(193) 喜びと悲しみ、紙一重◆◆エレファントカシマシ--ココロに花を◆◆ |
投稿者:nabes
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今回も三十路ネタで恐縮である。省みるに、今までで 一番悲しかったことって何だろうと考えてみた。自分 の両親はとりあえずは健在だし、弟が事故にあったこ ともあるが、形はどうあれ彼も元気である。ならば、 祖父母との別れであろうか。でも、これも割と縁遠い という点と、まだ、そこまで多感な時期ではなかった ことを考えると、これもまた違う気がしてきた。そり ゃそうか、幼い時分というのは、そこまで考える余裕 というのは生まれないのは、紛れもない事実なのだ。 ならば、僕の30年の中では、結局まだ自分の半径2 cmくらいの悲しみこそ、最大の悲しみであるという 事が不本意ながら、浮かんでくる。つまり、色恋の中 での別れとかが、今のところ一番の悲しみなのかもし れない。
となると、それはいつの別れになるのだろうか?とい うことを考察すると、圧倒的に21歳の時の別れにな るような気がする。書いてみて思ったが、今の彼女と 同じ年にあたる。そんなことはどうでもいいけど。で も、僕に限らずであるが、21〜22というのは分岐 点に差し掛かる率が多いように思える。あくまで僕の 周りだけだけれど。僕はこの年、就職した。某ジャー ナリスト専門学校を卒業したものの、バブルも弾けた 直後とあって、イマイチ門戸も狭くなりつつあり、1 年フリーターで過ごした。有名ファーストフードで昼 間は働き、今の半分くらいの収入でヒーヒー言いなが ら、働いていた。それでも幸せだったのは、そこに当 時の彼女がいたからだというのは、想像に難くない。 その専門学校の1年後輩だったが、何か波長が合った というか、合コン後もその仲間内とは別に遊んでいた。 程なくつき合うわけだが、同棲もしてある意味今後の 自分の彼女となるべく人間の指針を示した女性であっ たように思える。
それは、まぁいいとして1年ほどつき合った辺りから 自分はこのままではいけないと思い就職しようと思う 訳だ。そりゃ、そうだよな。確かに今のままでも楽し いのは事実だし、それを何も咎める事はないかもしれ ない。でも、自分にケジメをつけたかったというのも あったので、職種は問わず働いてみようと思った。ち ょうど、彼女も学校を卒業する年だったので、彼女も それを喜んでいた。何件か慣れぬスーツを着て面接を 受けに行き、ようやくある広告代理店の営業に受かっ た。しかし、事件は唐突に起こった。僕がそこで働き 出して初めての週末。彼女は卒業式である人に告白さ れて、正直揺れている事を吐露した。そして、そんな 状態ではこれ以上、付き合えないと。とても理解はで きなかった。そりゃ、そうだろう。何のために就職し たと思っているんだ。ひどく狼狽したが彼女の意志は 硬く、何とも言えない気持ちの中、それを了承してし まった。
それからが辛かった。何のためにこの会社で働けばい いのだろう?スーツやネクタイが嫌いだった当時、そ れを嫌が応でも着なくてはならない地獄の環境で、僕 は外回りを続けていた。ある日、すっかり帰社時間が 遅くなり、会社に戻ると別セクションのラジオからこ んな歌が流れてきた。
「悲しみの果てに何があるかなんて、 オレは知らない。見た事もない。 ただ、あなたの顔が浮かんで見えるだろう」
涙が滲みそうになったが、これだ!と思い、その曲が エレファント・カシマシの『悲しみの果て』だという ことを知った。すぐさま、近くのCD屋さんに向かい、 その曲が入った『ココロに花を』を購入した。それ以 来、この曲とは、そしてエレカシというバンドとは長 い付き合いになっていった。 この曲はもちろんだが、その当時のこのバンドの起死 回生的な部分も含めて、全ての曲が自分に染みて行っ た。『ドビッシャー男』や『孤独な旅人』『四月の風』 そして、『BABY自転車』。そこには、それこそ悲しみ の果てにあるものがいかなるものかということが、朗 々と歌われていた。前述した『悲しみの果て』のラス トには、こう歌われている。
『悲しみの果てに何があるかなんて…OH,YEAH!! 悲しみの果ては素晴らしい日々を送っていこうぜ』
きっと、喜びと悲しみというのはホント、紙一重なん だろうな。悲しみがあるから、喜びも際立ち、喜びの 向こう側には、悲しみが絶えずついて回る。それがわ かっただけでも、その彼女には感謝したいと今でも思 っている。その会社では2年以上働くことになる。喜 びと悲しみの螺旋を回りつつ。そして、フェス時期に なりエレカシの名を雑誌で見かけると、この曲を聴い て、その紙一重具合を確かめたくなる。『悲しみの果 て』は自分史上でも屈指の名曲として、いつまでも残 っていくのだろう。
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2003年07月28日 (月) 19時10分 |
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