煙草の問題を考える伝言板
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管理人 2006年11月18日 (土) 22時38分 No.111
Nさん、こんばんは。
法律問題について、分かりやすい解説を有難う御座いました。議論の余地のないほど明確な論旨ですが、実際は理解できない人のほうが多数派というのが問題です。多くの人に対して教育が効果を上げていないのだと思います。
私も、法律問題について、いろいろと論じています。以下にいくつか挙げましたので、お読みください。Nさんの掲示板での議論も含まれています。
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-03.html#dispute
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-02.html#terms
http://www.geocities.com/smoke_stinks/gloss-02.html#constitution-day
N 2006年11月19日 (日) 11時52分 No.115
いじめの問題と併せて
管理人様
No.111で触れられているように私は法律に関してまったくの素人で、素人なりに必死に考えた文章だったのですが、「分かりやすい」とのことで安心しました。
「いじめの問題」と併せて興味深く拝読致しました。
>健康増進法の成立以降は、受忍限度論を展開する余地さえも無くなってしまっている。
とのことですが、罰則がない故の不完全な分煙措置が強煙、暴煙を助長させている印象が確かにあります。
(大抵大手の)飲食店・チェーン店のファミリーレストランで「喫煙席と禁煙席を分けているからうちは優良店だ」と勘違いさせてしまうことがあり、おそらく禁煙席を設けた時点で煙草問題への取り組みが完結したと思い込み次のステップ(完全分煙もしくは全面禁煙)に踏み切ることの妨げになっていると思います。
飲食店などの「発煙席をなくすと客が来なくなる」と云う誤解は環境問題でも同じようなことが言えるのですが、消費エネルギーの節約に伴い多くの失業者が生まれると勘違いされていて、エネルギー効率化によって産み出される雇用は発電所などで働く人間の数よりも実は多くの雇用を産み出すと地球温暖化対策地域協議会が指摘していたはずです。
憲法には罰則がないので遵守しなくても良いのか?と云う切り口は思いつきませんでした。参考にさせて頂きます。
私事ですが、自分も日本の小学校では小さなものですがいじめのようなものを受けていました。
名字が苗字だけに「ニノキン」と呼ばれており、これは親しい友達が「金ちゃん」と呼んでくれることはある意味親密さの裏付けでもあり構わないのですが、私は「給食を食べた直後にトイレ(大の方)に行きたくなる」小学生でした(笑)
「ニノキンが糞してるぜ!」
「見に行こうぜ!」
「おう、俺も行く!」
と毎日のように隙間から覗かれたりトイレの個室にぬれ雑巾を投げ込まれたり・・・。
小6の時にアイルランドに引っ越してからは学校で大をしようが小をしようがそんないじめもどきは皆無でしたから「日本の子供って陰湿なんだな」と思いました。
クラスの連中と遊んだり喧嘩したりしておりましたが、「黄色人種だから」と云う理由でいじめられたことは一度もありません。
本当の意味で「友達」として迎え入れてくれていたのだと思います。
良い思い出のある国です。
トイレの方は、汚い話で恐縮です(^_^;
管理人 2006年11月19日 (日) 19時12分 No.116
Nさん、こんばんは。
いじめの問題も早速お読み頂きまして有難うございました。
お友達が無料法律相談を利用されたとのこと、そしてその担当の弁護士の言動を聞いて益々、法曹界に疑問を持ちました。No.106では、裁判官についての問題点を書きましたが、同じことが弁護士にも云えると思います。苦痛があって来ている相談者に、”面白いですね”というのは不謹慎極まりなく、逆に、こんな当り前のことを知らない弁護士が居るとは面白いですね、と言ってやるべきなのでしょう。
そういう弁護士が”勝てますよ”と云ったって、とても信じる気にはなれません。恐らく、いじめの部分に焦点を当てて証拠があれば、”いじめ”被害に対して勝てるという知恵を働かせたのでしょう。
