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岡部吹奏楽団掲示板

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No.357 リボンが風に踊る季節
NAME:アテモヤ

東京駅のホームで、まあーーーピンクとグリーンで可愛らしくまとめた服装の女性がいらして。
思い切って「お写真に撮らせてもらってもいいですか?」と話しかけると、快く引き受けてくださった。

「素敵な服装だったから。」と、その理由を伝えると「でも80近いのよ。」と話す雰囲気も本当にお上品で「こんな女性がいるんだ!」と、うっとりしてしまった。
「私もピンクが好きで…。あなたのようになりたいです。」と続けると「あなたも素敵よ。若くていいわね。これから幸せがたくさんあるわよ。」と返されて、何だかすごく、とてつもなくジーンとしてしまい、思わずなみだ目になってしまった。

電車に乗ってからもいろいろ話したけれど、たまたま持っていた果物(アテモヤ)を差し上げたら「前にも電車で同じようなことかあったの!」と、その時の写真も見せてくれながら「人の縁って不思議よねえ。」と。

何でも、
その同じような話というのが、
喜寿のお祝いで娘さんから銀座の店で帽子を買ってもらったばかりの帰りに、やっぱり電車で一緒になった人が、帽子の入った大きな箱を見かねて「お持ちしましょうか?」と、声をかけてきてくれたという時のもの。
その人というのがお花の先生で、大きな箱を持っている訳を話したら「それじゃあ。」と、その場で新聞紙にくるんで、持っていたお花をくれたんだそう。

「だからこういう出会いは2回目なのよ。すごい不思議よねえ。」って嬉しそうに、その時に撮ったという、お花と帽子の写真を見せてくれた。

いい人の周りにはいい人が集まるんだろうなという、まさに品性のある女性で、運や巡り合わせも、自分の行動が作るものだ、と実感した。

春は出会いの季節と言うけれど、何だか本当にドラマみたいで、いい出会いがあって良かった。

そういうわけで、弟に持って行こうとしていたアテモヤが1個減っちゃったけれど。

電車から降りる時に手を差し出されたので「幸せになります!」と言いながら、その手を握り返したら「あなたならきっとなれるわよ。」とニッコリ笑ってくれた。
田端までの短い時間の出来事ではあったけれど、美しく、優しく生きるぞという気持ちになった。
いっぱい幸せになっちゃうぞ。

2023年04月09日 (日) 22時22分

No.356
NAME:クリスマスローズ

帰宅すると既に機嫌が悪く、『夕ご飯は団員と済ませてきた』ことを告げるとみるみる顔色が変わり、怒りが頂点に達したことがうかがえた。
前日のゲネプロに当たる日は朝から晩まで、当日も朝から夕方まで、が毎年2月最終の土日の過ごし方だった。

♪ 2年の時が変えたものは彼のまなざしと私のこの髪〜
ではないが、
当然、『土曜日の夕ご飯は要らない』のがコロナ前の常識だったから言わずにいたが、3年という月日は、その常識を非常識に変えてしまっていた。
『今日は夕ご飯要らないから』の1言を言えなかった自分が1番悪い。用意してくれた夕ご飯をありがたくいただいた。謝って簡単に許してくれる女性ではないし、言い返して自分に得なことは何もない。
でも、日常が戻ってきたことは嬉しかった。

当日、
開場の寸前、まだ1人のお客さんも入っていない観客席を見渡すと『帰って来たな』という気持ちでいっぱいになった。
3年前までは見慣れたはずだった光景に、胸が熱くなる。3年前に止まった時計の針が、ガチャンと大きな音を立てて動いた瞬間だった。
何事もなかったかのような、本物の日常が戻って来るまで、もう少し。

2023年03月05日 (日) 04時00分

No.355 記憶の隙間
NAME:プリンニシテヤルノ

小学校の木造校舎、傷んだ床には、あちこち割れ目が口を開いていて、買ってもらったばかりの定規を落としたら、穴に吸い込まれてしまったと、ひどく残念がっていた同級生がいたことを急に思い出した。

