(178) ビッグ・ビートが死んだ?そりゃビッグ・ビートの勝手だろ。◆◆CAPTAIN FUNK--DANCING IN THE STREET◆◆ |
投稿者:nabes
MAIL
URL
|
軽やかにギターのカッティングが響く。僕のイメージ ではヴァン・ヘイレン系の音という感じといったらい いのだろうか。ヘヴィな音だけど、そこに聞こえるの はあくまで軽いタッチのバカっぽい感じ。そして、JB のようなファンクの大御所っぽい人のサビが重なり出 す。サビの反復からは、しばらく続くが一気に畳み掛 けるようなビッグ・ビートが聴いてる方を一気に至福 の時へと誘う。CAPTAIN FUNKの『DANCING IN THE STR EET』の1曲目、『HOME SWEET HOME』は、こうして始 まる。
僕はCAPTAIN FUNKの音は、すこぶるゴキゲンになれる。 FATBOY SLIMと同格のあらゆる音楽を飲み込んだ音楽 の世界紀行、とにかく硬派な奴も、軟派な奴も、全て の人類を笑顔にさせるハッピー感、そしてスリリング な展開。もっと本当は世界に、ていうかまずは日本と いう小さな島国の世間に届いてほしいピースフルな音 楽だと思う。近いのは小西康陽。がしかし、小西さん の音は彼自信がいう通り、ある程度小西印というべき、 聴けばすぐに「あ、これ小西さんだ」とわかってしま う、偉大なるマンネリズムが、そこには混在している のが、特徴であるならば(例を挙げると、慎吾ママの 「おはロック」などは、まさにソレ)、CAPTAIN FUNK の音はそれこそ自由自在に飛び回り、それこそクレジ ットでも読まないと、彼の音と気付かない場合もある。 それがいい部分でもあり、逆にいえば世間に届かない 部分でもあるのかもしれない。
このミニ・アルバムが出されたのは1999年、まさに世 紀末。歴史を省みるとビッグ・ビート全盛の世の中は、 ある程度終焉を迎えつつあるものの、テクノという音 楽ジャンルはクラブのフロアから拡大の一途を辿り、 WIREなど大型イベントが、日本に根付き、さぁいよい よ彼等の出番がやってきたと内心、小躍りしてしまう 風潮に出てきたが、彼はマイペースに自分の音楽を貫 き通してきた。そのうち、WIREなどの仕掛け人でもあ り、日本テクノに風穴を開けた電気グルーヴも活動を 止め、テクノの音はスケッチ・ショウ(細野晴臣+高 橋幸宏)や、砂原好徳に代表されるエレクトロニクな 方向にその進路を変え始めた。前述の小西さんは自分 のブランドを頑に守り、ある意味、その場所から一歩 も動かない存在として、いい意味で商業音楽家として、 評価されて、自分の中でもビッグ・ビート最後の砦と いうべき、FATBOY SLIMも新作の気配が見えるようで 見えていない。
もしかしたら、ビッグ・ビートって死んだのか?90年 代後半にグランジ文化と取って代わるように台頭して きた、ひたすらハッピーだけを追求した音楽。デジタ ル・ロックやら、色んな呼称はあったけれど、とにか く大きな音で聴きたいような音=ビッグ・ビート。も し、本当に死んだとしたら少し悲しい。その当時、僕 の求めるこそビッグ・ビートにあったからである。 この『DANCING IN THE STREET』はミニ・アルバムな がら、永遠に人をハッピーにさせるであろう要素が凝 縮されていて、結構、色々な場所で重宝してしまいた い作品だと思うので、これを聴く度にそんな感慨は倍 増するばかりである。このCDのいいところは、色々な ジャンルがその良いところを前面にビッグ・ビートと いう線路の上を仲良く走っている点に尽きる。世界が 音楽で一つになれるのではないか?たとえ、それが幻 想や妄想だとしても、このCD内の限られた時間だけは、 そう思える素敵な時間なのである。
しかし、とはいっても音楽のトレンドというのは、こ うも言ってる間に刻一刻と流れている。この瞬間に、 また新しい音が世間を揺らしていく。もし、ビッグ・ ビートが死んだというなら、それでもいいではないか、 そんな事も考えてしまう。どうでもいいことなんだよ、 結局は。だって、僕はまだビッグ・ビートを聴いてる から。僕の中ではビッグ・ビートのCDが家のラックに ある限り、永遠に死なない。たまに大きな音でかける 限り、僕をハッピーにさせる。また、時代が一巡して、 ビッグ・ビートの時代がやってくるというなら、それ もそれでアリだ。そうやって、世界は回り続ける。ク ラブでスピンされるレコードのように。家で気軽に流 されるCDのように。
|
|
2003年06月02日 (月) 17時20分 |
|