心の通っていないデータベース人間には弁護を任せたくありません。
Nさんもいじめは、大変でしたね。その後強くなれたのは良かったと思います。アイルランドで過ごされたというのは、どこか羨ましいです。わたしは子供時代外国には縁がなく、大人になってからようやく自力で米国に行きました。
その後は、外国人と接点が多くなっています。国際的に働いている人とは、国籍に関係なく大抵ウマが合います。日本人の場合でも、外国人と付き合いが多い人とは合いますが、いじめられるのは大抵外国人との付き合いがない人(何故か全て発煙者)からですね。発煙者は発煙者のコミュニティを作りたがる人が多いようですのでそのせいでしょうか。コミュニティに入らない人には冷たい、そんな感じがします。
こういうのも隠れた煙草の問題なのでしょうか。
N 2006年11月19日 (日) 23時20分 No.117
外国人に対する偏見
管理人様
こんばんは。
ちょっと煙草問題から逸脱してしまって恐縮なのですが、以前発煙者の、私より5つほど年上の知人がおりました。
その知人(知り合った直後は何度かうちに遊びに来たのですが敢えて「友人」とは呼びません)が外国人に対して多大なる偏見を持っている人物だとその後分かりました。
「不良外人」「日本に来るな」が口癖でした。
私は彼に実際に何らかの形で外国人との交流はあるのかと尋ねたところ全くない、皆無とのことでした。
さすがに考え物だろうと思い「リアルで外国人の友達が一人もいないのにそういうことを言って欲しくないな」と言うと「君が不良外人を見てないだけだよ」と云う回答でした。
恐らく不法就労者のことを言っていたのだと思いますが、日本に滞在している外国人は大使館職員の家族や技術支援で親会社から派遣された人物も含みますよね。
ちなみに私はインターネットを通じて知り合った外国人はかなりいて(趣味の切手収集つながりの人ばかりですが(笑))、実際にその国を旅行して会ってきた友人は三人、先方が来日した際に会った友人は二人おります(片方の友人とは今も引き続き会っています)。
だからこそなのですが、何の予備知識もなしに「外国人である」と云う点だけで偏見の色眼鏡で見る、否、その人の「人物」を見ていない人には憤りを感じます。
彼には同時に発煙のマナーというか意識の低さがありました。
彼が最初に私の家に遊びに来た時に近所のコンビニエンスストアまで昼食を買いにでかけたのですが、道中、歩行排煙を始めようとしたのですかさず「あ、悪いけど歩きたばこやめてくれる?」とお願いしたところ彼はその場では一旦シガレットをしまってくれました。
ところが帰宅して昼食を採っている最中に
「歩きたばこ嫌いなんだ?」
「うん。少なくとも俺の前では辞めて」
この「俺の前では」がいけなかったのですが、彼に「わーった」と一息おいてから、大声で
「でもそれ以外の場所では俺の勝手だよな!?」
と言われ非道く失望させられました。
また私のいじめ体験談になってしまうのですが、1980年代の日本がプロレスブームだったのかどうかは良く知らないのですが、クラスで二番目に身長が低かった私はY田と云う生徒に朝礼が終わって一時間目の始まるまでの間「プロレスごっこ」の実験台にされていました。
これが、教師には「仲良し同士がじゃれあっているように」見えるように技をかけられていたので、暴煙の被害者同様に「一見して被害を被っているようには見えない」ものでした。
技の名称は知りませんが、両足を掴んで逆さづりにして床に叩き付けると云うものをやられたところ私の頭から出血しまして、そのことを母が「連絡帳」に書いて教師に渡したところようやくプロレスごっこを禁じる措置が学校により採られました。
まあ私の場合は命にかかわるような深刻なものと比較すると些細なものでしたが、「いじめの問題」で触れられていた「自殺者が出なければ放置されてしまう」「自殺者が出なければ何もしないというのは社会正義に反している。」と少し通じるものがあると思います。
私が「強く」なったかどうかは一概には言えませんが、少なくとも「故意に他人をいじめる(暴煙被害を被らせる)ことだけは断じてしない」と、この姿勢は死ぬまで貫き通すつ決意です。
管理人 2006年11月20日 (月) 00時35分 No.118
外国人に対する偏見
Nさん、こんばんは。
