もはや巨大産業である。浜崎あゆみとい う存在は。動くだけで銭になる。去年、 聴いてみるか、なんて気分になったのだ が、自分の中でゴチャゴチャしたものが あって(音楽的にとかでなくパーソナル な問題としてね)今年に入り、自分でも そして他人から見ても「いい感じ」とな った今、まさに今だ!と思い聴いてみる 事にした。「浜崎あゆみとは何か?」
とはいったものの、何借りていいものや ら。だって知らないんだもん。口ずさむ 事は出来てもその歌が何という歌なのか などとは知ろうともしなかった。辛うじ て『evolution』と『seasons』を知って いたので、『A BEST』と『I am...』を借 りた。そして今回は『I am...』の方にフ ォーカスを当ててみるとしよう。
音の方は「まさにエイベックス!」とい う感じの最近の先端の音ともいうべきの 音が響いている。トランス、デジタル・ ロック。i-tunesには「pop」と表示され ている彼女の音だが、形だけで捉えれば もはやロックのそれである。「形だけで しょ、所詮は」という向きもあるが、ポ ップマーケットを制圧した彼女(のスタ ッフ)は去年のJAPANのインタビュー以来 完全にロックファンを獲得しにきている。 形だけだとタカをくくっていると、その うち痛い目に会いそうである。
そして彼女の詞である。何故に彼女、浜 崎あゆみは世の若者から絶大な支持を得 ているのか?その問いに誰もが答えるで あろう、詞の世界に入ってみるとしよう。 これがもう、痛い痛い。凄くヒリヒリす る。故に染みる。「教えて」「救って」 「残酷」「現実」など迷いに迷った若者 のキーワードがこれでもかと並べられ、 照らす光さえ見えないくらい暗い。救い ようのないほどの落ち込みを歌という、 フィルタから投げかける。しかし、これ がただの投げかけであったなら、ただの 共感ソングで終わる。その時代はドリカ ムが一時代を築いたことで終わっている。 浜崎あゆみは同じ目線でなく天上から、 投げかけているように思う。なので救い のない「とほほ」な現実を共感するので なく、「わかっていてくれる」「見てて くれる」菩薩のように彼女をカリスマと すて拝み奉る。そんな彼女が「M」=マ リアと歌っているのは非常に興味深い。
がしかし、尾崎豊のように圧倒的でない のは何故か。きっと尾崎のように圧倒的 に表現力に溢れてるわけでないからだろ う。決して優れた歌唱力をしている訳で もない。決して万人が認める程のいい女 でもない。そして別に表現力も漲る何か を持ち合わせてるわけでもない。それを いうなら、どちらかというとその辺のオ ネエチャンのドライな感性で物事を表現 している。どんなにサザンの桑田さんや 甲本ヒロトが、その辺のお兄ちゃんの様 な風体でカリスマとして崇められても、 やはりモノが違うのとは逆に浜崎あゆみ なら「私にもなれそう」なくらい庶民的 なんである。だからこそ、救いがなく動 くこともままならない、人々はより近く に住む彼女に手を差し上げる。そして近 いからこそ、浜崎あゆみの差し出す手は 届きそうな気がする。
手を差し伸べ一緒に飛ぶのではなく、肩 を叩き、「大丈夫、それがダメでも生き てゆけるよ」と風を切って歩き続ける樣。 この姿勢でいる限り、どんなにビジュア ル・イメージが変わろうが浜崎あゆみは カリスマとして生きられそうな気がする。 21世紀のカリスマ・シンガーは、どこに でもいるあなたのような姿で風を切って 闊歩しているような、身近な存在なんで ある。
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