(203) 猫と猿◆◆CORNELIUS--CM2◆◆ |
投稿者:nabes
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先日、チラッと書いたのだが、猫を2匹飼いはじ める事になった。というのも、彼女の自宅である 鎌倉には、それこそ10匹以上猫を飼っているら しく、久しぶりに帰ってみたら(まぁ、家に週4 〜5日いるんで)知らない猫が何匹か産まれてい たので、それなら何にも染み付いていない分、飼 いやすいということで、まぁ、ならいいか、なん て思って飼ってみることにした。どちらも生後3 ヶ月以内の可愛い子猫。最初の頃はそれによって、 なかなか眠れないなんてストレスにもなりそうだ ったが、猫ってお利口さんなんだね、あっさり家 の雑多な環境に慣れてきて、まだ飼い始めて10 日程しか経っていないのだが、すっかり我が家の 一員である。
しかし、僕はペットなんて飼うのは幼稚園のハム スター以来というほど、ペットというものには縁 がなかった。20歳近くまで親が社宅に住んでい た関係で犬猫系は、ホント飼った試しがなかった し、そこまで縁がないと、一人暮らしとか始めて もペットなんて欲しいとは1ミリたりとも思わな かった。そして、ペットとかがいる家を特別、羨 ましくも思わなかった。しかし、飼ってみるとち ょっとだけ、人生損してたかもなんて都合のいい ことも考えてしまうのだから、僕は典型的な親バ カというか、飼い主バカである。きっと、子供と か産まれたとしたら溺愛してしまうんだろう。 そんな2匹の猫が駆け回る中、この文章を書いて いる。コーネリアスの『CM2』を聴きながら。
僕は、こういう区分の仕方はあまりしたくないけ ど、フリッパーズどちら派って言われたら圧倒的 にオザケン派である。コーネリアスを飼うのは実 に『FANTASMA』以来である。こんなこというとア レだけど、コーネリアスの音楽は作品を追う毎に 深化の一途を辿っている。その深化はミニマルな んて言葉を超え、既にミュージックというりも、 ワン・サウンドといった感じだと思っていて、そ の方向性は世界的な評価を受ける一方で、フリッ パーズのようなミュージックを求める僕のような 人間にしたら、年々遠くなりにけり、そんな印象 がある。やはり、僕は音楽は生活のスパイスとし て心の高揚なり、勢いづけを求める部分がある。 それはi-podの中にアッパーな曲しか入れないと いうことからもわかる。そんな僕からしたら、コ ーネリアスの音というのはある意味オチのないバ ラードのようなものだという印象がある。これは 批判ではなく、あくまで僕の雑感なんで、聞き流 してもらって構わない。
そんな彼の音楽活動として多数のリミックスを作 っているというのは、もちろん知っている。自分 の作品のもさることながら、他者のリミックスも 依頼されるというのは、やはり音楽家としては名 誉なことだと思う。自分の作品に、この人はどん な仕掛けをしてくれるのだろう。テクノでもポッ プでも、ロックでもないコーネリアスのニュート ラルでファジーな姿勢というのは、同業者なら非 常に興味深いとこなんだろう。この『CM2』には、 ブラーからベック、マニックスなどの同じ90年 代をサヴァイブしてきた同胞達から、テイ・トウ ワのクラブ・サウンドの鬼才、そしてスティング といった大御所に至るまで、雑多なジャンルのリ ミックスが施されている。
やはり、それでも基本的にはコーネリアスはコー ネリアスなのだろう。全編ゆったりしたトーンで 進んでいく。音はあくまで風変わりなものを使い ながらミニマルに。音楽をちょっとでも全方位に 聴く人なら「ひょっとして、コーネリアス・リミ ックス?」という勘の働くような代名詞的な音が 流れている。そこで、ようやく気付いた。じゃれ あう2匹の猫を見ながら、こんな音も悪くないな と。なんか不思議とホッとするっていうのかな。 癒しというほど、ほんのりくるわけでもないが、 さして高揚もしない。淡々と流れる生活、飽きる 事なく駆け回る猫、それはまるでヨーロッパの映 画のようでもあるわけで。なんていうほど、僕は 映画に詳しい訳でもないが、そんな平行線を描く 生活も、また生活ということを気付かされる作品 だと思う。これから彼の深化した音はそんな観点 で聴いてみることにしよう。でも、ホントはファ ーストみたいなバリバリのポップを煮詰めた作品、 これもまた彼の天性の才能が遺憾なく発揮される ので、たまには聴いてみたいのだが。究極の理想 は深化したオザケンと20年後くらいに再結成し て、熟成のポップを響かせる、なんてことかな。 二人の信奉するスティーリー・ダンのように。
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2003年09月08日 (月) 09時36分 |
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