外国人に対する偏見のある知人の話、私も良く分かります。私の親は、発煙者ではありませんでしたが、外国人に対する偏見が強くありました。特に日本以外のアジア諸国の人々に対して強い偏見を持っていました。そして、煙草には寛大で、煙草の悪口を言うと、”大人なのだから我慢できるようになれ”云々の説教をされました。そんな偏見に満ちた親に育てられたので、物事全て、自然体で捉えて自分で判断するよう心掛けてきました。お陰で、親を反面教師として成長することができたのかもしれませんが、今でも尊敬できない、心理的外傷を負っていると思います。
例えば、不良外国人と呼ばれる人たちのことを考えてみると、単に、出て行けとは、思えません。誰だって、祖国を捨てたくはないだろうし、幸せに暮らす権利があります。その中で、不法入国という選択肢しか取れなかった人も中には居ると思います。
貧しいから差別する、というのでは、世の中益々住みにくくなってしまいます。現在の、所得の二分化傾向を見ていると、先が恐ろしくなります。”不良外国人出て行け”と云っている人たちの先に待っているものは何なんでしょうか。それが分からないからこそ、そのようなことを云えるのだと思います。
多くの発煙者には、発煙者コミュニティを作ろうとする傾向が見えます。そしてコミュニティに入らない人を村八分のようにし、仕事のことでさえ、情報の共有を避けることが少くありません。こういった傾向が、いじめや偏見に繋がっていると思うのは私だけではないと思います。
Nさんのいじめ体験は、大変だったと想像します。私は小学校の低学年の頃は、喧嘩早かったので、いじめには無縁でしたが、転校を繰り返し、穏やかな小学校で過ごし、すっかり大人しくなってから、兵庫県の小学校に行ったら、馴染めずにいじめにあいました。結局は自力で切り抜けたのですが、切り抜けられなかったら大変だったと思います。
無意味な偏見、思い遣りの欠如、自分だけのコミュニティを作る性格、皆いじめに繋がっているのだと思います。
N 2006年11月24日 (金) 07時00分 No.119
強煙も立派な「いじめ」だと思います
管理人様
こんにちは。
ご両親がアジア諸国の外国人に対して強い偏見を持っていらしたとのことですが、実は私の外国人の友達の6割くらいがアジア人なのです。
実際にその国を旅行して会ってきた友達は北京・上海・ソウルの友人で、先方が来日した時に会ったのがマレーシアとインドネシアの友人です。
切手収集家が気のいい親切な人間ばかりというわけではありませんが、実際に会ってみるとみんないい人ばかりです。
私は「実際に会って会話したり一緒に食事をしたり切手の売り買い(「お金のやりとり」と云う、信頼関係がなければできないこと)」をしたわけですから、会ったこともないのに「不良外人」などというレッテルがどこから出てくるのか合点がゆきません。
「切手収集をしている」と云うことは「ある程度経済的に余裕がある」とほぼ同義なので不法就労という選択肢を採らざるを得なかった人たちとは一概に比べることはできませんが、「不法就労者」=「犯罪予備軍」と云う偏見はなくしてほしいと思います。
>煙草の悪口を言うと、”大人なのだから我慢できるようになれ”云々の説教
をされたとのことですが、「大人」「子供」は関係ないと思います。
「大人は(強煙を)我慢して然り」と言うと「受動喫煙を我慢しない者」=「子供」と云う誤った図式と傲慢を助長させます。
自分がクリスチャンなのでこのような例を出すのですが、信仰の妨げとなる"vanity"は"Sin"同様に全ての人間が持っている罪と教わりました。
異なる点は"Sin"が「遺伝的な罪」である点で、キリストによりアダムの原罪は贖われたと解釈されております。
"vanity"の日本語訳はおそらく「うぬぼれ」だと思いますが、キリスト教ではこれを「自己過信」と「(善行を)遂行する喜び」の二つに大別しています。
これを煙草問題の用語に置き換えると、
前者は
・暴煙者が自分はマナーを守っていると勘違いすること
後者が
・きちんとしたマナーを遵守すること
になると思います。
「我慢」は「辛抱」「頑張る」とほぼ同義で、何か(例えば受動喫煙)を「我慢」した場合、それに見合う「見返り」があって然るべきなのですが、受動喫煙を我慢したとしても被害者は何のメリットも得ることができない場合が99%だと思います。
「今日は残業を我慢したので今月の手取りは○○円増える」と云うような見返りはありますが強煙を我慢して何か見返りがありますか?