長いこと大切にしていた手袋なのに、片方だけ無くした途端、まだ使えたもう片方も、じきに目の前から無くなってしまった。処分したのか、どこかにしまったままなのか。


先日、
懐かしい人に、人混みの中で会った。
隣のクラスだったOさん。

早速、夏山の話を切り出してみた。
『うちの25HRは2段ベッドだったよ。
 その話は知らないなぁ。
 それって、アレじゃないの?』
予想どおりの答え。

先を急いでいる様子だったが、知らなくて当然のところ、申し訳なく思ったのか、乗り込んだ電車から自分が見えなくなるほどまで送ってくれた。

同じクラスだったら覚えている人もいるだろうか。当時は、ずいぶん大きく思えた記憶の隙間が小さくなり、塞がりかけている。でも、手袋は、突っ込んだポケットの中から消えてしまい、定規を落とした同級生のことはすっかり忘れてしまったようでも、一瞬でもかすめた記憶を、脳は、その出来事をしわの間へと大切に挟み込ませ、何かの拍子にまた端っこを覗かせるように出しては、思い出として蘇らせてくる。時におぼろげに、時にクッキリ。
あの話のできる、あの話を覚えているクラスメイトだって、きっといるはず。


『映画』をテーマに開催した22回目のポップスコンサートを終え、その翌週に予定された打ち上げを中止した時から、風景から色が消え時計の針は止まったまま。
そのあと、毎年2月に準備をしては開催を見送った、まぼろしの第23回ポップスコンサートも3度目の正直、今度こそ開催の直前まで漕ぎ着けた。
ご来場くださる皆様の記憶の引き出しから、出し入れができるような岡部吹奏楽団らしさ、ワンフレーズだけでも記憶に残る演奏をお聴かせできる日まで、もうひと踏ん張り。
時計だって壊れたわけではないこと。
風景に元の色が戻り、時計の針が動き出すまで、もう少し。

2023年02月19日 (日) 02時00分

No.352 声なんかよりもっと
NAME:ハチ

ちぎれんばかりにシッポを振って甘えてみたり、泣きそうな眼で訴えかけてきたり。

犬って、
言葉が通じないから余計にそう感じるのかもしれないが、何か言いたげな必死な表情や仕草から想いを読み取ろうとすると、真っ直ぐな瞳の奥に言葉以上の何かがあって、吸い込まれそうにさえなる。

さて、
日本で有名な犬と言えば、忠犬ハチ公。
テレビの番組などで特集されることも多いが、物語は、お好きだろうか?

大好きなご主人の帰りを信じ、今日も渋谷駅へと迎えに行く。
犬だから、ご主人が、2度と帰らぬ人となったことが分からないであろう所が涙を誘う。

だがここで、
賢い犬だから、人間と同じように、ご主人が亡くなったことが分かっていたとは考えられないか。
柔しく撫でてくれた大好きなご主人様のことを1日も忘れられない。
もしかしたら『ハチぃ、ただいまぁ!』と改札から出てくるかもしれない。
分かっていても、そう信じずにはいられなかったのかもしれない。来る日も来る日ものことなんだから。

『死んでしまったことくらい知っているよ。でも、足が向いてしまうんだよ。苦しくて苦しくて、来ずにはいられないんだもの。』
そんなであれば、なお涙を誘う。


人間は、気持ちを伝達する手段として言葉が話せる。
目だけで通じる想いがあるかと思えば、言葉があるから、かえって伝わりにくい経験もある。
せっかくの感情や想いが、そのまま口から出せるというのに。
そんな、想いを全身で表せる犬のことを羨ましく思うことも。

風は見えなくても風車は回っている。 音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける。
来年も、気持ちではハチに負けないくらい、魂と心を表現したい。そんな想いで、それが願い。

2022年12月31日 (土) 00時00分

No.349 ボジョレー解禁!
NAME:下戸

ボジョレーヌーボーが解禁。
空輸に係る輸送コストを抑えるため、ビンでなくペットボトルに詰められているのには、時代の反映を感じる。

『ここ10年で1番の出来』
毎年言っているような気がするが、実際に毎年言っているのだそう。
その年のワインをほめてあげることで、収穫や生産できたことへの感謝、1年の無事を祝う意味が(も)あるのだそう。

何気ないけれど、飲む側にも飲まれる側にも、幸せを感じさせるような素敵な言葉。
聞かせてあげたいワインにも。耳と届く心があったなら。

2022年11月17日 (木) 22時00分

No.348 卒業
NAME:いっぺこっぺ

自分の高校時代、
コンクール直前に盲腸を患い、出られなくなった後輩がいて。彼には気の毒だったが、開いた穴を心もとなく感じる裏側で、その分、組織としての気持ちは強く結束し、本番では、いつもの練習における、まさにイイトコ取りの、パーフェクトな演奏につながった。

出られなくても、その場にいなくても、想いはそこにあるんだと思う。人は一緒にいるんだと思う。毛を剃られた彼の枕元には恐らく我々が、そして我々の傍らには彼が、確かにいた。

