ホフの活動休止は誠に寂しいものがある。『スマイ ル』で世に出てきた時は、かなりビックリした。ワ タナベイビーの声に、「人間の声なのか?」という 衝撃を受けた。まるでビートルズや、フォーク・ク ルセイダーズのようなレコードの逆回転のような声 だと本当に思った。そしてそれが違うという事がわ かり、これまたビックリした。
小見山夕飛とワタナベイビーの捻れたポップセンス は渦を巻き、捻れながらも螺旋を描き、見る人が見 たら真っ直線の良質のポップソングを産み出してい っただけに、本当に惜しいものがある。もうちょっ と、世間に届いていたのなら、大袈裟な話じゃなく、 レノン=マッカートニー、ミックジャガー&キース ・リチャーズ、ヒロト&マーシーのようなソングラ イティングチームのような存在になっていたかもし れない。笑うかもしれないけど、マジでそう思う。 でも、まぁホフに限らず、仕方ないかなとも思った りする。いつかはバンドというものには終わりがあ ったりする。それは当たり前だけど満願成就して次 のステップというタイプと、志なかばにして、その 夢を果たせない感じの活動休止、さて、ホフはどっ ちだろうか? おそらく本人達にとっては、ある程度の満願は成就 したかもしれないが、ことリスナーの側からすれば、 勿体無い、もっといける力はあるのに…と思ってし まう。まぁ、もちろんその為の「活動休止」という 都合のいい言い回しがあるのだろうが。
そんな彼らの『ホフディラン』を久しぶりに聴いた。 このアルバムは彼らの中では一番好きである。実際 僕はこれ以降のアルバムは買っていない。何という のだろうか、このアルバム程、世間に届くキャッチ ーさと、歌い手の捻れ方のバランスがほどよく合っ ているアルバムはないと思っている。 何せ、1曲目の『かなしみ』からしてモロ、oasis である。イントロからサビまで、『モーニング・グ ローリー』の1曲目の『hello』じゃねーか。でも、 UKロックに対する敬愛と、90年代のロック史に残 るであろうアルバムの模倣であろうが、このアルバ ムで一気に上がりたい(売れたい)意欲も感じられ て、何か清々しく感じる。今でいうと形は違えど氣 志團みたいなものか。そこまでやると、逆に脱帽モ ノである。7曲目の『ホフディラン カム・トゥゲ ザー〜時計〜その手をつないで』も、タイトルにも あるようにビートルズっぽいニュアンス、そしてサ イケデリックなメドレーと化するところが、ただの パクリに終わらず、ここまでよく昇華したなぁと感 心さえする。そう、このアルバムに関していえば、 小見山夕飛の並々ならぬ執念を感じる。それを最も 感じるのが、僕がホフで一番好きな3曲目、『欲望』 である。
この曲はもともとケーブルTVで見たビデオクリッ プが最高に素晴らしかった。青い小学生の心象風景 と、現実の風景とのオーバーラップ感が妙であり、 共感も呼ぶものなのだが、やはりこの歌にはただの ラブソングに終わらない、人間の根本の欲望を赤裸 々に描いている。
「全てを遠く追い出しては、いつもの言葉で話すだろう 今も何かを君に伝えては、何かを忘れていくのだろう 全てを欲しがるこの僕を、代わりに残していこう 今なら迷わず君だけと残りを歩き出していこう」 (欲望)
この曲にはホフディランという昆虫でいえば、蛹の バンドからほんの一瞬、羽が見えて「あ、いよいよ 蝶々になるんだ」という僅かな感動と、あと一歩の 踏ん切りをグイッと押し切ろうとする力強さに満ち ている。
残念ながら、僕の中ではこれを超えた作品は無かっ たのかもしれない。この『ホフディラン』以降のア ルバムは買っていない。もしかしたら、その捻くれ 加減が大空を羽ばたく蝶々よりも、内省的な蛹を選 んだのかもしれない。それでも、確かに『欲望』の 中にチラッと大空に羽ばたくにふさわしい、綺麗な 羽が見えた。その微かな一瞬が見れただけでも、僕 の中では充分に意義があるものだし、またどのくら い先かはわからないが、その羽を更に綺麗に仕立て あげて、その機会があれば、大空に羽ばたくための 活動休止である事を信じたい。この二人ならそれが 出来るような気がするし、そうすることも、いかに も捻くれている彼ららしいと実感できる。今は勿体 ない気持ちと、次の欲望へ進み出す彼らの前途を祝 いたい気持ちが螺旋のように入り組んでいる。
「遠くへ、また遠くへずっと 進んではそして超えていって何かを見つけるんだな 愛と言い訳で欲望は僕達を走らせているよ」 (HIGHWAY 98)
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