私はカソリック/プロテスタントではなく正教(お茶の水のニコライ堂のやつです。宗派としてはカソリックに限りなく近いのですがアイルランド在住時代には説教だけ聞いて聖パンは辞退していました)なのですが、正教の場合ミサの前の晩から食事を採ってはいけないことになっております。教会=神の家に行くのに胃の中に物が入っているのは失礼と云うような意味合いからなのですが、空腹を10時間近く我慢してミサの終わった後に食べる昼食は空腹故に大変美味しく感じられるものです。
これもある意味「見返り」かもしれないと子供時代は思ってました(笑)
ちょっと回り道をしてしまいましたが、
>無意味な偏見、思い遣りの欠如、自分だけのコミュニティを作る性格、皆いじめに繋がっているのだと思います。
強煙は立派な「いじめ」だと思います。相手が化学物質過敏症ならなおさらです。
本人は「受動喫煙」と「それに伴う鬱病」に分けて労災申告するとのことですが、「いじめ」に一本化することも可能かと思われます。
ただし現在、「受動喫煙は加害行為である」と云う認識が希薄と言わざるを得ないので、どのように闘うかは友人次第と思い特に口出しはしていません。
No.108に於いて「だからこそ、私(管理人様)も書き続けている」とありましたが、「何をしても無駄だろう」と云う考えは私も好きではありません。
「排煙」と云うものはどれほど細心の注意を払っても「必ず」他人に迷惑をかける行為だと私は思っています。
細心の注意を払って発煙すれば他人にかける迷惑の度合いが「減る」だけです。
発煙者である私は強煙の不快感がどれほどのものか100%理解したり肌で感じることはできません。
せいぜい「散歩中の犬の小便をひっかけられた」(汚い喩えで恐縮ですが受動喫煙の不快感は最低でもこれくらいはあると思います)、他人にこんな不快感を味わわせるわけにはゆかない、と推察することくらいしかできません。
発煙者の私は、非発煙者の友人と会う前に入浴したとしても、発煙者の身体からは若干煙草臭がするものですし、回避策として人から借りた本やCDなどは煙の流れて行かない寝室に置いて絶対に不快臭が付着しないようにしたりPPC用紙も別室に移してありますが、自分が発煙により他人に迷惑をかけている事実に変わりはありません。
他人に強煙を被らせないだけなら簡単です。人前で発煙しなければよいだけです。
しかし自分の発煙によって100%完璧に他人に迷惑をかけまいとすると巧くゆかないものです。
(JTの提唱する自称「マナー」ではなく)きちんとしたマナーを人に分かって、実践してもらおうとしてもなかなか聞き入れてもらえません。
ここで大切なのは「何をしても無駄だ」と投げやりにならないことだと思います。
自分で工夫したり、人の意見などに耳を傾けたりして努力し、続けることが重要だと思います。
「自分たちだけのコミュニティを作りたがる」のは、「いじめをする者は単独犯ではない」につながるものがあるかもしれません。
管理人 2006年11月26日 (日) 23時31分 No.120
Nさん、こんばんは。
いつもながら遅いレスで申し訳御座いません。
Nさんは外国のお友達がたくさんいらして羨ましく思います。うち6割位がアジア地区の方ということは、Nさんのと共通の趣味の方がアジア地区に多いのだと思います。
