたのですが、「全ての発煙者がNさんのように嗜んだら、売上は1/10以下になってしまうだろう。」と云う点に関して「商品としてのたばこ」の高級化と云う選択肢を提示してみました。
煙草会社・煙草利害関係者にとってもマイナスにならない選択肢として、1箱300円の紙巻きを1日1箱「歩きたばこ」によって消費する暴煙者と高価な銘柄を節制しながら消費する場合を比較しても金額的に大差はないと云う内容です。
管理人 2006年09月25日 (月) 23時46分 No.80
二ノ宮さん
かんばんは。早速ウェブサイトに行ってみました。私のページにもリンクを頂きまして有難う御座いました。
中身で少し、引っかかったところがありましたので補筆します。
−引用−
「嫌煙者」はたばこ業界が商品売り上げの妨害となるために「たばこを吸わない方/身体が受け付けない方=我が儘な者」と云う印象付けのために作った造語です。
−引用ここまで−
嫌煙、愛煙という用語は、洛北さんのページで次のように説明されています。
−下記から引用−
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pen/7545/tobacco_chishiki.htm
Q6 「嫌煙権」「嫌煙」という言葉は誰が考えたんですか?
A 昭和53年(1978)にできた非喫煙者保護を求める団体「嫌煙権確立をめざす人々の会」の参加者であるコピーライターの中田みどりさんが考案した言葉。
今は、マイナスイメージをもたらす言葉ということで使わないほうがよいとされる。
Q6-2 じゃあ、「愛煙」「愛煙家」っていうのは誰が考えたんですか?
A たばこ産業や喫煙者が考えたといわれている。実際は愛しているわけでなくたばこに束縛されているわけだが
−引用ここまで−
私の記憶でも上記の説明は正しかったと思います。現在では、二ノ宮さんの書かれた内容の通りになっていると思いますが、当初は異っていました。しかし、それでも嫌煙という用語が出たときは画期的だったことを覚えています。
二ノ宮浩嗣 2006年09月27日 (水) 22時56分 No.84
洛北様のHP
管理人様
洛北様のホームページに関してご助言ありがとうございます。
私は現在掲示板を運営できるような精神状態ではありませんが、再開する場合現在管理人様の使用されているここのサービスを利用しようと思います。スパム防止などの点でかなり有用な掲示板のように感じました。
また、犯人Kの刑事告訴に関して管理人様、忌煙家様に重ねて御礼申し上げます。
Kの刑事告訴に関してですが、現時点で刑事告訴はしないことに致しました。
まず、Kが発煙者であった時に(禁煙宣言は嘘かもしれませんが)私が彼にパイプたばこ等を送ったために私がKの本名と現住所を知っているのと同時にKも私の本名と現住所を知っております。
次に、Kが(失礼な言い方ですが)精神的にややおかしい部分のある人間であると云う点です。
このような者に対して刑事事件に発展させるようなことをして追いつめるとどのような報復手段をとるか分からないため、静観しておくことに致しました(閉鎖予定の掲示板に引き続き「うんこ」を投稿していることから私をかなり恨んでいることが予測できます)。
Kがネットワークに精通しているので、私の運営しているホームページを潰されるのももちろん嫌ですが、一番恐れているのがクレジットカードの番号と有効期限を盗まれることです。パスポート、保険証等も漏れると困ります(運転免許証は持っておりません)。
今予想しているKの採るであろう報復手段は
・私のクレジットカード情報を盗み私の名義で高額の買い物をする
・私の個人情報を利用して私の名で金融会社から多額の借金をする
・私の名でパスポートを紛失したことにして再発行させて悪用する
の三点です。
Kが今回の件を忘れて煙草関係のサイトに出没しなくなった頃を見計らって、ロボット型検索エンジンに収集されないタグを挿入してあるトップページから掲示板にリンクを張るように致します。有料なのですが余裕があれば会員制・投稿事前承認なども設けてみます。
しばらくこちらの掲示板に意見を投稿させて頂きます。
「メンソール銘柄の弊害」は既出内容でしょうか?
洛北様の「たばこ豆知識講座」でも触れられておりませんでしたので、既出内容でなければ投稿させて頂きます。
管理人 2006年09月27日 (水) 23時29分 No.85
こんばんは。
おっしゃる通り暫くウェブでの活動は控えたほうが良さそうですね。下は以前お読みになったかもしれませんが、再掲しておきます。ネットでの個人情報についてのコラムです。
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-02.html#personal-info
確かにKのことは暫く放置したほうが良いかもしれません。ちょっとアブナイですね。常人とは思えません。
つくづく思ったのですが、煙草擁護者は危険な存在だということです。それと、異様にしつこいです。異常性を感じます。紙巻煙草とは縁を切ってパイプの愛好会にしたほうが良さそうですね。
N 2006年09月28日 (木) 23時50分 No.86
個人情報の漏洩に関して
管理人様
記事、拝読しておりました。
自分としては本名を名乗らずに何かを主張をするのは卑怯だと考えて敢えて本名を載せていたのですが、今回の件でかなりの危険を感じましたので今後"N"で統一致します。
>紙巻煙草とは縁を切ってパイプの愛好会にしたほうが良さそうですね。
とのことですが、以下のようなメリットがあると思います。
・物理的に「歩きながらの排煙」、「ポイ捨て」が不可能です
・パイプの構造上副流煙がほとんど発生しません
・肺喫煙(煙を肺まで吸い込むことです)をしないため依存性がやや低く、呼吸器へのダメージも若干減ります(シガーに関しても同様です)
・一通りの道具を揃えるのに最低1万円はかかるので敷居が高くなり、未成年者が1箱300円程度で誰にも見付からず自販機で購入するのが不可能になります
現実に、パイプ愛好者の中にはシガレット廃止論者が数パーセント存在します。
紙巻きの依存性がかなり高いのは周知のことで、1本吸っただけでニコチンが肺や胃に吸収され脳内でも活動します。
パイプによる排煙をしている者は、例えば私がそうなのですが、最近のJT・BAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン)の商品展開にかなり疑問を持っております。
新発売される製品にくだらない商品が多く、選択肢は増えましたが本当に美味しいのは昔から存在する銘柄だけで新しく発売される物にほとんど魅力を感じません。
欧米では排煙者の50%がパイプ銘柄も嗜んでいるのに対して、日本では全排煙者の1%にも満たないと言われております。
売り上げの低迷でJTはパイプとドライシガー(常温で管理可能な葉巻です)の分野から撤退してしまいまして、いつの頃からかは分かりませんが、日本は排煙者のマナーの悪さも含め「喫煙後進国」と蔑まれているようです。