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No.361 その日の天使 |
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NAME:星人(2.3kg) |
死んでしまった ジム・モスリンの、 なんの詞だったのかは 忘れてしまったのだが、そこに”The day’s divinity, the day’s angel” という言葉が出てくる。
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、ぼくは こういう風に 受けとめている。 「その日の神性、その日の天使」 大笑いされるような誤訳であっても、別に かまいはしない。 一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。 少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。 逆に、絶望的な気分に おちている時には、この天使が一日に一人だけ さしつかわされていることに、よく気づく。
こんな事がないだろうか。 暗い気持ちになって、冗談でも”今自殺したら”などと 考えている時に、とんでもない友人から電話が かかってくる。
あるいは、 ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。 それは その日の天使なのである。
夜更けの 人気が失せたビル街を、 その日、僕は ほとんど よろけるように 歩いていた。 体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。 家の中も もめている。 それでいて 明日までに テレビのコントを、十本書かなければならない。 腐った泥のようになって歩いている、その時に、そいつは聞こえてきた。
「♪おっいも〜っ、 おっいもっ、 ふっかふっか おっいもっ、まつやのおっいもっ♪ 買ってちょうだい、 食べてちょうだい、 あなたが選んだ 憩いのパートナー まつやの イモッ♪」
道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。
勤め先で、紙に印刷されたこの詩が置いてある机を見つけ、何度も読み返した。 周りの声に表情ひとつ変えず、他人には決して弱みを見せない彼にも、何かにすがりたい、そんな時があるのか。 同じ人間なんだと思ったら、少しホッとした。
自分なんか、しょっちゅう天使が舞い降りてくる。 たまたま出会った名も知らぬ人の笑顔や、偶然見聞きした言葉に救われたり、とにかく元気を取り戻すきっかけをもらったりすることばかりだ。
そう言えば、 つい先日だって、こんな歌が。 〽 左カーブ、右カーブ、真ん中通ってストライク、応援団がチャッチャッチャ…。 といった具合に。
この詩に出逢ってからというもの、今日も「きっとその日の天使はいる」と、心の救いを探していたような気がするし、もしかしたら、こんな自分だって、どこかの誰かにとっての「その日の天使」になることもあるのかもしれない、と考えるようになった。
そうなると今度は、知り合いでなくても、街で出会う人が皆、赤の他人とは思えなくなった。
弱い所ばかりで大したことはできないけれど、もし自分が笑顔でいることで、見ず知らずの誰かの1日に、少しでも元気を与えられるのなら。 そんな可能性だって、ゼロではないはず。そう思うと、ちっぽけな自分にも存在意義があるような、そんな考えを持つようになった。 それは、自分自身が「その日にきっと天使はいる」と信じたいからこそ。まず自分がそうありたいと思うからなのかもしれない。
「元気か?」「調子はどうだ?」と聞かれても、いつも「まあまあ」としか答えられないけれど、加えて、万一のことが頭をよぎった時には、ラーメンの替え玉をしてみてから、ケーキをホールで食べてみてから、ミスドも全種類食べてみてから、その後、もう1度考えてみることにしよう。 そうすれば明日も東の空には、いつもの朝日が昇るだろう。
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