そんなコンクール本番、
自身を振り返ると
悔しい結果に、皆で泣いて帰ったバスの年もあったが、
部長だった2年の表彰式は覚えていないのに、引退しての出場だった3年の夏は、後輩の部長から『表彰式に出てほしい』と頼まれて登壇したのを、よく覚えている。
見回したら、全員が『うんうん』とうなずいていて。嬉しかった。発表の前に既に大泣きしていた。

今思えば、得た物がありすぎたということなんだと思う。
『これ以上の仲間に恵まれることは、もう無いだろう。』そんな、1つのことを部員全員で追い求め、やり遂げた充実感に『もう吹奏楽、やめよう』と思ったのは、この時だったかな。

でも、その時に培った
何かを信じたいと思ったら信じること。
幸せが現実になるのは、それを誰かと分かち合った時。
その想いは、今も胸の辺りで呼吸している。

2022年10月10日 (月) 06時55分

No.347 嗚呼!
NAME:カドリーユ

今夏のコンクール、
コロナが猛威を奮う中、直前の追い込みや、本番当日に、コロナの直撃を受け、悔しい思いをされた学生さんも多かったやに聞く。

「良くも悪くも実力のうち」とばかりに、普段どおりの成果に賞が付くのならまだしも、予想もしない他からの力で普段の演奏ができず、本意でない結果に賞が付けられ…。

しかし、この夏、課題曲や自由曲に真っ直ぐ取り組んだ時間を振り返ってみると、意義ある、キラキラした瞬間がたくさんあったはず。

だから今回、そこに辿り着くまでの経過を知っていれば、人の決めた結果になど一喜一憂することなく、自らその努力を堂々たたえてあげてもいいのではないか。そんな穏やかな気持ちにはなれないだろうか。
こんな達観した中高生がいたら怖いかも。長く生きた人としての意見かもしれない。
負け惜しみ、言い訳、自己満足と言われるかもしれないが、長い人生では、そのようなことの方が、むしろ多い。その数が多いだけ、人間としての幅は広がる。

考えとは、後ろ向きに考えれば考えるほど、どんどん下がるばかりで、いつまでもズルズルと引きずるもの。そうなると、悪い連鎖はかえって続くもの。
早目に気持ちを切り替え、前向きに考えられることができれば、今は大きな心の迷いでも、小さな幸せに置き換えられるというのに。
気の持ちよう、考えの持ち方次第。

結果が伴わずとも、大切なことに気付いただけでも、ひと回り人間として成長したこの夏を、胸を張って自慢してもいい気がする。

2022年09月04日 (日) 03時30分

No.346 と思った。
NAME:リヴ・タイラー

公開から24年、月日の経つのは早いもの。
店でDVDを手には取っても、また元の棚に戻すことを何年も繰り返した挙げ句、とうとう買ってはみたものの、結局観なかったのは、あの時感じた想いが薄らいでしまいそうな気がしたからで。
改めて感じたのは、映画を配信で見るのも当たり前になった時代に、他のお客さんと同じ方向を見つめ、周りのかすかな雑音を気にしながら、大きなスクリーンで見る映画の楽しさは、やっぱり感動が何倍も違うということかな。

2022年08月07日 (日) 02時00分

No.345 バスタオル持参
NAME:リヴ・タイラー

前にも書いたが、
イチオシ泣き映画は、アルマゲドン。

全編を通して観るのは、平成10年の公開依頼、実は初めて。今回の劇場公開を機に、久々に大スクリーンで泣いてみるか、と出掛けた。

序盤で
小惑星の接近を発見した元海軍の天文観測マニア。『第一発見者に命名の権利があるのなら、星に、妻の名前を』その電話を立ち聞きしていた時に妻が見せた嬉しそうな微笑み。互いに不満を言いながらも、長年連れ添った夫婦には、どこの国も、どこの家も、そう大した違いはないんだと安堵した矢先に、その後に続く夫の言葉により、妻は落胆する。その理由は…。
記憶には残っていなかったが、改めて観てみて、見つけた名シーン。

続いて
様々なアクシデントに見舞われながら襲い掛かる、最後のアクシデント。決定的な危機に、もはや娘と交わした2つの約束も、仮に果たせたとしてもどちらかの1つとなってしまいそうな大ピンチ。
真に地球を救ったのはAJとも言えるし、『自分(ハリー)が行くのなら』と命を投げ売ってスペースシャトルに乗ってくれた何年来の仲間を思えば、誰がクジを引き当てようと、ハリーは自分が残る選択をしたのだろう、きっと。

