(156) 大気圏の中の芝居◆◆中森明菜--ZERO-album 歌姫?◆◆ |
投稿者:nabes
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先日、ピアノ・バーというやつに連れていってもら った。広さはさほど、広くはないが、バーカウンタ ーとボックス席、そして中央にはピアノがドスンと 位置していて、一応カラオケも入っているのだが、 まぁ本当に気持ち程度というやつだろう。 一応、僕も夜の仕事をしている関係上、あまり他の 店に連れていかれても驚く事は少ない。がしかし、 そこは何か僕の予想を遥かに超えた場所だった。 ママという人が僕らが行ってから、おっとり刀で現 れるとやおら演奏のスタートである。最初は新人さ んというか若い娘が歌うのだが、まぁ普通に歌が上 手いなぁというレベルで、『星に願いを』とかのス タンダード・ナンバーを歌い出した。そして2、3 曲歌った後にママの登場である。ママはアクション 付きでしっとりと、シャンソンを歌い出す。そこに はセリフもあり、貫禄充分にMCもあり、そして手 話もつけて4、5曲歌い上げた。正直どう反応して いいものやらという感じであったが、こういう商売 もあるんだなと感心しながら仕事場に戻ったのであ った。
よくよく考えてみたら、シャンソン自体は去年、一 昨年とROLLYの『喝采』を観にいっているので、そ れ自体は驚くものではないのだが、あくまでそれは ショーアップされたエンタテイメントの世界で、そ こに内包されているのは、あくまで非日常というや つである。がしかし、先日行ったピアノ・バーには 確実に日常の世界に溢れていて、例えていうと、大 気圏の中を彷徨っているかのようであった。 そこで思い出すのが先日、中古で買った中森明菜の 『ZERO-album 歌姫?』である。昨年はこのアルバ ムやセルフ・カバーアルバムなどをリリースして、 年末には紅白も再選、ある意味「待望の」復活を果 たした彼女であるが、このカバーアルバムで聴ける のは再び、彼女を非日常の世界に踊り出そうとする、 大気圏の中のアルバムである。
収録曲の殆どは中森明菜がデビューする前の音楽や 燦然と輝く明菜時代の周辺に流れていた音楽、そし て意外なのはシーンの最前線に位置するエゴ・ラッ ピンの『色彩のブルース』などをカバーしている。 一聴して思うのはやはり、中森明菜というのは日本 でも有数の歌の上手い歌手であるということ。もち ろん昨今のR&B風の歌手の方が音域も広いかも知れ ないし、パンチのある歌唱方法を持ち合わせている かもしれないし、今の中森明菜も歌は上手いが、張 りの面では一枚落ちる部分は正直否めないのが事実 であるが、何だろう、このアルバムには知らない間 にグイグイ引っ張られるものがある。 きっと、こういうことだろう。彼女の歌には他のR& Bの人達には見えない「表情」がハッキリと見える んである。悲しい歌は本当に悲しそうに、嬉しい歌 はそれこそ子供のように無邪気に、歌を演じている のがわかる。その芝居を中心軸に壊すことなく、邪 魔にならない程度に響くストリングスやピアノなど 最小限の生楽器がその表情を際立たせるような「風 景」を演出して、この40分強のお芝居をみている 気分に陥った。
考えてみれば、前述したピアノ・バーのシャンソン の世界が異質だったのは日常の中の芝居だったから かもしれない。当然の事だが、よい芝居というのは それだけで極上の非日常である。おそらく仕事抜き で行っていたとしたら、もしかしたら軽いトリップ に陥っていたかもしれないが、あくまで仕事中の事 だったので、日常の枠の中で見ていたのかもしれな い。がしかし、そう考えると仕事以上の自分の素の 時間という日常のド真ん中で、たかだかスピーカー から流れてくるだけの中森明菜の声はガッツリと非 日常に向かわせてくれる。やはり埋もれるには惜し い稀有な歌手だと思う。今年はまだ表立ったアクシ ョンは起こしてないけど、去年大気圏の中まで戻っ てきたのだから、再び非日常に戻ってきてほしい。 そんな人が歌う、このアルバムのラスト松田聖子の 『瑠璃色の地球』は色々な下世話を抜きにして、絶 品のカバーだと思う。
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2003年03月17日 (月) 17時45分 |
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