(205) 答えは遥か雲の上◆◆THE PLASTIC ONO BAND--LIVE PEACE IN TORONTO 1969◆◆ |
投稿者:nabes
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今日は朝早くから出かけていたわけだが、異常に 暑かった。きっと、30度以上あったよな。まさ に遅れて夏がやってきた、そんな装いであった。 これが、8月にでも5日でもあったら、きっと今 年の夏のイメージも少しは変わったろうに。まぁ 過ぎてしまったことをイチイチ言っても仕方がな い。幸い、あまり今年の夏は働きづめだったので、 自分にとってのイベント事がないという意味では 好都合だったのかもしれない。そんなことを出先 で考えるくらい、今日は暑かった。絵に書いたよ うなピーカンであった。そういえば、2年前の今 日、ニューヨークもこんな感じの良い天気であっ た気がする。
僕は何度も言うようだが、あまりテレビを見ない けど、今日はきっと「あの事」で持ちきりなのだ ろう。僕のようなどちらかというと、無関心層で さえ思い出すということは、やはり大事件なのだ った。その日は、働いている時に、たまたまその ことを知った。「大変だよ、ニューヨークの高層 ビルに飛行機が突っ込んだらしいよ」家に帰り、 すぐさま普段つけないテレビをつけた。こういう ときは、絶対にNHKの出番である。コマーシャ ルもないし、事実のみを端的に流しているので、 事態を把握するにはちょうどいい。そこに何度も 映るのは、世界貿易センタービルに飛行機が突っ 込む瞬間、そして今日のようなピーカンの青空だ った。
柄にもなく、平和について考えてみる。といって も戦況がどうの、アメリカがどうのとかそういう ことではない。あくまで自分自身の平和である。 僕のような今、中東で何が行われているのかもわ からないような無関心層は今のところ考える資格 はないと思う。ただ、この機会に自分にとって何 が平和で、今現在、僕は平和なのだろうか?そん なことをボーッと考えていた。答えは一つ、当た り前の事だが僕は平和である。傍らには彼女がい て、僕の周りには猫が二匹、世話しなく動き回っ たりしている。相変わらず部屋は乱雑であるが、 それも特別困る問題ではない。両親も健在で、一 時事故にあった弟も毎日、働くまで元気になった。 環境によって、友人は変わっていくが、昔の友人 からも連絡は来る。好きな帽子もかぶって、毎日 働きにいくことができる。そして、こうして好き な音楽を聴く事ができて、それをメルマガで不特 定多数の方に見てもらっている。僕は紛れもなく 平和そのものである。
そんな僕だからプらスティック・オノ・バンドの 『LIVE PEACE IN TORONTO 1969』を聴いても、そ こに感じるのはジョン・レノンとオノ・ヨーコの バンドのライブろいう認識しか無い。それでいい んだと思う。1969年など、まだ産まれる前だし、 正直ジョン・レノンの暗殺もまだ、7〜8歳と認 識できる年でもないので、自分の中ではボブ・デ ィランなんかよりも、リアルタイムでない感覚が ある。僕がこのライブで感じるのは、クラプトン がギターを弾いていること、ベースは後期ビート ルズのアルバムジャケットなんかも、手掛けてい るハンブルグ時代からの盟友KLAUS VOORMANだっ たり、そして後半2曲のヨーコの前衛的な13分 に及ぶ叫び声だったりする。これを聴いて、「平 和とは何ぞや」などとしたり顔で考えることほど 偽善なことはない。でも、そんな僕でもわかるこ とがある、ジョンとヨーコは本気も本気だったん だろうなぁっていうこと。
要はそれでいいんだろうと思う。そこからこの世 界の現状を顧みるのもよし、自分のことを顧みる のもよし、もちろんそこから行動を起こしてもよ し。方法もまた千差万別、十人十色である。僕は 正直いえば、何も顧みる事もないし、何か行動を 起こすつもりもない。悲しいけど、それが今の僕 の現実である。目の前の音楽を聴く、そして何か を考える。無条件に体を揺らすのも音楽なら、何 かを深く考えてみる、それもまた音楽である。答 えなんて出る訳も無い。だって、世界は僕が思っ ている以上に広いのだから。僕が死ぬ頃、世界は どうなっているかなんてのは、全くわからない。 それでも一つだけ願わせてもらえば、こんな感じ で音楽を聴いていたいということと、今日のよう なピーカンの青空が地球に広がっていること、そ れがあれば僕は死ぬまで平和でいられる。そんな ことを出先でボンヤリと考えていたのであった。
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2003年09月11日 (木) 18時47分 |
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