私は外国の友人は殆どが仕事関係ばかりなので、ちょっと縁遠くなっています。私の親は外国人との付き合いがありませんでした。だから私も子供の頃は外国人というと地球外生物のような存在でした。付き合いが始まったのは、米国に留学してからでした。私の場合も留学での付き合いは韓国とか中国の方との付き合いが殆どでした。米国在住の方とは学校以外では普通に接していましたが、さほど付き合いが深くなることはありませんでした。
留学を終えて仕事に戻り、それからは米国在住の人との付き合いが多くなりました。米国在住や米国で働いている方々は大抵オープンで、お付き合いしていてもストレスは感じませんでした。
しかし、日本人の同僚たちとはなかなか上手に付き合えませんでした。やはり、煙草のコミュニティーが阻んでいたというのが印象です。コミュニティに入らない人には情報も出さない、そういう人が目に付きました。Nさんの場合も、恐らく、煙草仲間のコミュニティーは殆ど無かったの思いますので、同じような経験をされたのではないかと思います。外国の方からは、喫煙者であっても、煙草仲間のコミュニティーを感じることはありませんでした。日本古来の村八分的発想は、残念ながら、発煙者から多く感じます。外国の方は、個人対個人の発想が多いようで、それが、集まって集団を形成することが一般的のように見受けました。日本の場合には、集団の論理が先にあり、個人対個人の関係はそれに付随することが多いようです。だからこそいじめが減らないのだと思います。
>「大人は(強煙を)我慢して然り」と言うと「受動喫煙を我慢しない者」=「子供」と云う誤った図式と傲慢を助長させます。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」という発想が、日本には古くからあったのだと思いますが、それが、誤った方向に適用されてしまっているのだと思います。本来ならば、他人に苦痛を与えないために自分が耐えるべきなのですが、今の社会は逆になっています。だからこそ、「強煙=いじめ」という状態になってしまったのではないでしょうか。
>自分がクリスチャンなのでこのような例を出すのですが、信仰の妨げとなる"vanity"は"Sin"同様に全ての人間が持っている罪と教わりました。
-中略-
>"vanity"の日本語訳はおそらく「うぬぼれ」だと思いますが、キリスト教ではこれを「自己過信」と「(善行を)遂行する喜び」の二つに大別しています。
>これを煙草問題の用語に置き換えると、
>前者は
>・暴煙者が自分はマナーを守っていると勘違いすること
>後者が
>・きちんとしたマナーを遵守すること
になると思います。
私はキリスト教徒ではなく、どの宗教も信仰してはおりませんが、代わりにどの宗教も尊重しております。ですから、宗教の教えも自分で判断していますが、大抵の場合、どれも納得できる信条です。キリスト教も当然学ばなければならないものだと思います。詳しいことは知らないのですが、Nさんのご指摘の内容は私にも良くりかいできるところです。
そもそも、自分の俗物根性のために、他人を犠牲にするというような宗教や道徳があってはならないものだと思います。他人を尊重し、自分を抑えるからこそ、宗教や道徳の価値があるのだとおもいます。
>「我慢」は「辛抱」「頑張る」とほぼ同義で、何か(例えば受動喫煙)を「我慢」した場合、それに見合う「見返り」があって然るべきなのですが、受動喫煙を我慢したとしても被害者は何のメリットも得ることができない場合が99%だと思います。
>「今日は残業を我慢したので今月の手取りは○○円増える」と云うような見返りはありますが強煙を我慢して何か見返りがありますか?
