投稿日:2018年01月14日 (日) 08時05分
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国産スプリングのレポート、マミヤを外すことはできない。 何ですが、残念なことに、私のコレクション。マミヤが無い。 資料による概要をレポートします。 1940年マミヤ光機製作所。写真家の間宮精一氏が、自ら理想のカメラを作るべく、実業家の菅原氏に資金援助を頼み創業した。 間宮氏は、自らの経験から、バックフォーカシング方式を考える。 普通写真機は、レンズ側を動かし、焦点を出す。スプリングの場合、前蓋の開閉が有り、レンズ面の固定が問題。更に、距離計連動となると、連動ピンの作動も問題。スプリングカメラを開発した、ツアイス。ドレイカイル方式で、連動ピンを持たない、光学連動を考えた。間宮氏は、発想を転換。レンズ面は固定のみ。フイルム面を前後さすことで、ピントを出す。世界初の技術である。 此れだと初めから、距離計連動も可能。然も、ピント調節は裏側のギアだけでできる。間宮氏は、最初から当時最高である、スーパー6を目指す。 40年マミヤシックスT。F3,5KOLレンズ(上代光学研究所)KOLラビットシャッター(200s)距離計連動、1眼ファインダー、フイルム自動巻き止め。最初からほぼ完成していた。 尚、その特徴から、レンズ、シャッターは何でも装備可能。持ち込み制作することができた。最初から、国産優秀品として、軍御用達にも成っていた。41年TA。Tの襷はイコンタと同じ3本であった。然しマミヤはその構造から、レンズボードを固定するだけ。バルダ型の2本襷に変更。ウエルター0版シャッターを装備。 42年V前期型。TはAに始まり、細かく変化。何故かVになる。二重露出防止、シンクロ装置付。ここまでが戦前。
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