極めつけは
もみくちゃの群衆の中から、帰還したAJを見つけ、グレースが群衆の中から駆け出すシーン。
しゃくり上げるほどの気持ちの震えを感じた泣き箇所は、24年経った今も、ほぼ変わらなかった。

夫婦、親子、仲間、友情、恋人同士など、人間関係が縦、横、斜めに、上手い具合に重なり合った、SF映画の形を借りた、実は壮大な愛のドラマ。

今回、スクリーンも大きく、観客は6人と、結果として自然に、完璧なコロナ対策もされており、安心安全な印象を受けた。
どうぞ、人目をはばからず、ご堪能あれ。

午前10時の映画祭12、静岡東宝会館で観られるのは木曜日まで。

2022年07月31日 (日) 04時00分

No.344 文化部の雄
NAME:ブンジウの名店

ランドセルが歩いているような子も、6年生になる頃には背も伸び見違えてしまう。毎年、卒業と入学の時期に顔触れが入れ替わる。車の波を、今日はじめて渡り始める1年生も、渡るのが今日で最後という6年生の姿も見届け、当たり前の今日と、何も無い明日を、来る日も来る日も見守り続けくれるみどりのおばさんに、子供たちはもちろん、親としても感謝でいっぱい。

そんな地域の、温かい目に守られてきた彼らも、次のステップとして、中学入学と同時に部活動への見学を経て吹奏楽部を選択し、この春から楽器を手にした学生さん、今年も多いことだろう。
季節はあっという間に入梅の時期を迎え、そろそろコンクールに向けた準備に忙しい日々を迎えている頃か。
思い返せば、中1で初めて持った楽器の重かったこと。

リコーダーや鍵盤ハーモニカのように、押さえる部分の多い楽器が極めて苦手、楽譜も読めず、小学校当時の音楽の成績は、いつも「2」だった自分。
何年生の時だったか、ある日、鍵盤ハーモニカのテストが告知された。
楽譜が読めず、吹けない男子は他にもいたはずで、誰も練習なんかして来るわけがないと安心しきっていたところ、いざテストが始まると様子が違う。終わってみると、吹けなかったのは自分だけ。楽譜が読めず、吹けなかったはずの男子は、きっと家で半ベソかいて練習し、必死にこの日に臨んだのだろう。
これ以上ない程の恥ずかしさに加え、何だかクラスメイトに裏切られたような、他人のせいにでもしたいような気分にもなった。
鍵盤ハーモニカのテストが、その後の人生に役立ったことは無いが、その日を境に、テストに対する姿勢は180度変わった。音楽の成績だけは「2」が、もうしばらく続いたけれど。

中学校に入学すると、小学校で既に鼓笛隊で活動していた幼馴染みが、何を思ったか「吹奏楽部、見に行こう」と誘ってきた。家に帰って吹奏楽部を見学に行ったことを話したところ、家族の笑いが止まった。
翌日、既に何人かが入部の意思を示す中、見学に来た1年生だけで丸くなり、その日は、順番にいろんな金管楽器のマウスピースが回ってきて吹く、回ってきては吹くという体験が行われた。
3つ上の兄のユーフォニウムのマウスピースを鳴らしたこともあり、どういうメカニズムでマウスピースが鳴るか知っていたから、どの金管楽器のマウスピースが回ってきても、うまく鳴った。既に入部を決めた同級生はじめ、幼馴染み、先生、誰もが驚いた様子だった。もはや、他の部への選択は許されなかった。

ただ、
マウスピースだけでも曲の真似はできても、演奏はできない。
それは、先っぽに楽器を付けるから。
さらにその楽器には、押さえて音を変える部分があるから。

ここで重なった偶然が方向を決めることになる。
特に自分にとっての奇跡は、大半の金管楽器には押さえる部分が少ないことだ。
誘った幼馴染みの行為はもちろんミラクルだが、もし、初めて訪れた音楽室、1年生だけで丸くなったあの日が「(押さえる部分の多い)木管楽器を吹いてみよう」という日だったり、金管楽器に押さえる部分がいっぱいあったりしたら、吹奏楽部は速攻あきらめ、音楽の成績だって「2」のまま。今でも音楽は嫌いだっただろう。

記憶は途切れ途切れ。
しばらくして入部したのだろうが、楽譜にドレミを書いた覚えはない。
線に乗っかった音が「ソ」。
気に入ってしまえば、楽譜が読めるようになるのは、あっけなかったような気がする。
ついでに、1年の1学期から、音楽の成績も奇数になった。

ピストンバルブ、ロータリーバルブの発明にご尽力され、金管楽器にくっ付けること、考え出した方に大の感謝。

2022年06月19日 (日) 00時30分






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