私は我慢の見返りは求まるべきではないと考えます。求めるべき見返りは、我慢の結果ではなく、自分が能動的に実施した仕事の見返りであるべきだと思います。そうしなければ、何も発展しない、我慢は何も生産しないのだと思います。だからこそ、他人に我慢させるべきではありません。我慢しろ、という発想は、発展を妨げる負の発想だと思います。逆説的ですが、Nさんのご意見と結果的に全く矛盾しないのです。
>強煙は立派な「いじめ」だと思います。相手が化学物質過敏症ならなおさらです。
>本人は「受動喫煙」と「それに伴う鬱病」に分けて労災申告するとのことですが、「いじめ」に一本化することも可能かと思われます。
>ただし現在、「受動喫煙は加害行為である」と云う認識が希薄と言わざるを得ないので、どのように闘うかは友人次第と思い特に口出しはしていません。
私は、ご友人に対して出来ることは精神的な支えになることだと思います。弁護士ではありませんから、いい加減に口を出しても良い方向に向かうとも思えませんし、弁護士で無いからこそ、ボランティアで支えになれるのだと思います。是非、支えになって差し上げてください。また、私も、ウェブ上ではありますが、応援しておりますことを、お伝え頂ければ幸いです。
Nさんは、最近、例の事件から立直られる途上なのかと思います。ご意見はとても有難く感謝しております。
またよろしくお願い申し上げます。
N 2006年11月27日 (月) 21時38分 No.121
クリスチャンと言っても・・・
管理人様
こんばんは。
切手収集つながりで私にアジアの友人が多いのは私が中国と朝鮮の切手を特に熱心に集めているからかもしれません。
(最近は旧ソ連がマイブームですが)
欧州のメール友達もそれなりにいるのですが、距離的になかなか会いに行くことは難しいです。
結構あちこちに色々な国の友人がいて、こういう言い方は失礼かもしれませんが特にドイツ人って面倒見が良くて親切だなぁと感じています(笑)
お二方とも私より10くらい年上というのもあるのでしょうが、私が「あの切手が欲しいのに日本じゃどこ行っても見付からない」などとわめいて(?)いたらオーストリアの切手商にまで連絡して切手の入手に奔走してくれた人もいます。
"HOME"のURLが昔フライラッシングのM.さんと云う人との交流をネタに地元の春のミニ切手展に出したものです。
あと欧米人というのは管理人様の指摘されている米国在住の方々と同様にオープンな印象がありまして、4〜5回メールのやりとりをすると「もうMr.なんか付けないでお互いファーストネームで呼び合おうよ(相手の方が年上なのに)」と言ってきたり、切手を送ったり送ってもらうと当然「お金のやりとり」が生じるのですが、すぐ「後払いで構わない」なんて関係になってくれます。
煙草のコミュニティですが、私は全く縁がないわけではなくて、Yahoo! UK&Irelandの"Pipe"コミュニティやmixiの「Pipe Tobacco Reviews」と云う、吸った銘柄の感想などを投稿しながら情報や意見交換する場に身を置いています。
私は一応クリスチャンでして、何故「一応」が付くのかというと「神が本当に存在するのかしないのか」と云う点にあまり関心がないというかそれを重要視していないからです。
神学的な知識も少しはありますが、それよりも「毎日ご飯を食べることができる」とか「ちゃんとした家に住んでいる」「戦禍で命を落とす心配もない」などの一見当たり前のことに感謝するところに信仰の本質があるのではないかと思っています。
そこには当然「故意に他人を傷つけない」も含まれます。
日曜学校やアイルランドの"Religion"の授業で教わったことは日本の学校の校則のように罰則のあるものではなく「(自分の幸せに)感謝」して「道徳を重んじる」ことがベースでしたので。
神の存在にこだわらないのであればキリスト教でなくとも構わないのですが、母方の家系が代々熱心なロシア(ギリシャ)正教の信者なので半ば成り行きで小学生の時に洗礼を受けました。
聖名はアブラハム(アブラム)の子「イサァク」です。英語の「アイザック」に該当します。
