(173) グロテスクという名のエンタテイメント◆◆MARILYN MANSON--THE GOLDEN AGE OF GROTESQUE◆◆ |
投稿者:nabes
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一番、聴きやすいかもしれない。といっても僕はそこ まで、彼のアルバムを愛聴しているわけではない。ど ちらかというと、苦手な部類に入った。がしかし、今 回は何故か興味があった。思うに、タイトルじゃない だろうか。日本語訳すると、『グロテスク黄金時代』 あえて、黄金と時代の間に(狂)をつけてもいいかも しれない。というか、つけた方がしっくりくる。マリ リン・マンソンのニュー・アルバム『THE GOLDEN AG E OF GROTESQUE』は、ものの見事にタイトル通りの見 事な黄金時代を彼のキャリア中に築いてみせた。
彼を苦手だったのは、まぁ、その特異なキャラクター に尽きる。おそらく、これを読んでいる方でも苦手な 人の理由の大半がそういった理由でしょう。それは、 本国アメリカでさえも悪魔の音楽呼ばわりされて、聴 くことを禁じられてしまう現象さえ産んでいる。もち ろん、たまたまであろうが、アメリカの少年犯罪の象 徴的な音楽として、位置付けされてしまっている。そ んなバッド・イメージがこびりついている人がいたと したら、このアルバムを聴いてほしい。そこには虚像 としてのエンタテイメントが全面を被い、そこまでさ れると、逆に楽しく聴こえてしまうから不思議なもん である。僕はこの作品を全面的に肯定させてもらう。
虚像としてのエンタテイメント〜と書いたが、どうい うことかというと、完全にフィクションとしてこの作 品を成立させているように思える。思うに、こんな時 代である。ある意味ノンフィクションこそ真のエンタ テイメントという風潮があるのは否めない。だって、 遠い世界の戦争でさえ、簡単にテレビで見ることがで きて、バラエティでも人の不幸や境遇、そこから沸き 上がる人間の感情をエンタテイメントとして捉える向 きがある。
そうじゃないだろう。エンタテイメントっつーのは。
もっと、「虚」でしかるべきなんじゃないのか?「虚」 こそ、エンタテイメントだろう。実際、生きているの と無関係な不思議な世界、あり得ない設定、そこに人 間の感情が入り交じるからフィクションの世界は現実 との狭間で楽しむことができる。このフィクションと ノンフィクションの配分を一つ間違えると、エンタテ イメントというのは大変白けてみえる。昨今の日本の ドラマが面白くなくなってるのは、きっと、全く昔と くらべて進化のない、エンタテイメントとして大切な、 この配分を停滞させていることの表れに思えて仕方が ない。話は随分、逸れてしまったが、この新作に溢れ ているのは、完全な非現実的な世界観で、ある意味ツ ッコミどころが満載といっていいかもしれない。
とにかく、今回のマリリン・マンソンの世界観はバラ エティに富んでいて聴いてて楽しささえ感じる。なん か吹っ切れた感があるのは、前作まで及ぶ3部作の終 焉がやはり関係しているのだろうか。ある意味、あの キャラクターゆえに、コンセプト・アルバムというの は、得てして作りやすいかもしれないが、諸刃の剣と して、そのキャラクターに縛られてしまうという短所 もあるのかもしれない。その呪縛を終わらせた彼には、 その間に貯えたであろう、沢山の音楽的アイデアを発 散するときが、やっと来たのかもしれない。後半はあ る意味、彼の真骨頂というべき、ゴスゴスとしたナン バーが揃っていたりするものの、前半の4〜5曲目ま では、「これが、本当にマリリン・マンソン!?」と いうべきポップでキャッチーな曲を披露している。特 に『mOBSCENE』での女性コーラスとの掛け合いなどは、 オフスプリングに通じるバカ全開な感じがして、新た なステージを感じさせる。
要は、彼がやれば、何でもエンタテイメントなんであ る。その振り幅が広ければ広い程、人はそれに驚き、 時に笑顔を見せるくらい楽しむことができる。その笑 顔こそ、「虚」としてのエンタテイメントとして、最 も重要な、フィクションであるということに繋がる何 よりの証拠なのかもしれない。こんな時代だからこそ、 人はグロテスクを求める。いい得て妙であり、それを フィクションと捉えたら、もっとこの作品を面白く聴 くことができるかもしれない。新しい時代のエンタテ イナー、マリリン・マンソンに大きな拍手を送りたい。
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2003年05月14日 (水) 00時37分 |
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