(101) 贅沢な時間◆◆サニーデイ・サービス--24時◆◆ |
投稿者:nabes
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1日というのは、よくよく考えてみたら、たったの2 4時間しかない。本当に「たった」である。年齢とか 関係無しに、あっという間に1日は終わり、また続く。 誰かが、「あっという間に1日が過ぎるというのは、 1日1日が充実している証拠だからいい事なんだよ」 と言うが、果たしてそうなのかな?例えば、寝る前に 回想してみる。今日1日は、満ち足りていたであろう か?やり残した事はないであろうか?このまま死んで しまっても、笑って天に召されるであろうか?答えは 「NO」である。僕はいつでも満ち足りてない。欲しい ものも買っていない。言いたい事も言ってない。会い たい人に会っていない。まぁ、逆に考えると大抵の人 は、その辺にある程度の折り合いをつけて生きている。 これはできなかったが、あれはできた。ならば、私の 人生±0か。いや、+2くらいかな。それくらい都合 よく考えた時点で天寿を全うできたら、その人の人生 は幸せ貯金+2のままなので、まぁ結果往来というや つか。そういう風な足し引きで人生を客観できるなら ば、若くして死したロック・スターもまぁ、仕方がな いかという気にもなったりする。
ただ、僕はそこまで人生を謳歌したわけでもないし、 早死にされても今はとても困る。そう考えると1日の うちに色々な事もしたいし、やはり24時間では足り ないというのが本音である。何といっても1日のうち には、睡眠というのがある。これは誠に厄介だ。その 日の調子により、調整したり、できなかったり予測が できない。下手すれば、1日の半分をも消費しなくて はならない。起きた後に、それはそれで仕方がないと いう気分になるが、反面やや切ない気分にも陥る。そ ういう時に限って色々やりたい事が詰まっていたりす るからだ。安眠とはいわない。短い時間で熟睡できれ ばいいのに。そうだな、4時間くらいでいいよ、実際。
さて、となると4時間熟睡なんてすると残りは20時 間、ここでいい大人は仕事というものにぶち当たる。 厄介とはいいつつも、これにより生活できているのな らこれも仕方のない時間だ。移動も含めて10時間、 これでもう24時間の割り当てのうち半分以上は使い 切ってしまう。残り10時間、ようやく自分のために 使う事ができる。まぁ、しかし僕の場合、終わった後 に職場(店)で寝てしまったっりするので、起きた後 は涙が出る程切なくなる。そんなこんなで1日という のは本当に「たった」の24時間である。
サニーデイ・サービスの『24時』は2枚組でトータ ルすると1時間20分以上する大作であり、当時問題 作でもあった。いやに長いよ。しかしクオリティは本 当に最高だと思う。かえすがえす、解散が勿体無いグ ループだったかもしれない。なんか彼らの歌は時間に 対してシビアなような視点である。その瞬間より、そ の日その日よりその週、その週よりその年。特にこの 『24時』という作品についてはそんな感じをスケー ル豊かに映している。どうせならこのスケールにしば し揺れていたい、1時間20分これほど、ゆっくり流 れる時間はないし、このCDだけは必ず通して聴く事に している。たとえ、時間に追われたとしても、24時 間のうちの1時間20分をこのCDに費やす事とわかっ ていても。
「いろんな場所でみんな、星に祈り いろんな場所でみんな、愛しあう。 ぼくはきみの声が聞きたかったんだ」 (24時のブルース)
そうなんだ、色々な24時間がある。この歌のように 色々な場所で色々な事をして、その時間が後で省みた 時に「あちゃ〜」って思ったとしても、その時間は崇 高である。そんな24時間の色々な事柄をサニーデイ はというより、『24時』は物語として成立させてい る。何か自分の生活を見られているような、ドキッと する感覚、確かにこの作品は問題作だと思う。この頃 の曽我部はマジで鬼気迫っていた、時間を渡り歩く、 まるで不思議の国のアリスのようだったのかもしれな い。彼はこの秋、満を辞してソロでアルバムを発表す る。彼の周りには時間の流れはゆっくり、たおやかな ものになっているだろうが、この時間の渡り歩くよう な不思議な作品をまた紡いでくれる事を切に祈りたい。
1日はたったの24時間、その中で自分の時間という ものを確保できるのは、せいぜい10時間足らず、そ の限られた時間のうち1時間20分を『24時』をじ っくり聴く。僕はこの流れをとっても贅沢な時間だと 思う。
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2002年09月18日 (水) 18時54分 |
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