成り行きで入信した形になりますが今となってはこういった考えやキリスト教圏の小中学校に通った経験は良かったと思っています。
「受動喫煙」と云う名の暴力が蔓延・放置されている今の日本社会で「他人に苦痛を与えないために自分が耐え」ている者がどの程度存在しているのかは疑問です。
発煙者にとっての「耐える」は「発煙を我慢する」とほぼ一致すると思うのですが、「仕事が忙しくて朝から何も食べていない」を「耐えている」と表現するのは妥当に感じられるのに「ニコチン補充を我慢している」を「耐えている」と大袈裟に表現する必要もないだろうにと思います。
旧掲示板で「お前は禁断症状の苦しさが分からないからそんなことが言えるんだ」と言われた時は一瞬どう回答してよいやら言葉に詰まりました。元から発煙習慣のない方ならこんな言いがかりを浴びせられることはなく、私が発煙者だから言われたことなのですがやはり釈然としませんでした。多分割と苦しいんだと思いますが命に関わるものではないのは確かです。「禁煙の苦しさから荒らし行為にはしったくらいの気持ち察してあげろよ」と言われた時は怒りより精神年齢の低さに憐れみを感じてしまったり。
ちなみに1980年代のアイルランドでは歩行排煙をしていたりポイ捨てをしている人を見たことはありません。Inner cityでは煙草をくわえている少年を目にしましたが少なくとも自宅-学校-shopping street-レジデンス-サマーキャンプを結ぶ五角形の生活空間の中では皆無でした。
よく日本は「喫煙後進国」と馬鹿にされますが、マナーの悪さが原因の一つのように感じられます。
アイルランドには「ピーターソン」と云う伝統的喫煙具ブランドがありますからデンマークに次いで喫煙に関しては先進国になるような気がします。
化学物質過敏症の友人は「(私に出会って)過敏症に立ち向かう勇気がわいてきた」と言っておりました。「誰も話すら聞いてくれない」と云う世知辛い世の中で偶然「少しは耳を傾ける」人間であった私と出会っただけのきっかけなのでそれほどありがたがられる代物でもないのですが、先日早速貴サイトで拝読した「健康増進法には罰則がないが、憲法にも罰則がないので遵守しなくても良いのか」と云う切り口を引用して教えてみました。「すごくいいこと聞いた」って言ってました。
管理人 2006年11月27日 (月) 23時28分 No.122
雑談モードですが
切手収集と云えば、子供の頃に少しだけしたことがあります。同じように、古銭なども集めましたが、自分の場合は長続きしませんでした。本当は何でも継続すれば力なのですが、難しいものですね。
私も詳細は書きませんが趣味の分野があるので、外国のフォーラムにでも参加してみたいと思っています。そこで、仲間が出来れば楽しいものだと思います。Nさんが趣味の世界で国際的なお付き合いをされているのをお聞きして勇気付けられました。
Nさんは、ギリシャ正教ということですが、きっかけはどうあれ、宗教の教えを勉強されていることはとても良いことだと思います。私も宗教の勉強をしたいと思い、20年くらい前に、最も宗教っぽくない神道の勉強をしてみましたが、身に付くには至りませんでした。飽きっぽい性格なのです。我ながら情けないですが。ひとつの宗教をしっかりと勉強できれば、他人に苦痛を与えても意に介さないという人格は育ちにくいのではないかと思います。日本人は、もっと宗教を勉強しなければならないのではないか、教育が間違っているのではないかと思います。
化学薬物過敏症のお友達の方に、私の論法を教えて頂いたということで有難う御座いました。私も自分なりに、論理を考えています。しかし、論理を積み重ねても中々煙草の問題の解決には繋がりません。最初の一発で勝敗がついていても、負けを認めない人が大勢居るからです。明白に負けていても、相手を非難して、「勝った、勝った」と騒ぎ立てる、このような議論には付いていけません。正直言ってうんざりします。
また、Nさんの事例をお聞きして、法曹界にも疑問を持っています。法曹界だけでなく、資格で守られた社会には大抵不信感を持つようになりました。資格で守られると勉強しなくなるからです。本質を見ずに形式論に走る、過去の実績にのみ依存する、そんな法律専門家など糞食らえ、と思います。